美味は毒の裏返し
カカオが生産されている國の住民は、それを食べることになれていた。よく食べることによって、体にカカオへの対抗が生まれるからだ。
けれどこの禿という國は違う。カカオは、知っている人を探す方が難しいほどだ。少量ならともかく、大量に摂取するということは、体に毒を入れるのと変わらないのだろう。
体は耐えきれなくなり、それが鼻血となって出てきてしまう。最悪、死に至る可能性すらあった。
「私も実物を見るのは初めてなので、これ以上の情報は持ってません。けれど……」
目の前で胡座をかいている彼を凝視する。
「いくら人よりも頑丈で、卓越した能力を持っている仙道であっても、体の中に毒を入れてしまえば終わりです」
仙術で体の中の毒を消す力は存在していた。けれど全 紫釉はもちろん、爛 梓豪ですら、それを使えはしない。
霊力すらも未熟な彼らは、毒を浄化するという力業を持ち合わせてはいなかったのだ。
「……な、何か旨いのに、とんでもない食べ物だな?」
「慣れれば、中毒症状はあまり出なくなりますよ? とは言っても、慣れるまで食べれるほど、カカオがこの國にあるわけではないんですけどね」
「……ああ、そりゃそう……あれ?」
両目を見開き、天井を見つめながら唸る。すると「あっ!」と声を張りあげ、勢いよく立ち上がった。全 紫釉を見下ろしながら、ニカッと白い歯を見せびらかすように笑う。
「もしかして……今回の事件って、これが関係してるってことか?」
「おそらくは。口に黒っぽい液体がついていて、そこから甘い香りがしたということを考えると、カカオが中毒症状を引き起こして亡くなった可能性はあります」
淡々とした口調で伝え、彼の顔をじっと見つめた。
爛 梓豪はうっとなり、しどろもどろで視線を泳がせる。
「あー! う、うん。そ、そっか。中毒なぁ! うんうん!」
「……? 何で視線を逸らすんです?」
彼の不可解な態度にカチンときた全 紫釉は、四つん這いで近よっていった。頬をぷうーと膨らませ、少しばかりの幼さを加えた表情で迫る。
彼の華服の袖を頼りなく掴み、爛 梓豪の逃げ道を塞いでいった。
その姿はまさに、美しき女神。
長いまつ毛の下にある大きな瞳は潤み、今にも涙が零れ落ちそう。繊細なまでに細い首や手、そして銀の髪は、今にも崩れてしまいそうだ。
「……っ!? あ、阿釉……」
ゴクッと、無意識に唾を飲む。
この妖艶な顔に酔いしれるのはきっと、彼のような思春期の男だけでない。既婚者の男や、血気盛んな色欲にまみれた者ならば、性別問わずに虜になろう。
そう思えるほどに全 紫釉は美貌に溢れていた。
そんな誘惑を払いのけようと、爛 梓豪は素早く櫓を降りていく。
「あ、あはは。秋だってのに暑いな」
よくわからない感情を抱えながら、手をパタパタとさせた。収まらない熱い何かがあるのだろうか。近くにある木に頭をガンガンとたたきつけ「うがー! 阿釉が可愛い!」と、叫んでいた。
遅れて櫓から降りた全 紫釉は小首を傾げながら、彼の奇行に悩む。
──この人はときどき、おかしな行動をとる。いったい、どうしたというのか。はっ! もしかして……
「爛清!」
「ひょっ! え? な、何だ!?」
驚く彼の両手を、ガシッと掴んだ。
「悩みごとがあるのなら、私が相談に乗ります。だから、溜めこまないでください!」
「…………はい?」
──きっと爛清は、慣れないことをして疲れているのだろう。頭を使うこととかもそうだが、こういった地道な作業も初めてではと思う。
見当違いなことを考えた。口にはしないものの、彼へ曇りなき眼を向ける。
「大丈夫! あなたには、他人の心へズカスガと入っていく勇気があります。それはもう、無神経なほどに!」
「酷くない!?」
「でもそれが、あなたのいいところです。今のように慣れないことをして頭を使うよりも、あなたはあなたのやり方を貫いてください!」
「え? いや、それは褒めて……ない、よな?」
