仙人会合
禿には、ふたつの大きな仙族が存在していた。
ひとつは黒族で、獅夕趙と呼ばれる二つ名を有している黒 虎明を筆頭とする族だ。彼らは力こそすべてという考えを持ち、つねに熱い心を胸に秘めている。
もうひとつは黄族という一族だ。彼らは黒族とは違い、力で解決することをよしとしない。代わりに、金で決着をつけていた。
そんな二族は、つねにいがみ合っている。けれど先の事件のこともあり、各々の族を纏める総主が話し合うことになった──
國の北がわは、黄族の領域となっている。そこには一際大きくて、豪華な建物があった。
先の見えない階段を登ると、その建物がある。金箔を屋根や壁に貼りつけ、白い柱の建物だ。美しい青い龍の飾りが屋根の上に備えつけられていて、全体的に豪華絢爛な造りとなっている。
その建物の出入り口には【黄龍江儀】という名が記されていた。
そんな建物では、黄色い漢服や華服に身を包む者たちが慌ただしくしている。男女問わず、机を用意しては整えていた。
「──急げ! 会合はもうすぐ始まるんだ。俺たち人間がわはともかく、冥王をもてなさなきゃならねーんだ。気合いを入れて準備しろ!」
「はい!」
建物の出入り口からすぐ目の前に大広間があり、中央付近では一人の青年が立っている。彼の名は黄 沐阳。黒族と対をなす黄族の長を勤めていた。
黒髪を頭の上でお団子にし、布で纏めている。目鼻立ちは目立つほどではなく、いたって平凡な容姿をしていた。けれどテキパキと指示を出す姿は、しっかり者としての風格がある。
「はりきっておるようだな。黄 沐阳殿」
そんな彼に声をかけてきたのは糸目の男──爛 春犂──だった。男は彼に近づき、何か手伝うことはないかと尋ねる。
「……いや。ありがたいけど、ここは俺の仙家だ。俺が、しっかりとこなしてみせるさ!」
二代仙家のうち、黄を取り仕切る者としての勤めだと言った。爛 春犂を足蹴にしているわけではないようだが、邪魔だと目線で訴えている。
目敏い男はそれに気づき、軽く頷いた。
「……ならば私は、客人として持てなされようか」
踵を返し、糸目をすっと開けた。
「おう。そうしてくれ。ここで手伝ってもらっちまったら、仙家の名折れだ」
「ははは。それもそうか。……おっと。それよりも、黒 虎明殿から、一通りの話は聞いた。そなたも、聞いたのであろう?」
「……ああ」
黄 沐阳は直前までの勢いを消し、ため息混じりに天井を見上げる。
「……あいつの……華蘭の出生だったりが聞けた。思ってた以上に複雑で……きっと、すごく苦しかったんだろうなって思う」
拳に力をこめ、壁をたたきつけた。
周囲にいる黄族の門下生たちの手がとまり、一斉に注目を浴びる。それでも彼は感情を隠すことをやめなかった。
「過去がまったくわからなくて、身寄りもなくて……それでも俺は、あいつを義弟として出迎えた。過去なんか打ち消すぐらいに、楽しく過ごせばいいって……そう、思ってた」
何度も壁に拳をたたきつける。しまいには額すらもたたきつけ、悔しそうに瞳を細めた。
「でも、そうじゃなかった! そんな軽い過去じゃなかった! あいつが背負ってたのは生き残るための術。それから、永遠に逃げ続けなければならない恐怖だったんだ!」
黄族で家族として迎え入れたとしても、安心はできなかったのかもしれない。いつ追手が現れ、廃棄処分されるのか……毎日、その恐怖に怯えながら過ごしていたのかもしれなかった。
けれど……
「だからこそ冥王に見初められて、心から安心できる場所を得られたんだろうな。冥王は、俺ら人間とは比べ物にならねーぐらい強い。俺たちの中で最強格と言われている獅夕趙ですら、片手で捻りつぶせるような男だ」
これほどの安全な場所など、他にはなかった。
悔しそうに、そう話す。
「……確かに全 思風殿ならば、安心して託せるな」
糸目のまま、苦笑いをした。
これには黄 沐阳も異論はないようで、黙って頷いている。
「……って、そういやぁ、阿釉たちはどこにいるんだ?」
主役ではないけれど、数々の事件の目撃者として呼んでいた。けれどその二人の姿はなく、サボりかと首を捻る。
すると爛 春犂は首を左右にふり、建物の外を眺めた。
「……あの二人は、今回かなり頑張ったようだからな。休んでもらっている」
「そっか」
二人はこれ以上の会話をやめ、それぞれの持ち場へと戻っていった──
□ □ □ ■ ■ ■
猫の形に施した漏窓から、椿の花びらが侵入してくる。花びらはヒラヒラと舞いながら、部屋の奥にある牀へと落ちていった。
その牀の上には長い銀髪が広がり、床まで伸びている。そこでは、すやすやと眠る精巧な人形のように美しい、全 紫釉が眠っていた。
お腹を出して眠りこける仔猫と蝙蝠を包むよう、牀の上で丸くなっている。
「…………ふみゅう?」
パチッと、長いまつ毛を震わせた。そして働かない脳のまま、ゆっくりと上半身だけを起こす。
「……ふみゅう? ここ、どこ?」
ボーと目を擦りながら、あくびをかいた。ぐらぐらと頭を揺らし、仔猫のお腹を軽く撫でた。
──あれ? ここ、どこだろう? 確か青秀山で朱雀と話して……それから……?
