97 「終わったな、第三章完」
「ふぅ、少し疲れちゃったわ」
「……そうだな」
昼食を終え、俺達三人は屋敷へと帰宅。
ゆったりとした服装に着替えたマスターは、現在食堂に設置されたソファに座る俺の膝に、ぐでっとうつ伏せにもたれかかっている。
ちなみに刀花はお疲れ気味のマスターに気を遣い、厨房でホットケーキを焼いてくれていた。そろそろ三時だからな。
吹き抜けとなりこちらからも見える厨房からは、楽しそうに揺れるポニーテールと鼻唄。そして香ばしい匂いが漂ってきていた。
「久しぶりの長時間の移動や他人との関わりだっただろう。仕方あるまい」
「初日っていうのもあるしね」
マスターはスマホをいじりながら、もう一度「はふぅ」と息をつく。
だが嫌そうなため息ではなく、どことなく充足感のあるものだった。何か得るものでもあったのだろう……俺と違って。
「俺も少し、気疲れした」
「……もう、髪が乱れるでしょー」
癒しを求めるように、膝の上の頭に手を伸ばす。
流れに沿って黄金の髪を梳けば、彼女は文句を言いながらもこちらの手に頭を擦り寄せてきた。素直ではない。
「ジン、血ぃー。味見はしてね」
「ん」
覇気のないリクエストに応え、俺は自分の指に牙を立てる。
そうして流れる血を一口……よし、いけるな。
「今は大丈夫そうだぞ」
味を確かめ、その指を彼女の唇の前にもっていく。
味が不確かな俺の血。最近はもっぱらこうして俺が味見をしてから、彼女に与えるようになっていた。
「あ、あーん……」
カプッ、と。
彼女はわざわざ、俺が自分で傷つけた部分を咥える。
その頬は赤く、うつ伏せに寝ているため先ほどから膝に当たっていた柔らかい胸からドキドキとした鼓動が伝わってきた。
「恥ずかしければ、別に他の部分から吸ってもよいのだぞ?」
「う、うるはい……」
今更、間接キスに恥じらう純な乙女にからかうように言えば、ふがふがと小さく反論が返ってくる。
彼女は知らないとでも言うようにプイッと顔を横に向け、こちらの指をチューチューしながらスマホを弄る。だがその赤い耳は雄弁だ。
「可愛いご主人様め」
「~~」
チラリと見えるうなじすら赤くなる。
しばらくそうやって睦み合っていれば、
「ぷはっ……こ、コホン。それで、どうジン? 友達作りは」
わざとらしい咳払いと共にマスターがスマホの操作をやめ、そんなことを聞いてきた。
唐突だったが……しかしなにやらその瞳はじっとりと細められている。
「……明日からしようと思っていたところだ」
「宿題しない子どもじゃないんだから……あと嘘おっしゃい」
仰向けになり、彼女はこちらに先ほどまで弄っていたスマホの画面をこちらに晒す。
そこには、
「さっきから通知が止まらないの。どんな挨拶したのよ」
おそらくマスターのクラスメイトだろう。
その者らから、マスターを心配するメッセージが続々と送られてきているのだ。
なるほど、待ち合わせに遅かったのは、クラスメイトとアドレス交換をしていたからか。
昼食の時間帯も過ぎ、噂の広まる速度が加速した結果だろう。
「……ふん、忠告をしただけだ」
「あなたのは忠告じゃなくて宣戦布告って言うのよおバカ」
「いはいいはい」
静かに青筋を立てながら、マスターはその小さな手でこちらの頬を引っ張る。
「まったくもう、あなたをなんのために学園に入れたと思ってるの」
「だが、マスターも分かっただろう?」
「なにが?」
首を傾げるマスターに、俺は目を細めてそのスマホを指差した。
「先ほどからポロンポロンと絶え間ない。うるさく、そして煩わしい。友人付き合いなど、面倒なだけだろう」
「ぜんぜんっ!」
「うお」
当然のことを言うが如く指摘したのだが……マスターはその大きな赤いおめめをキラキラさせてガバッと起き上がった。
「ふ、ふふふ……こんないっぱい友達ができて、こんなに私のことを心配してくれてる……」
おお……。
なにやら我がマスターはスマホ片手に妖しく笑みを浮かべているが……その笑みはどこか暗い。歪みも見える。あと切なさも。
しかし目だけは爛々と輝いており、そのアンバランスさが危うく映った。
……長らく独りで過ごしていた彼女だ、現在のギャップに少々精神が不安定になっているのかもしれん。
「……ぼっち卒業おめでとう」
「ありがと。あ、また私を心配するメッセージ……ふふ。私ツイ○ター始めようかしら……」
どこかゾクリとしたような雰囲気。
い、いかん。このままでは我がマスターが拗らせお姫様になってしまう。
知っているぞ、“めんへら”というのだろう?
