無限胃袋
ふたりは情報を集めるために、街中へと繰り出した。
全 紫釉は黒い衣を深く被り、隣を歩く青年を注視する。
両手にさんざし飴や包子を持ちながら、美味しそうに食べていた。さんざし飴をすべて食べ終えると、刺していた串をポイ捨てする。
包子が入っている蒸籠の蓋を開け、みっつあるうちのひとつを全 紫釉へと渡した。
「食うだろ?」
「え? あ、はい」
分けてくれた包子を手のひらに乗せる。ホカホカとした湯気は出ていなかったけれど、少しばかり温かかった。下についている紙を外し、そっと口に入れる。
「……っ!? 美味しい……」
中身の具材だけでなく、肉汁が口の中へと広がった。生姜の味がしっかりと利いているようで、さっぱりとした感じになっている。
頬を綻ばせながら、彼の持っている蒸籠をじっと見つめた。
「うん? まだ、欲しいのか? 残念だったな。残りは俺様がいただいた。もう、空だ」
勝ち誇った様子で胸をはる。
全 紫釉はぷうーと頬を膨らませ、彼を涙目で見返した。
「……え!? な、何も泣かなくてもいいだろ? わ、悪かったよ。俺が悪かったから!」
「泣いてません。あなたが買った物ですから、私がとやかく言うのはおかしいですし。なので!」
彼の手を握る。その瞳は無表情とは程遠く、光に満ちていた。目を輝かせながら爛 梓豪を見つめる。
爛 梓豪の顔は、なぜか真っ赤になっていた。
それに気づかないまま、全 紫釉は彼の手を握り続ける。
「ご飯にしましょう! 私は、お腹空きました」
「ひょ……顔! 顔、近いからーー!」
彼は、耳の先まで林檎のように真っ赤になった。全 紫釉の手を素早くほどき、真っ赤な頬のまま、ぎこちなく歩く。
「……爛清、私のこと、嫌いなんですか?」
──どうしてこの人は、ときどきこんな行動をとるのだろう? そんなに私の顔は醜いってことなのかな? だから、彼は私を嫌っているんだろう。
瞬間、チクッとした、微かな胸の痛みを覚えた。彼を見るたびに、ズキズキと心の底から激痛を覚えていく。
──? 病気でもしたかな?
痛みの意味を理解できないまま、彼の態度に本気で心が傷んだ。しょんぼりとなり、大きな目を潤ませる。彼の華服の袖先をちょこっと摘む。
「……っ!? んんっ! 阿釉が、めちゃくちゃ可愛い!」
道行く人々が、彼を、訝しげな眼差しで見つめてきた。それでも爛 梓豪は顔を両手で覆い隠し、その場にしゃがみこむ。ひたすら、かわいいを連呼していた。
「……か、可愛いとか、そういうことを平気で言うの、やめてください」
全 紫釉は黒い衣からはみ出した銀髪を握り、口を尖らせる。
その姿は非常に愛らしく、庇護欲を掻き立てられるような儚さがあった。彼らのやりとりの一部始終を眺めていた者のなかには、全 紫釉を見ては頬を赤らめる男もいる。
爛 梓豪は見物人たちの一部が下心のある視線を放っていることを察知する。正気を取り戻し、全 紫釉の手を引っぱった。
□ □ □ ■ ■ ■
近くの宿屋まで行き、適当に部屋を借りて中へと入る。
部屋の中は、特に珍しいものがあるわけではなかった。動物の形に切り取られた飾り窓が目をひく程度で、至って普通のよう。
そんな部屋の奥には小さな机がひとつ、椅子がふたつあった。
爛 梓豪はそこへと腰かけ、全 紫釉も座るように促す。
「……あのなぁ。阿釉、ああいう顔はしない方がいいぞ? 相手が俺だからよかったものの、もしも花街だったら」
「ああいう顔?」
こてんと、小首を傾げた。
その姿は大きな瞳も相まって儚い。そして少女のようにかわいらしく、少しだけ子供っぽかった。