大事な何かを忘れてしまっている。そう感じるほどに、ぽっかりと記憶に穴が空いていた。
「……朱雀、どこ行ったんだろう? それに、外叔父上もいない」
──えっと。確か銀妃と出会って…………っ!?
瞬間、抜けていた記憶が一気に甦る。
銀妃が何かを企んでいること。そして、実母の秘密など。たくさんの、胸を痛める事実ばかりだった。
それでも心を保っていられるのは、大切な彼が受け入れてくれたから。それを思うだけで、全 紫釉は胸が高鳴っていくのを感じた。
「……あ、爛清」
ふと、牀のそばを見る。そこには牀を背凭れにして床で眠る、爛 梓豪の姿があった。
頰など、服から出ている部分は傷だらけのよう。なかには布でぐるぐる巻きにしていたり、簡易的な治療痕があった。
そんな彼はぐーすかと、気持ちよさそうに寝ている。
「爛清……ふふ。かわいい」
少しだけパサついている彼の黒髪を弄った。指にくるくると絡みつけ、三つ編みにしていく。けれどあまり器用ではないため、かなりぐちゃぐちゃだった。それでも満足しながら笑みを浮かべ……
彼の頰に、軽く口づけをする。
「……は、恥ずかしいーー!」
自分でやったことだというのに、全 紫釉は顔を真っ赤にしてしまった。恥じらう乙女のように美しく、儚げに耳の先まで赤く染める。
──普段、爛清からしてくれていることをやっただけ。そう! だから、別に悪くはなくて……
胸の内で悶々とした。そのとき……
「…………あー……阿釉、満足したか?」
「ひょーー!」
爛 梓豪の普段の口癖が移ったよう。全 紫釉は動揺しながら、素早く仔猫で顔を隠す。
きょとんとしている牡丹は尻尾をふりふりとさせながら、彼の顔をベロンっと舐めた。
「うおっ!? 猫の舌って、すっげぇざらざらしてるんだな? ってか阿釉……」
猫で顔を隠しても無意味だろと、牡丹を奪い取る。遊んでと急かす仔猫の頭を撫で、床へと降ろした。代わりに全 紫釉の腕を引っぱる。
「わっ!?」
突然引っぱられた全 紫釉は彼の厚い胸板へと顔を埋めた。
ドキドキと、鼓動が高鳴る。必死に取り繕う笑みをしても、彼の顔を見た瞬間にカッと熱くなってしまった。
──ば、爛清の心臓の音が聞こえる。……私と同じように、すごく早い。
意識してくれているのだと思うだけで、全身が火照っていった。
「阿釉は、本当にかわいいなぁ」
「か、かわいいとか……」
ぎゅうっと、強く抱きしめられる。
全 紫釉は彼の意図がわからず戸惑った。どうすればいいのかと悩んでいると、頭上から笑いを堪えるような声が聞こえる。
「……ぷっ、くくっ……」
「……っ!?」
からかわれたのだと知った。
彼は全身を震わせながら、笑うための涙を押さえている。
「……っ!?」
声にならない感情が全 紫釉を襲った。怒り狂うように顔を真っ赤にさせ、大きな瞳に涙を溜める。
そして……
爛 梓豪の「ひょーーー!」という断末魔が轟いたのだった。