713 「気の迷いだ!」
「すぅ……すぅ……」
「んぐ……んごっ……ぷぅ~……」
そろそろ深夜に至るという頃。
並べたベッドの中央に据えられた俺は、伸ばした両腕に美少女と美女の頭を乗せていた。
おかげで寝返りの一つも打てぬし、なんなら俺の体重のせいか段々とベッド間に隙間が生じ始めてしまっている。朝には俺の身体が二つのベッドを繋ぐ桟橋のようになっているかもしれん。
「……」
……しかし、いやなにより、それらを引いても愛おしい温もりと、柔らかい髪の質感が心地好い。二人からふわりと漂う石鹸の香りも、戦鬼の心を凪いでくれる。たとえ美女の方が無呼吸症候群特有の残念な寝息を立てていようと、そのようなこと些細な問題だろう。だが腕にヨダレを垂らすな。
「──」
「む?」
と、そこで人の動く気配があった。
両脇で眠るリゼットもティアも、今やとっぷりと夢の中。就寝前のおやすみの口付けが、よほどお気に召したのだろう。
ならば、残るはただ一人。おやすみの口付けをする俺とティアを最後まで妬ましげに睨んでいた聖剣・エクスカリバーだ。
ベッドから下りた聖剣は、どこか弱々しげな足取りで、そのまま部屋を出ていく。厠は部屋内に併設されているため、そういったわけでもないのだろう。
「……」
……少々迷ったが、俺はその後を追うことにした。
黄色い猫柄パジャマをつい目で追ってしまったというのもあるが……瞳の端に浮かぶ、キラリとした涙を見てしまった。
「すまないな、マスター。ティア」
俺は一言断り、身体を起こす。腕を動かすとさすがに起きるだろうと思い、両腕はそのまま切断して置いておくことにした。もしご主人様が起きてしまえば、目の前の"すぷらった"に絶叫が上がることだろう。その前に戻らねばな。
足で扉を開け、廊下に出る。消灯された宿は薄暗く、要所要所の燭台のみが頼りなく足元を照らしてくれた。
そうして、少しだけ歩く。気配はそう遠くない。むしろすぐ近くだ。階段前のひらけた場所、そのソファに──。
「はぁ……」
ガクリと肩を落とし、ため息をつく聖剣の姿がある。愛らしくも凛々しい顔には覇気もなく、ただただ己の内に渦巻く感情を吐息に変えていた。リゼットと同じような体格が、更に小さく見える。
とっくに俺の気配には気付いているだろうに、聖剣は顔を上げない。意図的に無視しているのだ。こやつは妖刀が嫌いだからな。
とはいえ、涙を見て見ぬふりするのはリゼット=ブルームフィールドの眷属が名折れ。酒上家の誇りある兄としても見過ごせん。孤独に浸る小娘相手に無粋であろうと、ここは立ち入らせてもらうとしよう。
俺はそのまま両足を動かし、切り揃えられサラサラと揺れる金髪が見下ろせる位置にまで近付く。さすがにこの距離では無視もできまい。しばらく、そうさせてもらう。
「……っ」
こちらが放つ無言の圧に耐えきれなくなったのか、聖剣はようやくといった様子で、じっとりと湿らせたトパーズの瞳をこちらに向けた。
「……何の用だ、童子切やす──きゃあ! び、びびびビックリ……いや、こほんこほん」
両腕の無いまま佇むこちらの姿に、聖剣は可愛らしい悲鳴を上げたが……一度二度咳払いなどして、仕切り直しを図った。
「ふ、ふん……無防備な姿のまま、むざむざと私の前に姿を現すとは。よほど狩られたいのか、無双の戦鬼?」
「笑わせるな。貴様など両足があればそれで事足りる」
「試してみるか?」
「泣き腫らした瞼で凄んでも可愛いだけだぞ」
「えっ、うそっ!?」
「無論、嘘だ」
「~~~~ッッッ!?」
「おっと」
振り下ろされた光の剣を、上げた足の親指と人差し指で止める。足での真剣白羽取りなど他愛ない。踏み込みも甘く、見た目そのままの少女らしい剣筋ならば尚更だ。
「うぅ……」
足を捻り、バキンと音を立てて剣を折ってやれば、聖剣は敵わぬと悟ったのか、力無く元いたソファに身体を沈めた。
宿の外、水路を流れる水の音色がかすかに聞こえる。燭台に灯る蝋燭の火と、その音色にしばらく身を預けていれば、俯いたままの聖剣がポツリと言葉を漏らすのだった。