爛 梓豪はうっと言葉を詰まらせる。肩を震わせながら、あーうーと唸った。
「……そ、そういう顔をするなって言ってるだろ?」
「……?」
彼の顔は真っ赤だ。全 紫釉をまともに見れないようで、視線を外しては「んんっ!」と悶えている。
「えっと……風邪でもひきましたか? 大丈夫です?」
──爛清、本当にどうしたんだろう? 私と目を合わせてくれないし。あっ! もしかして……
腰をあげた。黒い衣を脱ぎ、美しい顔を顕にする。爛 梓豪を見下ろしながらニコニコと微笑み、拳を握った。両手を軽くポンッと合わせ、部屋の扉へと進む。
「わかりました。お腹が空いたんですね!?」
「…………うん?」
「そうと決まれば、さっそくご飯を頼みましょう」
「え!? いやいやいや。別に腹は減って……」
爛 梓豪は慌てて立ち上がり、全 紫釉を止めようとした。けれど一足遅く、すでに姿がない。
「……腹、減ってないんだけど」
ぽかーんと、ほうけるしかなくなっていた。どうしたものかと天井を仰ぎ見たとき、扉が開く。
「爛清、お待たせしました。さあ、食べましょう」
「早っ!」
黒い衣を深く被った全 紫釉を筆頭に、次々と料理が運ばれていった。
ものの数分で、小さな机の上は食べ物がこんもりとなる。さらには机の上だけでは収まりきらなかったようで、床にまで置かれていた。
辛さがウリの麻婆豆腐、色とりどりの野菜がきれいな回鍋肉や八宝菜。肉汁が決め手の餃子や包子、プリプリと海老が入っている海老チリなど。
おかずだけでも、数えきれないほどだ。
玉子たっぷりの炒飯もあれば、豚肉やネギ入りの中華ソバもある。
そして鶏ガラスープ、杏仁豆腐や桃饅もあり、ありとあらゆる禿の料理が並んでいた。
爛 梓豪はそれらを見て絶句する。食いきれるわけがない、無理だと、顔が青ざめていた。
「さあ! いただきましょう」
頼んだ本人は嬉しそうに箸を持つ。そして……
三十分ぐらいたっただろうか。足の踏み場もないほどに広げられた数々の料理は……
「ふう。いっぱい食べました。でも、まだ足りませんね。もっと注文していきましょう」
頼んだ張本人の全 紫釉がひとりでほぼ、すべての料理を平らげていったのだ。
残ったのは空になった皿だけ。それでもお腹をさすりながら、まだいけると笑顔を振り撒く。そして、一階へ向かおうとした。
そのとき、今までにないような真顔をする爛 梓豪に肩を掴まれる。
「待て。お前はこれ以上、何を食べようって言うんだ?」
声は普段より低かった。額にたくさんの汗を流しながら、必死に止めにかかる。
全 紫釉はうーんと、顎に手を当てた。そしていい笑顔で答える。
「油淋鶏を食べてなかったのを思いだしました。ごま団子も食べてませんし」
「まだ食うのかよ!? ってか、そんなに細いのに、どこに入るわけ!?」
曇りなき眼で伝える全 紫釉を、彼は再度制止した。お腹いっぱいになると眠たくなって、考えが纏まらなくなると説得する。
「…………」
──確かに、彼の言うとおりですね。腹八分目と言いますし……私たちがここに来た理由は、事件の謎を解くことです。
少しの間考え、体を部屋の中へと戻した。大人しく椅子に腰かけ、彼を見ながら微笑む。机をポンポンと叩き、したり顔になった。
「ほら、何をしているんです? ご飯は終わったんです。試験の課題をこなしましょう」
「…………えー?」
全 紫釉の自由人っぷりに、さしもの彼ですらビックリしてしまう。頭を掻いて、しょうがないなとため息をついた。