子連れで故郷へ戻ります
公里=キロメートル
課題を終了した翌日、全 紫釉は崑崙山脈へと戻っていた。
その山には全 紫釉たちと同じように、試験を終わらせた者たちがぞろぞろと集まってきている。けれど、黄と黒族の確執がなくなったわけではないようで...……
試験官の爛 春犂が顔を見せるまでひたすら、いがみ合っていた。
全 紫釉や爛 梓豪、そして他の仙家の者たち。争っている族たちの中で唯一話の通じる黄 珍光は、あきれてものも言えなくなっていた。
少しして、爛 春犂が顔を出す。ふたつの仙家の確執には一切触れることなく、試験の結果は一週間後だとだけ伝えてどこかへと行ってしまった。
残された修行者たちは、次々と山を降りていく。
そして、全 紫釉たちも降りていった。
□ □ □ ■ ■ ■
ガッポガッポ……砂利道を、一匹のロバが歩いている。ロバの背中には銀髪の麗人、全 紫釉が乗っている。頭の上には蝙蝠が、左肩には仔猫が乗っていた。
そして膝上には、漆黒の服に身を包んだ子供がいた。
「──こうやって外の景色を見るだけでも、新しい発見があるんですよ?」
全 紫釉は膝の上に乗っている子供へ笑顔を送る。
子供は頷いた。空を飛ぶ鳥を指差して「姫様、あれは何?」と、かわいらしく笑っている。
「ふふ。あれは……鷹? ……いえ、鷲…………よしっ。鳥です! あれは鳥です!」
「鳥、です、か? 姫様は何でも知ってて、すごいです」
両者とも、ニコニコと微笑んだ。ふたりを乗せるロバの頭を撫でながら、きゃっきゃと、楽しそうに会話をする。
そんなふたりを乗せるロバを引っぱるのは、爛 梓豪だ。彼はふたりの会話に口を挟むことをせず、黙って聞いている。
──いや、阿釉……それだとすべての鳥が、鳥って名前になっちゃうよ。
全 紫釉たちにわからないように、はははとから笑いした。けれど爛 梓豪は口から生まれたような性格をしているため、黙々と進むのは無理があったようで……
ロバを引きながら、視線だけを全 紫釉たちに向けた。
「なあ阿釉、その子供だけどさ……もしかしなくても、黒無相か?」
美しい人の膝の上に乗っている子供は、きょとんとしている。何か駄目だったのかと、全 紫釉に目線で訴えた。
全 紫釉は首を横にふり、子供の頭を撫でる。
「この子は妖怪ではあります。ただ、妖怪には似つかわしくないほどに純粋で、さらには世間知らずです」
学ぶことが必要。
全 紫釉は、行動をともにして色々と学ばせようと考案した。
「それって、白無相は知ってるのか?」
「ええ。と言うか、白無相が、それを提案してきたんです」
「え!? あいつが!?」
驚き、ロバを引いていた紐を離してしまう。慌てて持ちなおし、嘘だろと呟いた。
──あの白無相がねぇ。何だかんだ言って、相棒は大事ってことか。
うんうんと、ひとりで納得した。
「事情はわかったけど、黒無相ってのは妖怪だろ? そのままの名前はまずいんじゃねーの?」
人間の暮らしを見せたい、体験させたいというならば、名前もそれらしくしなくてはだめなのではないだろうか。素朴な疑問をぶつけた。
すると全 紫釉は、顔をにんまりとさせる。胸をはりながら、勝ち誇ったように目元を緩ませた。
「大丈夫です! そのへんは、ちゃんと考えてありますから」
「へえ。どんな名前なんだ?」
ふたりの視線が子供へと注がれていく。そのことに気づいた子供は照れながら、身を縮ませてしまった。
「……白月です。黒ばかりの道を行くこの子に、光のある白い道を教えたい。その光が、月のように優しい輝きでありますように。そんな意味をこめました」
ぎゅうーと、白月と名づけた子供を抱きしめる。
新たな名を貰った白月は、嬉しそうに喜んでいた。
「……そっか。いい名前じゃねーか」
彼は白月の頭を撫で、子供らしい暖かさのある小さな手を握る。そして笑顔で、これからよろしくなと挨拶をした。
「ふふ。受け入れてもらえてよかったです。……それはそれとして……」
「どうした、阿釉?」
全 紫釉からの熱い視線に気づき、小首を傾げる。長い黒髪をロバに食べられそうになりながら、銀髪の美しい人からの視線に苦笑いした。
「あ、いえ。一週間ほどどう過ごすか悩んでたところで、爛清から声をかけてもらえて嬉しかったのですが……」
左肩に乗っている仔猫があくびをする。つられて子供もあくびをし、それを見ながらクスッと微笑んだ。
「これから、どこへ向かうのでしょう? 連れて行きたい場所があると言われたので、こうしてついてきましたけど……」
すぐそばにある広大な自然を見つめ、ロバの足をとめる。
崑崙山脈から東に五公里ほど進むと、重慶州というところがある。そこには広大な草原があり、金山とも呼ばれていた。
雨上がりには雲海が現れ、滝のように流れる。美しい自然現象が見られる場所としても知られていて、観光客がひっきりなしに訪れていた。
彼らはその自然がよく見える丘の上に立ち、緑豊かな山を眺める。
高地だからなのか、秋風が妙に冷たかった。風に靡く髪を押さえ、爛 梓豪はじっと山を見つめる。
「……この重慶州一帯はさ、お袋が治めてるんだ。山の中にはたくさんの妖怪がいるし、冥府へと通じる扉だってある」
──久しぶりに見たな、この景色。なーんも、変わってない。きれいなままだ。
ロバから降りようとする全 紫釉の手を取る。隣に並ぶ、美しくも儚い見目の人に視線をやった。そして、ニカッと白い歯を見せる。
「……この、滝のように流れてる霧さ。これは俺の故郷、鬼園を隠すためでもあるんだ」
全 紫釉の前まで進み、両手を大きく広げた。
「隠す……ですか?」
「そう。鬼園って、捨てられた人間がいるだろ? おまけに、妖怪の住む町だ。そんな場所を、快く思わない連中が結構多いのも事実だ」
そういった者たちからの襲撃を避けるため、雲海のような霧で町を隠しているんだと教える。それは一種の結界のようなもので、どんなに強い仙人であってもほどくことは叶わないとされていた。
「詳しくは知らねーけど、冥王様が直々に結界を作ってくれたって話だ」
我がことのように喜び、胸をはる。そして全 紫釉の両手を握り、子供のような笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか」
彼らの背に、陽光が落ちる。
爛 梓豪は振り向き、眩しさに目を眩ませた。
顔に当たる光が、少しずつ暖かさを生む。ふわりとした柔らかな日差しに頬を緩ませながら、袖から小さな鈴を取り出した。そして軽くふる。
瞬間、滝のように流れている霧は、みるみるうちに晴れていった。そしてカンカンという不思議な音とともに彼らがいる場所まで、透明な階段が具現化していく。
階段が積み終われば、爛 梓豪は一歩先に進んだ。そして振り向き、全 紫釉に手を差しのべる。
「ようこそ阿釉、俺の故郷、鬼園へ──」