雪解けの季節
私は、明日、結婚する。
私は実家の荷物をまとめているとガラス玉のネックレスが出てきた。
綺麗な雪の結晶の形の石がキラキラと光っている。
「懐かしいなー……これ」
送り主は恥ずかしそうに私の首にかけてくれたことを思い出した。
もう15年も前の話
喧嘩ばかりの父と母は毎日怒鳴りあいをしていた。冷めた家庭、帰るのが遅い父、父を待ちよく泣く母……
私は常に良い子でいようと必死だった。
「ねえ、咲」
ある日突然母は言った。
「明日からしばらく、叔母さんの家で暮らそうか」
私はそれで母が泣かなくて済むならと承諾した。
次の日、電車を乗り継いで叔母の家へ向かった。電車のなかで母はずっと無言だった。昨夜泣き腫らしたであろう瞼は痛々しく、私も口をつぐんでいた。
叔母は早くに旦那を亡くし、母の実家に息子と二人で住んでいた。
「咲ちゃん、よく来たね。姉さんもお帰りなさい」
叔母に出迎えられて私達は家にはいった。二人で住むには大きな平屋の日本家屋。
「私は叔母さんと話あるから、あなたは部屋にいきなさい」
母はそう言いながら私を促した。
「そうね。息子が案内するわ」
そう言いながら叔母は私の荷物を手に取ると家の奥を見た。
「雪」
そう呼ばれて、奥から出てきたのは色の白い細身の少年だった。
「息子の雪よ」
白い肌、黒い髪、叔母によくにた綺麗な顔立ち。
「雪です」
細く小さな声で彼は言った。
「咲です」
私も同じように挨拶をする。
「雪、咲ちゃんを部屋に案内してあげて」
叔母は私に荷物を雪に渡すと雪を促した。
「こっち」
雪はそう言いながら奥へと進んでいく。私は彼のあとを着いていった。
それから私と雪は8年間、中学を卒業するまで同じ家で暮らすことになる。
雪は、色白で見た目こそは女の子のようだったが活発でよく笑う普通の男の子だった。
私の家庭の事情は大方叔母から聞いていたのだろう。雪は私と本当の家族のように接してくれた。毎日息を殺すように生活していたことが嘘のように私も笑うようになった。
「ねえ、雪くんと一緒に暮らしてるんでしょ?」
「雪くん、優しくてかっこいいよねー」
学校の友達は綺麗で優しい雪に夢中だった。家での雪の話をすれば皆嬉しそうにキャーキャー言っていたし、一方で私も同じクラスの男子や先輩から告白されることも少なくはなかった。
客観的に見て私も雪もモテていたと思う。
「ねえ、雪、なんでモテるのに彼女作らないの?」
ふと聞いたことがあった。
「別に必要ないから」
雪はいつも淡白にこう言った。
母もこちらに来てから泣くことはなくなり、叔母の紹介で入った会社で事務の仕事をしていて、何気ない日常を過ごしていた。
もちろん、この日常には終わりがあるのだ。
ある日、家で雪とテレビを見ながら過ごしているとチャイムがなった。
「咲ちゃんか雪、どっちか出てくれない?」
叔母は夕飯を作っていたため手が放せなかったのだ。
「あ、私でるよ」
扉の近くに座ってた私は立ち上がるとドアを開けた。
そこには父が立っていた。
「咲、東京に帰ろう」
私は血の気が引くのを感じた。毎日目を泣き腫らしていた母、父の怒鳴り声。父は悪い人ではないのはわかっている。毎日仕事を頑張っていたのはわかっているが、気持ちの整理がつかない。
「咲!」
雪の今までに聞いたことのない声に私はふっと我に帰った。
「大丈夫?」
雪は私の腕をつかむと、自分の後ろに私を下がらせた。
「はじめまして、咲のいとこの雪です。雪は体調が悪そうなので僕が用件をお伺いします」
雪はそういうと丁寧に頭を下げた。
「舞さんの息子さんだね。僕は咲の父親です。申し訳ないが、咲を東京に連れ戻しに来たんだ。悪いが舞さんと妻はいるかな?」
父は口早に言った。
「……どうぞお上がりください」
奥から叔母が出てきていった。
「雪、咲ちゃん、部屋にいってなさい。雪、咲ちゃんをよろしくね」
そう言われ雪は私の手を引いた。
部屋につくと雪はなにも言わず私の手を握ってくれた。
「ねえ、雪、私どうしたらいいんだろう……」
私の言葉に雪は曖昧に笑った。
「俺にはわからないよ。咲はお父さんのこと嫌いなの?」
「ううん」
私は即答した。確かに記憶に新しい父は母に怒鳴り、泣かせていたかもしれない。でも父は父で家族を愛していたと思う。まだ幼稚園児だったころ熱が出た私を車で送ってくれた。一緒に運動会で走ってくれた。
