89 「俺、消えるのか……?」
一足先に水着売り場へ到着していたマスターは、むむむと唸りながら難しげな表情でコーナーを物色していた。
「うーん、水着なんて気にしたことなかったからよく分からないわね……」
吸血鬼事情から水着には疎そうなマスターに、追い付いた妹も頭を悩ませる。
「うーん、リゼットさんスタイルいいですからね……腰も細いですし、やっぱりセパレートタイプですかね?」
「おへそ見えちゃうやつ? 恥ずかしいんだけど……」
「いやあ、そのスタイルで腰回りを隠すのは勿体ないですよ。それに兄さんにしか見せないんですから」
「そ、それが恥ずかしいのよ!」
きゃいきゃいと盛り上がる二人を横目に、俺も少し見てみることにする。色とりどりの水着が目に入り、まるで多様な花々に囲まれているかのような錯覚さえ覚える。
確かに、この中から選ぶのは一仕事だな……。
そう思いながら、適当に掴んだハンガーを手元に寄せた。
「ん? なんだこれは」
……紐?
なぜこんなところに紐が。絞首用か? それにしては生地が柔らかすぎる。人を吊ってもすぐ千切れて落ちるだろう。
「んなっ、ジン! 何見てるの!?」
「紐だ」
声に答え顔を上げれば、真っ赤になってわなわなと震えるご主人様の顔があった。
「ま、まさか……それがいいとか言わないわよね!?」
「……水着なのか、これは」
彼女の反応からそう判断する。まあ水着売り場に陳列されているのだから当然といえば当然なのだが……水着、これが?
「随分と秘匿性のない水着だ」
「あ、わかってなかったの……」
「ふわー……こんなのホントに大事な部分しか隠れませんよ」
覗き込む刀花ですら頬を染めていた。
世の中には奇特な道具を開発する人間がいる。天才か奇人かは分からんが、これもその類いか。だが着用した場合のビジュアルがいまいち分からんな。
「どれ」
「ちょっ、なに想像してるの!」
「あわわわ」
眼前に紐水着を掲げ、二人にあてがってみる。
そうすれば二人は真っ赤になって、身体を抱くようにして身を隠した。
「……それでは分からんぞ」
「分からなくていいのよ!」
「別に恥ずかしがらずとも。全裸を晒し合った仲だろう」
「言い方! 一緒にお風呂入っただけでしょうが! それにちゃんとタオル巻いてたし!」
「兄さん、着た方が恥ずかしいという場合もあるんですよ」
脱ぐよりもか? 分からん……ヒトの心は複雑怪奇だ。全裸より恥ずかしい水着を着るその心理とは……。
画像を検索しようにも、俺のスマホには「私がいるんですからエッチさんなのはいけないと思います」と刀花が施したチャイルドフィルターがかかっている。恐らく出てくるまい。気になるな……よし。
「──というわけで、着てみたのですがいかがでしょうか?」
「なんでー!?」
「姉さーん!?」
着たビジュアルとその心理を知りたかった私は、指を鳴らして鞘花の姿に転じる。服装はもちろん、手に持った水着を参考にさせていただきましたわ。
「おっとと、少し動いただけで零れそうになってしまいますわね」
先端だけが辛うじて隠れている胸を押さえた。
鏡を見れば、アルファベットのV字型水着がピッチリとくっついている。それのみ。まさに紐。なるほど、こういう風になるのですね。
泳ぎのためではなく、見せるための水着ということですか。
「あわわわ、え、エッチさんです……!」
「うわ後ろえっぐ……!」
なんだかんだ言いながら、二人は真っ赤になりつつも興味津々といった感じで水着を鑑賞する。
その視線が今は後ろ……マスター曰く、エグい食い込みの臀部へと向けられているのを感じる。
「ふふ、なるほど。確かにこれは裸より恥ずかしいかもしれませんわね」
「なんだか変な気分になってきちゃいました……」
「ちょっ、お尻揺らさないでよ!」
「ひゃうん!」
視線に応えるように軽くお尻を振ってみれば、マスターの叱責と共にお尻を叩かれる。
その衝撃で、私は壁にもたれ掛かるようにして、お尻を突き出す姿勢へと。
「あぁん、マスター……許してくださいまし」
「リゼットさんってそういう……」
「私の趣味ねじ曲げるのやめてよ!」
心外だわ! とでも言いたげに激昂されていますが、視線がチラチラと、重力に従ってたぷたぷと揺れる私の胸に行っているのが丸分かりでごさいますよ?
