目的地へ向かおう
禿は広大な面積を誇る國だ。たくさんの建造物を始め、美しい自然が数えきれないほどにある。
その内のひとつに、九寨溝と呼ばれる自然豊かな場所があった。
遠くに尖った山々、横には美しい湖がある。
紅葉の色に染まった山から、葉がひらひらと舞ってきた。
湖は蒼く、底が見えるほどに美しい。近くから滝の音がし、うさぎや猫などの野生動物が顔を出していた──
パッカパッカ……
馬やロバなど。乗り物としての動物たちが蹄を鳴らしながら、湖沿いを進んでいた。
「──いやぁ。まさかあんな方法で、奴らを黙らせるとはなぁ」
爛 梓豪はロバを引きながら先頭を歩く。そのロバの上には全 紫釉が乗っている。
「ふふ。彼らは皆、自分たちが優位に立たなければ気が済まない性格です。そこを突けば、簡単に落としこめますよ?」
「……いや。それをサラッと言っちゃう阿釉、マジで怖いよ。敵に回したくねー」
ロバの上に乗る全 紫釉はそうですかと、両目をぱちくりさせた。ロバの頭を撫で、後方に控えている集団へ視線を走らせる。
集団の中心には豪華な馬車があり、ときおり怒号が響いてきていた。
「…………あいつら、またやってるよ」
爛 梓豪は、はははと苦笑いする。あきれながら目を細め、ため息すらついていた。
「まあ、そう簡単に仲良くなれるわけではありませんし。ましてや彼らは、昔から啀み合っている黄と黒です。確執がある限り、手を取り合うというのは難しいのでしょう」
ロバを撫で、ふわふわとした毛並みを堪能する。けれど視線だけは豪華な馬車へと注いだ。
──このままの状態が続くとなると、それはそれで面倒になるな。
崑崙山で起きたことを思い返す。
† † † †
集団わけが終わった直後、黄と黒族は互いに罵り合ってしまう。取っ組みあいも始まり、収集がつかなくなってしまうほどだった。
これには爛 梓豪ですらお手上げのよう。どうしようかと、情けなく眉を曲げながら全 紫釉に相談した。
「……彼らの自尊心につけこんでやりましょう」
「…………へ?」
言うよりも早く、黄と黒以外の者たちを集める。そして名もなき仙家の者たちに、あることを告げた。
「いいですか? 彼らは互いの族を誇りに思っています。だったらそれを打ち砕くような……単純明快な、言葉を投げてあげましょう」
考えた作戦はいたって簡単なもの。
【このままなら不合格になる。そうなれば、君たちが尊敬している師匠や仙家に傷がつく。君たちの幼稚かつ私的な理由で、迷惑をかけることになる。そうなったら君たちは、その責任をずっと背負うことにもなる】
それが嫌なら、おとなしく目的地へと向かうしかない。それでも行動しようとしないのならば、爛 春犂の直弟子である爛 梓豪が、このことを仙人たちに報告。
もしそうなれば、黄と黒の長たちの耳にも入るだろう。
「そうなったら、怒られるだけではすまないはずです。最悪、仙家から追い出されるでしょう」
それは自尊心の強い彼らからすると、相当な屈辱になるのだろう。だからこそ上に報告するとでも言えば、嫌でも行動を起こさなくてはならない。
「私は、こんな卑怯な……人の心の隙間を突くようなことはしたくありません。でも今は、これしか彼らを黙らせる方法が思いつきません」
そこまで言うと、爛 梓豪の両肩に手を置いた。ニコニコ微笑んで「あなただけが頼りです」と、普段より低い声で告げる。
爛 梓豪は苦笑いしながら、周囲からよせられる期待の眼差しに折れた。
† † † †
「阿釉が、いつにも増して腹黒くなってた気がする出来事だったような……」
「何か言いました?」
「ひょっ……な、何でもないです!」
爛 梓豪へ、満面の笑みを送る。
彼はそれに薄ら寒さを覚えたようだ。全身を震わせ、何度もごめんなさいと謝る。
「……まったく。それよりも爛清、これから行く【関所】については、何かご存知でしょうか?」
背中を向けてロバを引き続ける彼に、それとなく聞いてみた。
「あー……あの関所、な。あそこは、いろいろと曰くつきの関所だって話だ。三百年以上も前に、一度そこにいた人たち全員が滅んだって聞いたぞ」
「名前は確か友中関、でしたよね?」
深く被っていた黒い衣が、山風によって取れてしまう。そこから現れたのは美しい銀髪だ。
全 紫釉の儚く、それでいて女神のような美貌を見た者たちは、ほうっと息を飲む。なかには頬を赤らめて「すごい美人じゃん」と、全 紫釉によっていく者もいた。
当然、爛 梓豪がそれを見過ごすわけもなく……近よろうとする者との間に入り、番犬さながらな威嚇をする。
全 紫釉は、彼が何を怒っているのかが理解できなかった。小首を傾げ「本当にあなたは、誰とでもすぐに仲良くなれますね?」と、お花畑な言葉を放つ。
悪気のない笑顔を振り撒いた。
「んんっ! 一人占めしたい、阿釉のその笑顔ーー!」
顔を両手で覆い、叫ぶ。
全 紫釉は慣れた様子で彼へ微笑んだ。
──相変わらず、わけのわからないことを言う人だ。
愉しさを心の内に隠し、ロバの頭を撫でて前へと進む。ふと、そうだったと思い出したかのように、彼へと話をふった。
「友中関という場所はどうやら今は、とても不可解な事件に見舞われているそうですよ?」
「……ん? どんな? ってか、お師匠様は、場所しか教えてくれなかったよなぁ」
集団わけされた直後、彼らには別々に課題を与えられた。全 紫釉たちは友中関で起きている事件を解決しろとしか言われておらず、内容までは知らされていない。
爛 春犂曰く、自分たちで内容を探るのも一人前になるために必要なことのよう。
探しあて、解決する。それが仙人へ進むために必要なことだと、口を酸っぱくして言っていたことは記憶に新しかった。
「ふふ。まあ、あの人の性格上、厳しくいくつもりなんだと思いますよ? ……話を戻しますが、友中関に池があるのはご存知ですか?」
これには爛 梓豪だけでなく、他の者たちまでもが顔を見合せている。どうやら知らないようで、池なんてあったか? という声があがっていた。
「いや、初耳だな。それで? それが、どうかしたのか?」
尋ねてくる彼に向かって頷き、淡々と話を始める。
「私も噂を耳にしただけなので、詳しくは知りません。ですが……」
スッと両目を細めた。
「その池に、食材の小麦粉を落としてしまったそうです。最初はすべて浮いていたんですが……」
「その言い方だと、全部沈んだってやつか?」
どうということはない。普通のできごとだ。
彼はそう、口にした。
しかし全 紫釉は軽く首をふって、その言葉を否定してしまう。黒い衣を深く被り、顔を隠しながらロバの頭を撫でた。
「違います。浮かんだ粉が中心だけを避けるかのように、輪を作ったそうです」
「………はい?」
ともに聞いていた者たちも、爛 梓豪ですら、すっとんきょうな声になった。