想いがこめられた品
櫓から降りたふたりは、町の中を一通り歩いて回った。
その最中に有益な情報はないかと、さりげなく尋ねていく。けれど人々は、食堂の一件など気にもとめていなかった。
「あーあ。全然、情報掴めねーなぁ」
爛 梓豪は両腕を首の後ろに回す。お師匠様に啖呵きるんじゃなかったと、口を尖らせていた。
「仕方ありませんよ。皆、自分が生きていくのに必死なのですから……」
隣で彼の愚痴を聞いている全 紫釉は、深くため息をつく。
──確かに、情報が何もないままだ。進展すらしない。それに何か……彼は、飽きてきてるっぽいし。
きっと飽き性なのだろう。そう、心の中でほくそ笑んだ。口には出さず、クスッと微笑むことで彼の人となりを思う。
「……爛清は、猫みたいな人ですね?」
「うん? 俺が猫? ……いやー。ないない。それはない」
考えることすらせず、全否定した。手のひらを軽くふりながら大笑いをする。
「俺よりも、阿釉の方が猫っぽいぞ?」
「私が、ですか?」
「そう。お前が! 気まぐれで自由人だし、我が儘は言わないけど……何か、猫みたいに日向ぼっこしてそうだしな」
白い歯を見せた。全 紫釉の背中に触れ、優しく撫でる。黒い衣からはみ出す銀髪を指に絡めては、その細さと柔らかさを堪能していた。
「……私が、猫」
──確かにそうかもしれない。よく、父上や叔父上たちにも、母親に似て猫みたいとは言われるし。
悪い気はしなかった。むしろ、爛 梓豪という存在に言われたことを、誇りとさえ思ってしまう。
全 紫釉は口元がにやけるのを手で隠した。そして軽く咳払いをし、夜に包まれた空を見上げる。
ほわほわと煌めく数多の提灯が浮かんでは、ゆっくりと夜空へと登っていった。町を歩く人々の手には提灯があり、それを離しては空へと投げている。
町全体を照らす灯籠の灯り、そして提灯の光が、とても幻想的になっていた。昼間のように花びらは舞ってはいないけれど、それでも淡い光が暗闇の中を泳いでいる。
「ああ、そっか。この時期は、中秋節になるのか」
「…………」
見上げた先にある夜空には、大きな丸い月があった。
【中秋節】
三百年以上の長い歴史を持つ禿という國では九の月を、そう呼んでいる。
特に、蒸し暑さが残る日中に比べ、肌寒さのある九の月の中旬が、人々の間ではそう伝えられていた。また、新月の日から数えて一ヶ月の満月を表している。
提灯を飛ばし、亡くなった者へ届ける。生者が元気で暮らしているという気持ちをこめて、冥界へと届ける役割も持っていた。
「一家団欒を楽しむ日ともされています。月餅を食べて、家族の輪を再確認するという人たちもいますね」
「あー……俺のお袋が、必ずと言っていいほどに月餅食ってたなぁ」
近くで売っているさんざし飴を二本買い、一本を全 紫釉へと渡す。
全 紫釉はありがとうと言い、さんざし飴を軽く舐めた。天に登っていく提灯たちを目で追いながらボソッと、あることを呟く。
「……私の故郷では、中秋節は違う呼び方をされています」
いつの間にか頭の上を陣取っている蝙蝠へ、さんざし飴を差し出した。蝙蝠はキューキュー鳴きながら、嬉しそうに飴を舐める。
それを見ながら微笑み、彼へと視線を走らせた。
「妖秋節。これは、妖怪たちの力……妖力が増える時期を意味しています」
今がまさにその時期であること。白無相たちが人間界で悪さをするには、ちょうどいいのだと教えた。
「……なるほどな。それで白無相たちが、こっちの世界で姿を見せたってわけか」
