表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/120

鼻血の原因

 食堂を出たふたりは、街の中央へと向かう。そこにはいくつかの(やぐら)が立てられていて、奥には古めかしい寺院があった。


 爛 梓豪(バク ズーハオ)に手をひかれながら、全 紫釉(チュアン シユ)は櫓を登っていく。頂上へ着くと、街が一望できるほどの高さに少しばかり驚いた。


「……それで爛清(バクチン)、何か情報は得られましたか?」


 手ぶらで合流だったらどうしてくれようか。そんな考えを瞳に乗せ、彼を見つめた。先の食堂での彼に不信感を募らせ、それを不機嫌な態度で表す。


 彼はおどけながら、手にした情報を晒けだした。


「んー? 実はさ。あの食堂で、ふたつの事件が起きてたっぽいんだよな」


「ふたつ?」


 思いもよらない数に、全 紫釉(チュアン シユ)は驚嘆する。

 風に靡く銀髪を手で押さえ、彼に向かって微笑んだ。その姿は女神のように美しく、花とすら思える儚さがある。


「……っ!? そ、そうなんだよ。鼻血を流して倒れて女性と、姿の見えない店主の娘がいるんだってさ」


「……そう、なんですか?」


 こてんと、小首を傾げた。細くて長い銀髪がさらりと揺れ、大きな瞳が彼を捉える。


「……んん! (ハオ)っ!」


 爛 梓豪(バク ズーハオ)は両手で顔を隠した。しどろもどろになって全 紫釉(チュアン シユ)から視線を逸らせば、耳の先まで赤染めている。


「えっと……爛清(バクチン)、風邪でもひいたんですか?」


「え!? な、何でもないよ。うん!」


「本当ですか?」 


 彼の手に触れる。


 すると、爛 梓豪(バク ズーハオ)は慌てながら数歩下がった。ぎこちなく笑っている。


「ご、ごめん阿釉(アーユ)、何か俺……ちょっと変かも」


 たどたどしく微笑む様は、いつもの天真爛漫な姿とは似つかわしくなかった。リンゴのように真っ赤になった顔を隠しながら、全 紫釉(チュアン シユ)と目を合わせることをしない。

 かと思えば突然、触られた手を見つめながら火照った顔のまま「……んん!」と、(もだ)えた。


「え? 爛清(バクチン)!?」


 当の本人は、彼の不可解な行動に踊らされてしまう。いったいどうしたのかと、普段の落ち着きをなくした。何度も彼の名を呼び、しまいには大きな瞳でのぞきこむ。

 すると……


阿釉(アーユ)!」


「……え?」


 突然、爛 梓豪(バク ズーハオ)が予想だにしなかった行動に出た。全 紫釉(チュアン シユ)の腕をぐいっと引っぱり、そのまま細い体を抱きしめる。

 

阿釉(アーユ)、俺……すごく、変なんだ! 阿釉(アーユ)を見るだけで、触れるだけで、心臓が早くなる。体が熱くなって、阿釉(アーユ)だけを見ていたいって思っちまう!」


 この気持ちの正体がわからないらしく、たどたどしさを含みながら声を発した。


「……爛清(バクチン)


 ──どうしよう。私も本当は、あなたに触れるだけで、心が温かくなる。あなたの笑顔を見ているだけで、全身が火照ってしまう。


 抱きしめられた彼の男らしい腕に逆らうように、そっと離れた。爛 梓豪(バク ズーハオ)へ、美しく微笑み返す。

 首を左右にふって、高鳴る心臓を隠す。バクバクと、全力疾走したときのような感覚に見舞われた。

 秋風の少しだけ暖かい空気に身を預け、彼へと照れたままに向き合う。


「わ、私は、あなたのそれが何なのか。正直、わかりません」


 未だに鳴りやまない鼓動を押さえようと、体の震えを堪えた。平常心を装い、ふふっと微笑する。そして深呼吸をし、真剣な面持ちになった。


爛清(バクチン)、今やらねばならないことは何か。それを忘れないでください」


 ふたりは、仙人へ昇進するための試験に挑んでいる。その最中に、理由や意味のわからない感情に振り回されたくない。

 全 紫釉(チュアン シユ)は、心の奥に芽生えた不思議な感情に蓋をしていった。


 そしてそれは彼も同じなようで、瞼を閉じては肩をすくませている。ははっと笑い、全 紫釉(チュアン シユ)の両肩を何度か軽くたたいた。


「うん。そう、だな。俺らがやらなきゃならないのは、試験に挑むことだ」


「はい」


 ふたりは頷きあう。そして本来の目的へと戻るように、(やぐら)の頂上から街を眺めた。


 ざあー……

 高くて青い空に、色とりどりの花びらが舞う。


「……それじゃあ阿釉(アーユ)、お互いが見つけたものを話し合おうぜ?」


 全 紫釉(チュアン シユ)よりも頭ひとつぶんほど高い背の彼は、隣で大きく深呼吸をした。人好きのする笑顔を絶やさず、瞳だけを細める。


「俺が聞いた話はこうだ。さんにんの子供たちを女手ひとりで育てていた女性が、ある日突然鼻血を流して倒れてしまった。その後は意識すら戻らず、亡くなったそうだ。ただ、遺体の口の周りには黒い液体みたいなのがついてたって話だ。で、その液体から甘い香りがしたそうだぞ」


