人形師の真実
「阿釉!」
町中の人々を人形へと変えた白無相に、全 紫釉が捕らわれてしまった。
それを眼前で目撃した爛 梓豪は、木の枝を伝って屋根の上に登る。空に一番高い屋根へと移り、懐から小刀を取り出した。
白無相に見つからないように小刀を握る。そして全 紫釉を捕まえている糸の先を探った。
「これか!」
白無相という妖怪は、銀髪の美しい人しか目に入れていない様子。爛 梓豪の姿などないに等しいようだった。
そこをついて、彼は小刀を振り下ろす。すると糸はプツッと音をたてて切れていった──
「……っ!?」
突然、体を拘束していた糸が切れる。全 紫釉は驚きながら声を殺した。その体勢のまま落下する──と、両目を閉じる。瞬間……
「大丈夫か? 阿釉」
「……え?」
落下してしまうと覚悟を決めていたのだろう。けれど全 紫釉の体はふわりと浮いていた。
「爛清……」
見れば爛 梓豪が全 紫釉の体を横抱きにし、しっかりと支えている。
彼の整った顔と、長い濡れ場色の黒髪が視界に入った。
──私、爛清に包まれている。どうしよう……すっごく、嬉しくて幸せだ。
顔が赤くなっていく。胸の奥が熱く、鼓動がとても速くなっていった。
幸いにも今は夜だったため、彼は全 紫釉の表情変化に気づくことはない。それがせめてもの救いだったと、胸を撫で下ろした。
その後、彼に屋根の上へと下ろされる。
「阿釉、大丈夫か?」
「あ、はい。私は大丈夫です」
彼の太い指が頬に触れた瞬間、全 紫釉は穏やかにはにかんだ。
彼が眉をよせながら、心配そうに弱々しく尋ねてくる。それを見ただけで、全 紫釉の体は火照っていった。
──爛清が、私を心配してくれている。すごく嬉しい。でも……
今しなくてはいけないのは、彼の優しさに甘えることではなかった。白無相に真意を問う。これが、ハッキリと頭の中に浮かんできていた。
黒い衣を脱ぎ、踵を返す。銀の髪が闇夜に溶けていくのを気にすることなく、現状を作り出した張本人を睨みつけた。
「白無相! これはいったい、どういうことですか?」
全 紫釉にしては珍しく声が荒い。問答無用と言わんばかりに責めながら、相手を凝望した。
白無相は一瞬だけ「ひえっ」と、怯えた声をあげる。けれどすぐに人を食ったような笑みになり、高笑いを始めた。
「姫様ーー! そんなに怒ると、せっかくのかわいい顔が台無しですよぉー? はい」
そばにいる操り人形と化した人間を、錫杖の先でつつく。
「……正直に答えてください。これは、いったい何なんですか!?」
「はい、はい。そうですよねぇー。知りたいですよねぇー」
ケタケタと。小馬鹿にする笑いは止まらなかった。
全 紫釉は大きなため息だけをする。白無相を無言で睨みながら、眉に怒りを乗せた。
そのとき、隣にいる爛 梓豪に肩を掴まれる。
「……っ!?」
彼に抱きよせられた全 紫釉は、平静を装っていた。けれど内心では、心臓の高鳴りを押さえられなくて困惑する。
──ば、爛清に包まれている。どうしよう……
綻びそうになる頬を、無理やり固くさせた。手汗を隠しながら見上げれば、彼は神妙な面持ちで白無相を見張っている。
「…………白無相、あなたは、どこまで関わっているんですか?」
この町で起きたのは、女性が亡くなったこと。どこまでそれに関係しているのか。
静かに尋ねた。
すると白無相は腹を抱えて爆笑を始める。ひーひー言いながら「あれかぁー」と、他人事のように語り始めた。
白無相の話は耳を疑うものばかりだった。
中秋節こと、妖秋節。それが近づいたとき、妖怪たちは一斉に人間の世界へと訪れた。
数多の妖怪のうち、【温風洲】と呼ばれるこの町を拠点にしたのは白無相たちである。ここで彼らは、とある人間の男と出会った。
「その男は、子供のいる女に横恋慕していたようでしてねぇー。ええ、はい。非常に、熱く語っておりましたです、はい」