「……貴様が憎たらしい」
「そうだろうな」
間を置かずに同意を示せば、聖剣はバッと顔を上げ、怨敵を睨まんが如くこちらを視線で射貫く。ほんのちょっぴり、その瞳に涙を湛えながら。
「貴様は……貴様はっ、なんなのだ……! 私のティアを、誑かしてぇ……!」
「我こそは無双の戦鬼、最凶最悪の悪鬼である。だが貴様はよくやっている。己の担い手であり恋人が、他の男にうつつを抜かすなど、胸が張り裂ける心地だろうよ」
「貴様がそれを言うのかッ!!」
「それはそうだ。仮に、俺の王達が他の男に靡こうものなら、俺も同じように涙を流すだろう。分からいでか」
「なら……ならっ……!」
「辛かろうよ。だが担い手の意思を止めることなどできはしない。たとえ我等が、担い手の行動によってどれだけ傷付こうとな。なぜならば、それが刀剣達だからだ」
「……っ、貴様なんかに、言われたくない……」
「童子切安綱だから、言えるのだ」
刀剣なぞ、所詮は物。人間の意思を止められるほど上等な存在ではない。それは刀剣類であれば共通の認識であり、この場でそれに理解を示せるのは俺だけだった。
初めての添い寝に大興奮のティアだったが、聖剣はその姿に少々耐えきれぬ情動を感じたようだ。ゆえに、こうして担い手から距離を取った。理解できる……嫉妬だ。俺に妬いているのだ、この小娘は。そしてそんな担い手の態度にすら、何も言えぬ己の無力さを噛み締めているのだ。
頬を膨らませた聖剣は、こちらの顔など見たくないといった具合にプイッと顔を背ける。
「……貴様に、何が分かる」
「ふん。人と刀剣の差異に惑う者など、心得がありすぎてな」
「いいや、分からない! 王を複数抱える尻軽妖刀になぞ! どうせ……どうせ! これまでも乞われるがままに、ホイホイとその力を貸してきたのだろうが! 悩みなどせずに!」
「……ククク」
「え……」
俺は……肯定しなかった。
皮肉げに唇を歪める俺を見て、聖剣が言葉を失う。
結果だけ見れば、確かに俺は尻軽な刀剣だ。一人一振こそが、刀剣界隈における暗黙の掟。美意識とも、矜持ともいう。
一つの世代において複数の担い手を持つ童子切安綱は、後ろ指を指されても仕方のない存在なのだ。
それを暗に認めた俺に……聖剣は、どこか戸惑うような、窺うような視線で問うた。
「……悩んだ、のか?」
「ふ……そうだな。俺の二人目の担い手は、リゼットだった。彼女に我が柄を差し出す際……少し、考えた。我が両手は妹のためのものであり、それは過去も未来も不変の事実。刀剣の契約は、担い手の一生に寄り添うことと同義。誓約なのだ。だというのに、担い手を増やすという行為は……その誓いに、泥を塗るのと変わらん。そうだろうが?」
「……ああ」
一生を妹に捧げると誓っておいて、俺はこの柄をリゼットにも預けた。『一生』という言葉は、人間であろうと刀剣であろうと重い言葉であることに変わりはない。
「ゆえに、俺はあの時覚悟を決めた。俺の柄を握った者を『必ず幸せにする』とな。お前には言い訳がましく聞こえてしまうだろうが、敢えて言葉にしておく。俺は、こんな俺などを好いてくれている少女達全員を、本気で愛しているのだ。ゆえにこそ、俺とて少女達の内、誰かが俺以外の男に懸想などしようものなら、一目も憚らず大泣きするぞ」
「自信ありげに言うことではないと思うが……」
「まぁ、そんな時は永久に来ないため、あくまで仮の話であるからな」
「む……なぜそう言いきれる」
「決まっている」
唇を尖らせる聖剣に、俺は不遜げに鼻を鳴らした。腕があれば、組んでふんぞり返っているところだ。
「俺は妖刀だが、同時に人だからだ。刀剣とは出来上がった瞬間が全盛期だが、人は違う。刀剣と違い、人は成長する。成長できる。俺は、少女達に見合う男であり続ける努力を決して惜しまない。なればこそ、少女達が俺から離れる未来もまた来ないのだ」
「っ」
こちらの言葉に、ドキリとした様子で息を飲む聖剣。伝わったか?
