倉庫で発見、奇妙な○
宿屋を出たふたりは、ある場所へと向かっていた。
「……ここは?」
街の外れにある港、そこにはいくつかの小さな倉庫がある。煉瓦でできた倉庫ではあったが、これといった特徴は見当たらなかった。
そんな倉庫の前に立ち、爛 梓豪は隣にいる全 紫釉に視線で訴える。
全 紫釉は黒い衣を脱ぎ、美しい顔を顕にしていた。海風に靡く銀の長い髪を手で押さえ、倉庫を凝望している。
爛 梓豪は美しい彼の横顔に、ついつい喉元を鳴らしてしまった。けれどすぐに自分の両頬をたたき、目の前にある謎へと意識を向かわせる。
「……なあ阿釉、阿釉が掴んできた情報はここ、なのか?」
倉庫の周囲を一通り歩いてみた。パッと見は何の変哲もない場所で、これと言った特別な何かがあるようには思えない。
歩き終わり、両腰に手をあてて倉庫を見上げた。
「……やっぱり、特に変わったところはないと思うぞ?」
小首を傾げながら唸り、隣にいる美しい彼の答えを待つ。
全 紫釉は一歩前に躍り出た。すうーと息を吸って「牡丹」と、仔猫の名を呼ぶ。
すると倉庫の高い位置にある窓がカタカタと鳴り、そこから白い毛むくじゃらの手が現れた。それは牡丹と呼ばれる仔猫の手のようで、にゃーにゃー鳴きながら顔をひょっこりと出す。
「うおっ!? 何やってんだ、この猫は!?」
大袈裟に驚き、飛び乗ってくる仔猫を抱っこした。
仔猫はもふもふな尻尾を揺らし、かわいらしく鳴いている。
「やっべぇ。めちゃくちゃもふもふしてる……じゃなくて!」
動物のふわふわな毛並みに心を奪われかけた。けれど正気を取り戻し、仔猫の飼い主でもある全 紫釉を凝視する。
全 紫釉はなぜか頬を膨らませ、涙目になっていた。
「えっ!? な、何で泣いてんの?」
「牡丹が私以外に懐くなんて、初めてです」
子供っぽくなった表情を隠すことなく、爛 梓豪から牡丹をもぎ取る。仔猫をギュッと抱きしめ、肉球をニギニギしていた。
「いや、動物なんて気まぐれなやつばかりだろ? そんなのでいちいち焼きもち焼い……うっ!」
焼きもちなんか無駄なこと。そう言おうとした矢先、全 紫釉の大きな瞳が強く潤んでしまった。
さしもの爛 梓豪ですら、涙には弱いよう。あたふたと慌てながら失言だったと謝罪するしかなかった。
──この程度で泣くのかよ。まあ、可愛いからいいんだけどさ。……ん? あれ? 何か、おかしいような?
泣き顔がかわいい。
今まで、女性や家族にすら、そのような感情を抱いたことはなかった。それなのに目の前にいる銀髪の美しい人の姿は、とても心をくすぐる。
見ているだけで胸の奥が熱くなっていった。秋風が吹いていて暑いわけではない。それなのに手汗が出てしまい、体中が熱に覆われていった。
「…………?」
胸のあたりに、言い知れない感情が芽生える。それが何なのかわからないまま、首を強くふった。
「そ、それで阿釉、何でそいつがここから出てきたんだ?」
さりげなく、話題を逸らす。
全 紫釉は彼の戸惑いなど知るよしもないため、いつものように話を始めた。
もぎ取った仔猫を抱きながら腕の中で頭を撫でる。ときどき尻尾に手を伸ばしては、口を軽く緩めていた。けれど視線は倉庫に向けられている。
「この子が、倉庫の中でカカオを見つけてくれたんです」
全 紫釉は別行動をとった直後、街の荒くれが集う地区へと足を伸ばした。そこで見聞きしたのは以下のとおり。
毎日食うに困る貧民たちが仕事として、袋に入った物を運んでいた。
中身については知らされてはおらず、ただ、食堂へ運べばいいというものだった。
「その中身はカカオでした。食堂が、なぜそれを必要としたのか。それによって、なぜ女性が亡くなってしまったのか。そこは謎のままですが」
まだわからないことだらけだと、ため息を溢す。
爛 梓豪は彼の言い分を頭の中へとたたきこんだ。
──あの食堂でご飯食ったけど、カカオを使用したものはなかったはずだ。じゃあ、何でそんなものを取り寄せたんだ? いったい何をしようとしてる?
