78 「言葉も用法・用量を守らねばならん」
「今帰ったぞ」
俺はさっさと試験を終え、ちょっとした買い物を終えて屋敷の玄関を開けた。しかし……、
……。
「ん……?」
予想に反し玄関を開けても、元気いっぱいに胸に飛び込んでくる最愛の妹の姿もなく、ツンと澄ましながらも構ってオーラを醸し出す愛しいご主人様の姿もなかった。
「てっきり一区切りついた俺に何か言ってくると思ったが……」
試験お疲れ様、の言葉くらいはあるかと身構えていたので些か拍子抜けだ。
俺としてはこの期間、彼女達を甘やかす機会も少なかったので、今日は存分に甘やかしたかったのだが。
「気配は……談話室か」
指を鳴らし、スーツから和服に着替えて二人がいる部屋へと向かう。
どうも妙な雰囲気だな。いつもならテレビ音なり話し声なり聞こえてくるはず。随分と今日は大人しい。今朝の学園での紛糾が嘘のような静けさだ。
「……帰ったぞ?」
言いながら談話室を覗けば、我が最愛の少女二人は確かに室内で佇んでいた。
ソファに座り、紅茶を楽しむ二人の姿はまるで一枚の絵画のように美しく様になっていた……が、なにやら違和感を覚える。
「おかえり、ジン」
「おかえりなさい、兄さん」
ニコリと微笑み、二人はきちんと挨拶は返してくれた。だがやはり、何かいつもと違う空気感だ。
「ふふ……」
「あはは」
お昼の日差しを浴び、微笑を浮かべてカップを傾ける美少女二人の姿は確かに絵になる。
だが、どこかぎこちない。作り物のような空気感を覚える。まるで造花で作った花園を見ているかのような奇妙さだ。
必要以上の言葉も添えず、楚々とした態度を演じる二人は、俺の目には奇行をしているようにしか見えなかった。
「……なんだ、どういう趣向だこれは?」
「え、なんのことかしら?」
「いやですね兄さん。私達はいつもこんな感じにお淑やかじゃないですか」
お淑やかぁ……?
今朝は俺の脳内でぎゃあぎゃあ言っていた二人がお淑やかだぁ?
「お淑やかな者は『ぶつかってくる女は頭を押さえてでも避けなさい』と言ったり『いちご柄って古くないですか? 兄さんが好きなら私も履きますけど!』と言ったりしないと思うぞ」
「「うぐっ」」
今朝のハプニング中に言われたことを復唱すれば、二人は気まずげに顔を逸らした。
ネタはあがっているのだ、一体何を企んでいる。
どうもキーワードは“お淑やか”のようだが……俺が学園に行ってから帰ってくるまでにあったことでお淑やかなモノなどあっただろうか。
お淑やかな何か……お淑やかな……誰か?
「……橘か?」
「「ギクリ」」
俺が今朝関わった中でそう思う者の名を挙げれば、二人は肩を跳ね上げた。
なるほど、読めたぞ。
不自然な二人の態度。作ったような静けさ。さてはこれは橘の雰囲気を参考にしたものか?
「なぜそんなことをする必要がある?」
「べ、別に関係ないわよ失礼ね……」
「そ、そうですよ。兄さんって静かな子の方がいいのかなーなんて思ってませんよ」
分かりやすい子達で助かる。
まったく、いじらしい少女達め。俺が橘と少し交流したからといって、気が気ではないようだ。それに彼女達の足下をよく見れば、橘がしていたような黒ストも着用している。入念なことだ。その足に頬擦りしたい。
「心配しすぎだろう。二度会うかも分からん相手に」
「だ、だって……あなたにしては珍しく穏便だったし」
唇を尖らせてご主人様はそう言う。
「いいことなのではないか。そもそもは俺の対人能力を養うためと言っていただろう」
「確かにそうですけど、乙女心は複雑なんです」
言葉少なに妹もむくれている。
だが俺としては反応に困るというものだ。
「俺の好みは熟知しているはずだろう? 俺が好むのはお前達二人だけだと。それがいきなり似合わんことをすればこっちも戸惑う」
「「うぅ~、でもぉ~……」」
悩ましげに唸る少女達に嘆息する。
まあ気持ちは分からないでもない。好む相手に良いように見られたいと思うのは、この無双の戦鬼ですら思うことだ。だからこそ俺も常在戦場の心持ちでいる。……それが発揮される機会は皆無だが。
「ふむ……」
だが、よく考えればこれは由々しき事態なのやもしれん。
目の前の二人は俺の気を惹きたいが為にこのような行為に及んでいると言えるだろう。
それはつまり……俺の愛が二人に疑われているということではないだろうか!?
