71 「永久保証も付いてますよ?」
ノートに文字を綴る音と、時折紙のページを捲る乾いた音のみが支配する自室。
そんな中で、俺は一つの真理に達していた。
(勉強というのは、眠くなるものなのだな)
そう、眠い。
果てしなく眠いのだ。
特に今は昼食も済ませ、腹具合もちょうどいい。今ここで横になれたらどれほど心地よいだろうか。
しかし、しかしである。
(まだ今日のノルマが終わっていない)
そうなのだ。昨夜のオーバーワークの甲斐あってか、多少は俺も勉学のコツというものは掴むことが出来ていた。
それに則れば今朝辺りにペース的にも余裕ができていそうなものだったが……なぜか俺には朝の記憶がない。思い出そうとすれば動悸と息切れ、そしてケツの穴がキュンとする謎の症状に駆られる。これは一体……妹……うっ、頭とケツが……。
「ふぅ……」
ダメだな、集中できん。こういう時は眠気覚ましに妹を見るに限る。
俺は一つ伸びをし、昼食後からベッドに横たわり、本を読み進めている最愛の妹へと視線をやった。ちなみにご主人様は「期間限定イベントがあるから」と言って自室に引っ込んでいる。ピコピコに期間限定……?
「……」
うつ伏せで兄のベッドを占領する我が妹。
確か読書感想文、だったか。それのために本を読んでいるのだという。
そんな刀花は時折ふんふんと頷きながらページを捲る。今日は外に出るつもりがないのか薄着で、ミニスカートから伸びる生っ白い太股が目に眩しい。
そんな彼女の姿を視界に収め、俺は一心地つく。あぁ、癒やされる……。特に太股がいい。刀花は気にしているようだが、俺はこれくらいむっちりとした太股の方が好みだ。健康的で、なにより美味そうであるし。
「? ……♪」
視線に気がついたのか、刀花は一瞬不思議そうな顔をしたが、俺の視線が太股にいっているのを見てクスリと笑みを浮かべた。
ポフ、ポフ
悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は、ゆっくりとバタ足をするように足を動かす。
右、左、右、左。足が落ちるたびに布団の柔らかそうな音が鳴り、俺の視線も交互に吸い寄せられてしまう。
挑発的な動きだ。猫じゃらしを前にした猫のように、妹の健康的な足から目が離せない。
足が動くたびにミニスカートの裾が捲れ、下着がチラチラ見えそうなのもポイントが高い。素晴らしい眺めだ、五億点妹ポイントをやろう。ちなみに今は累計五京ポイントたまっている。一ポイントで兄を好きにできる権利と交換できる優れものだぞ?
「ふふ、どーこ見てるんですか?」
「……黒か、大胆なものを履いているな」
「あれ、そうでしたっけ……もう、違うじゃないですか」
当てずっぽうで言った下着の色に、彼女は首を傾げてチラリとスカートを捲って確かめる。ふむ、青だったか。
「見えているