倉庫の秘密はよからぬ方向へと進む
木箱の中から人の手が出ていた。
衝撃的すぎる現実に、全 紫釉は固まってしまう。
ふと隣を見れば、平然とした様子の爛 梓豪がいた。彼は腕を組んで何かを考えているよう。やがて「よしっ!」と言って、木箱へと近づいていった。
「……え!? ば、爛清、何を……」
戸惑う全 紫釉をよそに、彼は積まれた木箱を登っていく。それほど高くはない頂上にたどり着くと、華服の袖から小刀を出した。
小刀で木箱の蓋を開け、中に顔を突っこむ。
「……えー? いや、あなたは本当に、何をしているんです?」
──この人の行動、本当にわからない。というか、木箱に顔を突っこむ癖でもあるのだろうか?
あきれながら彼の顔……ではなく、意外と形のよいお尻を見つめた。そのまま仔猫の手を掴み、彼のお尻をポスポスと優しくたたかせてみる。
「…………ちょっと阿釉? 何してんの?」
「え? 何となく、たたかないとと思って……」
「思わなくていいから! ってか、痛い痛い。爪が食いこんで痛い!」
彼の悲痛な声に合わせて、全 紫釉が仔猫を離した。すると木箱がガタガタと音をたて、爛 梓豪が顔をのぞかせる。
「ぷっはぁー。木箱の中、カカオの豆ばっかり入ってやがる。だけど……」
がさごそと、髪の毛にカカオをつけながら中を探った。そして何かを見つけたらしく、弾んだ声で「よっしゃー!」と言う。
「ほら、やるよ」
「え?」
彼は前触れもなく、何かを投げた。
全 紫釉は慌ててそれを受け取る。けれど……
「……っ!」
手のひらに乗るそれを見るなり、全身の毛を逆立てた。なぜならそのにあるのは、女の生首だったからだ。とはいっても人間ではなく、人形のよう。目や唇などが作り物に見えたからだ。手触りも人間の皮膚とは違い、さらさらとした紙のよう。
首の下……胴体と繋がっていたであろう部分は空洞になっていて、カカオの香りがしていた。
「び、びっくりした……」
「あはは。そこまで驚くとはな。阿釉はそういうのは苦手か?」
ひょいひょいと身軽さを見せつけるように、爛 梓豪は降りてくる。着地すると全 紫釉から生首を受け取り、じっと見つめ始めた。
そんな彼の質問に、全 紫釉は首をふって否定する。
「少し驚いただけです。それに私の周りには、もっと凄い人たちいますから」
だからといって慣れているわけではなかった。突然生首を渡されたら、普通は驚く。ただそれだけのことだと伝える。
「あー……お師匠様とか、なぁ。でも、たちってことは…………もっといるのか!?」
彼の好奇心を煽ってしまったようだ。生首を持ったまま全 紫釉に顔を近づける。瞳は興味津々といった感じに輝いていた。
「いますね。黄や黒族の長たちもですし。何よりも父上が、この生首よりもある意味凄い人なので」
「……え? 何でそこで、黄と黒族が出てくんの?」
木箱に残されている腕を引っぱり出しながら、彼は顔をひきつかせている。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? 黄族と黒族の宗主は、私の外叔父になるんです」
「……ひょっ」
爛 梓豪からは「ひょー!」という、奇妙な雄叫びが飛び出していた。けれど全 紫釉は気にもとめず、淡々とした口調で伝えていく。
「爛 春犂叔父上は、私の母方の祖父にあたります。黒族の宗主は、何人かいる叔父上の娘の夫ですね。黄族の宗主は私の母の義兄弟……だからふたりとも、外叔父上になるわけです」
凄いでしょと、胸をはった。
祖父にあたる爛 春犂、そしてそれぞれの族の宗主。彼らは有名な者たちばかり。
黄と黒はそれぞれが独立した族を立ち上げ、今を築き上げた。
爛 春犂にいたっては、そんな彼らですら一目置くような聡明な人物となっている。
