絡むのは國だけにしてください
試験官でもある爛 春犂へ答えを仰ぐため、ふたりは崑崙山脈へと戻ってきた。
静けさに包まれた山のはずなのに、どこか空気が重たい。その原因を知っているのか、彼らは気にもとめなかった。
「お師匠様、どこにいるんだ?」
静寂の中から微かに聞こえるのは金属音で、ぶつかり合っているかのよう。ときどき、木々が折れるような音がした。草木を踏んだりしている音も耳に入り、ふたりはその都度、歩みをとめていく。
「……わかりません。そもそもこの山は広いうえに、結界の影響で迷路のようになってます。まっすぐ進んでいるように見えて、実は違う。なんていうのは当たり前の場所ですしね」
「うーん。それなんだけどさぁ……」
先頭を歩く爛 梓豪が立ち止まった。右手には蜘蛛の巣避けの枝を持っている。左手は全 紫釉の細い手首を握っていた。
そんな彼は、ある疑問をぶつける。
「この山って、昔は有名な仙人たちが住んでたって話じゃん? それが何で、滅んじゃったんだろうな?」
「……それ、今重要なことですか?」
「んー? わりと、どうでもいいかも。ってかさ、ここって迷子になる結界貼ってあるじゃん? ここで修行してる連中は大丈夫なのかな? って、思ってさ」
余計なお世話なんだろうけどと、鼻を掻いた。すると、背中から全 紫釉のため息のようかものが聞こえてくる。
振り向けば、美しい銀髪が横切った。それを目で追いながら、全 紫釉を見つめる。
「……この音は修行ではなく、試験の最中なんだと思います。昇進試験の内容は、担当試験官によって異なりますから」
試験のやり方は大まかにわけてふたつあった。
ひとつは全 紫釉たちのような、戦闘を必要としない……街の住人たちの悩みを聞いて解決する。
もうひとつは彼らの耳によく入ってくる音のように、直接実力を示すやり方だ。
これらは試験官の性格的な問題が強く滲み出ていて、好みなどにも左右されやすい。
「叔父上は力で解決することを嫌いますからね。そのぶん民たちの声を聞いて、そこから答えを導きだす。ようは、理論的な人なんです」
「うん。まあ……言いたいことはわかるぜ」
背中から聞こえる声が心地よかった。それを口にだすことなく、彼はその場で脱力する。
「お師匠様はかなりの堅物だからな。それこそ冗談も、融通すら利かねーからなぁ」
腕を掴んだまま木々を掻き分け、拡がった場所へと躍り出た。そこは不自然なかたちで、木々や雑草といった緑がなくなっている。
「何だ、ここ?」
大地のみの場所に足を踏み入れた。地を踏む音だけが耳に届くものの、彼はそれすら興味なく進む。
やがて足をとめ、周囲を見渡した。
「……なんもねーな」
「爛清、あてもなく歩いてません?」
「しょうがねーだろ? お師匠様の居場所なんてわからねーし。ましてやこの山自体が、結構大きいからな。ひたすら歩いて見つけるしかねーよ」
「効率、悪いですよそれ」
そう言うと、全 紫釉は手を離す。そして深く息を吸った。かと思えば、口に指を加えて鳴らす。
瞬間、少し離れたところにある木の枝が大きく揺れた。
「……? 阿釉、何を……ぐえっ!?」
爛 梓豪は小首を傾げ、全 紫釉に何をしているのかと尋ねる。
直後、彼は何かによって地面へと押し倒されてしまった。大の字で仰向けにされる。
──え? な、何だ!? 何が起きた!?
