それぞれの秘密
「──私の父は妖怪です。だけど母は人間です」
質素な飾り窓から入る陽光に、全 紫釉は目を眩ました。
透き通る声が響く部屋の中は、何の音も聞こえない。外からは同士たちの元気な声、足音など。人の、はつらつと生きる音が聴こえてきた。
「ふたつの力……妖怪の陰の力と、人間の陽の力。これらが私の中で常に反発しあっているらしく……」
さらりと、美しい銀髪が流れる。下を向いて、上布団代わりにしている自身の華服の上着を握りしめた。
──嫌われてしまう。妖怪の血が混ざる私は、化け物だから。だから爛清は私を嫌いに……
「なーんだ。阿釉も、俺と同じなのか」
「…………え?」
何が同じだと言うのか。突然のことに、全 紫釉は顔をあげて彼を見張った。
彼は無邪気な笑みを浮かべては、同じだよと全 紫釉の髪をくるくると指に巻きつける。けれど細すぎる髪は、すぐにほどけてしまった。それを優しい眼差しで追いかけながら白い歯を見せている。
「ははは。いや……実はさ。俺も阿釉と同じで、半妖なんだ」
「え!? そ、そうなんですか!?」
驚いて布団から起き上がった。しかし貧血のせいで目を眩ませてしまう。顔面から倒れる寸前、彼に支えられた。
「驚かせちゃったか。ごめんな? ……俺さ、鬼園から来たんだ」
「鬼園って、確か……妖怪と、行き場をなくした人間が住む楽園、でしたっけ?」
彼を凝視しする。
爛 梓豪は軽く頷いた。穏やかに微笑みながら、汗で髪がくっついている全 紫釉の額を軽く拭く。
「そう。あそこはさ、禿に紛れた妖怪たちが住む場所でもあるんだ。こことは違う世界……すべての妖怪を統べる冥王。その人の直属の部下が、城主となって暮らす町。で、その城主ってのが、俺の母なんだ」
最終的な決定権は冥界にあった。けれど人間の住むこの地での妖怪たちを動かすのは、鬼園の城主となっている。
彼はその鬼園の後継者だ。後を継ぐ者として、修行として、仙人昇格試験に挑んでいる。
「半分妖怪だったとしても、残り半分は人間だ。俺は妖怪の力と人間の霊力。その、両方を受け継いでいるんだ」
それが功をなし、人間たちと一緒に仙人になる資格を得られているのだと告げた。
「……そう、だったんですか」
──何となく、彼から感じる力の半分が人間じゃない気がしていた。……私と同じ、妖力を持っているのか。
「何だか、お揃いで嬉しいですね」
「ん? そうか? ……って、阿釉は、どこの妖怪の血をひいてるんだ?」
「……そ、れは……」
視線を浮かせて口ごもった。
──鬼園城主の息子。それはわかった。でも私は、あなたの母に命令を下せるほどの地位にいる人を父に持ってます。なんて、言えない……
「し、しがない、一般的な妖怪です」
妖怪という存在に、一般的という言葉が当てはまらない。それをわかっていても、他にことばが思いなかった。
苦笑いで誤魔化しながら、彼の反応を待つ。
「なるほど。名前もないような、どこにでもいる妖怪ってことか」
「え!? あ、は、はい……」
まさか、それで納得したと言うのか。
全 紫釉は彼の単純思考にホッと胸を撫で下ろした。同時に、何も考えないことに一抹の不安を覚えていく。
「…………あなた、単純すぎません?」
「しょうがないだろ。難しいことを考えるの、苦手なんだからさ」
爛 梓豪は悪びれた様子すら見せなかった。むしろ誇らしげに胸をはっている。
「まあ、それはそれとして。阿釉と俺は同じ半妖だよな? それなのに、こんなに体力の違いがあるんだな?」
人間とて、体力の上限はそれぞれ違っていた。もちろんそれは妖怪も同じ。そして半分ずつ血を持つ全 紫釉にも言えること。
それに疑問を持った様子の彼は、ここぞとばかりに顔を近づけた。
「ちょ……ち、近い! 顔、ちかいですから!」
──うう。爛清の顔が近いうえに、香りまでして……鼓動が速まってるの、バレないかな?
