妓楼の出会い
牀=ベット
子供たちと別れ、青年──爛 梓豪──はとある山に着いた。
赤く染まった紅葉がハラハラと落ち、とても美しい。歩くたびに、地面に落ちた葉がカサカサと音をたて、風に遊ばれた紅葉たちが眼前を舞う。豊かな自然が目を誘い、ついつい足をとめてしまった。
人工的に作られた道の左右には、自然がそのままになっている。野うさぎなどの野生動物が生きていて、ときおり鳥の鳴き声が聞こえた。
けれどひとつだけ。普通の山とは違うところがあった。山の表面が薄い水の膜に覆われていたのだ。中に入ればどうということはないが、外から見れば浮いているようにも感じてしまう。
そんな不思議な山、それが爛 梓豪が向かった地だった。
そんな山の頂上付近には白服の仙人たちが立っている。彼ら、そして彼女たちは、試験を受けにきた者たちひとりひとりを確認していた。
やがて爛 梓豪に順番が回ってきたのだが……
ゴーンゴーンという鐘の音が鳴ると、白服の者たちは次々と引き上げていく。
「………へ?」
爛 梓豪のすっとんきょうな声に被せるように、白服の者はひとりを残してその場から消えてしまった。
残った白服の者は腰の後ろに右腕を隠し、姿勢正しく声を張り上げる。
「今日の受け付けは終了した。また、明日来られよ。受け付けは明後日の夕刻まで行っているので、それに間に合うようにしなさい」
それだけ伝えると、振り返ることなく奥へと行ってしまった。
「……う、嘘、だろ?」
──時間制限があったなんて知らねーよ。聞いてねー!
頭を抱えながら、その場で地団駄を踏む。彼の後ろに控えている者たちも落ちこんでいた。
「今日は、帰るしかないのかぁ……あー。でも宿屋は、明日から予約してるからなぁ」
寝泊まりするところがない。そのことに、しょんぼりしてしまう。それでもここにいることはできなかったので、背中を丸めて山を降りていった。
□ □ □ ■ ■ ■
町へ戻った頃には、すでに陽が落ちきっていた。町のいたるところにある提灯に灯りがつき、淡く光っている。
昼間に子供たちと出会ったときとは違い、大人たちが多く顔を出していた。特に、着飾った女性が多く、男たちを誘っている。
「仕方ない。今日は【梅名楼閣】の姐さんたちに頼んで、泊めてもらうかな」
ぶつぶつと呟きながら、夜の町の中を歩いた。
周囲を見渡せば、酒や食品の店が建ち並んでいる。酒蔵もあり、酒樽がたくさん外に置かれていた。
男は活気に溢れながら、仕事帰りに酒場へ。女はそんな男に怒りの鉄槌を加え、ずるずると引きずっていた。
他にも男女問わず、大人たちは夜の町を歩いている。
「相変わらず、この町の夜は賑やかだな。お? 着いた着いた」
彼が向かった先は、ひときわ目立つ大きな建物だった。朱い屋根と柱、そして外壁は橙色で、他の建物よりも豪華な造りになっている。
建物には【梅名楼閣】と書かれた看板があった。
正面には美しい女性たちがいた。男に声をかけては、一緒に中へと入っていく。
ここは妓女たちが体を売って稼ぐ、妓楼という場所だ。普通に働くよりも稼げる反面、病気を貰ってしまうということもしばしば。それでも彼女たちは、ここで働くことをやめない。
それがこの禿という國で、女が生きていくための道だった。
「姐さん、いるかな」
懐に手を突っこみ、巾着袋を取り出した。中身を確認すれば、いくつかの銀銭がある。
──普通なら、こんなんじゃ足りないんだけど。俺の場合は、女と遊ぶわけじゃないからな。
端麗な顔立ちに、不適な笑みを乗せる。そして桃色の華服を着た女たちの横を通りすぎた。
中へ入れば、朱色の絨毯が目にとまる。天井には異國から輸入した枝形吊灯が、キラキラと明かりを灯していた。
二階へと通じる階段は、輪を描くように左右にわかれている。たくさんの女性が男と腕を組んだりしながら、行き交いしていた。
「あら? 坊ちゃんじゃない。久しぶりね?」
「ん? おお。久しぶりだな。あ、姐さんいる?」
入り口付近で立ち往生していると、美しい女性に声をかけられる。化粧をして、たくさんの装飾品を身につけている美女だ。
彼は慣れた様子で彼女と向かい合う。
「蘭華姐さん? うーん。ここ最近は上客が増えてきてね。姐さんを指名する人が多いのよ」
「え? そうなの? あー……でも、姐さんはこの妓楼で一番の稼ぎ頭だもんな」
──参ったなあ。俺は、姐さんの部屋で休ませてもらおうと思ったのに。その姐さんが忙しいってなると……俺の休める場所がなくなるわけで。
仕事が増えることはいいことだった。けれどそれは彼にとって、宿泊場を失うのと同じなよう。
困ったなと、頭を軽く掻いた。背中を丸め、しくしくと泣く。諦めて出入り口へと歩きだした。
「あ、坊っちゃん、待ちなさいな」
対応してくれている女性が、何かを思い出したかのように彼をとめる。肩をすくませながら彼に近づき、耳元であることを囁いた。
「実はね? 男性が泊まってる部屋がひとつあるのよ。相部屋でよければ案内するわよ?」
「え!? ま、マジで!?」
「……ふふ。まあ、坊ちゃんと同い年ぐらいだろうか、仲良くしなさいね」
含みのある笑みだったが、彼は嬉しさのあまり、それに気づいていない様子。女性に案内されながら、浮き足立たせながら進んだ。
二階へと到着すると、一番奥の部屋へと通される。
「若様。泊まるところがなくて困ってる方がいるの。今日一日だけ、相部屋でもいいかしら?」
部屋の扉からすぐのところに、空間を仕切るための座屏風があった。それを越えた先には、壁側に茶器などをしまう架格が立てかけられている。
奥には架子床と呼ばれる、ひとり用の牀があった。
そこはいささか、豪華な部屋のよう。
爛 梓豪は口をぽかんと開けながら中へと入っていく。
「坊ちゃん。相手様は、お互い過ごすのに邪魔しなければいいって言ってるわよ?」
「本当か!? ありがたい」
「坊ちゃん。相手が魅力的だからって、悪戯しちゃだめよ?」
女性は意味深な言葉を残し、彼の横を通りすぎていった。そのままどこかへと姿を消す。
残された彼は静かに卓のある場所まで行き、ゆっくりと腰を落ち着かせた。キョロキョロと周囲を見渡し、そわそわと腰を浮かせては座るを繰り返す。そのとき……
牀がもそっと動いた。そして上布団代わりにしている華服がズルッと床に落ちた。
爛 梓豪は慌ててそれを手に取り、牀を見る。するとそこには……
「……ふみゅう?」
長く美しい髪は蜘蛛の糸のように細く、透き通るほどに色素が薄かった。それが牀に広がり、床まで流れてくる。
細い眉が動いた。長いまつ毛が震え、パッチリとした大きな目が現れる。その目は夕陽のように儚い深紅色だ。
肌は雪のように白く、すっと伸びた鼻が微かに動く。薄いけれど艶のある唇から洩れるのは、ハッとするほどの色香だった。
首も、腰すらも細く、全体的に儚げな雰囲気を持つ者のよう。
「…………」
目鼻立ちがとても整ったその人を前に、爛 梓豪は言葉を失った。