昇格試験合格発表
知己=親友
短い休憩が終わった。
爛 梓豪と全 紫釉のふたりは、合格の是非を確認するために崑崙山脈へと出向く。
山の頂上には、すでに人が大勢集まっていた。彼らや彼女たちは、同じ仙人昇格試験の第一課題を終えた者たちのよう。皆が皆、安堵の表情を浮かべている。
「おー? 結構、戻ってきてるなぁ」
愉しそうに眺めるのは黒髪の青年、爛 梓豪だ。彼は、同じように合格発表を待ちわびる人々に声をかけていく。
気さくで誰とでも仲良くなれる爛 梓豪らしさを全面に押し出す会話術で、どんな課題だったのかなどを聞きとっていった。
そんな彼をあきれた様子で見るのは、黒い衣に身を包んだ全 紫釉である。少女のように美しく、それでいて儚い。
誰もがそう口にしてしまうような、美貌を兼ね備えた青年だ。
「……あの人、口から生まれたんじゃないでしょうね?」
頭の上には蝙蝠を乗せている。両手では白い仔猫を抱きしめていた。どちらもがかわいらしい小動物だったため、近くにいる女修道師たちから視線を浴びてしまう。
それでも全 紫釉の視線は、目の前で楽しそうに語らっている爛 梓豪へ向けられていた。
「ん? 阿釉ー! どうしたぁー?」
無邪気な顔をして手をふっている。そのままてくてくと歩いてきて、ピッタリと頬をくっつけた。
全 紫釉は何をしているのかと、彼を訝しげな眼差しで睨む。
「まーまー。そんな怒りなさんなって」
「べ、別に怒ってなんか……」
──うう。爛清の顔が、すごい近い。……きれいな顔してるし。あ、意外とまつ毛長い。それに、左耳に黒子がある。ふふっ。新たな発見かも。
好きという気持ちを実感してからというもの、全 紫釉は彼の何かしらに新しいものを求めていった。それは行動然り、言動、姿形など。
どんなものであっても知りたいという気持ちが、心の中に芽生えていたことに気づく。
それでも今の関係を崩すのは怖かった。彼へ向ける好意は友として……ではない。恋人や愛する者へ向ける想いだった。
──それを伝えてしまえば、私と彼の関係は終わる。爛清の性格上、気味悪がったりはしないのだろう。だけど、距離を置かれると思う。もしそうなったら……
そのまま、何も話さないまま、ふたりの関係は自然消滅するのではないだろうか。
沸々とした、暗い気持ちに蝕まれていった。
スッと瞳を暗くする。唇から笑み、心から感情というものを一瞬にして消し去ってしまう。
「……阿釉、何か怒ってる?」
彼は恐る恐る、全 紫釉の顔をのぞいた。決して大きくはない、男らしい細い瞳に少しだけの戸惑いを乗せている。
全 紫釉は、感情のない瞳で彼を見つめた。けれどすぐに光を戻し、首を左右にふって微笑む。
「すみません。私はその……」
もじもじと、両手の指を遊ばせた。頬を赤らめ、潤んだ瞳で彼を直視する。
「ひ、人見知りする方なので、あなたが私以外の人と話していると……寂しくなると言いますか……」
「ん? どういうことだ?」
爛 梓豪は本気でわからないようだった。小首を傾げては、長い黒髪をふわふわと揺らす。無邪気にも近い、子供っぽい笑みを浮かべていた。
全 紫釉はそれ以上、何も言えなくなってしまう。その場にしゃがみこみ、黒い衣という殻に閉じこもった。
独占欲。その言葉だけが似合う心を隠しながら、彼から視線を逸らす。
「阿釉ー! 俺、何か、気に触るようなことしたか? なーなー!」
嫉妬にも似た気持ちに気づくはずもない爛 梓豪は、遠慮なく全 紫釉の肩を揺らした。
そんなふたりは端から見れば、ただ情人同士でじゃれあっているだけにしか見えない。
間近でそれを見せられている数名は額に血管を浮かばせ「痴話喧嘩ならよそでやれ!」と、喚いていた。
「ひょっ……ちょっ、何言ってんだよ!? 俺と阿釉は知己だぞ!? こ、恋人とかじゃねーし!」
あわあわと、言葉を並べる。全 紫釉に、そうだよなと同意を求めてもいた。
