試験、再開
全 紫釉は爛 梓豪と連れだって、【温風洲】にある倉庫の前に立っていた。
この倉庫の中には、問題となるものがふたつ置かれている。ひとつは依頼の根本とも言える、カカオだ。そしてもうひとつ、それは、事件の真相を探る最中に見つけた紙人形であった。
「……証拠の品、まだ残ってっかな?」
「どうなんでしょう? 私たちが侵入したことがバレてる可能性ありますけど…… 」
周囲を見渡せば、静寂だけが走っている。人の出入りはなく、気配すら感じられなかった。
──ここは一先ず、牡丹に任せてみようかな?
肩の上に乗ってる仔猫を降ろして、中を見てきてと頼む。すると仔猫は「みゃお」とかわいらしく鳴き、枝を伝って二階の窓へと入っていった。
「……すっげぇ。猫って身軽だよなぁ」
「身軽だけでなく、とってもかわいいんです」
彼に誉められたことにより、全 紫釉は鼻高々になる。えっへんと胸をはり、牡丹という猫がどれだけ賢いかなどを饒舌に語っていった。
「猫は、かわいいだけでは終わらない凄さがあります。あの愛らしい肉球から始まり、自由気ままな性格。ピンっと伸びた長くてふさふさな尻尾」
「え? ああ、うん……」
「もちろん、賢いのは猫だけではありません。蝙蝠だって人の言葉を理解し、つぶらな瞳のまま首を傾げる。それがどれだけかわいい仕草なのか……」
「そ、そうだな。蝙蝠も、凄いよな」
「わかってくれますか!? 猫と蝙蝠の凄さ。そしてかわいさを!」
いつの間にか全 紫釉の頭上を陣取っている蝙蝠は、一緒になって鼻息荒くなっている。
動物への賛辞がとまらない全 紫釉に、彼は若干引いてしまっていた。あははとから笑いしか洩れないようで、ひたすら困惑している。
「……はっ! す、すみません。つい、力が入ってしまいました」
恥ずかしそうに、銀の中に混じる黒髪の部分をギュッと握った。頬を赤らめ、ぷくぅーと膨らませる。
大きな目を潤ませながら、上目遣いで彼を見つめた。
「こ、こんなに騒がしくて、五月蝿い私なんて……嫌い、ですよね?」
「んんっ! めっちゃ、かわいいーー!」
感極まった彼は、顔を両手で隠して悶えてしまう。全 紫釉を抱きしめ、猫可愛がった。
「ちょ……爛清!? ち、近い。近いですから!」
──どうしよう。爛清の香りが……それに、心臓がおかしい。
爛 梓豪という男は、少しだけ串焼きの匂いがする。そこに居心地のよさすら覚えていった。
落ち着いていたはずの心臓が、鼓動がとても早くなる。秋風が吹いていて涼しいはずなのに、体はボッと燃え上がっていくのがわかった。
「あ、あの、爛清……」
「へ? あ、ああ! 悪い!」
彼が体を離すと、どちらもが恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。
「お、男の俺に抱きつかれても、気持ち悪いだけだよな!? ほんと、ごめん」
「い、いえ……」
──声が震えてしまう。怖いとかじゃなく、嬉しくて……
にやけてしまいそうになった。火照った両頬に触れれば、優しい彼の残り香が鼻をくすぐる。
──私は、どうしてしまったんだろう?
