第百九十五話 命より大切なもの
第百九十五話。ラルクの選択は……
『…………俺を殺せ、ラルク』
少しの静寂の後、俺はラルクにそう言い放つ……当の本人は面食らったような顔をしている。まあ当然か、急に殺してくれなんて言われたら俺も同じ反応するからな。
「何言ってるんだよ、お前……」
『俺を殺して俺のスキルの部分だけ『武芸百般』を破壊すること、それが今の俺たちに出来る最善だ。魔王を倒したいんだろ』
「そんなこと出来るわけ……それに出来たとしても、そんなことしたらお前はどうなるんだよ!」
『まあ死ぬ……いや、この世界から完全に消滅するな。文字通り、完全な死さ。輪廻もしないし、救いもない。ただの無になるってところだな』
残念ながら俺は気休めを言ってやるつもりはない。ここで真実を言わないことも出来るが……ここまで一緒に来たんだ、はっきり言わないのは不誠実ってやつだろう。
「なあ、嘘だよな? 俺、お前を殺すなんて……出来ねえよ」
今更、何を狼狽えてるんだか。とっくに俺との記憶なんて残ってないくせに……
『出来るとか、出来ないとかじゃねえ。やるしかないんだ』
「やるしかない、って……お前はそれで良いのかよ!」
語気を強め、俺のことをラルクが問い詰める。本当に、どうしてこういうところは頑固なんだか……だがな、ラルク。俺もお前と同じくらい……それこそ、命懸けられるくらいの頑固者なんだぞ?
『……良いんだよ、俺は』
「何がだよ! だって……」
俺はもういいんだ。もう……覚悟は決まってる。ずっと前から……それこそ、お前が生まれる前からな。
『俺が死んでも、ホープが救われるなら……それで良いんだ』
「……は?」
お前と同じだよ、ラルク。好きなやつの為なら、命なんていくらでも投げ出してやる。そのために俺はここにいるんだ。たとえそれが、俺の自己満足だとしても……
『俺は、あいつが幸せになってくれるならそれで良いんだよ』
「そんなの……おかしいだろ。どうしてそこまで……」
……まったく。お前ならもう分かってるだろうが。
『……なあ、ラルク。この世界にはな、自分の命よりも大切なものがあるんだ』
「……?」
『もしかしたらそれは兄弟や姉妹かもしれないし、子供かもしれない』
俺の両親は俺を守るために死んだ。もう20年以上前の記憶だが、今でも2人のことは鮮明に覚えている。あの2人にとって俺は、『命よりも大切なもの』だったんだろう。
グレアの弟が決死で戦ったのも、ライアが魔王の攻撃を肩代わりしたのも同じだ。『命より大切なもの』を守るために、あいつらは命を賭けたんだ。
『同じだよ、ラルク。お前にとってのそれは、フィリアなんだろ?』
ラルクにとってのそれは幼馴染のフィリアなんだろう。スライムに襲われた時も、ファフニールを下した時も、フォーミュラと戦った時も……そして、今も。お前も同じで、命を賭けてそれを守ろうとしてるんだ。
「……っ!? 何だ、この感覚?」
たとえ記憶がなくなっても、感情が消えていっても、その気持ちは忘れやしない。忘れられないんだよ。それだけ強い気持ちで思う人がいるから、命を賭けて戦える。
『そして俺は……ホープのことが、命よりも大切なんだ』
無論エフィーさんも、両親も俺にとってかけがえのない人だが……それ以上に、俺はホープの事が大切だ。自分の実の親よりも、育ての親よりも、たった1人の女が大切だと思うことことが、身勝手な考えなのは分かっている。それでも……
『理屈とか、理由とかじゃない。ここがそう言ってるんだ』
俺はきょとんとしているラルクの胸を軽く叩く。お前なら……分かってくれるだろ?
