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第百八十六話 最初から続く道標

第百八十六話、ラルク視点に戻ります。

『ラルク、感じるか?』


「はい。この裂け目の先から、今まで感じたことがないくらいの……」


 アルトさんに言われて向かった先にあったのは、禍々しい魔力で出来た時空の裂け目。まるでこの真っ黒な空間の中、そこだけが巨大な爪で引き裂かれたかのようなその紫色の裂け目は、人間1人がなんとか通れるくらいの大きさをしていた。


 そして、その裂け目越しから伝わってくるのは……恐らく、これから僕が戦わなければならない相手の魔力。


 魔族が放っているようなものでもなく、普通の人間が放っているような魔力でももちろんない。今まで感じたどの魔力とも異質で、どの魔力よりも濃密で……そして、どの魔力よりも明確な殺意と憎しみに満ちている。きっと、この裂け目の先には……


『俺が、いるんだろうな』


 僕が、僕たちが倒さなければならない相手──勇者アルスの肉体を奪ったもう1人の彼──『背信の勇者』アルスが、この先には待ち構えているのだろう。


「……ここが、最後か」


 勝つか負けるかは分からない。ただ一つ分かること……それは、どちらの結末を迎えようが僕と勇者アルスは消えてしまうだろう、ということだ。


『…………そうだな』


 もし目の前の『それ』に僕が足を踏み入れれば、もう無事では済まない今まで積み重ねてきた記憶も、当たり前のようにあったはずの感情も、全て消えてしまうのだろう。


「最後……さいご、かぁ……」


 何でだよ……なんで、ここまで来て……


「こんなに……怖いんだよ……!!」


 そう呟いた瞬間、僕の心の中でふっ、と何かが切れて、そのまま体が膝から崩れ落ちた。攻撃を受けたわけではない……ただ、恐怖に負けて体に力が入らなくなってしまったんだ。覚悟は決めていたはずだ。決意は出来ていたはずだ。それなのに……


 今更後悔しても遅いのは分かっている。いつかはたどらないといけない道だということも分かっている。でも……それでも、どうしても一歩が踏み出せない。


「消えたく……ない……!!」


 いざ目の前にして湧き上がって来た、『終わる』という実感。消えてしまうという恐怖。それが、僕の歩みを止める。


「行かなきゃ、いけないのに……っ!!」


 情けない。本当に情けない。ここまで来ても僕は、まだ自分が消えることを恐れている。どうしようもないと分かった上で、まだ……


『…………情けなくなんかねえよ』


「……え?」


 しかし……僕が諦めることを、勇者アルスは許してくれなかった。


『当たり前なんだよ、死ぬのも消えるのも怖いのは……な。俺だって躊躇いが無かった、なんて言えば嘘になる』


 この人も、怖かったのか……だったらなんで、こんなに落ち着いていられるんだろう?


『仕方ない、って割り切るしか()()()()んだろうが……生憎、それだけで自分を捨てられるほど俺は強くなくてな』


 ……これは、恐らく勇者アルスが転生した時の話なのだろう。


『……でも、俺はみすみす消えるより何かを守って消えることを決めたんだ。なんでだと思う?』


 なんでって、そりゃあ……


「みんなを守るため……じゃないんですか?」


『違うな。俺はそんな聖人じゃなかった』


「……じゃあ、なんで」


『ホープだよ』


「……はい?」


『あのまま逝ったら、ホープに合わせる顔がねえ……だから、転生した。それはちゃんと覚えてる』


 ……ホープさんに、合わせる顔がないから……そんな程度の理由で、生まれ変わって苦労する道を選んだのか?


『そんな程度の理由、って……お前も似たようなもんだぜ? あのまま村で暮らすことも出来ただろうにわざわざ冒険者になったり、フィリアに追いつくために何度も(タマ)張ったり……そんくらいでいいんだよ、命賭ける理由なんて』


 命を賭ける、理由……


『震えるほど怖えだろうし、苦しくて泣きそうなのも知ってる。今から引き返しても、誰も……少なくとも俺なら、お前を責めたりしないだろう。だけどな……ラルク、お前が今まで命賭けて、死ぬ気で戦って、ここまで来た理由は何だ?』


 …………っ!! そうだった……忘れかけていた。僕が戦う理由。命を賭けてもいいと思えた理由。ここまで来た理由。それは、僕の家族を、村のみんなを、仲間の冒険者を、シルクさんを、そして……


「この世界を……フィリアを、守り抜くためだ」


 ……確か、以前こんなことを思っていた。もし勇者アルスが僕の中にいなかったら、僕とフィリアはどうなっていたんだろう……と。勇者アルスの思いを継がなければフィリアをここまで……それこそ、命を賭けるまで好きになることも無かったのかもしれない、と。


 でも、今ならはっきり言える。僕がフィリアのことを想う気持ちは、僕が心から思ってることだ。勇者アルスなんて関係ない、僕自身が。


『ラルク、お前はどうしたい?』


 だから、勇者の転生体とか、思いを受け継いだとか、そんなのは関係ない。僕は、僕自身の意思で、僕自身の願いのために……


「『背信の勇者』アルスを……魔王を、倒します」


 僕の守りたいものを────ずっと、ずっと側に居たいと願う、何よりも大切で大好きな幼馴染を────守るために。


『……本当に、お前もイカれてるよ。いい意味でな』


「誰に似たんでしょうね」


 まあ、少しは彼の意思も入っているのだろうが。でも……今度こそ、覚悟は決まった。


「それじゃあ……」


『世界、救うか』


 そう言って、僕は……終わりへの一歩を踏み出した。

……ん?

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