白と黒
白無相と呼ばれる男は、笑いを堪えていた。それでも我慢できなかったのか、ついに吹き出してしまう。
「あははは。姫様が、まさかここに来るとは思いませんでしたよ。ひーひー」
目尻に涙を溜め、ぷくくと爆笑した。
「白無相、なぜあなたがここに?」
しかし全 紫釉は、それこそ慣れた様子で質問をする。淡々としながらも、相手を冷ややかな視線だけで射抜いた。
隣で困惑している爛 梓豪の手を握る。彼は当然驚き、両目を見開いていた。
「まさかとは思いますが、ここにあるカカオや紙人形はあなたの仕業ですか?」
「ご明察~。そう。これはすべてわたくめの力作なのです」
白無相は見下したように、瞳を細める。軽く拍手をし、ケタケタ笑っていた。
そんな男の姿を捉えながら、全 紫釉は爛 梓豪の手のひらに何かを書き連ねていく。その内容とは……
【逃げ道を探してください】
だった。
突如現れた白い男の知り合いでもある全 紫釉が相手をしている間に、彼が隙を見つけるという戦法である。
爛 梓豪は頷いた。ゆっくりと、相手に気づかれないように後ろへと下がっていく。その最中、華服の袖から何かを取り出した。それを手にし、おもいっきり地面へとたたきつけた。
瞬間、それはみるみるうちに煙を撒き散らしていく。倉庫の中が煙だらけになると、彼は全 紫釉の手を引っぱった。
「阿釉、逃げるぞ!」
「……は、はい!」
彼に誘われるまま、全 紫釉は倉庫の外へと逃げ出す。後ろから白無相の「何だこれは!?」という声とともに、咳をする音も聞こえてきた。
しばらくの間、ふたりは走り続ける。やがて、倉庫からだいぶ離れた場所へとやってきた。そこで呼吸を整えながら、水を買っては喉を潤す。
「ぷっはあー。はあー、生き返るぅー」
「……げほっ、ごほっ。つ、疲れました」
爛 梓豪は汗をかいてはいた。けれど息切れはしておらず、水を飲むだけで回復する。
片や全 紫釉は、荒くなった呼吸とともにその場に座りこんでしまった。額から汗を流し、華服をパタパタと仰ぐ。
「にしてもさ。あの白無相、だっけ? あいつ、何なわけ?」
「……あれは、人間ではありません」
「へ?」
全 紫釉からの思いもよらない回答に、彼は呆然と立ち尽くした。
「あれは、白無相という妖怪です」
「妖怪!?」
彼の驚きをよそに、全 紫釉は話を続ける。木に背中を預けて顔をあげた。
「白無相は人の魂を食らい、己の命にする。ただそれだけの妖怪ではありますが」
言い渋ることも、隠す必要もないと考え、全 紫釉は次なる言葉を投げる。
「ただ、あれには対となる存在……黒無相がいます。白無相が奪った命を、別の器に移し代える。そして移した人や物などを操る」
白と黒。どちらもが、ふたりでひとつ。片方がいれば、もうひとりもそばにいる。そう考えられていた。
「え? ってことはあの場には、もうひとり……黒無相ってのがいたってことになるのか!?」
「はい。と言うか、いましたね。彼は白無相とは違って寡黙で、人見知りです。常に影に隠れていて、気配すら消しています」
「……もしかして、さっきのあの場所にいたのか?」
爛 梓豪の眉がひきつっていく。
全 紫釉は正直に頷いた。
「……あそこにあった人形。おそらくあれは、彼らが妖術によって作成したものでしょう。あの人形に魂をこめて操り、何かをしようとしている。その可能性は高いかと」
呼吸が整ってきたのを見計らい、黒い衣を深く被る。そして彼の後ろを指差した。
爛 梓豪は長い黒髪が乱れるのも気にせず、バッと振り向く。するとそこには黒い烏帽と服を着た、小さな子供が立っていた。
「……ひょーー!? いつの間にぃ!?」