なんということだ……。俺は天を仰いだ。
俺は全霊で二人を愛しているという自負を持っている。この気持ちは俺の誇りだ。だが、それでもまだ足りないというのか……。
強欲に愛を求める二人に衝撃を受けると共に、「お前は足りていない」と言われているような気もして……俺は少し、おもしろくない。
「ほーう、ほう……そうかそうか」
「な、なによ?」
「兄さん、怒ってます?」
「別に」
思わずぶっきらぼうな声になってしまった。
確かに、妹一筋と豪語しながらも最近になってマスターを持ってしまった俺が言う資格はないのかも知れないが、愛が足りてないと思われるのはなー……。更に言えば俺はいつも通り甘えてくれる二人が好きなわけで。
「そうかそうか」
……いいだろう。
そっちがその気なら俺も一つ策を練ろうではないか。俺の愛を証明し、二人が二人らしく俺に甘えてくれるようになる策を。
「はぁー……あーあ」
俺はわざとらしく溜め息をついて、持っていた鞄を足下に投げ出し、ソファにどかっと座った。
俺の疲労を滲ませるような声に、二人は目を丸くしてこちらを見ている。
そうとも、俺は疲れている。慣れぬ勉学と人間対応も終わり、俺はさっさと二人と戯れたいというのに変な態度を取られてはな。
だからこそ。だからこそこうして、二人が素直にこちらに来てくれるよう仕向ければ良い。
餌を垂らして……。
「勉強も一段落つき、今日は俺が手ずから紅茶を淹れてやろうと思っていたんだがなー。ゲームも遅くまで付き合ってやろうと思っていたんだがなー。このまま何も言わないのならなー」
「っ」
ピクリ、とご主人様の肩が上がる。食いついたな。
マスターがチラチラと伺うようにこちらを見て、もじもじと膝を擦り合わせる中、今度は妹の方へと糸を垂らす。
「久しぶりに兄妹水入らずで、思い切り遊ぼうと思っていたんだがなー。残念だなぁー。お淑やかならばしょうがないのかもしれんなー」
「っ!」
俺のわざとらしい間延びした台詞を聞き、妹はうずうずと身体を揺らしている。
ふ、所詮は付け焼き刃よ。望まぬ対応の中に身を置くからこういうことになるのだ。
……もう一押しで落ちるな。
そう確信した俺はソファに座り直し、和服の裾を伸ばした。そうしてこれ見よがしにポフポフと膝を叩いて見せ、満を持して言葉を放った。これで終いよ。
「――先着二名様です」
「私いち抜けましたー!」
「あっ、こらトーカ!」
お淑やかとは何だったのか。
我が妹は満面の笑みを浮かべて俺の膝に飛び込んできた。くくく……これぞ兄特製、妹ホイホイである。
俺の右腿に頬を寄せる刀花は、愛おしげにスリスリと頬擦りをしている。
「ふん、お淑やかなどといって、身体は正直ではないか?」
「あぁん、兄さんのお誘いには勝てませんでしたぁ……素直になりますぅ♪」
そのまま頭を撫でれば、嬉しそうに足をバタバタさせる。何事も素直が一番だ。俺も妹の髪を撫でるたびに、勉学の疲労が抜けていくようだ。
「ちょ、ちょっとぉー……」
しかし俺の左腿は空いているというのに、ご主人様はいまだ中途半端に手を挙げ、オロオロとしている。甘え下手はこういう時辛そうだ。
「兄さん、兄さん♪ チューしてください、チュー」
「よしよし、いいぞ」
「きゃあー♪」
「あっ、あぁー……」
わしゃわしゃと頭を撫で、おでこに口付けをすれば喜色満面の笑みが返ってくる。慣れぬ事をした反動なのか、堰を切ったような甘えラッシュだ。やはりこうでなくては。
そしてそれを見て、下がった眉で情けない声を上げるお嬢様。……早く来いというに。いちいち名目がないと来られないのか? どれだけ不器用なのだ。