「ええ。妖力が強くなる今が、悪戯の機会だと思っているのでしょう。でなければ、彼らが私の前に堂々と姿を見せるはずはないかと」
──白無相は好戦的な性格だ。オマケに、打算的な価値観すら持っている。こんな好機を逃すはずがない。
頭の上で満足気にお腹を擦っている蝙蝠を軽くつつく。ふふっと微笑し、飴のなくなった串の先を指で転がした。
一緒の速度で歩く仔猫を持ち上げ、両手で抱える。モフッとしたふわふわな毛並みに頬を緩め、彼へ再び視線を戻した。
すると爛 梓豪は静かに頷く。
「……うん。少しずつだけど、何となーく、色々と繋がってきたな」
甘さの残る串をガシッと噛む。全 紫釉から串をもぎ取り、彼が持つのと一緒に木箱へと放り投げた。
そして全 紫釉へと向きなおり、神妙な面持ちで言葉を繋げていく。
「白無相たちを探すことが先決だな。多分すべての鍵は、あいつらが持ってるはずだ」
「……はい」
今度は全 紫釉が頷く番となった。彼の提案に不足はないと伝え、歩みを再開させる。
ふと、市に売られているとある物が目にとまった。それは簪や櫛などの、髪に関する小物だ。
藤や梅といった花を拵えた美しいものから、ロバや犬などのかわいらしい動物の顔がついたものもある。
──あ、猫がある。ふふ、とってもかわいい。
猫の絵が彫られている櫛を手にした。
薄茶色の櫛からは、木の温もりや薫りがする。表面は滑らかだ。
「お客さん。それもいいけど、こっちの琥珀の簪なんてどうだい?」
出店の店員がお薦めしたのは、漆の光沢が美しい簪だった。
小さな黄色い花が飾りとなっていて、儚い見目の全 紫釉にはとてもよく似合っている。
店員は「銀銭五個でどうだい?」と、持ちかけてきた。
「……安いですね?」
──銀銭三つで、さんざし飴ひとつ分だ。それよりは高いんだけどろうけど……
出来映えと値段が釣り合っていない。そう、口にしようとした──直後、隣にいた彼の腕が品物へと伸びていった。ただそれは、店員が薦めている簪にではない。
「うーん。確かにそれも、きれいな阿釉には似合ってると思うけど……」
すっと手にしたのは、猫柄の櫛だった。それを全 紫釉と店員に見せながら、屈託のない笑顔を浮かべる。
「俺は、こっちの猫柄の櫛の方が、阿釉らしいって思うけどな」
そう言った瞬間、懐から財布を取り出した。そして紐を緩め、この櫛はいくらなのかを尋ねる。
店員は一瞬だけ目を見開いた。けれど彼の気さくな笑みに絆されたようで、肩をすくませて苦笑いしてしまう。
「負けたよ。あんちゃんには負けだ。銀銭、ひとつでいいよ」
「お? 本当か? ありがとう、おっちゃん」
話の中心となっている全 紫釉をほったらかしにし、銀銭を払った。そして……
「ほら。阿釉、欲しかったんだろ? お前にやるよ」
整った顔が幼く見えるぐらい、裏表のない笑みだった。
全 紫釉はほうけながらそれを受け取り、じっと彼を見つめる。
「ん? 何だよ? いらなかった、のか?」
「……いい、え。いいえ」
目尻に、自然と涙が溜まっていった。
櫛をギュッと握り、幸せいっぱいに抱きしめる。
「嬉しいです。すごく、すごく嬉しい。ありがとう、ございます」
──こんなに嬉しい気持ちは初めてだ。ああ、そうか。ようやくわかった。私は……
他でもない、爛 梓豪という青年から貰ったもの。それがとても嬉しくて、特別感すらあった。
彼と視線を合わせながら、めいいっぱい喜ぶ。
──爛清、あなたのことが……好きです。ずっとそばにいたい。いてほしい。
そう、願わずにはいられない瞬間が、全 紫釉の中でハッキリと生まれていった。