頑張る爛 梓豪《バク ズーハオ》
爛 梓豪が知り合った子供たちに案内された場所は、街外れにある母屋だった。
周囲は先ほどまでいた賑やかな中心街とは違い、質素なまでの静寂さがある。どうやらここは貧困層地区のようだ。青年のように豪華な華服を着ている者はおらず、誰もが薄茶の服を身にまとっている。
「ここが、おれらの家だよ。ほら、入りなよ」
子供たちは、建てつけの悪い扉を力強く横へ押した。さんにんは家の中へと入り、それぞれが好きなところへと座る。
「……へえ。質素だけど、なかなかに、いい雰囲気がある家だな」
物珍しそうに、玄関口で中を見ていった。失礼な行動だということを咎める者がいないからか、彼は平然とした様子で釜の中身などを物色し始める。
子供たちも爛 梓豪に習って釜の蓋を開けていった。
「おい! 誰だお前!?」
ふと、背後から野太い声が聞こえてくる。振り向いた先には、髪かボサボサの中年男性がいた。
中年太りした体に、フケだらけの髪。お世辞にも、身綺麗とは言いがたい姿の男だ。
「あっ、兄ちゃん! この人は、おれらの友だちなんだ」
「友だち?」
「うん。それでね? 実はこの人……」
「友だちなんか作ってる暇あるなら、働けって言ってんだろうが! お前らは母親が死んで、生きていくためには自分たちで働くしかないんだぞ!?」
男は子供たちの言葉を最後まで聞かず、扉をドンッと強くたたく。振動で、棚の上の物が落ちてしまった。
当然子供たちは怯え、泣きだしてしまう。
けれど男はそれが気にくわないようで、さらに怒りを沸騰させてしまっていた。泣きながら身を寄せあう子供たちに向かって、手をふり降ろした直後──
「おい。子供相手に何、やってんの? それに、子供に労働を強いるのはおかしいよ? ってかさ、お前は他人だろ? 関係ないんじゃねーの?」
爛 梓豪は男の腕を掴む。
優しく、明るい笑顔を絶やすことなく、男の足を蹴って転倒させた。男は見事なまでに顔面から床へと倒れこむ。
その隙を見計らい、彼は男の上に腰かけた。
──うーん。面倒ごと……他人の家族のいざこざに首を突っこむと、怒られるんだよなぁ。でも……
見て見ぬふりはできなかった。
多少怒られたとしても、それも覚悟のうえ。そう割り切り、男を見下ろした。
「……子供たちを心配してるのか? それとも、この子たちを働かせて、自分の利益にしようとでも思ってんの?」
人好きのする笑みを崩さず、強気に伝えた。みすぼらしい姿の男を椅子代わりに敷く爛 梓豪は、深くため息をつく。
──どちらにせよ、この男が何者か。それを突きとめないとなぁ。じゃないと、阿釉に怒られるだろうし。うう……
げんなりとした。それでも腰をあげることはせず、退けよと催促している男を敷き続ける。
「……あのなぁ。子供に手をあげようとする大人を見て、放っておけると思うか? ってかさ……」
笑顔が消えた。両手で自身の腕を包み、ガタガタと震えだす。
「お前のせいで阿釉に怒られたらどうする!? 依頼に関係ないことに首を突っこむなって言われそうなんだぞ!?」
涙目で男を睨んだ。ぶるっと体を身震いさせ、さぁーと顔を青くする。そして理不尽なまでの怒りを男へとぶつけていった。
「阿釉みたいな奴は、きっと、怒ると怖い! すっげえきれいで、抱き心地よさそうなのに、怒るとひたすら怖いと思う! そんなやつに、逆らえると思うか!?」
「……は?」
どうやら、戸惑っているのは男だけではない。彼を家へと連れてきた子供たちすらも、困惑していた。
「いいか!? あいつは、とってもきれいで可愛いんだ。ときどき小動物みたいな顔するし、儚げで美人で……とにかく、可愛いんだ!」
「いや、そんなの知らねーし! ってか、後半は完全に惚気じゃないか!」
男が素早く言い返す。助けを求めるように子供たちへ視線を送った。けれど子供たちも無理なようで、首を左右にふっている。
そんな微妙な空気が流れるなか、彼は軽く手をたたいた。
「あ、そうだった。俺の名前、言うの忘れてたな。俺は爛 梓豪って言うんだ。よろしくな?」
「え? あ、は、はい……」