「先着二名と言ったが、これはタイムセールでな」
「へ?」
業を煮やした俺は次なる策を練る。
ゴロゴロとする妹を撫でながら言った俺の台詞に、マスターは間抜けな声を出した。
「あと十秒で、俺の左腿は売り切れてしまうだろう。きゅーう、はーち……」
「えっ!?」
無情なるカウントダウンにご主人様はあたふたする。取って付けたような名目は与えん。今日の俺は少し意地悪なのだ。
さぁさぁ、早く来ないと俺の膝は全て妹が占領してしまうぞ。
「なーな、ろーく」
「ま、待ちなさいよぉ……」
素直に甘えなければならない状況に、プライドが邪魔する貴族様は涙目になって待ったをかける。その表情を見て、俺の胸がチクリと痛んだ。
むぅ……涙目になるのはズルいだろう。俺が悪いようではないか。悪いのだが。
俺は一つ息を吐いて、左腿をポンポンと叩いた。なるべく優しい声色を出すよう気を遣いながら。
「リズ、おいで」
「っ! しょ、しょうがないんだから……」
はいはい俺がしょうがない俺がしょうがない。
素直に甘えて欲しかっただけなのだが……膝の上に新たに乗った優しい温もりに手を伸ばせば、それは些細な問題となり俺の頭から溶けていった。
「マスターの髪は綺麗だな」
きめ細かく流れる金の髪を指で梳けば、マスターは熱い吐息を漏らす。しかし……その表情はどこか不満げだ。
「ちょっと……私には?」
「ん……?」
そう言って、じいっとこちらを見てくるが……なんだったかと惚けてみせる。その紅い瞳が物欲しげに、先程妹に触れた唇に注がれているのを無視して。
「うぅ~……!」
俺の意図を理解してか、可愛いご主人様は唸りながらポコポコとこちらの胸をその手で叩く。しかし、全然力がこもっていない。
一言で済むというのに。俺が拒むことなどないというのに。……まあそういうところが愛おしく、
「──あっ」
こうして、結局は甘やかしてしまうのだが。
唐突に頬に捧げられたキスに、我が主は目を丸くし、
「ふ、ふふふっ。もう、最初からそうしてればいいのよ」
へにゃ、とだらしなく頬を緩めて俺の膝に沈んでいった。最初からとは、誰が言うか誰が。
「まったく、付け焼き刃など戦場では真っ先に死ぬようなことを。おかげで随分と回りくどくなってしまった」
二人の頭を存分に撫で、俺も癒やされながらごちれば二人は唇を尖らせる。
「だってぇー……兄さんの好みが気になっちゃったんですもん。兄さん好みの妹になるために、試してみたくもなりますよ」
「わ、私はトーカがどうしてもって言うから……」
「あ、リゼットさん往生際悪いです。そもそもリゼットさんが『ジンって、ああいう子が好みなのかしら』なんて言ったからですよ?」
「うっ……」
なるほど。言い出しっぺだから最後まで渋っていたのか。
まあ付け焼き刃とはいえ、自分の武器を増やすことは好ましいことだ。とはいえそれも場合によりけりだ。
「だが、それで自分達の持ち味を殺しては意味がないだろう? 自慢ではないが俺は不器用だ。言葉があるのにそれを使ってくれねば、全てを察することは出来ん。それに先の行為は宝の持ち腐れというものだ。俺は二人の美しい声をも愛しているのだからな」
二人の喉をくすぐれば、くすぐったそうなクスクスという笑い声が漏れる。
言葉少なく愛を伝え合うのは難しい。それに例え言葉があれども十全とはいかない場合もある。言葉のある俺達でさえ、このような回り道をせねば伝えられないこともあるのだから。
「そういえば、まだ二人に礼を伝えていなかったな。感謝するぞ。俺にこの期間力を貸してくれて」
こうして声に出して感謝を伝えても、頬に唇を触れ合わせても、伝えきれない感情もある。