情けないまでに、全 紫釉の後ろへと隠れてしまう。
けれど全 紫釉はそれを咎めることなく、子供を直視した。
「なぜ、あなた方がここに? 黒無相」
「…………」
子供はモジモジとする。何も語らず、恥ずかしそうに下を向いては、ごめんなさいごめんなさいと謝り続けていた。
──やっぱり、黒無相はわからない。かわいいけど無口だし。まあ、残酷なことを平気でする白無相よりはマシだけど。
そうは言っても、会話をしなくては話にならなかった。意を決して、子供と真向かう。
「教えてください。何を企んでいるんです? 倉庫にあった紙人形……あれは何ですか?」
「…………は、張子」
子供は、高いけれど蚊の鳴くような声を発した。
「張子? 張子とは、まさか……葬儀のときに使うあの?」
全 紫釉が驚いた様子で尋ねると、子供は「ん」とだけ言って頷いた。
【張子】
葬儀などの際に、本物に近い形で再現されたもの。動物や物はもちろん、本物と見分けがつかないような人形すらもあった。
副葬品として使用されるこれは、紙や竹で作られている。最後には燃やされ、灰へと変わる。
「私たちのような生者のためではなく、死者が冥界で使うもののはず。それをなぜ……」
──まさか、父上の命令で? ……いや。あの人は、そういったことを好まない。なら、彼らはいったい……
「……あっ!」
考えているうちに、黒無相は頭を下げて走っていってしまった。
その姿を見えなくなるまで目で追いかける。ふと、全 紫釉の後ろに隠れていた彼が、ひょっこりと顔を出した。
「お? いなくなったみたいだな?」
「……爛清、あなたねぇ」
情けない者を見る眼差しを向ける。
彼はうっと言葉を詰まらせ、バツが悪そうに「タハハ」と苦笑いした。
「し、しょうがねーだろ? いきなり後ろから、気配すら消して現れたんだ。驚くなって方が無理あるよ」
「確かにそうですけどね。へっぴり腰にもほどがあるでしょ?」
「うっ! す、すみませんでした。ほんとーに、ごめんなさい!」
「まったく。それよりも……ん? 牡丹……」
ふと、肩の上で小さなイビキをかいている仔猫に視線がいく。苦笑いしながら鼻をつついてやった。すると牡丹は眼を開け、大きくあくびをかく。
その姿がとても愛らしく、全 紫釉は、ふふっと優しい笑みを溢した。そして謝罪の嵐に襲われている彼を注視し、瞳を細める。
「ひょっ……」
瞬間、彼はなぜかその場に正座してしまった。ガタガタと震えながら、念仏を唱えている。
「……あのですねぇ? 私は妖怪か何かですか!?」
「ひゅ、ひゅひまへん」
彼の頬をギューとつねってみた。意外と柔らかくて伸びるなと感心し、さっと手を離す。
流れる自らの銀髪を視界に入れ、彼へと囁いた。
「爛清、今回の件は異國だけではなく、妖怪も絡んでいるようです」
「……っ!?」
甘く、それでいて、妖艶なまでの香りが彼の体を硬直させてしまった。
全 紫釉のそれは無意識なのだろう。全 紫釉はただたんに、話をしていただけ。何の魂胆もなく、彼へ伝えただけだった。けれど……
「こうなったら、私たちではどうしようもありません。一旦、叔父上のところに戻って相談……って、どうしたんですか?」
「ひ、ひょ……ひ……ょ……」
「……?」
なぜ、震えているのだろうかと小首を傾げた直後……
「ひょーー! めっちゃ、いい匂いがするぅーー!」
垂直に立ち「ひょーー!」と、奇声を発しながら走り去ってしまう。
取り残された全 紫釉の目は点になった。
「……な、何なんですか、あれ?」
秋にしては暖かな風が、行き場を失った全 紫釉の手を、虚しくさせていった。