男性には分からないことかと存じますが、胸に視線が行っている気配というものは確実に感じます。ああ、マスターの視線、とっても熱いですわ。
私は切なそうに目を細め、自分の唇に指を当てた。
「ふふ、もっと躾てくださいまし。ま・す・た・あ♪」
「私もう姉さんでもいいかもしれません……」
「いい加減にしなさいこのおバカー!!」
「あいたー!?」
からかいが過ぎたか、真剣に頭を叩かれ変化が解けてしまった。
まったく、意図しない解除だったため──、
「水着がそのままになってしまった」
「「きゃああぁぁぁああぁあ!!??」」
同じ悲鳴でも一方は恐怖、一方は興奮に包まれていた。
マスターはそれはもう真っ赤になって顔を手で覆う。しかし指の隙間からバッチリこちらを覗いているためまったく隠せていない。
刀花はきゃあきゃあ言いながら目を蘭々に輝かせスマホのシャッターを連射していた。
「あわわわわ……へ、変態よー!?」
「兄さん兄さん! 両手を後ろにやって雄叫びを上げてください!」
「フオオオオオオオオッ!!」
「変○仮面よー!?」
気分はエクスタシー。
そしてマスターの視線はどんどん下へと……。
「……ゴクリ」
「視線が生々しいぞマスター。それは俺のおいなりさ──」
「ばかじゃないの!? ばっかじゃないの!?」
男でもそれなりに視線は分かるものだ。
「け、警察呼ばなきゃ……」
「こらこら」
ひとしきり騒いだところで普段着に戻る。
スマホを取りだし、震える指で110番しようとするマスターをすんでのところで止めた。
「私がしなくても誰かが通報……あら?」
不思議そうにマスターがキョロキョロ見回すが、その視線が人を捉えることはない。あれだけ騒いでなお、この店内には誰も人がいないのだ。人が寄り付く気配もない。まあ俺がそうしたのだが。
「俺がマスターの水着姿を諸人に晒すものか。あらかじめ他人との縁を斬っておいた。俺が再び結ぶまで誰もここには寄り付かん」
宝は独り占めする。それが鬼の所業だ。
「かっこつけてもさっきのが衝撃的過ぎて何言っても耳に入ってこない……」
「激写してしまいました……リゼットさん、いります?」
「…………いるわけないでしょう!」
「迷ったな」
「迷いましたね。えい、送っちゃいます」
「きゃあーーー!!」
スマホを見て「け、消すから! 絶対消すから!」と叫ぶマスターだが、彼女が送られた画像を本当に消したかどうかは定かではない……。
「それでは、お披露目でーす!」
「待ちかねたぞ」
一旦休憩スペースで落ち着いた後、「あなたがいると落ち着いて選べない」ということで俺はハブられた。
そうして一人で待つこと数十分。準備ができたと妹に呼ばれた俺は、ようやくマスターの水着姿を見ることとなったのだった。
「リゼットさーん? 開けますよー?」
「ちょっ、ちょっと待って……」
カーテンの向こうで、マスターが息を整えているのが分かる。
なんだ、この布一枚隔てた先で彼女が薄着でいるのかと思うと俺も落ち着かなくなってきた。くっ、静まれ俺の胸筋。
「まだですかー?」
「も、もうちょっと……」
「じゃあ開けますねー♪」
「なんでよー!?」
もたもたするマスターに、妹の容赦がない。
そうして勢いよくカーテンが開いた先には──、
「……往生際が悪いぞ、マスター」
室内側のカーテンにくるまった我が主の姿。頬を染め、気まずげに視線を逸らしている。
「だ、だって……やっぱり恥ずかしいわ。それに思ったら水着ってほとんど下着だし……」
布面積的にはそうだが、ビーチで恥じらう者などいない。……どういう心理なのだろうな? 人心は複雑怪奇。
「だが着替えたには着替えたのだな。素足だ」
「か、か、屈んで見ないで! 変態!」
普段では黒ストッキングが包むご主人様の脚。今ではその白さを惜しげもなく晒しているのが、カーテンの隙間からチラリと見える。
「はいはーい、踊り子さんには触らないでくださいね兄さん?」