「俺を憎むのはよい。担い手に呆れるのもよい。だが、己の成長だけは止めるな。担い手から離れ、うじうじ泣いたところで成長などできんぞ」
「うっ、うじうじ泣いてなんかいない!」
「そうするより先に、やることがあるだろうと言っているのだ。お前は何のために人型を取っている。何のための手だ? 喉だ? 愛する担い手を、振り向かせるためにあるのだろうが」
「──ッ」
こやつにとって、俺は憎むべき恋敵だ。
そんな恋敵に鼓舞するような言葉を送られ、聖剣はさぞ矜持が傷付いたことだろう。その悔しそうな瞳が語っている。
だが……何も言い返せない。悪鬼に恋人を取られそうならば、取り返せばいい。当たり前のことに、言い返せることなど屁理屈以外にない。そしてそんな屁理屈を捏ねられるほど、この聖剣はまだまだ人として慣れていないのだからな。
人間初心者の小娘なぞに、言い負かされるほど短い人生など送ってはいない。
ますます頬を膨らませる聖剣に俺は鼻を鳴らし、隣にどかっと座る。
「クク……だが、お前は運が良い。なにせ先達が、目の前にいるのだからな?」
「……いつも思うが、なぜ先輩面する。私の方が鍛造された年代は古いというのに……」
「たわけ。成長せず時のまま朽ちるだけの刀剣に、重ねた歳など何の重みにもならんわ。人として成長しろ、聖剣。だから『頑張ったで表』など、貴様にくれてやったのだろうが」
「人として……」
「ああ、そうだ。お前が俺より魅力的な人間になれば、ティアなどさぞメロメロになるだろうよ。むしろそうしなければ、ティアは俺に夢中なままだ」
「ぐぬぬぬぬぬ……!!」
ブルームフィールド邸に来てから、ティアは悪鬼に夢中だ。あの修道女は、あまり器用な方ではない。俺ばかりにかまけ、ずっと隣にいてくれたはずの美しい花に、水をやるのを時折忘れてしまっている。男冥利に尽きることではあるが。
とはいえ、屋敷内に不和を持ち込みたいわけではない。同じ刀剣として、そして人の先達として、その内心を理解できるからこそ、こうして相談にも乗る。
こやつは俺のことが嫌いだが、俺は……最近、小馬鹿にするほどでもないかと思えてきた。聖剣の類いなど、己の正義に酔うばかりで鼻につくものが大半だが……その不器用さは、身に覚えがあり好感が持てる。
聖剣と妖刀。男と女。異性愛者であり同性愛者。
全く異なる属性ばかりを持つ我等だが……その悩みの種など、得てして同じようなものだ。
クツクツと肩を揺らせば、聖剣は再び疲れたように肩を落とす。
「はぁ……なぜ、我々は人など好きになってしまうのだろうか」
「人のために生まれるからだ。所詮、刀剣類は朽ち果てるまで、人間に振り回される運命よ」
「……上手いこと言ったつもりか」
「おう」
「……ばか」
ふんぞり返れば、聖剣はチクリと言葉で刺す。少しだけ、おかしそうに笑いながら。
僅かに和らいだ空気の中、聖剣は今一度ため息をつき、悩ましげに言う。
「はぁ……魅力、魅力的な人間か……そもそも魅力とはなんだ……?」
「万人受けが見込めるのは容姿だろう。ティアを狙い撃ちするなら、ティア好みの容姿にすればいい。万人に好かれるよりは簡単だろうよ」
「……ティアは、可愛い女の子であればだいたい好きだから……」
「なんだ。ならば条件は満たしているではないか」
「っ、お、お前は、平気でそういうことをまた……」
「罵倒ならまだしも、可愛らしいものを可愛らしいと言って何が悪い?」
「や、やめろっ、ばかっ」
頬を染め、胸をポカッと殴ってくる。
そんな、一人の乙女としてちょっぴりいじらしい様子を見て……ふむ……。
「な、なんだ、ジロジロ見て……」
「いや。ただ、もしお前が魅力的な女性に成長すれば、ティアだけでなくこの悪鬼も黙ってはいられんかもしれぬと思ってな」
「はきゅっ!?」
妙ちくりんな声を出し、聖剣はポンッと顔を赤くし煙を立てる。ふむふむ、なるほど?