「ま、まあマスター落ち着け。心配されるのもいいが、通知がひっきりなしに来るのはうるさかろう。その心配を解消してやったらどうだ」
俺が撒いた種で、俺が言うことではないが。彼女の様子を見ていたら言わずにはいられなかった。
「えー……しょうがないわね」
少々渋りつつも「まあ充電も減るしね」と彼女は了承。新たな道は開かれずに済んだ。
「要はあなたが私に危害を加えないってことを皆に証明すればいいんだから……」
うーん、と可愛らしく小首を傾げること数分。
「……そうね」
彼女は少々イタズラっぽく、しかしどこか恥ずかしげに笑い、
「えいっ」
ポフッと。
再びその身体をこちらの膝に預けた。そして、
「ジン、髪を撫でて。そう、そのままね」
パシャリ、と。
スマホを持つ手を伸ばし、そんな俺達二人の姿を写真に収めた。自撮りというやつだな。
「膝枕なう……と。ふふ、やだもう……♪」
はにかんだ笑みを浮かべ、「きゃー!」とパタパタ恥ずかしげに足を動かす。
なるほど。
確かにそんな仲睦まじい写真を送れば、誰も文句は言えまい。たった一枚の写真で、機転が利くな。よい手だと言える。
「あーーー!?」
──文句を言う権利を持つ者が、ここにいることを失念してさえいなければ。
「リゼットさん! なにやってるんですかー!!」
厨房の方で悲鳴が上がったかと思えば、青いエプロンを身に付けた刀花が頬をパンパンに膨らませてこちらへ来る。
証拠を突き付けるように、件の写真が表示されたスマホを突き出す刀花に、しかしマスターは澄まし顔で答えた。
「あら、いいじゃない? ジンの危うさが薄まるのはトーカも願ったり叶ったりでしょう。私はそれの一押しをしただけよ……“恋人”としてね」
「むむむっ!」
得意気に俺の膝の上で唇の端を上げる我がマスターはちゃっかりとしている。余念がないとも言える。
だが……それで納得するほど、戦鬼の妹は甘くなかった。
「……ちゅっ♪」
「あっ!?」
パシャリ、と。
頬に熱く、やわっこい感触と共にシャッターの音。
……妹の、甘い反撃だった。
「お兄ちゃんとキスなう……と。むふー」
「あ、あなたねえ。恥じらいってものがないの……?」
「兄さんを男性として好きになった日からそんなものは捨てました。それにリゼットさんに言われたくないでーす」
「つ、強い……っていうか、こんなことしたら──!」
そう言い争う二人を、スマホからポロンポロンと再び絶え間なく届く通知の奔流が襲う。
そのメッセージを開き「あー……」と二人は困ったように汗を流している。
「なんと書いてあるのだ?」
「……あなたが遊び人だと思われてるわ」
「ご、ごめんなさい兄さん……つい」
「いや、いい。言わせておけ」
俺としては敬遠される理由ができるのは好ましい。
それに校門では存分に見せつけてやったのだ、今更だろう。実際そう誤解でもないからな。遊びではないだけで。
「さて、ホットケーキも焼けた頃合いだろう」
「わっ」
マスターの両脇に手を差し込み、だらーんと足をぶら下げる姿勢のまま彼女を食卓の椅子へと運ぶ。猫のようで、とても愛らしい。
「はあ、私としたことが……」
椅子に座る彼女は暗い顔。
俺の対人能力を育みたいマスターは、それが遠ざかったことを悔いているようだ。
「はっはっは、いや残念だったな。向こうから遠ざかっていくのならば仕方あるまいな」
「あなたねえ、どんだけ関わりたくないのよ」
よほど良い笑顔だったのだろう、彼女は面白くなさそうに机に頬杖をつく。
「ま、まあまあ。友達は作ろうと思ってできるものでもありませんし。気長に待ちましょう」
あはは、と苦笑気味に笑う刀花は人数分のホットケーキが乗った皿を並べていく。
食堂にふわりと甘い香りが広がった。
「まったくもう……いただきます」
「はーい、どうぞどうぞ」
トロッと表面で蕩けるバターも芳しく、刀花の作るホットケーキは焼き加減も絶妙だ。込められた愛情も申し分ない。
「美味い。結婚してく──」
「喜んで!!」
「早い早い」
食い気味に答える刀花に、マスターは呆れたようにじっとりとした視線を向けながらもホットケーキをパクついている。