「また、家族で暮らしたい?」
雪は少しだけ寂しそうな表情で言った。私は頷いた。
「俺には父さんがいないんだ」
雪はそう言って私の手を強く握った。
「だから、咲が羨ましい」
雪の寂しそうな表情に私は涙が出た。
「行こう。母さんとか伯母さんとそれから咲のお父さんと話そう」
雪に手を引かれ、居間に向かった。
居間には帰って来た母と父、叔母が座っていた。
「咲……」
母は少し泣いていた。
「咲ちゃん、雪も座って」
叔母は私達に座るように促した。気まずい沈黙が流れた。
「すまない」
沈黙を破ったのは父だった。
父は今まで仕事ばかりで私と母をないがしろにしていたこと、そしてこの数年間母と電話でずっと話し合ってきたことを語った。
「職場も今は転職して前より帰るのが早い部署に移動した。もう二人をないがしろにしたり、母さんのことを泣かしたりしない。だから帰ってきてほしい」
私はその言葉に涙が溢れてきた。なんて返事をしたら良いかわからず嗚咽が止まらない。
「それは本当ですか?」
雪は私の手を握って言った。
「咲や伯母さんをこんな風にもう泣かせたりしないって約束できますか?」
雪の意思の強い優しい声は居間に響いた。
「ああ、本当だ。約束できる」
父の言葉に雪は頷き私を見た。
「咲、さっき俺と話したこと、お父さんとお母さんにもちゃんと言うんだ」
雪はそう言って私を促した。
「……私、また、三人で暮らしたい……!」
その言葉に母は少しだけ驚いた顔をしながら頷いた。
「私も咲と同じ気持ちです。離れて暮らして、私も働くようになって、少しずつあなたの気持ちをわかってきたの。あなたにいってきた言葉がどれだけワガママだったのかも……」
母はそう言って涙をぬぐった。いつものように弱々しい母ではなかった。
「だから、ここに来てよかったと思ってる」
母はそう言って少しだけ笑った。そんな母を見て叔母も安心そうに笑った。
「話、まとまったわね。じゃあご飯にしましょうか」
そう言いながら叔母は立ち上がった。
「雪、夕飯作るの手伝って」
その叔母の言葉に雪も立ち上がった。
その日は五人でご飯を食べた。この数年間の話をたくさんした。そして東京に帰る大まかな予定も決まった。
私の中学卒業のタイミングで東京に帰ることになった。
それからはたまに父が来て五人でご飯を食べることも増えた。父は男の子が欲しかったらしく、雪を可愛がった。
そして月日は流れ、私達が叔母の家にいる最後の日の夜のことだった。
雪と私は布団を並べた。
電気を消すと二人とも眠れずにいた。
「明日だね」
雪はそう言った。明日、私は東京に帰る。
「うん、明日」
私達はそれだけいうと今までのことを思い出していた。
優しい兄のようだった雪、雪にはたくさん守られて救われていた。そんな八年間だった。
「ねえ、これ」
雪は私の手にそっと何かを握らせた。
「なにこれ」
「お守り。俺はなにがあっても咲の味方だから」
暗くてお互いの表情は見えない。
「ツラいことがあったらいつでも連絡して」
雪は優しい声で言った。その声に涙が溢れる。
「雪、私、幸せになるよ」
「うん」
泣きじゃくる私に雪は優しく言った。
「明日は笑顔でバイバイしよ」
雪はそう言った。泣きつかれて眠るまで雪は起きててくれた。
次の日、私の目は少しだけ腫れていた。雪の目も少しだけ腫れていたような気がする。
「またね」
「また」
私達はそう言って手をふった。
「また、なんかあったら来てね」
叔母はそう言いながら私達を見送った。
それから東京に帰り、私は高校に入学し、部活を始めた。そして彼氏もできた。
雪にはときどき電話して泣きつきたくなることもあった。でも、なんとなく、雪に次に会うときは強い自分になって会いたかった。
学校も忙しく、なかなか叔母の家にいくことも出来なかった。たまに叔母から電話が来るが、雪のことは聞かなかった。叔母も雪のことは話さなかった。特に深い意味はない。
そして就職すると、私は職場で知り合った年上の男性と交際し、結婚が決まった。
そして私は、明日、結婚する
私は首にネックレスをかけた。キラキラとした雪の結晶が光る。
明日、結婚式に雪も来る。
ねえ、雪、私は幸せになるよ
このお守りを持っていこう。そしてまた雪と思出話をしよう。
庭にある桜の木から花びらが舞っているのが見えた。