ならば──、
「これは、ささやかだが俺からの感謝の品だ」
「え?」
「わ」
それでも足りないならば、贈り物を用意することもある。
二人の頭から手を離せば、そこには……、
「これ……」
「白い、リボン?」
「ああ」
手品のように、一瞬の後に二人の髪には清らかな純白のリボンが飾られていた。
主人の長い髪の先端に、髪をまとめるようにして。妹にはポニーテールを留めていたヘアゴムの代わりに。
「やはり美しい少女には白が似合う」
大きめな布の端が、二人の動きに合わせて花弁のように揺れる。
より一層華やいだ二人の雰囲気を見て、俺は独り悦に浸った。
やはり白はいい。血にも泥にも穢れていないこの聖域のような彩り。穢させてなるものかと、守護者として気合いが入るというものだ。
そんな俺の守るべき少女達は、互いにスマホで写真を撮ってためつすがめつ容姿を確かめている。
「まさかあなたから装飾品を貰うなんて……」
「兄さん兄さんっ、可愛いですか?」
「ああ、大変愛らしい」
首を傾けてポーズを決める妹。この妹め、自分が可愛いということを理解しているな? 世界一可愛いぞ。
リボンの具合を確かめている二人を見ていると、妙な感慨すら湧いてくる。
「帰りに店で買ってきた物だが、こうして自分の買った物を身に付けているのを見ると……なにやら二人にマーキングをしたような気分になってくるな」
「ちょ、い、言い方……」
「むふー、私、兄さんのモノになっちゃいました」
サッと頬を赤くし、しかしリボンをはずそうとはしない二人に満足を覚える。
「うむうむ、やはりよく似合う」
独り頷く。
前々から、二人の髪がなんとなく寂しいと思っていたのだ。我ながらいいチョイスだと自画自賛する。それもこれも──
「やはり、橘のリボンを見た時から、二人にもリボンが似合うと思っていたのだ」
「「……」」
──そう言った瞬間、世界が凍った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
真っ白な沈黙の後、両隣に座る可憐な少女達から黒いオーラが立ち上る。おかしい、俺を握ってはいないはずなのだが。
「ジン、今……」
「橘さんって、言いました……?」
「ん? お、おう」
前々から二人に贈り物をしたいと思っていたのだが、橘のリボンを見た時にピンときたのだ。天啓を得たと言ってもいい。おかげで試験に集中できなかったくらいだ。
頷く俺に、しかし二人は風船のように頬を膨らませている。俺としたことが口を滑らせたか。
「あなたさっき付け焼き刃が云々って言ってたわよね?」
「これは付け焼き刃ではない。あっぷでーと、と言うのだ」
「兄さん、それは屁理屈ではないでしょうか?」
「そんなことはない。まるでそのまま誂えたのではないかと見紛うばかりの可憐な姿だ。俺の見立てに狂いはなかった。確かに橘が切っ掛けであったかもしれんが、それは着想を得たという話であってだな」
俺の言葉に、少女二人はじっとりと湿った目でこちらを見てくる。さすがに苦しかっただろうか。だが俺としては真実を言っているため言葉を重ねることしかできん。
「……ちょっと納得いかないわね」
「ちょっと納得いかないので、もうしばらく頭を撫でていてください。膝はもちろん貸してくれますよね?」
「お安いご用だ」
いらぬ言葉が多ければ不満を買い、しかし少女達のご機嫌を取るのもまた同じ言葉だ。要は言葉も加減次第。
今度は俺が言葉少なとなり、ちょっぴりむくれて膝に頭を押しつける花のような少女二人の髪に、なるべく優しく指を通し続けることになったのだった。