けれど全 紫釉は頬をぷーと膨らませ、涙目になる。立ち上がり、彼の華服の袖を軽く摘まんだ。
潤んだ大きな瞳で上目遣いになり、薄い唇を動かす。
「知己、だけなんですか?」
「……っ!?」
瞬間、爛 梓豪は耳の先まで茹でダコのように真っ赤になった。そして体を震わせ「俺は、この気持ちがわかんねーんだよぉーー!」と、叫びながら走り去ってしまう。
そんな彼の姿を見つめながら、全 紫釉はこてんっと首を左によせた。
「……厠、我慢してたのかな?」
明後日な方向に結論づける。
「いや、何でだよ!」という周囲の者たちの声も虚しく、全 紫釉は天然さをいかんなく発揮していった。
□ □ □ ■ ■ ■
一時間ほどたつと、糸目の中年男性がやってきた。整った顔立ちをしてはいるけれど、見えているのかわからない瞳が胡散臭げに感じる。
そんな男性の名は爛 春犂。爛 梓豪の師匠にして、全 紫釉の実祖父という人物だ。
男は誰よりも高い位置にある岩の上に乗る。そして、集まった修行道師たちを眺めた。
「諸君、今から第一試験の結果を発表する。今年は、いつも以上に困惑する出来事があっただろう。それでも乗り越えたお前たちだからこそ、この結果に満足してほしい」
低いけれど、不思議と耳に残る声が轟く。背筋を伸ばして立つ男は歴戦の勇姿をようで、貫禄すらあった。
そんな男が、全 紫釉たちへと、声高らかに告げていく。
「お前たちは、試験を開始する前に紙を手に入れたはずだ」
「えっと……これですか?」
先頭にいる黒服の集団のひとりが、紙を掲げた。それは一次試験のために用意された、相棒を決める紙でもある。
男は静かに頷いた。
「その紙には、特殊な術が施されている。試験の間、君たちの行動が常に記録されるようになっていてな。課題を解いたかどうかも、しっかりと記録されているぞ」
そう言うと、懐から八卦鏡を取り出す。それをキュルキュルと一周させた。瞬間、修行者たちの紙が淡く輝く。
数字しか書かれていなかった紙には、少しずつ赤字が浮かび上がっていった。
赤字で合と書かれた紙、逆に不と記されてしまった者もいる。合と書かれたそれを見た者たちは喜びを分かち合い、不の文字を目の当たりにした人は泣き崩れていた。
全 紫釉は紙に書かれた合の字に、ホッと胸を撫で下ろす。
「……合格、した。よかった。……あれ? そういえば爛清は?」
ともに課題を解決した人、爛 梓豪の姿が見当たらなかった。相棒であるならば合格しているのは間違いなかったが、本人の姿がない。確認のしようがなかった。
そのことに、少しだけ不安と焦りを覚えていく。
修行者たちの間を抜け、爛 春犂の元へとたどり着いた。そこで男に、爛 梓豪の行方を尋ねる。すると……
男こと爛 春犂は盛大なため息をついた。眉間にシワをよせながら、こめかみを押さえる。そして少し離れた場所にある木を指差した。
何とそこには、紐で体をぐるぐる巻きにされている爛 梓豪がいるではないか。しかも木に巻きつけられ、しくしくと泣いている。
「…………えー?」
全 紫釉は男とともに肩を落とす。げんなりとしながら、ため息と一緒に木へと近づいた。
「……何、やってるんですか?」
見てはいけないものでも見るような視線を彼に浴びせる。
「阿釉ー! だずげてーー!」
もがくことすらできないほどに、ガッチリと木にくくりつけられているようだ。
「いや、だから、あなたは何をしているんです?」
「ぐすっ。さっき阿釉と別れた後、お師匠に見つかって……」
「見つかってって……それだけで、こんな見せ物状態になるものなんですか?」
そう、きつく言葉を放つ。
すると彼は強く首をふった。
「八卦鏡落としたことがバレて、お仕置きくらってんだよーー!」
いい男が台無しになるほどに、鼻水や涙でぐちゃぐちゃな顔をしてしまっている。ひたすら助けてくれよと、全 紫釉に頼んでもいた。
全 紫釉は、開いた口が塞がらない。頭痛を覚えながら、再びため息の嵐に見舞われるのだった。