床に這いつくばる勢いで屈む俺を、刀花はやんわりと立たせる。そうしてパンパンと急かすように手を叩いた。
「ほら、リゼットさん。勇気を出してください」
「で、でもぉ……」
「一応それなりに配慮したじゃないですか。とっても綺麗でしたから大丈夫ですよ。兄さんもきっと大絶賛です」
「ほ、ホントに……?」
「もちろんです!」
そう言って刀花は試着室へと入り、安心させるように後ろからマスターを抱く。
「じゃあ私がカーテン取りますから、お覚悟を」
「うっ、うぅ~……!」
真っ赤になって目をギュッと瞑り、コクコクと頷くマスター。そんな彼女の様子に笑みを浮かべる刀花はいよいよそのカーテンに手をかける。
「それじゃ、いきますよ? いち、にの、さーん!」
「っ!」
そうして勢いよくマスターの身を包むカーテンが取り除かれ──、
「うぅ……ど、どう? 変じゃない……?」
「──!」
もし、神様はいるかと問われたならば……俺はこう答えるだろう。
──女神は実在する、と。
きらびやかな照明すらその輝きには霞む。
恐らく初めて着るだろう水着を、彼女は見事着こなしているのだった。
「な、なんとか言いなさいよ……」
落ち着きなさげに身体を捩る彼女に合わせ、青い水着の装飾がヒラヒラと揺れる。
刀花が言っていたように、水着は上下の分かれたセパレートタイプ。程よくボリュームのある美しい胸を、中心に大きくリボンがあしらわれた水着が包み込んでいる。
俺が先程「ヒラヒラしているのがいい」と言ったからか、彼女の水着にはふんだんに装飾が施されていた。
そして下は……、
「やっぱりお嬢様にはパレオだと思うわけですよ」
自慢気に刀花は鼻息を鳴らす。
実際、彼女の下半身を覆うパレオは楚々としており、上品な雰囲気を醸し出している。肌を晒すのが恥ずかしい彼女に配慮し、尚且つ清らかさを演出する素晴らしい仕上がりとなっていた。
そのパレオの隙間から覗く彼女の細っこい足を見つめれば、もじりもじりと恥じらいを見せる。無駄な肉が付いておらず、美術品のように美しい。
そう、美しい。華奢な肩も、ぷにぷにすべすべしたお腹も、その中心に穿たれた縦長の形のいいおへそも、纏められた豪奢な金髪も。彼女を構成する全ての要素が完璧な黄金比によって美しさを演出する。
何一つ欠けておらず、何一つ過多ではない。
──まさに、完璧だった。
「み、見すぎ……」
「──」
そんな、上目遣いでこちらを見る彼女に対し、俺は……、
「うっ、くぅ……!」
「泣いてます……」
美しいものを見た時、人は最早涙を流すことしかできないということを知った。何を言っても、どう言葉を装飾しようと陳腐。目の前の至高の美を表現するに至らない。
もし何かを言うとするならば、それはシンプルな一言だけだ。そしてその一言に、万感の思いを込めるのだ。
「──美しい」
「あ、あう……」
真っ赤になって俯く彼女は、さらに可愛らしさも加わり魅力が留まることを知らない。
ああ、この薄汚い世界に置かれて、濁った心が浄化されていく……!
「うっ、妖刀から神刀になりそうだ……!」
「どんだけ浄化されてんのよ……」
「俺の中の四九九人の命も、マスターは尊いと言っている」
「そ、そう? ほんと? かわいい……?」
「ああ、最高に可愛いぞマスター」
「あっ──あ、ありがとっ。ふふ……」
「あ゛っ」
恥じらいながらも手を後ろに組み、はにかんだような笑顔で礼を言う。そんな彼女の煌めきに……、
「光あるところに影あり。しかして影は消え去るのみ……」
「ジン、あなた、消えるの……?」
「役割を終えたんですね、兄さん……」
霞むようにして消える。
彼女の玉体があれば、世界は平和になる。俺という武力があっては彼女の世界を汚してしまう。俺は世界に不要となったのだ……。
ある種の悟りを開きながら、俺はこの世に顕現してから初めて感じるほどの穏やかな気持ちとなり、天へと昇っていくのだった。