人を小馬鹿にした様子で、楽しそうに語りつくす。
「女を殺してその魂を人形に移せば、永遠に男のものになる。そう、お伝えしたまでです。はい」
重苦しい空気の中、白無相の浮かれた声だけが轟いた。白く、黒い眼球すらない不気味な瞳をふたりに向け、自慢するように話を続ける。
「魂で遊ぶ。そう、お伝えしたら、あの男は喜んで女を殺しましたよ。はい。でも……」
はあーと、呑気なまでのため息を吐いた。わざとらしく頭をふり、眉をへの字に曲げる。
「あの男めは、女を殺した後に怖じ気づきましてねぇ。契約した私に逆らうかのように、出頭するなどと申しましたのですよ。はい」
「……だから、倉庫で自殺に見せかけて殺した、と?」
全 紫釉の透き通る声が、おどけている白無相から笑みを消させた。
そして不敵かつ、不気味な表情へと変わる。
「ええ、ええ。はい。そのとおりでございます。あの男は、よほど女を好いていたと見える。バラバラにした人形を必死にかき集めては、あの倉庫に持っていたようですし」
彼らの妖術は、人形に魂を移し替えること。けれど魂の器となる人形は、簡単に作ることはできなかった。
紙は、安いものでも金銭ひとつはするからだ。
彼ら妖怪にとって、その金自体に価値はない。けれど人間から買い取るとなると、必ず必要になった。
そんな金をたくさん持っているはずもない白無相にとっては、人形をひとつ作るだけでも相当な額が必要となる。
「我ら妖怪の頂点に君臨する冥王様。あのお方がそう決めた以上、逆らうことはできません。したら、一瞬で殺されてしまいますからねぇ」
律儀なのか。自分勝手なのか。白無相という妖怪は、それすら分かりにくい性格のようだ。
「……なるほど。それで、あのように、胴体などが分かれていたんですか」
「おおー! 姫様、我らの苦労、わかってくださいますか!?」
「違いますよ。それより……」
爛 梓豪に支えられながら、宙に浮き続ける白無相を凝視する。
「店主が女性を殺したときに使っていたカカオ。あれは、どうやって手に入れたのです? それに……」
ギュッと拳を握った。瞳をきつくしめ、白無相に臆することなく間向かう。
「カカオで殺す。などという発想、普通は思いつきません。それ以前に、成分などを知らなければ無理なはず。あなたが教えたのですか?」
「……?」
白無相はきょとんとした。
──話が通じていないわけではないはず。それに、ここまできて誤魔化す意味もないはずだ。
ならば答えはひとつ。そう考え、全 紫釉は問う。
「その様子だと、知らないようですね」
「……いや、姫様? 知るも何も、なぜ、わざわざ、殺し方まで伝授しなくてはならないのです? はい」
そこまでしてあげる義理はない。白無相はキッパリと、そう告げた。同時に不愉快だと、不機嫌になっていく。
「……なあ阿釉」
ボソッと、爛 梓豪が耳打ちした。
「こいつの話を聞く限り、カカオ云々は関与してないんじゃないか?」
白無相には聞こえない程度の小声で話す。
全 紫釉は軽く頷き、彼を横目に見つめた。
「白無相の言葉が真実だとするならば、どうしても疑問が残ってしまいます」
「疑問? あいつが何をしたのかってやつか?」
彼は白無相へと視線を投げる。けれど全 紫釉は首を左右にふって否定した。
「カカオです」
「カカオ?」
彼におうむ返しされても、全 紫釉の視線は白無相へと向けられている。
すっと両目を閉じ、長いまつ毛を軽く震わせた。
「カカオの知識。どうして、店主はそれを知っていたのか。それが疑問として残ります」
──白無相ではないとすれば誰が? 何のために?
まだ見つけられていない、裏があるのではないか。彼ら妖怪とは違う、別の何かが働いている。
全 紫釉は、そんな気がしてならなかった。