75 「大丈夫、だよな……?」
「ふむ、こんなものか」
いよいよ編入試験を明日に控えた夜。
俺は談話室のソファに座りながら解いていた参考書を閉じ、一つ伸びをする。長時間同じ姿勢をしていたからか、身体の節々から軋む音がした。
「ふー……」
身体の熱を放出するように息を吐く。
やれるだけのことはやったと言える。現在、俺の頭の中にはかつてないほどの知識量が詰め込まれ、少々頭が熱を持つのを感じるほどだ。それもこれも、我が愛する少女達が懇切丁寧に勉強方法を計画してくれたおかげだ。
この短期間、これだけ集中して勉強が出来たのは間違いなく少女達の賜物。
そしてそんな大切な彼女達は今……、
「えーとえーと、鉛筆に消しゴムに受験票に……あと火打ち石、火打ち石ってどこでしたっけ……?」
「お、落ち着きなさいトーカ。あなたも戦鬼の妹なら、あなたの兄を信じなさいな。ていうか火打ち石って何に使うの」
「だ、だってぇ……」
おろおろと談話室を行き来する刀花を見て、マスターは手に持つ本から目を離さずに言う。落ち着きのない刀花に対し、彼女は泰然自若の姿勢を崩さず上に立つ者としての貫禄を見せつけていた。
……まあ、先程から全く本のページは捲っていないし、そもそも本が逆さまなわけだが。さては俺を信じていないな?
「ひ、火打ち石はお見送りの時に使うんです。切り火って言って、厄除けとか縁起を担ぐんです」
「へー。日本人ってそういうの好きよね。そういえば今日の夕食もカツ丼だったし、おやつもキ○トカ○トだったわね」
「担げるものは神輿でも担ぎますよ……」
「ジンに効くのそれ? おっとと、手が“滑って”本が“落ちちゃった”わ」
「リゼットさぁん!?」
「きゃあー!? なになに!?」
縁起の悪い言葉を連発するマスターに目を剥いて刀花は飛びかかる。
「俺よりお前達が緊張してどうする……」
わちゃわちゃする二人を横目に、そう呟いた。
試されるのは俺だというのに、まるで己が事のように彼女達は心配してくれている。……少し、面映ゆい心地だ。
「だってだって! 兄さんと私、二人だけの学園イチャイチャラブコメディの命運が明日の試験にかかってると思うと心配で心配で!」
「新聞勧誘もびっくりの押し売りね……」
そしてナチュラルにリゼットを省いていくスタイル。よほど動揺しているなこれは。
「刀花、こっちに来い」
「うぅ~……」
安心させるように名を呼びちょいちょいと手招きすれば、刀花はてててとこちらに駆け寄りボスっと胸に飛び込んできた。
「安心するがいい、この俺を誰と心得る。刀花、俺がお前の期待を裏切ったことがあったか?」
「あります。せっかく晩ご飯作ったのに、残業が長引いて『晩ご飯が食えなくなった』って言われたことが何回か。仕事と妹どっちが大事なんですか!」
「……その節はすいませんでした」
「あなたね……」
じっとりとマスターが視線を向けてくる。
いや俺も可能ならば最愛の妹の手料理を味わいたかったのだぞ? 後にその口論でそこのバイトはクビになったしな。俺は無論妹を取ったのだ……。
「ま、まあ刀花。過去より未来に思いを馳せるのはどうだ? 楽しみだな、学園へ共に通うのは。俺が通うのは二学期からだが、二学期の学園には何があるんだ?」
誤魔化すように刀花の髪を撫でながら問えば、グリグリと頭をこちらに押しつける彼女からくすぐったそうな笑みが漏れる。
「……そうですね、秋には学園祭があります。演劇とか屋台とか。後夜祭にはキャンプファイヤーを囲みながらフォークダンスとかがあったかと」
「ほう、ダンス。きっと俺には不向きなものだ。その時までに、誰か練習相手になってくれる心優しい少女はいないものだろうか」
「はい! はい!」
「では折角だ、可愛い妹に頼むことにしよう。……無論、そこで頬を膨らませているご主人様にもだぞ? 貴族はダンスも習得しているのだろう」
「べ、別に膨らませてないし……まあ、教えてあげてもいいけど?」
「心強いな」
未来への希望を語る内、いつも通りの雰囲気が戻ってくる。なんとか落ち着きを取り戻したか。
表情の和らいだ刀花は俺の膝に座り、スリスリと頬を胸にすり寄せてきてくれている。
「むふー、なんだか楽しくなってきちゃいました。兄さんと憧れの学園生活! ネガティブに考えるのは野暮ってものですよね?」
「その意気だ俺の妹よ。俺が試験を突破した後に、刀花は共に何をしてみたい」
「そうですねぇ……『あっ、もう兄さん。校門で待ち合わせって言ったのに教室にまで来るなんて……恥ずかしいじゃないですかぁ』」
「え、なんか始まったんだけど……」
ギョッとするマスターを他所に、刀花は俺の膝からソファに移り、なにやら俺の方を見てそう言っている。おそらくそういうシチュエーションなのだろう。
「ふむ……『ああ、一秒でも早く刀花の顔が見たくてな』」
「乗るんだ……」
「『も、もぉ兄さんったら。みんなが見てますよう。……ごめんね? これから兄さんと晩ご飯の買い出しに行かないといけませんので』」
刀花は立ち上がり、見えない誰かに向けて片手を挙げて謝っている。なかなか堂に入った演技だ。なぜ俺の妹に芸能事務所からスカウトが来ないのか、これが分からない。
アクトレスと化した妹は再びこちらの元へ。俺を立ち上がらせ、さりげなくキュッと手を握った。
「『兄さん、晩ご飯のリクエストはありますか?』」
「『刀花が作る料理ならば、なんでもいい』」
「『もう、それが一番困るって言ってますよね?』」
「『すまない。……だが、デザートの要望ならばあるぞ』」
「『なんでしょう? 兄さんのリクエストならなんでも作っちゃいますよ』」
自信ありげな刀花はぐっと可愛らしく拳を握る。
そんな彼女の腰を、俺は強く抱き寄せた。
「『作らなくてもいい。ここに、すでに用意してあるからな。とても甘くて美味そうだ』」
「『あんっ……に、兄さん、みんなが見てます……』」
「『見せつけてやればいい……』」
「『ダメですよう……私のこの顔は、兄さん専用なんですからぁ……♪』」
「『刀花……!』」
「『兄さん……!』」
周囲の視線をもスパイスに俺達は見つめ合い、そして──!
