協力者
茶器にトポポと、烏龍茶を入れた。静寂ありきの部屋の中に走るその音は、ふたりの頭を冷やしていく。
「一から整理しましょう。今のままでは、断片的なもの……散らばった欠片を拾っただけの状態だと思いますので」
最初に静寂を破ったのは全 紫釉だった。
青い華服の袖が静かに揺れる。禿という國ではかなり珍しい銀の髪を携えながら、眼前に座る青年を見張った。
「……って言ってもさ、どこから手をつければいいのか。俺には、それがわからないんだよな」
本心なのだろう。腕組みをしながら天井を仰ぎ見ては、眉間にシワをよせていた。
入れられた烏龍茶を一気飲みし、再び天井を見上げる。
そんな彼を目尻に、全 紫釉は白い布を机の上に置いた。拡げればそこには、この國ではあまり出回っていない食材……カカオが数粒お披露目される。
爛 梓豪はそれを手に取ると、カカオを指で転がして遊び始めた。
「爛清、食べ物で遊ばないように」
「へーい」
カカオを指で弾く。
「…………なあ、気になってたことがあるんだけど。教えてくんない?」
身を少しだけ乗りだした。男らしい太い指で自身の髪を払いのけ、全 紫釉に尋ねる。
「何をです?」
さらりと流れる銀髪を揺らして、小首を傾げた。
爛 梓豪は椅子へと深く座り、足を組む。
「いや……阿釉は、このカカオの情報をどこで手に入れたんだ? それに事件に関与してるって、何でわかったんだ?」
街の住人に聞いて回ったところで、カカオという言葉自体出てこないはずだ。それほどまでに知られていない甘味なのだろう。
けれど全 紫釉はどこからかそれを嗅ぎつけ、誰も予測できなかった結果をもたらしていた。
そのことに疑問を持つ彼は、まっすぐ心根をぶつけていく。
全 紫釉は一瞬だけ、両目を大きく見開いた。はーとため息をつき、彼の後ろを指差す。
「これに気づいたのは、私ではありません」
「ん? じゃあ、誰なんだ?」
彼ら以外に、この謎を解こうという者がいるというのか。
爛 梓豪は足を組みなおし、全 紫釉が指差す先へと振り返った。けれどそこには何もいない。青空と、美しくも妖艶な街並みが見えるだけだった。
舌足らず、言葉足らず。それを地で行く全 紫釉に、彼は心底困りはてていく。
──いや。話を逸らそうとしてるってわけじゃねーんだろうけど……やりづらいな。
頭を掻きながら、苦手意識を持ってしまった事実にぶち当たった。
嫌いということではない。ただたんに、全 紫釉のような含みを持つ者は、相手にできなかったのだ。
彼自身の性格的な問題なのだろう。爛 梓豪は正直を背負う男。それはそれは、愚直なまでに。
だからこそ全 紫釉のような真逆の存在は、当然やりにくく感じてしまうのだった。
だからといって相棒を解消するほどかと言われたら、そうではない。
──昇進とか関係なく、嫌いにはなれないんだよなぁ。いや、むしろ……一緒にいて、心地いい。
なぜか、そう思えてしまった。
全 紫釉が放つ不思議な雰囲気、そして仄かに香る何か。それらが彼の心をホッとさせていった。
「……あの。私の顔に、何かついてます?」
「ん? ああ、いや。悪い。えっと……話を戻すけど、窓の外に何かあるのか?」
再度、窓を見つめる。けれどそこには、代わり映えのしない景色しか映っていなかった。
「……先ほども申し上げたように、カカオの香りに気がついたのは私ではありません」
銀の髪を揺らしながら腰をあげ、窓へと近づく。窓を開け、懐から水色の布を取り出した。
爛 梓豪は実を乗りだし、小首を傾ける。一緒に窓の外を眺め、隣り合わせの全 紫釉を横目に見つめた。
──阿釉、本当にきれいだな。助っ人がいるみたいなこと言ってたけど……そいつと、どういう関係なんだろう? もしかして恋人……とか? そりゃあ、そうだよな。こんなに美人なら、いてもおかしくはないし。
胸の奥に鈍い痛みを覚えた。鉛のような重さがあって、ズキッとする。
「…………?」