チラチラと、彼を見てはそっぽを向く。銀の中に混じるふたつの黒髪をギュッと掴み、緊張で震える体を誤魔化した。
「わ、私の母が、普通の人間とは違う能力を持っていたそうです」
緊張からくる震えを声に乗せながら、耳の先まで真っ赤になる。彼とは目を合わせず、ついには恥ずかしさで上布団代わりにしている華服の中へと顔を潜らせてしまった。
──この人は、私の気持ちも知らないで……
半分は怒り、残りは嬉しさと恥ずかしさ。そんなごちゃ混ぜな感情を抱えたまま、強く深呼吸をした。
そしてモソモソと動き、片手だけを出す。
「……私の母は、普通の人とは違う能力を持っていました。それが、これです」
白い肌を扇ぐように、弱々しい風が生まれた。瞬間、手のひらに塊のような何かが現れる。それは次第に姿形を成していき……やがて、一輪の蒼い花へと変化していった。
「え? ……こ、これは!? ……ひょっ!」
「爛清!?」
彼の驚きの声がするとともに、ゴトッという大きな音がする。
全 紫釉は驚いて顔を出し、いったい何事かと確認する。するとそこには牀から落ちて、目を回している爛 梓豪がいた。
全 紫釉はあきれながらため息をつく。牀から離れ、彼の腕を引っぱった。
「もう。何をやっているんですか!?」
「あはは。驚いちゃってさ……」
彼は全 紫釉の手を取る。けれど……
「…………わっ!?」
牀の上から半分ぐらい落ちている華服に足を取られてしまった。その弾みで、ふたりは床に転がってしまう。
瞬間、ドタンッという物音がその場に響いた──
どのぐらいたったのだろうか。外からは、鳥の鳴き声がする。秋風に誘われて揺れる柳の音もした。
けれど部屋の中はとても静か。
「あ、の……」
全 紫釉の薄い唇から、艶めいた吐息が溢れた。大きな瞳を潤ませ、頬を紅色に染める。
美しくて細い銀髪が床に広がっていた。
足を躓かせた青い華服はぐちゃぐちゃで、ふたりの下敷きになっている。
──ど、どうしよう!? 爛清の顔が近い! お、押し倒さ……違う。彼はそんなことをしない。でも、これは……
体調不良からくる熱と、火照った汗が背中をぐっしょりと濡らした。
全力疾走したときのように鼓動が早く高鳴り、緊張で胸の奥が張り裂けそうになっていく。それでも勇気を振り絞って、ぐっと言葉を喉まで持ってきた。
「あ、あの爛清、ど、退いてくれると、その……」
潤んだ瞳のまま、彼を見上げる。熱で溶かされた甘い吐息、白くて滑らかな鎖骨に滴る汗など、誘っているとしか思えないような蠱惑的な美しさを見せていた。
そんな全 紫釉は、現在彼に馬乗りにされている。
「…………ひょっ!?」
見つめられた彼の喉は、いつになく大きく鳴った。
予期せぬ出来事に、爛 梓豪は顔を林檎のように真っ赤にさせてしまう。ボボっと耳の先まで赤く染め、全身で驚いた。
退こうとするけれど、華服がおかしな絡み方をしてしまっている。そのせいでふたりの体は、ほぼ密着状態となっていた。
「ほ、ほんとごめん! すぐに退くから!」
華服を丁寧にほどいていこうとした。そのとき──
「──爛 梓豪、いるか!?」
扉が強く叩かれる。
彼は平静を装いながら、いるよと答えた。すると扉の向こう側から、何人もの足音が聞こえる。
「まただ! また、池の水がおかしいんだ!」
慌てふためく声を耳にしたふたりは、顔を見合せた。直前までのしどろもどろな空間を消し、頷きあう。
「──わかった。すぐ行く」
器用に、絡まった華服をほどいていった。そして、全 紫釉に手を差し伸べる。
ふたりは次に何をするのか。互いにわかっているのだろう。それぞれが準備を始め、問題となる水のある池へと向かっていった。