「”オーダー”『爆発しなさい』」
「刀花ぁー!」
「兄さーん!?」
だが俺は……弾けた。
まるで強敵に見せしめに殺される戦士が如く。
「これを延々見せつけられてる私の気持ちよ」
「兄さんのことですかー!!」
「あーうるさいうるさい。というか私も同じクラスなんだから、私も一緒に買い出し行くし」
「リゼットさんはお菓子買うだけじゃないですか」
「紅茶も買うわよ。まったく、学園でそういうのやらないでね? うちの品位が疑われるんだから」
呆れたように言うご主人様はやれやれと肩を竦めている。
「それに私達にかまけるのもいいけれど、ジンは二年生で自分のクラスがあるんだから。そもそもジンが通う名目は『コミュニケーション能力の育成』が第一なのよ? そっちでも頑張ってもらわないと」
「ふん、真っ平ご免だな」
飛び散った肉体を再構築し、揺らめくようにしてご主人様の傍らに姿を現わす。
「猿と交わす言葉は持たんぞ」
「あなたねぇ……これはご主人様の命令よ。友人の一人でも作ってみせなさい」
「ユウジンだぁ……?」
理解できん概念だな。なぜ自分から煩わしい関係を築きにいかねばならんのか。
知っているぞ。休み時間になれば、共にトイレに行く『ツレション』なる友達付き合いの文化があると。
用を足すなど通常一人で済ませることだろうに、それを多人数で赴くなど……一体そのトイレで何が行われているのか。おぉ考えるだにおぞましい!
「あなた今絶対ロクでもないこと考えてるでしょ……ん、トーカ?」
怪訝そうな主人の声に視線を誘われれば、刀花はなにやら神妙な顔で顎に手をやっていた。
「どうかしたの?」
「いえ、兄さんが友達を作るとして、どんな人が兄さんの友達になるのかと想像してみたのですが……」
刀花はまるで解説するようにコホンと咳払いをして続ける。
「まず男性はあり得ません。私達にアプローチしようとする異性に兄さんは容赦しませんので、そんなリスクを自分から背負いにはいかないでしょう」
よく分かっている。
しかしここで名探偵刀花、キラリと瞳を煌めかせた。
「そうなると自然、女の子のお友達ができてしまうわけですが……その方が兄さんに好意を持ち、さらに兄さんがその方を気に入ってしまうという展開もあるのではないでしょうか!」
「「ははっ、ないない」」
刀花の推理に、主従揃って笑顔で手を横に振る。
「トーカ、よく考えなさい? だってコレよ?」
「コレだぞ?」
コレ呼ばわりに胸を張って返す。
まったく、何を言い出すかと思えば。俺も焼きが回ったものだ。まさか妹に不義理を疑われるとは。
この俺が他の女にうつつを抜かすぅ? 我無双の戦鬼ぞ? そのような事態など天地がひっくり返ってもあり得はしな──
「私も一ヶ月前まではそう思ってたんですけど……ねぇ、リゼットさん?」
「「……」」
……あっ。
「……兄さんって、実は結構プレイボーイなんですね?」
チクリと言う刀花は少し拗ねた表情。
前科持ちの俺は何も言い返せず、助けを求めるように隣の主人を見たが……
「私が言えた義理じゃないけれど……確かに、それは由々しき事態ね」
深刻そうに頷く主を見て、俺はこの分野における自分の信頼の低さを悟った。だが待って欲しい。
「いや、リゼットの場合はかなり特殊な例だろう。さすがに俺を軽薄な男だと思われるのは心外だぞ」
「軽薄じゃない分、ある意味悪いかと……」
「ジン、私と初めて会った時なんて言ってたっけ?」
「『俺は刀花一筋だ』」
「今は?」
「わんわん!」
「早まったかしらね……」
沈鬱げに俯く二人に冷や汗をかく。
いやいや。いやいやいや。
「……ジン、ダメよ?」
「……兄さん、ダメですからね?」
念を押すように言う彼女達は、いつの間にか俺の両脇に立ってこちらの腕をその胸に取る。それはまるで何者かに取られないよう、所有権をアピールするかのようだった。
そもそもまだ入学すると決まったわけでもないというのに……なんだこの空気は。
試験前日の夜は、そんな微妙な雰囲気の中更けていくのだった。




