書物と複製品
銀妃に教えてもらった情報を頼りに、爛 梓豪は師匠の元へと訪れていた。
そこは部屋ではなく、薄暗い洞窟だ。奥には不思議な扉があり、禍々しい空気が洩れているよう。壁には鎖や拷問器具などがあり、とても休めるような場所ではなかった。
それでも、瀕死の状態の全 紫釉を匿うには最適の場所のよう。奥にある扉の前には棺があり、そこで眠っていた。頬に触れれば冷たく、虫の息になっている。
爛 梓豪は一度、眠る美しい人の額に唇を落とした。そして扉から洩れる闇の気配に身震いする体を隠し、目の前にいる師匠へと向き直る。
そんな場所の名は妓山。奥にある扉より来るのは冥王、そして先にあるのは冥界だった──
「──何? 書庫を見たいだと?」
驚く爛 春犂をよそに、彼はただ、閲覧したいとだけ伝える。丁寧に拱手し、深々と頭を下げた。
爛 春犂は糸目を少し開き、ある真実を口にする。
「……お前は知らないようだから、言っておこう。仙人は確かに禁書を見れる。しかしそれは一度だけ。二つ名を持たぬ仙人は、その一度だけしか許されない。二つ名を持つならば、いくらでも閲覧可能ではあるがな」
「……え? そんな決まりがあるんですか!?」
──仙人になれば無限に読むことができる。……わけじゃないのか。二つ名を得た者だけが、何度も閲覧できる。そんな決まりがあったなんて。
両手を強く握りしめる。端麗な顔に汗が溢れた。
──一度だけ……でも。そう、だ。俺は決めたんだ。
脳裏に、愛しい美しい人の笑顔が浮かぶ。
全 紫釉の長く細やかな髪も、白くて優しい肌も、男性なのに女の子のように大きな瞳すらも、すべてが愛おしい。
儚い見た目に反して大食いだった。猫や蝙蝠といったかわいい動物が大好きで、子供にも優しい。
ときどき、子供っぽく頬を膨らませては怒っていた。
それらの何もかもが爛 梓豪へと向けられた、全 紫釉のすべて。
決して忘れることも、離れることなどあり得ないとすら思えるような愛しい人。それが、爛 梓豪が愛した、たったひとりの人だった。
「……阿釉を失うぐらいなら、生きている意味がありません。だから俺は……」
たった一度きりの機会。それを放棄してでも、大切な人のために動く。
今の爛 梓豪は、自分よりも全 紫釉のことだけしか頭になかった。
「自分よりも、阿釉を選びます。それが、俺にできる最大のことですから」
揺るがない決意を瞳に浮かべる。
爛 春犂は驚いたように両目を見開いた。踵を返し、ふうーとため息をつく。
「……そうか。決意は、固いようだな。いいだろう。禁書のある場所へ案内しよう」
「……っ! 感謝いたします!」
頭を下げ、拱手する。そして眠り続ける全 紫釉の額に、軽く唇を落とした。
「少しの間だけ、待っててくれ。絶対に、阿釉を死なせたりしないから」
──どんなことがあろうと、俺は阿釉も守るって決めたんだ。ずっと一緒だって、誓ったから。
全 紫釉から離れ、爛 春犂とともに洞窟を後にした。
□ □ □ ■ ■ ■
崑崙山から北に位置する場所に、多くの細長い山々が存在している。林立する奇岩群は、大きなものだと二百米を越えていた。
岩下には渓流があり、森林が広がっている。時間や季節によっては濃霧も発生し、ある種の観光スポットにもなっていた。
この場所の名は武陵源。仙人たちが住む建物があるとされている場所だ。
その武陵源の中心付近にある山の頂上に、一軒家がある。
爛 梓豪はその一軒家の中へと入っていった。
中はびっしりと、書物で埋め尽くされている。
「馬鹿弟子よ。この中から探しなさい。孫の命がかかっているゆえ、私と手分けして探そう」
「はい」
爛 梓豪は軽く拱手し、入り口付近から目を通していった。
「これは……ぎっくり腰を治す方法? こんなものまであるのか」
医学的な分野の本もあり、彼は少しばかり頭痛を覚えてしまう。それでも大切な人のためにと、読書に対する苦手意識を捨てて探索に取り組んだ。
「……違う。これも違う」
書物は数あれど、目的のものが見当たらない。そのことに苛立ちすら覚え始めていった。
それでも大切な人の命を救うためだと、自分に言い聞かせる。
「銀妃は言ってた。昔、この國に複製品の方法が送られたって。でも何でだ? ……何で、それが伝わってないんだ?」
送られたという事実すらも、國の記憶から消し去られていた。
──考えろ俺。こんなとき、阿釉ならどうしてた? ……そうだ。無差別に見るんじゃなく、要点を絞り出していくんだ。
全 紫釉が求めていたものは、術の中でもかなり特殊なのだろう。さらにそれは、医療に近い何かではないだろうか。
そして銀妃の言葉通りならば、誰にもわからないような場所か、必要とされない資料として扱われているかのどちらかなのだろうか。
そこまで考えて、ある結論にたどり着いた。
──そうなると、だ。一般的な医者が知る術じゃない可能性がある。ここにあるのはぎっくり腰とか、そういった一般的な病気の治療法だ。
求めているものはここではない。そう、結論づける。次に考えたのが、他國に関係する事柄だった。それがある場所を探していく。
「……ここ、か」
棚には『他國からの献上品』と記されていた。
彼は淡い期待をしながら書物を漁っていく。やがて……
「ん? これって……」
天井に近い場所に、ある書物を発見した。表紙には【陰を知るもの、陽を守る】と、書かれている。
台を使って登り、それを手にした。中身をパラパラと捲っていく。
「……そう言えば、阿釉が前に言ってたな。陰陽が体の中でせめぎあってるって」
──もしかして……造られた存在から産まれたから、そんなことになっているのか? ……駄目だ。資料が足らなさすぎて、さっぱりだ。
ため息をつく。念のためその本を手にし、銀妃が言っていた書物を探した。
次に向かったのは異國の書物が並ぶ棚である。そこには、見たことのない文字で書かれた本ばかりがあった。
「……うげっ。よ、読めない。困ったなぁ」
これなら銀妃にコピーという文字を教わっておけばよかったと後悔する。肩を落とし、本棚にもたれかけた。
はあーと、深いため息しか出てこない。それでも諦めらるという選択肢はなかったので、気を取り直して探索を再開させた。
そのとき、ふと、一冊の本が目にとまる。外国の言葉で書かれた背表紙に、禿の文字で補給されている本だ。
そのに本は【コピー】と、書かれている。
「……あった! これだ!」
中身は、小難しい内容で埋めつくされていた。それでも当たりをつけ、ともに書物を探してる爛 春犂へと駆けよっていく。
見つけた書物を爛 春犂へと見せた。その書物は表紙に【コピー】とある。
これならば、全 紫釉を助ける手立てがある。爛 梓豪は、ひとつの望みをかけていた。
「お師匠様、どうですか?」
──これで駄目なら、別のを探すまでだ。でも、多分そんなに猶予はないはず。
焦る気持ちが感情に出てしまう。歯軋りをし、唇を強く噛みしめてしまった。
「……馬鹿弟子よ。そんなに焦るでない」
「ひょっ……」
ポスッと、優しいまでの拳が頭に振り落とされる。突然のことにビックリはしたけれど、彼は爛 春犂を睨むだけにとどめた。
やがて爛 春犂が本を閉じる。そして──




