残された謎
裏手に着くなり、爛 梓豪から疑問の声があがった。
全 紫釉は能面のような表情のまま、彼を見据える。
「重曹についてですが……この國ではまだ、作られてすらいません」
「ん? じゃあ、どうしてこれがここ……っ!?」
何か、勘づいたようだ。全 紫釉を見て、両目を丸くしている。
「異國に、砂だらけの地があるそうです。そこでよく使われているらしく、食器や武器を磨いているそうですよ」
「異國って……じゃあ何か? 小麦粉……じゃなくてじゅ……何とかってのは、輸入品ってことか!?」
「はい。何よりも、異國という言葉で思いつくのは、あの銀妃と呼ばれている者のことです」
「……また、銀妃か。ここでも絡んできやがるとはな」
彼はいつになく、真剣な面持ちになっている。
全 紫釉は肯定し、面倒なことになったなと、心の中で悪ついた。
彼らは、異國という言葉に敏感なのかもしれない。
街で起きたカカオ事件から始まったそれは、関所の今にいたる。直接的な繋がりはないにせよ、どちらもに異國が関わっていた。そこには銀妃と呼ばれる、謎多き人物の影が見え隠れしている。
「──思い過ごしならいいのですが、異國の物……輸入品となると、どうしても前回の絡みを思い出してしまいます」
全 紫釉は苦い顔をした。
子供たちからの依頼を遂行していくうちに、明るみになっていた存在。それが、数ヶ月前に禿の皇帝を殺したとされる者だった。
どんな関わりがあるのか。それすらわかっていないまま、ふたりは関所の試験に挑んでいた。
「どちらにせよ、私たちが今すべきことは、そこではありません。残りの謎、蓮の生息の意味を考えねばなりません。なので爛清、このことは一旦置いて……爛清?」
「…………」
何かあればまっさきに口が開く。口から生まれたといっても過言ではない男、それが爛 梓豪だった。けれど今の彼は、うんともすんとも言わない。
そのことを不思議に思いながら、恐る恐る顔をのぞいてみた。
すると……
「…………すぴー」
壁に凭れながら、鼻ちょうちんを出して寝ているではないか。グーグーと、いびきすら聞こえるほどに寝入っているようで、頬をつついても反応しなかった。
そんな器用な寝方をする彼に、全 紫釉は微笑みを送る。
──ああ、丑の刻ですからね。
空を見上げれば、月明かりが地上へと降り注いでいた。数秒だけ夜空を眺め、視線を彼へと戻す。
「……ふふ。お疲れ様でした」
──私のことを考えて。最良の場を作ってくれた。孤立しそうになったら、その場の空気すら変えてくれた。
立ちながら寝るという器用なことをしている爛 梓豪の頬を、もう一度軽くつついた。意外ともちもちとしている肌には、弾力がある。微笑みながらちょっとだけ、つつき続けた。
彼を見つめる瞳を溶かしながら、少しばかり潤ませる。薄い唇から甘い吐息を溢し、背伸びをした。そして──
そっと、彼の頬に唇をよせた。
そのとき、爛 梓豪の閉じられていた瞼がゆっくりと開く。
「……っ!?」
全 紫釉は我に返り、顔を真っ赤にした。彼から離れ、視線を逸らす。
「……? ふわぁー。あれ? 俺、寝ちゃってたのか? ……って、阿釉、どうしたんだ?」
「な、何でもありません」
──わ、私はいったい何をして……寝ている人の頬に、く、く、口づけなんて。無防備な彼の頬を一人占めとか……
もじもじと。自分の中にある意外と大胆な行動力に驚きながら、恥ずかしさを隠した。ぷしゅうっと、頭から湯気が出そうなほどに緊張してしまう。
彼に対する気持ちはもちろん、胸の高鳴りや手汗。唇が震えて、上手く言葉を話せなくなってしまった。