わけがわからず混乱し、ガバッと顔をあげた。背中に何かが乗っているような気配がし、腕を回す。
「ちょっ……何なんだよ!?」
背中にある違和感を拭いきれずにいると、全 紫釉にじっとしていてと言われてしまった。彼はおとなしく従い、背中の何かを取ってもらう。
「うっへぇ。酷い目にあった」
体を起こして、土埃をはらった。そして全 紫釉へと視線をやる。
「…………うん? え? それって、蝙蝠?」
美しい銀髪を食べ物のように口に入れ、むしゃむゃとしているのは黒い身体の動物だった。全身が真っ黒で羽が生えたそれは、つぶらな瞳をした小さな蝙蝠である。
全 紫釉は蝙蝠が食べようとしている髪を払いのけた。
「こら! 躑躅、駄目でしょ!?」
驚く爛 梓豪をよそに、全 紫釉は蝙蝠を叱りつけている。左手で蝙蝠の頭を撫でながら、母親のように注意していた。
「……え? 阿釉、それは蝙蝠だよな? 何で急に……ってか、そいつも友だちなのか?」
気をとりなおして蝙蝠へと手を伸ばす。
蝙蝠は人懐っこいようで、彼の手に体をすりつけた。キューキューとかわいらしく鳴き、小さな肢で彼の腕へと移る。そのまま器用に肩まで登り、最終的には爛 梓豪の頭上へと落ち着いた。
「はは。何だこいつ。かわいいじゃん」
蝙蝠を指で軽くつつく。
「……その子は躑躅。牡丹同様、私の友だちです」
「そっか。宜しくな躑躅」
軽く挨拶をした。
蝙蝠は人間の言葉を理解しているかのような素振りを見せ、ふわりと飛び上がる。
ふたりは、その姿を目で追いかけた。
「阿釉、友だちなのはわかったけどさ……お師匠様探しに関係あるのか?」
「はい。あの子が、叔父上の位置を特定してくれるはずです」
そうこうしているうちに、飛んでいた蝙蝠が東の方を指差す。ふたりはそれを確認し、東へと向かった。
□ □ □ ■ ■ ■
しばらく歩いていると、今度は湖へと出る。そこにはひとりの中年男性がいて、岩の上に跨がりながら静かに目を瞑っていた。
けれど爛 梓豪たちの気配に気づき、すっと深呼吸をする。
「──何だ、お前たち。もう試験は完了したのか?」
元々糸目なため、開いているのかすらわからなかった。ふたりの気配を察し、体勢を崩す。
岩から降りて彼らを凝望した。
「え? ああ、いえ……」
爛 梓豪は彼の威厳ある姿に気圧されながら、少しだけたじろぐ。全 紫釉と顔を見合せては苦笑いした。
けれど爛 梓豪が率先して、糸目の男へと言葉を切り出す。
「お師匠様。実は相談したいことがあって……」
彼らは集めた情報を、包み隠さず話した。
「……お前たちも、そのような現象に見回れたか」
「……も?」
含みのある言い方に、ふたりは両目を見開く。
糸目の男こと爛 春犂は頷き、岩の上に腰かけた。
「実はな。お前たちと似た事例が、次々と寄せられているのだ。試験に参加した者たちの中にはお前たちのように、各地に赴いて依頼を解決する内容のものもある。その者たちの何人かも、彼らの手には負えない結果となっていた」
異国が絡んでいたり、國そのものが裏で糸を引いていたりもした。それらは一般の者はもちろん、道師という位の低い半人前の者たちでは解決できないような事柄ばかりとなっている。
爛 春犂のように仙人として名を馳せていれば可能なのだろう。けれど道師はまだ、その段階にはいたっていなかった。
「躓く以前の問題が発生している以上、それらを試験内容として使うことはできない。結局彼らには、別の内容のものを与えはしたが……」
余計な時間を費やしてしまったなと、申し訳なさそうに語る。そしてそれは、爛 梓豪たちにも注がれているようだった。彼らへと頭を下げている。
爛 梓豪は首をふり、うーんと唸りながら腕を組んだ。
「えっと、お師匠様。試験の課題にする前に、ある程度調べておかなかったんですか?」
「……本来なら、私たちが事前に調べておかねばならぬことだったんだが」
爛 春犂はげんなりとした様子になってしまう。いつもの余裕がある表情は消え、顔がみるみるうちに青くなっていった。
「……なにぶん、最終確認をしたのは、あの男だからな」
ちらりと、爛 梓豪……ではなく、全 紫釉を見る。
爛 梓豪が首を傾げている横で、全 紫釉はハッとしたように顔をあげた。
「……まさか、父上?」
「……うむ」
「えー……」
全 紫釉は明後日の方向を向き、爛 春犂は肩から気を落としていく。
そんなふたりを見返しながら爛 梓豪だけは「誰?」と、小首を傾げるしかなかった。