有名でかつ偉大な彼らを祖父や叔父にもつ全 紫釉は、それを誇らしげに語った。けれどすぐに真剣な面持ちになり、ほうけている爛 梓豪を直視する。
「だから爛清、爛 春犂の内弟子でもあるあなたは、今回の試験で一目置かれています」
「え!? そ、そうなの!?」
「……あなたはそういうところ、本当に無頓着ですよね?」
彼の、何者にも縛られない心は、全 紫釉を脱力させていった。とうの本人は苦笑いだけで済ませている。
そんな彼を見て、頭痛を覚えていった。
──この人は、私や他人のことには真剣に打ちこむ癖に、自分のこととなると、一から無視を決めこむ。まあそれが、爛清のいいところなのかもですが……
全 紫釉は苦笑いしながら、人形の生首を床へと置いた。彼が引っぱり出した腕と合わせ、確認していく。
そして他の木箱も一通り調べた。
数分後、倉庫の床には胴体と左足以外の部位が並ぶ。
ふたりはそれらを見下ろしながら、それぞれの意見を口にした。
「結局、頭と両腕と右足があったわけだけど……」
「……これらに、何の意味があるんでしょうか?」
銀の髪が床についてしまうのも気にせず、膝を曲げる。
人形の手触りは、高級な羊革をあしらった紙そのものだ。けれど、羊革では出せないような光沢さがある。
──この人形に使用されている紙、見たことがない。おそらくこの國のものではない。
人形から視線を外した。
隣で人形とにらめっこを決めている爛 梓豪の袖を軽く引っぱる。
「うん? どうした?」
彼は不思議そうに両目を丸くした。細い瞳をいつになく大きく見開いている。
「……人形の元となる紙、これはもしかしたら他國のものかもしれません」
「え? ……それはつまり、輸入品ってこと?」
「おそらくは。ただ、輸入品は、そう簡単に手に入れることはできません。國の主……皇帝の許可を得て、正一品と呼ばれる品位の者の署名を貰って、初めて輸入できます」
真剣な面持ちで語りながら、足元に視線を落とした。そこでは、警戒心を捨てた仔猫の牡丹がお腹を出して鳴いている。
全 紫釉は頬を緩ませながら、仔猫のお腹をわしゃわしゃとした。
「……ってなると、店主が独断でってのは無理があるような?」
カカオが入っていた箱の中にあったのならば、店主が手に入れた可能性はある。けれど皇帝か、それに近しい存在ではければ紙の入手は難しい。それを考えると、少なくも紙に関しては店主は関与していない。
爛 梓豪の眉はいつになく、よっていた。人形に軽く触れながら、口を尖らせる。
「……うーん。俺たちだけじゃ、ここが限界ってことになるな。どうする?」
「そう、ですね。でしたら……っ!?」
脳裏に浮かぶ提案を持ちかけようとした直後、天井から一気に明るくなっていった。
ふたりは両目を閉じる。
「──これはこれは。誰かと思えば、姫様ではありませぬか」
聞き慣れない男の声がした。低くはあるが、どこか人を食ったような声質に感じる。
──この声。聞き覚えがある。でもなぜ? 彼は、父上の……
全 紫釉は、いち早く目を開けた。そして、倉庫の奥から足音をたててやってくる者を睨みつける。
「お久しゅうございます、姫様。ご機嫌いかがですかな?」
声の主は光に誘われるように姿を現していった。
白い烏帽を被った長い黒髪の男だ。
目の下にある隈と、土気色の肌など。お世辞にも健康的とは言えない。
年の頃は四十代後半か。烏帽と同色の服を着用し、手には錫杖を持っていた。
「おや? 逢い引き中でしたか? はっはっはっ。それは失礼いたしました」
人を小馬鹿にしたようにお腹を抱えて笑う。
「……相変わらずですね。白無相──」
男の笑いを、全 紫釉の冷めた言葉が止めた。しかめっ面になりながら白い男を見据える。
白無相と呼ばれた男は口元をいやらしく吊り上げ、錫杖の先で床をたたいた。