そうして食べ進めれば、険のある目付きも和らぐ。疲れた時には甘いものが一番だ。
「ん、おいし。……それにしてもジンには困ったものね」
「まあ想定の範囲内かと。最悪、学園がなくなっちゃうことも私は視野に入れてましたし」
「えー、そこまでではないでしょう?」
「ふふ、まあそうですね」
おかしそうに二人は顔を合わせて笑う。おっ、そうだな。
「いーいジン? 私達との将来のためにも、せめて最低限のコミュニケーションはとれるようになりなさい。友達でも作ってね」
「友達ぃ……?」
「露骨に嫌そうな顔しないの」
そんな顔にもなる。
心の底から憎む人間を、どうして友と言えようか。
「クラスによさげな方はいませんでしたか?」
「……そういえば、橘がいたな」
「む。……ほどほどにね?」
橘の名前を出した途端、警戒を露にする二人。
あの時、俺と感覚を共有していたことも相まって、よほど対抗心を刺激されたようだ。
「他にはあなたの琴線に触れる子はいなかったの?」
「……いないな」
どいつもこいつも平和ボケした現代のガキだった。評価に値せん……一瞬、あの隣の小娘が脳裏をよぎったが、あれはまた別だ。
「うーん、どうしようかしら。そもそもあなたってどんな友人が合うのかしらね」
「……そもそも友人とはなんだ? 定義を教えてくれ定義を」
「そんな“定義”とか言っちゃうあたりもう向いてないのよねえ……」
マスターは疲れたようにため息をつく。
そんな彼女に刀花は苦笑を浮かべつつ、こちらにピンと指を立てた。
「いいですか兄さん? 友達とは一緒にいて楽しかったり、嬉しかったりする人のことです」
「なんだ、お前達のことではないか。我が心の友よ」
終わったな。第三章、完。
次章「無双の戦鬼と、屋上に咲く徒花」を震えて待て。
「そういうことじゃないでしょ、横着しないの。それに、友達同士で、その……キスとか、しないし」
「私達は家族、もしくは恋人ですね」
しっかりと訂正されてしまった。いやまあ分かっていることだが。
しかし詳細に定義を分けるとなるとこうして面倒になる。これだから人間は……。
「……友達ができても、その子に浮気しちゃダメよ」
「せんせん」
なぜそうなる。俺をなんだと思っているのか。
「ちなみにリゼットさんって、どこまでが浮気だと思ってます?」
「え、そうねえ……」
「キスは?」
「アウトに決まってるでしょ」
「手を繋ぐ」
「アウト」
「デート」
「アウト」
「でも遊びに行くこととデートは同義ではないでしょうか?」
「むっ……相手や自分がそれをデートと思ったらアウトってことで。トーカは?」
「目が合ったらアウトです」
「こっわ」
「冗談ですよう」
難しいものなのだな。
だがなるほど、友人ができたらそういったことにも気を配らねばならんのか。やはり面倒だな……。
「ふん……」
友人、友人か。
どうも俺に友人を作らせたい様子の少女達を前に、独り思考に耽る。
ただの人間、というのは無しだ。愚かしくもそんな者が隣にいれば、我が内に渦巻く殺意が発露してしまうことになる。生け贄にされた者の恨みはそこまで安くはないのだ。
「ならば、分際を弁えた人間か……」
「あら、その気になった?」
「まさか、例え話だ」
そう例え話。
もし友とするなら、マシなのはどういった者かという話だ。
分際を弁えた人間、というので思いつくのは橘だ。深く干渉せず、過多に話さず、そして絶望を知っている。妖刀として好ましいといえばそれだ。
「それって友達なの……?」
眉をひそめる我が主に肩を竦めた。
俺とて友達を作るなどと、そのようなことを考えるのは初めてだ。勝手も分からん、こちらの基準で定義や条件を構築していくしかない。
──いや、以前に一度、考えたことがあったような。
「……まあ、もしくはだ」
どこか朧氣な記憶を辿り、言葉を探して訥々と。
「俺の友となるならば……」
それは黄昏の記憶。
秋の夕暮れ。ススキが揺れる秋の頃に、何か……、
「“人間より人間らしく、同時に人間らしくない人間”」
「……なぁにそれ、ナゾナゾか何か?」
「……さてな」
俺も覚えてはいないが、なぜかそう思ったのだ。
そしてそう言いながら、忌々しくも脳裏をよぎるその者は──