『お前にこんなことを頼むのは酷だって分かってる。だが……頼む、ラルク。俺のためにも、ホープのためにも……この世界を救ってくれ』
カッコ悪いな、俺……結局は何も出来なかった。もう、頭を下げてラルクに頼むしか……今の俺に出来るのは、その程度のことしかない。
「…………なあ、最後に一つだけ聞かせてくれ」
『なんだ?』
「アンタは、幸せだったか?」
きっとこの質問が、ラルクの答えなんだろう。やっぱりお前、優しすぎるよ……俺とは大違いだ。
「『命よりも大切なもの』……俺にもきっと、あったはずなんだ。今だって、そのために戦ってる。でも、それが何だか思い出せない」
『……まあ、仕方ねえよ』
「だから俺に、アンタの気持ちは分からない。でも……不思議だよな。記憶にもないのに、そいつのために戦えることが……まだ、何か出来ることが嬉しいんだ。そいつのためなら、何でも出来るって思えるんだよ」
今まで見たことがないほど真っ直ぐに俺を見つめて、ラルクがそう言い切る。その全く迷いのない目からは……狂気にも、執念にも近い何かさえ感じ取れる。ああ、やっぱり……
『そうか……そうだよな、お前は!!』
「……何笑ってんだ」
やっぱりおかしいよ、お前。ただの幼馴染のことをそこまで思えるなんて……俺と同じで、イカれてる。
お前はずっとそうだった。どれだけ打ちのめされても、どれだけ無謀なことでも、幼馴染を守るためにって理由だけで成し遂げてきた。記憶が無くなっても、お前はやっぱりお前のままだったよ。
『いや、そこは変わらねえんだな……って思っただけだ。俺もお前もな』
「本当に何言ってんだよ……さっさと質問に答えろ、時間がねえんだろ」
『そうだったな、悪い』
俺が幸せだったかどうか、なあ……客観的に見ればそんな幸せな人生ってわけでもないだろう。言うなれば運命に翻弄された悲劇の勇者、ってところか? でも……
『俺は、最高に幸せだった』
辛いこともあった。苦しいこともあった。それでもそれ以上に、人に恵まれた。3人の親と、1人の恋人……その存在があったからこそ、俺は今ここにいる。ここで自分の役目を果たすことができる。彼らに、報いることが出来る。
『だから後悔も何もねえよ。一思いに頼むぞ、ラルク』
「……そうか、分かったよ」
『やり方は……』
「どうすればいいか何となくだが分かる……ありがとな、今までずっと」
最後の最後にそういうこと言うの、やめろよな……
『俺からも、ありがとな。そして……頼むぞ』
「言われなくても」
……なあラルク。今のお前、最高に頼もしいよ。あんなヘタれた子供が、よくこんなになったもんだ。これで俺も、安心して逝けるな。ラルクは一つ大きな深呼吸をすると、俺の体に手をかざす。
女神様に言われた通りに『スキルバースト』をある程度使って魂とスキルの繋がりを薄れさせたし、その他にもある程度の準備はしておいた。それでも上手くいくか分からないが……後は文字通り、神に祈るしかない。
「……『スキルバースト:武芸百般』」
そうだ、それでいい。これで……俺の物語は、終わりだ。
『じゃあな、ラルク。絶対に勝てよ』
……へえ、終わりって案外痛くも冷たくもないもんなんだな……むしろ、暖かい。まるで太陽の光に包まれているようなそんな気分だ。とても……優しい終わりだ。俺にとってはもったいないくらいに。
少しずつ意識が薄れゆく中、俺の頭の中にはいろんな人との記憶が駆け巡る。
(女神様……頼みましたよ。ちゃんと俺の遺志、託してください)
きっと全てが終わった後には、ラルクもフィリアにも厳しい現実が待っているだろう。だからせめて、俺がその助けになれたら良いんだが……もう、女神様に任せるしか無いみたいだな。
(エフィーさん、親不孝な子供でごめん)
エフィーさんには、何も返せなかったな……でも、心の底から感謝してるってことが、伝わっていたら嬉しい。
(父さん、母さん……もう一度、あなたたちの子供になりたかったよ)
出来れば、次は普通の家庭であなたたちと一生を過ごしてみたかった。でも、それももう叶わない夢になってしまったみたいだ。
(グレアに、ディルボア、後は……)
他にも色んな人のことを思い出し、そしてそれが泡のようになくなっていく。どんどん意識が薄れて行って、もう消えるんだということを感じる。それでもやっぱり、最後に残っていたのは……
(ホープ、今まで……本当に、ありがとな)
俺の、最愛の人。ずっと一緒にいたかった人。そして……何よりも、守りたかった人のことだった。
(結局、一度も直接言えなかったけど……俺は、お前のことを────)
そして、勇者アルスの魂は完全にこの世界から消え去ったのだった。