「良いことを考えたぞ。聖剣、お前を俺好みの女に鍛え直してやろうか。悪鬼すら求める女なぞ、ティアとて耐えられず手を伸ばすことだろう」
「き、貴様好みの、女にっ!?」
「お前はまだまだよちよち歩きの幼女だ。だが、伸び代は悪くない。なにせ伝説の聖剣であるのだからな、そうでなくては困る。ゆえ、時折俺が教導してやろう。俺がお前に──女を教えてやる」
「お、おんな……きさまの、おんなに……?」
「どうだ?」
「そ、そんなこと……そもそも、私は男が嫌いで……」
「ならば先に、男を知るか?」
「な、なにを、言ってぇ~……」
ズイと身体を近付ければ、聖剣は「あわあわ」と口を震わせのけぞる。人の感情に混乱しているな。
「ああ、そうか。もう一つ、解決する方法があった。聖剣、お前が俺のことを好きになれば万事解決ではないか?」
「はっ、はぁ!!??」
「俺を嫌うからこそ、ティアを取られたくないのだろうが? ならば俺を好きになれば、その悪感情も消える可能性が高い。む、そうなると……クク、お前好みの男に、俺がならなければいけなくなるな?」
「わっ! 私はっ、貴様なんかを好きにはならない!」
「そうか? 試しに言ってみろ。どのような男が好きだ? 重視するものは? 容姿か? 性格か?」
「こ、好みの異性など、知らん……考えたこともない……」
「いいや、あるはずだ。世界の半分は男だ。考えずにいるには目に入りすぎる」
「う、うぅ~~~……」
「言ってみろ。俺がそれに添うかは分からんが、物は試しというやつだ。お前とて、同僚と仲の悪いままではいたくあるまい? その軋轢は担い手を困らせるものだからな」
「う、く、うぅ~~~……!!」
なぜか半泣きになりながら、聖剣はパジャマの袖をぎゅうと掴む。
至近距離からじぃと見つめていれば……前髪で顔を隠した聖剣は、蚊が鳴くほどの小声でポツポツと語った。
「も、もし……」
「ああ」
「貴様が、私に好かれたいと、する、なら……」
「うむ」
「……優しく」
「む?」
「……もっと、私に優しくして、ほしい……」
「……」
上目遣いで乞うその呟きに……ふむ、なるほど。
「ククク……」
──これは、なかなか。
俺が舌なめずりをすれば、嫌な予感がしたのか聖剣は慌ただしく立ち上がる。
「やっ、やはり気の迷いだ! いいか童子切安綱! 私のことなど好きにならなくてもいいし、私に好かれようとしなくてもいい! 私はただ、一途にティアを想う! ティアが振り向くほど魅力的な女性になる! それだけだ! いいな!?」
「おやすみの口付けでもしようか?」
「なんっ!? ばかっ! ばかばかばかっ!!」
怒ったようにそう繰り返し、聖剣はドタドタと足を鳴らし部屋へと戻っていく。
「クックック……」
──ああ、面白いな。
俺は闇の中でそう嗤いながら、まだまだひよっこの後輩メイドを想うのだった。




