不思議な男
禿の皇帝が暗殺されて数日後。國は禿という名を残したまま、皇帝の第一皇子が後を継いだ。
そして月日は流れ、数ヶ月後──
山茶花、睡蓮、蝋梅といった花びらが、ヒラヒラと街中を舞う。
朱い壁と柱の建物が多く並ぶ街で、屋根に提灯をぶら下げていた。
街の中には河があり、屋台舟が行き交う。道と道を繋ぐ橋の下を潜り抜けては、琵琶をお土産として買っている者もいた。
争いもなく、人々は優雅に暮らす。それが尖った山々に囲まれた、【温風洲】という街だった──
朱の建物よりも茶色の煉瓦が目立つ街の隅、後方に山を控えた場所がある。そこの一角に、生ごみを棄てる木箱が置かれていた。
「──なんだ、これ?」
平和な街の中で遊ぶさんにんの子供たちは、木箱からはみ出ている何かをツンツンした。それは薄紫色の華服で、どうやら人のお尻のよう。
ガタガタ……
「わっ! 動いた!?」
つついてみれば、木箱から出ている両足がバタバタと動いた。
子供たちは小さな悲鳴をあげる。けれど子供特有の好奇心に負けたのか、木箱を囲んで、さらにつついた。
「……ちょ、おい。やめろ!」
「うわっ! しゃべったぞ!?」
「当たり前だ。人なんだから……あっ、ちょっと……ほんと、つつくのやめて。いや、本当にやめてください!」
低姿勢で懇願し続けるそれを目の前に、子供たちは容赦なくつついていく。しまいには枝の尖った部分で、おもいっきりお尻を刺した。
「ひょーー!」
奇妙な叫び声だ。
子供たちはビクッとなり、木箱から少し離れた位置へと逃げる。
すると木箱はガタッと大きな音をたてた。そしてそこから誰かが勢いよく顔をだす。
「ぷっはぁー」
木箱から顔をだしたのは、年の頃は二十歳ぐらいの青年だった。
手入れの行き届いた長い濡れ羽色の髪は、腰まで伸びている。
凪の眉にかかるぐらいの前髪を退ければ、髪と同じ色の瞳があった。少しだけ細いけれど、柔らかな表情が怖さを消している。
スッと伸びた鼻と、ちょうどいい厚さの唇。
薄紫色の華服が似合う、端麗な顔立ちをした青年だ。男らしい肩幅、そして、申し分ないほどに整っている顔立ちのおかげか、歩いている女性からは黄色い声を送られている。
その声に気づいた彼は、無邪気とも言える笑顔で手をふった。
青年の名は爛 梓豪、美しい顔立ちの男だが、それ以上に残念さが上回っている。
「ぺっ! うえっ。虫が口の中に入っちまったよ」
いかんせん、塵まみれである。
黄色い声をあげた女性たちは、彼の臭いに耐えられなくなって悲鳴に変わっていった。汚物を見る目になり、遠くへと逃げていく。
「うっへえ。酷いめにあった」
女性たちに逃げられた当の本人は、まったく気にもとめていない様子だった。それどころか、悪戯をした子供たちに、ニカッと白い歯を見せている。
胡座をかきながら地面に座り、汚れた顔を華服の袖で拭った。そして見下ろしてくる子供たちに向かって、あることを尋ねる。
「なあ、坊主たち。このあたりに、八卦鏡落ちてなかったか?」
「八卦鏡? ……それって、八角形のあれ?」
子供たちは顔を見合せながら、身振り手振りで答えた。
青年は頷く。黒真珠の瞳を細め、頭を掻いた。
「そう、それ。あれさ、この街に来たときに、どこかに落としちゃったんだよね」
「えー? あんな大きなもの、ふつう落とす?」
「うっ!」
子供たちに痛いところを突かれ、彼は視線を逸らす。恥ずかしそうに頬を掻き、苦笑いで誤魔化した。
「い、いやぁ。自慢じゃないけど、俺って超がつくほどのおっちょこちょいでさ。この前もそのせいで、知り合いの筆を折っちゃってさ……」
謝ったら許してもらえたけどと、ため息に混じりに言う。
それを聞いた子供たちの反応は様々。
ひとりは情けない者を見る眼差しを送り、彼を不審者扱いしている。
ふたりめは彼に同情するように、不運さに涙を流した。
さんにんめにいたっては感情が見えず、ただ、あくびをしている。
そんな表情豊かな子供たちを前に、彼はゆっくりと起き上がった。華服についた汚れをパンパンと、軽くたたいて払う。乱れた髪を手櫛でとかし、服を整えた。
「……子供は正直だねぇ」
