呑んだくれと会話をしよう
【温風洲】という街の隅に、食堂を営む建物がある。そこは一階が食堂、二階が宿屋となっていた。名前は【伶酒唵】。街の中でも、特に人が集まりやすい食堂となっている。
扉は吹き抜けとして全開になっていて、中が丸見えだった。それでも男たちは飲みにくることを恐れず、昼間から酒片手に飲み続けている。
店の中はいたって普通で、特にこれといった何かがあるわけではなかった。
けれど店主の娘がたいそう美しいと評判らしく、男たちが通っては顔を拝みに来ているという。
「──なあ。俺も、話に混ぜてくれよ」
男たちが店主の娘はどこだと黙視で探している最中、突然、青年──爛 梓豪──が声をかけた。
「……あ? 何だ、兄ちゃんは?」
「まあまあ、そう怒りなさんなって。それより、噂の娘さんについて話を聞きたいんだよ」
気さくな笑顔を浮かべる。
そうすることによって、男たちの警戒心が少しずつ薄れていった。
「兄ちゃん、見かけない顔だな? どこから来た?」
「んん? そう、だなぁ……」
歯切れの悪さを含ませながら、彼は腕を組む。うーんとひとしきり唸った後、思いついたと言わんばかりに手をたたいた。
「ここよりずっと遠い地、かな? なにぶん、どう答えたらいいのか迷う場所でさ」
「へえ? ってことは兄ちゃん、禿の人じゃねーってことかい?」
「うん、まあ……ね。それよりも、さっき言ってた娘さんの話、じっくり教えてくれよ。めちゃくちゃ興味あるんだ」
人好きのする笑顔で、呑んだくれている男の肩に腕を回す。酒を奢るからと、店員に地酒を持ってくるよう頼んだ。
「ん? ああ、その話か。実はな……」
この店には、誰の前にも姿を見せない娘がいる。その娘はとても美しく、外見でいえば女神のようだった。
男たちはそんな娘を一目見ようと、噂がたった瞬間……数ヶ月も前から、毎日のように足繁く通っている。けれど病弱らしく、まだ、一度も顔を見せたことがなかった。
男たちは、彼の自然なまでの会話逸らしに気づいてはいないよう。奢られる酒ほど上手いものはないと喜びながら、意気揚々と女について話していった。
「……ふーん。そうなんだ。じゃあさ、ここで働いてた女性が亡くなった話は知ってるか?」
彼はこれまた自然な動きで、男たちと一緒の席に座る。まるで最初から一緒に飲んでいたかのような錯覚がおきるほど、彼の動きや言動には違和感がなかった。
そんな彼は、店員が持ってきた酒を男たちに注いでいく。にこにこと、人懐っこい笑顔で男たちに質問を繰り返した。
「聞いた話だと、鼻血を流して倒れたんだって? 何で鼻血を出したか、知ってたりするか?」
「……ん? ああ、その話か。俺らも詳しくは知らねーけど、ここの店主が新しい料理をだすために、店員と考えてたって話だ」
陽気に飲んでいた男たちは手をとめる。
それでも彼は端麗な顔を歪めることなく、人好きのする笑顔を浮かべていた。
「……ふーん。じゃあさ、あんたらが見たがってる美女と、店員が死んだってやつは、どっちが先なんだ?」
不思議とよく通る声だ。
男たちは酔いが覚めたらしく、互いに顔を見合せては目を見開いていた。
「店員が死んで美女の話がでたのか。それとも逆か。そのへん、どうなんだ?」
単純な好奇心からくる質問だから、気軽に答えてくれ。邪気のない笑みで問う。
男たちは彼の自然すぎる笑みにつられ、ついつい口が軽くなっていった。
ついぞ見たことすらない女、そして死んだ店員。その妙な繋がり具合に、男たちは酔っていた心を覚ましていった。
「んー……どっちだったかな?」
「あ、俺さ知ってるべ。店員が亡くなってから、美女の噂がたったんだべさ」
他の客たちは何だ何だと野次馬根性丸出しに、彼らへ注目する。
「その店員は、俺らと同じ平民とは思えないぐらいの美女だったらしいべさ。詳しくは知んねーんだけんども、どこぞのお貴族様に見初められてたって話だべ」
男たちは欲望を丸出しにし、目の保養になるなら会っておけばよかったと後悔していた。なかには、まだ見ぬ店主の娘と比較する者まで現れはじめている。
