國の終わり
ガヤガヤ……
天井から提灯がぶら下がり、桃色の垂れ幕が揺れる。朱色に塗られた柱や壁、床には高級感のある朱い絨毯か敷かれていた。
そんな豪華絢爛な部屋の中心で、桃色の華服を着た妓女たちが踊っている。優雅に舞う姿は、周囲の者たちの注目を浴びていた。
とはいえ、この場にいるすべての人たちが彼女らを見ているわけではない。
黒い漢服を規則正しく着ている宦官、槍や剣を持って立つ革鎧の兵たち。彼らは宴に参加できるほどの地位にはいなかった。
眠そうに欠伸をかいては、暇をもて余している。それでも彼らは、この場から離れることを許されなかった。
そんな彼らのそばには、華服を着た者がいる。
酒を飲みながら終始楽しそうにしていた。近くに妓女を呼びつけては、お尻に手を伸ばす。それこそ助平だった。
「いやぁ、妓女たちは美女ばかりですなぁ」
「そうでしょう、そうでしょう。何せ、あの有名な【梅名楼閣】の妓女たちですからなぁ」
男たちは酒を片手に、ゲラゲラ笑う。美女たちに酌をさせながら「この女は好みじゃない」「こっちの女は色っぽい」などと、選り好みをしていた。
しかしそれを咎める者は誰もいない。他の男たちも一緒になって、女性を舐め回すように見ていた。
「──美女と言えば……異国の銀妃の話は知っているか?」
「何だ、それは?」
話をふった男は、にやりとほくそ笑む。周囲に男たちを集め、語り始めた。
「主上の元に、異国の妃が送られたそうだ。その妃は銀色の髪をしていて、とても儚げな姿らしい。しかも、絶世の美女ときてる!」
酒瓶をドンッと置く。
「古来にこの國を滅ぼしたとされる妲己。噂では、その女に勝るとも劣らない美女だそうだ」
「何ぃ!? そ、そんなに美女なのか!? ええい! ならなぜ、ここに顔を出さない!?」
見たい。目に焼きつけておきたい。
男たちは欲望を隠すことなく、顔も知らない異国の美女へ想いを馳せていった。
すると言い出しっぺの男は酒瓶を手に取り、杯へと酒を注いでいく。一気に飲みほし、先ほどよりも強い力で酒瓶を置いた。
額に汗をかき、男衆たちに耳打ちをする。
「やめておけ! その銀妃は、主上のお気に入りだそうだ。手を出そうものなら、首が飛ぶだけじゃすまないぞ!?」
最悪、命すらなくなる。そう、脅すように囁いた。
男たちは身震いしながら、酒の席の余興へと戻っていく。
「……なあなあ。さっき言ってた銀妃は、主上への貢ぎ物なのか?」
「そこまでは知らん。ただ……」
大きな部屋の上座にいる男を見つめた。
男は豪華な椅子に座っている。
けれど帽子を被り、顔を隠してしまっていた。龍袍と呼ばれる龍の刺繍がされている外衣を着ていて、この場にいる誰よりも豪華な服のよう。
両隣には、黄色の華服を着た美女たちを侍らせていた。彼女たちは主上と呼ばれる男へ酒を注いでは、つまみの品を献上していく。
しかし……
男は突然、左側にいる女に何かを耳打ちした。女は困惑しながらも拱手し、男から離れていく。
そして銀妃について話していた男たちの前に立ち、近くにいる兵を呼びつけた。
酒瓶を片手に談話していた男たちは何事かと首を傾げる。
女中は震えながら、男たちへ頭を下げた。
「──へ、陛下からの伝言です」
その声は、泣いているようにも聞こえる。
「銀妃へ、よからぬ気持ちを抱いた者へ罰を与えよ、と」
女中は泣きながら声をだし、伝えた瞬間に走って部屋から出て行ってしまった。
言われた男たちは驚愕し、持っていた酒瓶を落としてしまう。恐怖に身を置きながら、武器を向けてくる兵たちに「ち、近寄るな!」と、泣き喚いた。
けれど兵たちは皇帝の命だからと、無表情で男たちに武器の先を伸ばす。男たちを拘束して、部屋の外へと追い出そうとした。
「し、主上! お許しをーー!」
「お、俺は悪くない! この男が話をふって……」
「わ、私のせいにするな! 主上、どうか……どうか、命だけは……」
兵たちに連れられて部屋の外へと追い出され、扉を閉められる。すると……
「ぎゃぁあーー!」
扉の外から断末魔が轟いた。
男たちの悲痛な声に、場は凍りつく。皇帝の側にいる女中も、踊っていた妓女たちも。ほかの宦官たちでさえも、真っ青になっていった。
しばらくすると扉が開かれる。先ほど男たちを外に追い出した兵たちが戻ってきたようだ。
けれど手に持つ武器の先には、赤茶の液体がついている。ポタリ、ポタリ……と、まだ乾いていない液体だ。血生臭ささえあり、妓女たちは悲鳴をあげてしまう。
「…………」
誰も、兵ですら語らない時間が流れた。
瞬間、上座にいる皇帝が腰をあげる。片手を前にだし、淡々と息を吐いた。
「銀妃は陳のものだ。邪な気持ちを持つ者は、皆、こうなる。覚えておくがよい」
低い声が静まり返った部屋の中を走る。
「……は、はい!」
女も、男も関係ない。皇帝以外の者が、ひれ伏した瞬間だった。逆らったら殺される。無意味に死を味わう。
それがどれだけ民たちの抑止力になろうとも、上座にいる男は特に気にしてもいなかった。
「……」
民たちの忠誠心を確認した後、踵を返す。部屋の奥から出ていこうとした──
そのときだった。
扉が開き、ひとりの美しい女性が姿を現す。
口を布で隠してはいるが、絶世の美女とわかるほどの端麗な顔立ちをしていた。けれど扉を開けても、中へ入る気配がない。
上座にいた男は女中や宦官たちを押しのけ、美女の元へとやってきた。部屋の外で待機している美女に、中へ入るよう促す。
「……あきれた」
「…………?」
美女が発した第一声は、駆けよる皇帝にすら届かないよう。皇帝は首を傾げていた。
美女は構わないと言わんばかりに、左手を挙げる。そしてパチンっと、指を鳴らした──
それは瞬きをする一瞬の出来ごと。一秒にも満たない瞬きの後、皇帝は泡を吹いて倒れていた。岸にあげられた魚のようにビチビチと、痙攣をしている。
その場にいる誰もが、何が起きたのかわからなかった。兵が皇帝の元へ駆けつける暇もないまま……
この日、禿という國の皇帝が崩御した──
† † † †
宥損四百八十年、禿という國を守る王が崩御した。
この知らせを受けた民たちは驚く。けれど哀しんではいなかった。
「主上が亡くなられたというのに、民は人の心がないのか!?」
何と薄情な民たちだろうか。主上である皇帝の側近が民たちを叱りつけた。
けれど民たちの心には、怒号すら響かぬよう。
喜んでいるわけではないが、何の感情も涌かない様子だった。なかには「自業自得だ」と、罵声を浴びせる民もいる。
それもそのはず。崩御した皇帝は、國のために何もしてこなかったからだ。國の経済が傾いたときも、民衆同士で争いを始めたときも、妖怪に襲撃されて傷を負ったときですら、皇帝は何もしなかったのだ。
我関せず。民よりも自分優先。そんな皇帝だった。
そのような皇帝に、民がついていくはずもなく……
原因となっている皇帝が死しても、それは変わらない。反乱分子が増し、内戦にまで勃発してしまった。
結果、國は荒れ、崩壊へと進んでいった──