 櫓を支える柱に背中を預け、両腕を組んだ。直前までの飄々とした様子はなく、神妙な面持ちになっている。


 全 紫釉(チュアン シユ)は風に遊ばれる銀髪を押さえた。彼に背を向け、別の柱に手を触れる。木製の櫓は真新く、木の香りがした。

 そのことに頬を少しだけ緩ませ、大きな瞳で瞬きする。


「私が集めてきた情報も、似たような感じです。ただ、気になることもあります」


「うん?」


 爛 梓豪(バク ズーハオ)が柱から背を離したとき、全 紫釉(チュアン シユ)が袖から白い布を取り出した。

 彼にそれは何かと尋ねられるが、全 紫釉(チュアン シユ)は無言で布を広げていく。広げた布の上には、ひとつの黄色い小さな粒があった。


「何だ、これ?」


 興味津々に、布へ顔を近づける。瞬間、彼は唐突に鼻を押さえた。


「うっ! 何か、変な匂いがするんだけど!?」


 どうやら爛 梓豪(バク ズーハオ)は、この香りが苦手なよう。顔色を悪くしながら、布から離れてしまった。吐き気とまではいかないものの、それでも好めない香りだと断言する。


 全 紫釉(チュアン シユ)は苦く笑い、粒の表面を軽くつついた。コツッという音がすることから、それなりに硬いのだろう。中身も詰まっているんだろうなと、何度もつついた。


「あ、阿釉(アーユ)、それは?」


「……これは、カカオの実と言います」


「か、カオ?」


 聞いたことがなかった名なのか、彼はいつになく幼い表情で小首を傾げている。

 そんな彼を物珍しく思い、クスッと微笑した。


「異国のお菓子を作るために必要な材料だそうです。チョコレートという、甘いお菓子だそうですよ」


「あ、あまーいお菓子、かぁ……」


 欲望に忠実な彼は、チョコレートの味を想像しているよう。頬を緩ませ、ヨダレを(こぼ)していた。


「……言っておきますが、このままでは食べれませんよ?」


「え!? そうなの!?」


「はい。このカカオは高温の熱帯でしか、生息していません。簡単に言うと、輸入品です」


 その場に正座する。

 爛 梓豪(バク ズーハオ)も習うように、胡座をかいて腰を落ち着かせた。


「詳しい製造方法などは関係ないと思うので、今回は省いていきます」


 懐から小刀を取り出す。カカオを半分に切り、中身の白い実を摘出した。それを彼へと渡し、食べてみてと懇願(こんがん)する。


 カカオの匂いが苦手な爛 梓豪(バク ズーハオ)は鼻を摘みながらも、口を開けて放りこむ。


「…………っ!? ……んん? ……? えっと……何か、つぶつぶした食感だな。果物みたいな甘い感じと変な酸味があって、何とも言えないような……ってか、お菓子って呼べるほど甘くないぞ?」


 胡座をかきながら腕組みをする。うーんと唸り、聞いていた話と違うことを問いかけた。

 

「カカオはこの白い実だけを使います。これを発酵させることによって、甘いチョコレートというものになります。砂糖で調整すれば、もっと甘くもなりますよ?」


「え!? 本当!?」

  

 苦手な匂いだということを忘れ、彼は無邪気に喜んでいる。けれどすぐにハタっと動きをとめた。全 紫釉(チュアン シユ)を見ては、何度めかの腕組みをする。

 

「えっと阿釉(アーユ)、これと女性が鼻血を流して倒れたってやつと、どう関係してくんの?」

 

「……このカカオは、禿(とく)という國では馴染みがありません。知らない人の方が多いぐらいです」


「だろうなぁ。俺も知らなかったし」


 味が癖になったようで、もう少しくれよとねだった。けれど全 紫釉(チュアン シユ)は首を左右にふり、駄目だと強く口にする。


「このカカオは食べ過ぎると鼻血を出して、中毒症状を起こしやすい。最悪……」


「……え?」


 茶化すこともなく、ただ、爛 梓豪(バク ズーハオ)へと真向かった。


「死にいたります──」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