子供たちはおろか、男ですら、彼の感情の落差に驚く。
爛 梓豪は彼らの動揺など知らぬふり。椅子として腰かけていた男から降りて、手を伸ばした。「すまなかったな」と、軽く謝罪する。
男と子供たちがほうけているのを他所に、彼は床へと座った。胡座をかき、右の手のひらの上に顎を乗せる。
ニカッと、白い歯を見せながら微笑んだ。
「俺は、争いごとは嫌いなんだ。穏便に、お話しようぜ? な?」
彼の態度や言葉によって、男たちは毒気を抜かれていく。
大人が子供へ傍若無人な振る舞いをしていた重苦しい空気は、いつの間にか消えていた。
──うんうん。あの重かった雰囲気がなくなったな。これでこの男と、ちゃんと話をできるだろう。
それは、爛 梓豪の策略のひとつにすぎない。平行線なままの会話は、いつまでたっても一辺倒。それでは話にすらならなかった。
そうなってしまっては、依頼を解決すことが困難となろう。
──そうなったら昇進どころじゃねぇ。まあ……自己紹介で場の空気が変わるってんなら、安いもんだ。
実のところは、惚気で空気が変わり始めていた。そのことに気づく様子もないまま、彼は男と向かい合う。
「話を戻すぞ。俺がここに来た理由はひとつ。こいつらの母親の死の真相を解く。それだけだ」
薄紫色の華服を少しだけ整え、背筋を伸ばした。
その佇まいは先ほどまで呑気な素振りを見せていた姿とは、まったく異なる。
姿勢からは品のよさが。端麗な顔立ちからは、有無を言わせないような気迫が生まれていた。
男はぐっと言葉を飲む。膝の上で両拳を作り、唇を噛みしめた。そして彼をキッと睨みつける。
「あ、あんたは他人だろ!? この子らのことだって、関係ないはずだ!」
「え? あー……うーん。どう、説明したもんかなぁ」
仙人へ昇進するために舞い降りた依頼。それが、子供たちの母親の死の真相を解明することとなっていた。
爛 梓豪は苦笑いしながら、しどろもどろに伝える。
「……依頼? じゃあ、あんたは仙人様なのか?」
「いや……まだ道師だ。仙人になるために、この依頼を達成しなきゃならねーんだよ」
「半人前かよ」
「うっせぇ。今は半人前でもいつかはふたつ名を貰って、お師匠様を見返してやるんだ!」
「……いや、あんた。思惑は隠せよ」
「…………はっ!」
ついつい、口が滑ってしまった。慌てて両手で自らの口を塞ぎ、目を泳がせる。
「き、聞かなかったことにしてくれ……」
──お師匠様にバレたら、俺死ぬ。確実に殺される。いや、それ以前に阿釉がお師匠様の孫なんだ。阿釉の耳に入れば、お師匠様へと伝わってしまう……
余計なことを口走った自身を殴りたい衝動に駆られていった。そして彼は……
「今、言ったことは秘密にしてくれ! いや、してください!」
情けないまでに土下座をする。
男も、子供たちですらドン引きしているというのに、それすらも気づかなかった。
「ほんと、お願いします!」
「あんた……男としての自尊心はないのか?」
男のため息が、彼の頭上から聞こえる。
爛 梓豪はそっと顔をあげ、曇りなき眼で男を見つめた。
「いや、別にどうこうしようとか思ってねーよ」
男は笑いを堪えながら、そっぽを向く。
「……それよりも、あんたは依頼を解決してくれるんだろ? 俺は、この子たちとは血が繋がってねーけど、母親の方には世話になったんだ。納得いく答えを出してくれ」
「……あの子らを、引き取るのか?」
──どのみち、子供だけじゃ何もでしねーしな。こいつは大人だし、子供たちのことを気にかけてくれてる感じもする。
出された茶器には茶ではなく、白湯が入っていた。それをガバッと飲み干す。
家の扉を見ては、阿釉の姿がないかを確認した。今か今かと待ちわびるように、少しだけそわそわする。
「……一応言っておくけど、俺は頭よくないから、聞いたところで解決すらできねー。後で、連れと合流することになってる。そいつは俺と違って頭がいいと思うからさ。詳しい話は、そいつにしてやってくれ」
「…………」
男は一瞬だけ目を丸くした。子供たちと顔を見合せ、彼の言葉を信じるかのように頷く。
爛 梓豪は彼らの了承を胸に、現場となった食堂へと向かうのだった。