爛 梓豪が心配そうに全 紫釉の顔ををのぞきこむ。けれど、全 紫釉の白い手が、彼の顔全体を覆ってしまった。
「ぶっ!」
「わ、私は……」
彼の顔から手を離す。そして顔をトマトのように真っ赤に染めながら、涙目で彼を睨みつけた。
「こ、告白するなら、正々堂々とします!」
「え!? こ、こく? ……あっ、ちょっと阿釉!」
彼の戸惑う表情を目に焼きつける。そして背中を見せながら、逃げるように走った。
爛 梓豪の声や姿がみえなくなるほどに遠い場所まで来た全 紫釉は、息を切らしながらその場にしゃがむ。
紅色に染まった頬、爆発寸前の心臓。それは、自分の仕出かしたことを再確認させる要因となった。
──わ、私はなんてことを!? いくら彼のことがす、す、好きだからって……あんな大胆に。
「…………爛清に影響を受けた、のかな?」
爛 梓豪という、明るくて誰よりも優しい青年。そんな彼の性格に影響されてしまったと言うのだろうか。
引っ込み思案だったはずが、いつの間にか堂々と行動を取れるようになっていた。
変わりつつある。物事を前向きに考えられるようになっていた。
それを実感しつつあるようで、全 紫釉は深呼吸する。
「……ずっと、後ろを向いたままじゃ駄目、だよね?」
告白をしようという気持ちはなかった。それでも彼を想い続ける。
全 紫釉は起き上がり、黒い衣を深く被った。夜空に想いを馳せ、朝日が出るのを待った。
□ □ □ ■ ■ ■
翌朝、池を囲うように、修行者たちが集まっていた。その中には爛 梓豪と、全 紫釉もいる。
「……阿釉のおかげで、たくさんあった謎は解けた。でもこの蓮の謎だけは、まだ不明なんだよなぁ」
爛 梓豪の声が周囲の者たちの視線を、全 紫釉へと向かせた。
全 紫釉は一瞬だけたじろぐ。それでも咳払いをして、心を落ち着かせた。
すっと両目を細め、端麗な顔に似合うだけの吐息を溢す。
「正直な話、この蓮だけは本当にわかりません。兵の方々に頼んで火をつけて燃やしてもらったり、幹を切り取ってもらったりもしました。でも……」
蓮は、そんな荒療治がされていたことなどなかったかのように、ピンっと幹を伸ばして咲いていた。
全 紫釉は蓮の花の前に立つ。幹へと手を伸ばし、あろうことか、ポッキリと折ってしまった。
「あ、阿釉!?」
「見てください」
彼の口を止め、蓮を指差す。
瞬間、蓮は折られた先から瞬く間に伸びていった。最後には一瞬で花を咲かせ、風にあおられながらゆらゆらと揺れている。
「……えっ!?」
声をあげたのは爛 梓豪ではなく、黄 珍光だった。黄色い漢服に身を包まれた青年は、怯えながら爛 梓豪の後ろに隠れてしまう。
それを見ていた全 紫釉は、焼きもちを表情に乗せた。ぷくぅーと、河豚のように頬を膨らませる。そして爛 梓豪の腕をグイッと引っぱり、適度に彼を睨んだ。
突然睨まれた彼は「ひょっ!?」と、驚く。冷や汗を流しながらへこへことし、低姿勢になっていた。
──私以外の人と触れ合わないでほしい。そう思ってしまう私は、嫉妬深いのかも。
少しずつ、自分の気持ちに整理をつけていく。
「……爛清、それから皆さん。この蓮は、おそらく……」
蓮のある池に背を向けた。瞬間──
ザバーと、後ろの池から大きな音が響く。誰もがそれに反応し、「あっ!」と声をあげた。
「阿釉、後ろ!」
「…………」
驚き、慌てる彼らとは正反対に、全 紫釉の反応は薄い。無表情に近いと言った方が正しいのだろう。
それでも深紅の瞳はさらに深く、焔のように染まっていった。