頭を掻き、全 紫釉と一緒にため息をつく。
「……で? この猫が、カカオをこの中から見つけたと?」
「はい。あそこにある小さな窓から侵入して、見つけてくれました」
指が示すのは、二階ほどの高さの場所にある小窓だ。猫などの、身体が柔らかい動物でなければ通ることができないほどに小さい。
仔猫が証拠を示すように、器用に窓へと登っていった。そして軽々と中へと入っていく。
「……猫、すげぇー」
「ふふ。猫は人間よりも関節が多いですからね。頭が入れば身体も通るとまで、言われてますから」
我がことのように胸をはった。そして倉庫の大きな入り口の前でとまる。
「うん? 阿釉、どうしたんだ?」
「中に入ってみましょう」
「うん? いやいや。鍵かかってるだろ? どうやって?」
「……根性、で?」
「根性必要ないから! そんなので開ければ苦労しねーよ!?」
爛 梓豪はトホホと、肩を落とした。意外と考えなしな全 紫釉にあきれ半分、あとの半分はかわいいと思えてしまう。
そんな彼は、懐から簪を取り出した。鍵穴に先を入れ、カチャカチャと回していく。数秒後、鍵が開く音が響いた。
「……え!? ど、どうやったんです?」
「んー? そうだなぁ。俺、親の目を盗んで義賊みたいなことしててさ。鍵開けは、お手のものってわけ」
扉に手を伸ばし、力一杯横にひいていく。
中は暗く、太陽の光すら入ってこなかった。
爛 梓豪が明かりを探していると、突然周囲に淡い光が現れる。いったい何かと見てみれば、全 紫釉の手には橙色の花があった。
「阿釉、それは?」
「私の術で造った鬼灯です」
「……へえ。って、阿釉は術師だったのか?」
さして驚きはせず、鬼灯をつつく。淡く輝く鬼灯は、つつけば鈴の音のように優しい音がした。
「……気持ち悪くないんですか?」
「ん? 何がだ?」
いつの間にか足元にいて、尻尾を巻きつけている仔猫を脇に抱える。全 紫釉を直視しながら、何のことだと首を傾げた。
──阿釉の見た目のことか? だったら、正反対だろ。すっげぇきれいだし、何かこう……守ってあげたくなるんだよなぁ。
脇に抱える牡丹がジタバタと暴れはじめる。しかたなく床へと降ろし、全 紫釉に視線を走らせた。
全 紫釉は銀髪の中に混じる黒い部分を両手で握りしめている。はあーと艶めいた吐息を溢し、ボソボソと語った。
「だ、だって、この鬼灯みたいに花を操るなんて……術だったとしても、普通ではな……」
「普通だろ?」
「──え?」
全 紫釉の顔が上がる。驚いたように両目を見開き、髪から手を離した。
「術の元になってるものが違うってだけの話だ。人それぞれ、そこは違うはずだろ? だから……」
逃げ腰になり始めている全 紫釉の両手に触れる。全 紫釉の細くて雪のように白い指と、自分の男らしい指を絡めた。
彼の、ささくれたった指。それが、傷ひとつない美しい指を包んでいく。
「大丈夫。世界中の誰もが阿釉の敵に回ったとしても、俺だけはずっとそばにいるらか。怖がる必要なんてないんだ」
裏表のない、無邪気な笑顔を、全 紫釉へと向けた。
「俺は頭よくねーから、難しいことはわからねーよ。でも、阿釉が何かに苦しんでるってのは、なんとなくわかるかな?」
ニカッと笑い、白い歯を見せる。
鬼灯の光が彼の顔にあたり、穏やかで優しい表情を明るく照らした。
「ほら。俺は考えなしだろ? だから、細かいことは気にしないんだ」
エッヘンと、無駄に胸をはった。
自分自身を下げて相手を持ち上げる。それが彼の、無謀だけど無意識からくる接した方だった。
全 紫釉の頬は、少しずつ彼の純粋な気持ちに絆されていったよう。強ばっていた表情が和らぎ、ふふっと微笑すらしていた。
「……本当に、あなたは変な人ですね」
「うん? そうか? まあ、褒め言葉として受け取って……ん?」
明るい笑みが零れ始めた矢先、放置状態だった仔猫の鳴き声が聞こえてくる。
ふたりは顔を見合せ、鳴き声のする場所へと近づいた。そこは倉庫の奥で、一見すると何も置いてない。
けれど仔猫はひたすらそこに居座り、ずっと鳴き続けていた。
全 紫釉は仔猫に手を伸ばし、優しく抱きあげる。どうしたのかと優しく語りかけながら、牡丹のもふもふした毛並みを撫でた。
瞬間、仔猫は全 紫釉が持っている鬼灯を奪ってしまう。
「あっ! こら牡丹、駄目で……えっ!?」
「……な、何だよ、これ……」
鬼灯の灯りが眼前にあるものを照らした。
大量に積み上げられた木箱がある。頂上にある木箱の蓋が少しだけ開いていて、そこから何かがはみ出していた。それは……
白色の布に包まれた、人間の腕だった。