どうやらそれは周囲の客たちにまで伝染しているようで、呑んだくれな者たちの酒の肴になっていった。やがて店内は死んだ美女、そして顔も知らぬ女の話でもちきりとなる。
「……うっわ。ここまで広まるとはなぁ」
言い出しっぺの彼はひいてしまう。けれど責任があるよなと、ひとりで納得しては何度も頷いた。
両手を何度か軽くたたき、注目を自分へと持っていく。
「俺の言葉が発端だから、最後まで責任はとるよ」
軽やかな動きで男たちの注目を集めた。
この場にいた傍観者は、彼の自然すぎる動きに驚いている。彼が最初に話しかけた男たちが、ほうけてしまうほどだ。
「あー、でもさ。その責任ってのは、違う方向でってことになりそうかな?」
苦笑いが混じる。そして両手を顔の前で合わせ「すまん!」とだけ、呟いた。ひきつった笑みを浮かべたまま、そそくさと店の隅へと避難する。
ぽかんとしている男たちに、店の扉を見るように促した。
すると……
逆光の中に、中華鍋や包丁を持った女性たちが立っていた。腕を組んで男たちを睨む者もいれば、額に血管を浮かべる女性もいる。
男たちは彼女らを目にした瞬間、ひえっと短い悲鳴をあげる。ガタガタと体を小刻みに震わせ、手に持っていた酒を瓶ごと落とした。
「か、母ちゃん……」
「お、おま……」
男たちが言い訳めいた言葉を発するよりも早く、女性のひとりが手を挙げる。同時に、扉を陣取っていた女性たちが、一斉に般若の顔へと変わった。
「仕事サボって女に現を抜かす男どもは……」
包丁を持った女が男たちへと刃先を向ける。
「殺す!」
女性たちの息がぴったりと合った瞬間だった。彼女たちは男らへと突撃しては、容赦なくボコボコにしていく。
やがて制裁が終わると、男たちは泣きながら女性たちに引きずられて行った。なかには泡を吹いて気を失っていたり、ひたすら謝るだけの男もいる。
ひと騒動が終わり、爛 梓豪は女性陣がいなくなった扉を眺めた。「こわっ!」と、呟きながら身震いする。
──いや、店の外からたくさんの気配を感じたけどさ。まさか、あんな武器を持って戦闘体制になってるとは思わなかったんだ。
「許せ。情報提供者たちよ。さて、と……」
──酒が残ってるな。このままというのも忍びないし……
「よーし。飲むか!」
追加で注文した酒たちは手付かずのよう。彼は任務中ということを忘れるかのように瓶を持って、一気に流しこんだ。
「ぷっはあー! うめぇー! やっぱり酒は最高……ん?」
ふと、扉の方からどす黒い気配を覚える。何だと思い、扉へと視線をやった。
するとそこには黒い衣の者……全 紫釉が立っている。ただ立つのではなく、彼にしかわからないような絶対零度の笑みを浮かべていた。
「…………ひょ、ひょーー!」
勢いよく、酒瓶を落とす。直前までの楽しそうな様子は消え、顔色を真っ青にしていた。
「ひょーー! ち、調子こいて、すみませんでしたー! 昼間から酒を飲んで、申し訳ありませんでした!」
──やっべぇ。めちゃくちゃ怒ってる。
素早く土下座をする。ガタガタと震え、黒い衣の者を見上げては謝罪を繰り返した。
黒い衣が擦れる音がするたび、彼はひーひー泣く。
「……情けない」
爛 梓豪を見て、全 紫釉はあきれのため息をついた。静かに足音を響かせながら、ゆっくりと彼へと近づく。
「私が、真剣に依頼をこなそうとしているというのに……」
「い、いや。ほんの、出来心なんだ。ほら! 酒ってさ、人を惑わすほどに旨いだろ!?」
「そう思っているのは、あなただけですが?」
ギロッと睨まれてしまう。
爛 梓豪は人に慣れていない仔猫のように怯え、ヘコヘコと頭を下げた。
「……す、スミマセンデジタ」
コロコロと表情を変えては、見苦しい言い訳を述べていった。薄紫色の華服の袖を翻し、額から流れる汗を誤魔化す。
「よ、よし! 休憩は終わり。さあ、仕事に取りかかろうぜ。な?」
全 紫釉の腕を軽く掴む。店にいびりたっていた男たちと話すときよりも楽しそうに、頬を緩めながら店の外へと向かった。
「それじゃあさっそく、謎の解明に乗りだしますか!」
外に出た瞬間、太陽の光を直に受ける。
それでも彼は気にすることなく、爛 梓豪は美しい人を引っぱりながら、町の中へと消えていった。