昇格試験の主催者は偉大な人
「なあ阿釉ー。お前の父上って、誰のことなんだ!? なーなー!」
話の輪に入っていきたい爛 梓豪は、全 紫釉の両肩を掴んで揺らした。教えてくれよとじゃれつきながら粘る。
全 紫釉は観念したのか、今までにないほどに大きなため息をついた。興味深々に目を輝かせている彼を凝視しながら、薄い唇を開く。
「……今年の試験の内容を決めたのは、どうやら私の父上のようです」
「……?」
説明する全 紫釉の眉は、どこか申し訳なさそうになっている。
隣で頷いている爛 春犂もまた、あきれた様子でげんなりとしていた。
「え? な、何で、ふたりとも面倒くさそうにしてるわけ?」
ひとりだけ蚊帳の外状態の彼にとって、この空気は非常にやりづらいとすら感じてしまう。それでも好奇心の方が勝っているため、あえて空気を無視して疑問をぶつけていった。
全 紫釉は苦笑いをやめない。
「……どこから話せばいいのか。爛清は、どこから知りたいですか?」
「んん? よくわからんが、とりあえず……阿釉の父親って、どんな人なんだ?」
その場に座った。胡座をかけば、白い仔猫が膝の上に登ってくる。その仔猫を撫でながら見上げれば、そこには恨めしそうにしている全 紫釉がいた。
「で? どんな人なわけ? ってか、試験の内容を勝手に決められるってことは、相当地位の高い人なんだろうなぁ」
膝の上でお腹を出している牡丹をわしゃわしゃする。仔猫は楽しそうに笑っていた。
すると眼前に、ムスッとした表情の全 紫釉が座る。仔猫へと手を伸ばし、サッと奪い取られてしまった。
友だちでもある仔猫を奪われたと思っているのだろうか。頬をぷぅーと膨らませ、涙目になりながら、牡丹を強く抱きしめていた。上目遣いになった顔は、いささか幼さを覚える。
「牡丹に懐かれたからって、いい気にならないでください」
「んんっ!」
──嫉妬でむくれる姿、めちゃくちゃ可愛い。
顔を隠して悦った。
すると爛 春犂から強めの咳払いをされてしまう。
彼は「ひょっ」と、肩を震わせた。慌てて話題を戻した。
「あ、阿釉、あー、えっと……お前の父親は、どんな人なわけ?」
「うーん。どう答えたらいいのか……一言で告げるなら過保護。違う言い方をするなら過干渉、ですかね?」
「……へえ。でも、それでなんで昇格試験の課題決めれるわけ? だってあれは、お師匠様と、黄と黒族のさんにんで決めてるんだろ?」
全 紫釉ではなく、自身の師匠でもある男を注視する。
すると爛 春犂は糸目を少しだけ開き、嫌そうに息をついた。けれど喋る様子はなく、黙ったままだった。
「本来なら、叔父上たちが決めることです。ただ今回は、父上が介入してしまったと言いますか……」
非常に言いにくそうにしている。銀の中に潜む僅かな黒髪の部分を指に巻きつけ、口を尖らせていた。
ちらちらと彼を見ては、両目を瞑る。かと思えば、視線を合わすことなく、泳がせていた。
それがあまりにも挙動不審すぎるため、爛 梓豪は黙視だけで男へ助けを求める。けれど男も男で口を割ることをせず、首を左右にふって会話を拒否していた。
「…………よし! だったら、細かいことは聞かない」
「え?」
予想だにしかなった回答だったのだろう。全 紫釉はもちろん、爛 春犂ですら、きょとんとしてしまった。
「そりゃあ、気にはなるけどさ。多分、俺が踏みこんでいいことじゃないんだと思う」
基本、爛 梓豪という男は地位を気にしない。むしろ、それの壁を超えてしまうことを良しとしていた。
位が高かろうが、低かろうが、彼には関係ない。それは人を地位ではなく、一個体として見ているがゆえだった。
彼が子供のように無邪気に笑えば、全 紫釉の緊張していた表情が緩んでいく。
「ふふ。あなたは本当に、素直と言いますか……」
「うん? そうか?」
全 紫釉の銀髪がさらりと流れた。それを目で追いながら、へへっと鼻の上のむず痒さを覚える。
「……細かなことは言えませんが、ひとつだけ」
爛 春犂へと視線を向かわせた。男は肯定したように頷く。
「父上は誰よりも強い。叔父上、そして黄と黒の宗主。このさんにんが束になっても、絶対に勝てません」
絶対強者のような人だと、苦笑いした。これには男も同意のようで、空を仰ぎ見ながらため息をついている。
「……な、何か、とんでもない化け物なんだな?」
「まあ……間違いではありません。それに加えて、試験の内容に干渉できてしまうような立場となれば、なおさら……」
「そう、だな」
──うーん。ますます、阿釉の謎が深まったぞ。でも、少しでも知れたことが嬉しい。