「さあ、爛清! あなたの得意分野で、この謎を解いていきましょう! 取り柄を生かすときがきたのです!」
「無意識に俺の心を抉るのやめて!」
いいことをいったなと胸をはった全 紫釉に対し、彼は半分泣きべそをかいていた。
それに気づかない全 紫釉は、ひたすら微笑んでいる。
「さあ爛清、謎をすべて解決しに行きましょう」
「……ウン、ソウダネ」
明後日の方向に思考が回っている全 紫釉と、べそをかくことしかできない爛 梓豪。
微妙な空気のなか、ふたりは櫓を降りて再び食堂へと向かった。
□ □ □ ■ ■ ■
伶酒唵へと再び訪れたふたりは、あっけにとられてしまう。
同日の少し前、数時間前までは、ここは男たちで賑わっていた。けれと今は客はおろか、店員の姿すらない。
「……どうなってんの?」
店の中は荒らされたかのように、机や椅子が散乱していた。
建物自体には傷はついていなかった。ただ、床には踏み潰された食べ物が落ちている。
台所へ行くと、調理中のまま放置したような痕跡があった。食器や調理道具は洗われないまま、放置状態となっている。
勘定台には銀銭がひとつだけ残されていた。
爛 梓豪はそれを手にとり、ちゃっかりと懐にしまう。
全 紫釉は彼の手癖の悪さに苦笑いし、店内を一回りしてみた。
「………これは夜逃げ、でしょうか?」
黒い衣を脱ぎ、銀髪を顕にする。
周囲を見渡し、人っ子ひとりいない店内にため息を走らせた。
「夜逃げ? 何でまた、そんなこと……あっ! もしかして、俺がここでやらかしたからなのか!?」
爛 梓豪は数時間前、伶酒唵にて暴れた。暴力ではなく言葉で男たちを誘導したのだ。男たちの妻であろう女性たちが乗りこみ、阿鼻叫喚な現場が出来上がってしまう。
そうなるように仕組んだかまでは、彼にしかわからない。
それのせいで、店の者たちは怖がって夜逃げした。
爛 梓豪は悪いことをしなと、天井に向けて謝罪する。
「……多分それは、きっかけにすぎないと思います」
「ん?」
転がっている椅子を起こして静かに座った。姿勢をただし、立っている彼を見上げる。
「何を思って、この店を放棄したかまではわかりません。けれど後ろめたい何かがなければ、このようなことをしないと思いますよ?」
あの騒動のとき彼は、ここで亡くなった女性について触れていた。それを店主ないし店員は聞いていたはず。
それが彼らにとって、不利になるような何かなのかもしれない。
「証拠がないのでハッキリとは言えません。ですが……」
何度か瞬きし、長いまつ毛を微かに震わした。
「探ってほしくない何かがあるのかもしれません」
「……んー? ってことは、何かぁ? ここで起きた事件に、何かしら関わってるかもってこと?」
首を傾げる。対等に話すために椅子へと腰かけ、両腕と足を組んだ。
全 紫釉は頷き、華服の袖に手を突っこむ。そこから三つのカカオを取り出し、机の上に置いた。
「──私たちは、知らなければならない。他国から輸入される品を。そして……それは、悪用できるほどの品なのか」
カカオのひとつを手にし、指で遊ぶ。
「美味しいから、珍しいからと言って、何も知らずに手を出す。それが、毒になってしまうとは知らずに……」
長くて細い銀髪を耳にかけ、彼へと視線を送る。
爛 梓豪はカカオをひとつ取り、天へと翳した。椅子がギィと音をたてる。
「……阿釉、これは俺が勝手に想像したことだから、聞き流してくれても構わない」
「はい」
音の鳴る椅子を凝視した。そして今度は全 紫釉へと向きなおり、神妙な面持ちをする。
「もしかしたらここの店主は、これが毒だって知ってたのかもしれない。どんな理由かまではわからねー。でもそう考えると、いろいろと合点が行くと思うんだ」
低いけれどよく通る声が、全 紫釉の首を頷かせた。
「……そうなると、亡くなった女性と店主から探るべきなのかもですね」
「そうだな」
ガタッと音をたて、ふたりは椅子から離れる。そして隣り合わせに並び、空っぽになった店から出ていった。