それが何なのかわらかず、ほうけてしまう。
「──鼻が利く友だちは牡丹と言って、とてもかわいいんです」
「……へ、へえ」
受け続ける鈍い痛みを隠しながら、興味を示した。牡丹と呼ばれる人はどんな感じなのか。それを尋ねる。
すると全 紫釉は微笑した。
「ん? 何で、笑うんだ?」
おかしなことを言っただろうかと、両目をぱちくりさせる。
全 紫釉は水色の布を拡げる。中には小魚が入っていて、砕けてしまっている物もあった。
腕を窓の外へと伸ばし、「おいで」と呟く。瞬間──
宿屋のそばにある木が大きく揺れた。そして「にゃあ」と、猫の鳴き声が聞こえてくる。
ガサッと葉が揺れたとき、ひょっこりと長い尻尾が顔をだした。そこから現れたのは、青くてつぶらな眼をした猫である。白い毛並に黒い横縞模様が特徴の、かわいらしい仔猫だ。
仔猫は嬉しそうに尻尾をふり、器用に枝を伝って部屋の中へと飛び降りる。
「お帰り牡丹、お散歩は楽しかった?」
「みゃお」
「ふふ。あはは、くすぐったいよ」
白い毛並みに黒い横縞模様の猫は、全 紫釉の頬をペロペロと舐めた。
「ふふ。牡丹はお日さまの香りがするね。ふわふわで暖かい」
爛 梓豪のことなど眼中にないようで、仔猫とじゃれ合っている。
仔猫は全 紫釉の頬に肉球を押しつけ、ぽかんとしてしまっている彼を注視した。床へと飛び乗り、トテチ、トテチと、かわいらしい足取りで彼へと近づく。
「……猫? いや、それにしては何か……」
足元にいる仔猫を持ち上げた。
仔猫は嫌がる素振りすら見せない。むしろ嬉しそうに尻尾をふり、にゃーにゃー鳴いていた。
「阿釉、もしかしてこの猫が情報提供者なのか?」
「ええ。そうです。鼻が利くので、カカオの香りを察知してくれました」
床につくほどに長い銀髪を揺らしながら、動物の鼻は侮れないと、我がことのように胸を張っている。ごろ寝した仔猫のお腹をわしゃわしゃとし、子供っぽい笑みで毛並みを楽しんでいた。
そんな全 紫釉を前に、爛 梓豪はなぜかホッとしてしまう。
先ほどまでのチクッとした痛みはなくなっていた。むしろ晴れやかになっている。
「……そっか。仔猫だったのか」
「え?」
「いや、何でもない」
消えた痛みの正体がわからないままだったが、彼は全 紫釉と一緒に仔猫を撫で回した。手入れが行き届いている毛並みはもふっとしていて、非常に触り心地がいい。
ふたりの頬は自然と緩んでいった。
「なあ阿釉、こいつがカカオの匂いに気づいたんだろ?」
「はい。牡丹が教えてくれるまで、確信にはたどり着けませんでした」
動物の嗅覚は人の何倍もある。仙人や道師といった人よりも優れた能力を持っている者たちであっても、動物が持つ本来の力には遠く及ばない。そのことを改めて痛感した。
「となると、カカオがあの店で何に使われていたか、それが気になるな」
店で飲んでいた彼は、肴を一通り頼んでいた。けれど注文した中にはカカオを使った甘いお菓子など、ありはしなかったのだ。
「……それも気になりますが、私はもうひとつ。どうしても気になっていることがあります」
風に遊ばれる銀髪を手で押さえ、美しい顔に憂いを乗せる。
「店主の娘の話です」
「……あ、ああ。確か、誰も姿を見たことがない娘だっけ?」
全 紫釉の儚さに、彼は一瞬だけ心臓が高鳴った。それでも平静を装うように、会話を続ける。
全 紫釉は頷いた。足元でお腹をだしている仔猫を撫でながら、軽く深呼吸をする。
「そうです。今までは何の影もなかった女が現れ、もうひとりの女性は死んだ。しかもそれは、ほぼ同時期に起きた出来事です」
「え? 同時期って……じゃあ、あの子たちの母親が死んだことには、姿なき娘が何かしら関係あるってことか?」
──そうなるとだ。単純に、母親は仕事中に亡くなった……だけじゃ、済まなくなりそうだな。
もっと違う部分、裏に何かがあるのかもしれない。もう一度振り返って確認する必要があるなと、めんどくさそうに空を眺めた。