わくわくした気持ちと、もっと深くに潜りたいと願う思いを胸の内に留めた。
全 紫釉は彼の表情の変化を悟ったようで、ふふっと微笑む。
「話を戻しますが、私の父上が今回の試験を選んだのは間違いありません。ただ父上は結構大雑把なところもあるし、言い出しっぺの癖にそれ以降は丸投げしてしまうという……」
「気まぐれな親父さんだな」
「よく、言われます。叔父上もその点については、常に怒ってますし」
ふたりして爛 春犂を見つめた。
男は腕を組みながら額に青筋をたてている。「いつも、あの男の後処理をしなければならない」と、怒りを顕にしていた。
それを見た全 紫釉は苦笑いし、爛 梓豪は「ひょー!」と、怯える。
「あ、阿釉! とりあえずその辺りは、お師匠様たちに任せよう。それよりも、俺たちはこれからどうするか。それを考えようぜ! な!?」
あからさまな話題逸らしをした。全 紫釉の両手を握り、無駄に顔を近づけては鬼気迫る勢いで捲し立てていく。
「え? あ、はい」
全 紫釉は何の疑いもなく、純粋に了承していた。けれど握られた手が気になるようで、視線は常にそこに向けられている。
「……ん? どうした阿釉……って、うわっ! ご、ごめん!」
爛 梓豪はそれに気づき、慌てて手を離した。耳の先まで真っ赤にして、手汗を華服の袖で拭う。
──阿釉の手、すごく細かった。いい匂いもしたし。やっぱり、いいなぁ。
そう考えた瞬間、ドクンっと、心臓が高鳴った。
「……うーん?」
前にも似たようなことがあったと振り返りながら、全 紫釉を見つめる。
全 紫釉の顔色は悪くない。雪のように白い肌は、いつもと変わってはいなかった。けれど、表情が少しばかり柔らかくなっているようにも見える。
手を見つめながら微笑む姿は、儚くて美しい女神のようだった。
「……っ!」
その姿に魅とれてしまう。
勢いよく立ち上がった。謎にかいた汗を飛ばすように、華服をパタパタとする。
「そ、それよりも! これからどうする!?」
時間というものは待ってはくれなかった。彼らがどれだけ悩んでいたとしても、終了の時間は迫ってくるもの。
課題を変えるか、そのまま続行とするか。それは、ふたり次第となっていた。
「変えることも可能だって、お師匠様は言ってた。だけど今から新しい問題に向かったとしても、制限時間までに終わるかどうか」
それならば、ある程度進んでいる子供たちからの依頼を続行した方がいい。
そう、迷いのない瞳で語った。
「……確かにそうですけど。でも、國の紛争……さらには、妖怪たちの思惑にすら、巻き込まれる恐れがあります。叔父上はそれを危惧して、別の課題をお薦めしてくれてますし……」
焦燥感があるのだろう。いつもより早口で、少しだけ高い声になっていた。
不安が表に出てしまっているようだ。
「阿釉……」
そんな相棒の不安を汲み取る。
けれど、それだけでは駄目だと彼は知っていた。不安というものをそのままにしたり、受け入れてしまうこと。それが後々に、後悔へと変わるという事実。
──昇格試験は来年もある。今年じゃなくてもいい。阿釉は、國のいざこざに巻きこまれたくないようだし。だけど……
爛 梓豪はそれを懸念しながらも、全 紫釉の気持ちを一番に考えてみた。
それでも自分の目標を失いたくはないと、思いの丈をぶつけてみる。
「なあ阿釉」
風が木々を凪らった。
紫色の華服の袖がふわりと揺れる。
「俺はさ。子供たちが、どんな気持ちであの依頼を出したのか。それを考えてみたんだ」
「え?」
目の前にいる銀髪の美しい人は、驚いたように両目を見開いていた。
それでも気持ちを、想いを伝えたいからと、微笑みながら話す。
「あの子たちは皆、親に甘えたい盛りだ。だけどその親はもういない。あの子たちだけで、生きていかなきゃいけないんだ。それを考えると、どうしても、結末を知りたくなっちゃうんだよな」
照れながら頬を掻いた。
「もしかしら誰かに引き取られて、その先で離れ離れになるかもしれない。それは、母親の死因を知らないまま生きるにはかなりツラいと思う」
大人になったとき、彼らはどう思うだろうか。
あのときもっと、強く死因を探っていたら。なぜ、引き下がってしまったのだろう。大好きだった母親の死の真相を、もっと深く求めていれば……
そんな後悔が生まれてしまうかもしれなかった。
「もちろん、全員がそうとは限らねーと思う。だけど、後悔する可能性は高いんじゃないか?」
「……それは、そうですけど」
乗り気ではない全 紫釉を前にして、彼は立ち上がる。どうするつもりなのかと問われた爛 梓豪は、裏表のない笑みを浮かべた。