未だに収まりきらない鼓動を、華服の上から軽く抑えた。生まれたての小鹿のように震え続ける手を、なんとか正常に戻そうと努力する。
何度も深呼吸をした。
そして彼を注視し、何事もなかったかのように微笑む。
「……爛清、もう一度中に入ってみます?」
不思議な気持ちを隠すように視線を倉庫へと走らせた。そして倉庫の二階を指差す。
爛 梓豪が一緒になって倉庫へと目を向けた。
「およ?」
そのとき、倉庫の二階にある窓から仔猫の尻尾がひょっとこりと見える。
「……やはり、中には誰もいないみたいです。そうなると、益々おかしい」
「うん? 何がだ? 別に、倉庫の中に誰かいなくたって、特段おかしなことはないだろ?」
彼が首を傾げるのに対し、全 紫釉は真っ正直から見据えた。彼よりも先に倉庫へと向かい、扉に触れる。
「この中にあるのは、違法なものです。それなのに見張りもいないなんて……おかしいと思いません?」
「……っ!? 確かにそうだ。そう言えば、さっきもそうだったな」
「重要な証拠のはずなのに、誰も見張っていない。そこが、どうしても引っかります」
「確かめてみよう」
ふたりは頷き合い、倉庫の中へと足を踏み入れた──
倉庫の中は最初に入ったときと、何ら変わってはいない。大量に積まれた木箱があり、動かした気配すらなかった。
「……俺らが侵入したってこと、まだ知られていないのかもな?」
コツコツと。歩く足音が響く。適当な木箱の前に立ち、懐から取り出した簪の先を使って器用に蓋を開けていった。
「……あれ? 空っぽ?」
「え?」
爛 梓豪の呟きが耳に届いた全 紫釉は、急いで近くにある木箱を持ち上げてみる。
両手で持ち上げた瞬間、異常なまでの軽さに眉を潜めた。
「……これは、中身が全部なくなっているんじゃないでしょうか?」
「マジか!?」
彼は次々と蓋を開けていった。やがてほとんどの木箱の蓋が取られる。
「調べたけど、阿釉の言うとおり、中身が全部なくなってる」
どうなっているんだと、ふたりは小首を傾げた。
ふと、全 紫釉は何気なく天井を見上げる。瞬間──
「……っ!? 爛清、上を見てください!」
「上? ……っ!」
ふたりはぎょっとした。
なぜならそこには……
五体満足の何かが、天井から首を吊っていたのだ。ぶらぶらと揺れながら、両目が大きく見開かれている。
「爛清!」
「分かってる!」
ふたりは阿吽の呼吸で、吊るされているそれを降ろした。
それは彼らと同じ人間、しかも男だ。けれど息はしておらず、両目を見開いたまま亡くなっている。頬には涙が。首には紐の跡と、踠いたような引っ掻き傷があった。
全 紫釉はそっと首に巻きついている紐に触れる。少しだけずらせば、そこには二重になっている索溝があった。
それを確認した全 紫釉は、遺体から目を逸らすことなく注視していく。
──紐が、髪と華服を巻きこんでいる。うっ血はあまり見られない。となるとこれは……
死体から視線を離した。
「爛清、これは自殺ではありません、誰かに殺された可能性が……えっと? 爛清?」
爛 梓豪を見れば彼は無言で腕を組ながら、死体を見下ろしている。
普段から彼は、口から生まれたかと思えるほどに騒がしい。けれど今は、それが嘘のようにおとなしくなっていた。
全 紫釉からすれば、それは違和感でしかない。彼にどうしたのかと尋ねながら、小首を傾げた。
「……………やっぱりだ」
「え?」
全 紫釉が驚いて両目を見開く。
けれど彼はそんなのお構い無しに、顔を上げた。
「阿釉、この男だけど……俺さ。どこかで見たことある気がするんだ」
しゃがみこみ、男の顔をじっと見つめる。
「見たことがあるって……爛清、知り合いか何かなんですか?」
全 紫釉が問い質した瞬間、彼は柔らかく首を左右にふった。
「ある、と思う。だけど……思い出せないんだよ。確かにここ最近、どこかで会ったはずなんだけど……」
端麗さの中にある、真面目な顔をのぞかせる。けれどそれは一瞬のことで、すぐにいつものひょうきんな笑顔へと戻っていった。
「……子供たちと再会して、近所に住む男と話して、それから…………ん? んん?」
しばしの間、腕を組みながら項垂れる。やがて……
「…………あっ。あーー! 思い出した! こいつ、食堂にいた男だ!」
食堂で話しかけた男たち。その内のひとりに、店主が新しい料理を考案していたと教えてくれた男がいた。その男こそがここで死体になっている者だと、彼は早口で口述した。