全体を整え終わると、子供たちに向きなおる。
「で。知らない? 八卦鏡」
「知らなーい」
重なる子供たちの声に、彼はそうかとだけ口にした。頭を掻き、顎に手を当てて、神妙な面持ちになる。
──まいったなあ。あの八卦鏡、仙人の昇進試験に必要なんだよなぁ。
本気で困ってしまった。瞳に動揺を乗せ、視線を揺らす。額から汗を流しては、キリキリする胃を押さえた。
「……あっ! 思いだした。そう言えば、変なかっこうしたおねえさんが持ってた」
「え!?」
明るい笑顔になって、子供に飛びつく。
子供は鼻をほじりながら彼に、本当だよと伝えた。
「そ、そのお姉さんはどこに!?」
「えー? 知らないよ。知ってたとしても、兄ちゃんみたいにあやしい人についていっちゃ、だめなんだよ?」
「そこをなんとか! お願いだ、案内してくれよ!」
両手を合わせ、拝むように頼む。
「……うーん。どうする? 兄ちゃん、こまってるっぽいよね?」
他のふたりと相談し合っていた。知らない人についていってはダメという意見もあれば、青年のことを思って、案内するべきと諭す者もいる。
それこそ、三者三様の意見だった。
──このままじゃ、本当に試験に間に合わない。こうなったら……
最後の手段だと、両目をカッと見開く。
子供たちはビクッとなり、さんにんともに「怖いよおー」と、怯えてしまった。しかし……
「お願いします! 俺を、君たちが見たというお姉さんの元まで案内してください!」
子供たちの恐怖を裏切るように、彼は土下座した。額を地面にひっつけ、精いっぱい頼みこむ。
子供たちはきょとんとしてしまった。さんにんで肩を組みながら丸を作る。どうするかを、相談しているようだ。やがてひとりが青年の方へと顔を向け、彼の肩を軽くたたく。
「情けない大人だなぁ」
若干、ひいているようだ。それでも情けをかけるように、子供らしい無邪気な笑みを浮かべる。
「わかったよ。いっしょに探してやるよ」
「……っ!? あ、ありがとう。恩に着るよ!」
子供たち、ひとりひとりの手を握った。小さな頭を撫でながら、近くにある屋台へと向かう。
「お礼にさんざし飴、奢ってやるよ」
財布の紐を緩ませた。喜ぶ子供たちへ、一本ずつさんざし飴を渡していく。
彼もさんざし飴を咥えながら、子供たちと一緒に歩いた。
「うっまぁー! 甘くて美味しいー。こんなに美味しいの、久しぶりだよ」
さんにんの内、一番背が高い子供が歓喜しながら青年へお礼を言う。けれど、さんにんはとたんに笑顔をなくした。
彼は、いったいどうしたのだろうかと首を傾げる。
「……おれらの母ちゃんさ、この前死んじゃったんだ。仕事してたらたおれたらしくて」
「病気、だったのか?」
何気ない質問だった。
子供たちを見れば、さんざし飴を舐めていた口が止まっている。やがて、一番背が高い子供が首を左右にふった。
「母ちゃんさ、おっきな病気ひとつ、しなかったんだ。それなのに……」
バッと顔をあげ、青年の華服の袖を弱々しく摘まむ。
「いきなりたおれて死んだなんて、ぜったいにうそだ! あいつらが、母ちゃんをころしたんだ!」
「……殺した? かなり、物騒な話になってるぞ?」
唐突な答えに、彼は多少戸惑った。子供たちを凝視し、なぜそう思ったのかと尋ねる。
「だって……」
子供たちの足はその場で動きを止めた。下を向いていたふたりの子供たちも、彼に訴えるかのような視線を向ける。
「母ちゃん、たおれたときに鼻血だしてたんだって。なんか甘いにおいもしてて……」
きっと仕事場のやつらに何かされたんだと、まるで訴えるかのような瞳をしていた。
青年は子供たちの話を真剣に聞く。
──鼻血を出してたってことは、何かの病気だった可能性あるよな。ただそうなると、匂いの意味がわからねー。
考えに行き詰まり、頭をボリボリと掻いた。
「うーん。情報が少なすぎて、どう答えるべきか迷うな。それにこれは俺の分野じゃなさそうだ」
そのときだ。山の方から鐘の音が響いてくる。
「……って、やば! 試験に間に合わなくなっちゃう! 悪いな坊主たち。明日にでも、また案内頼むよ」
心残りを胸に秘めたまま子供たちと別れ、山へと急いでいった。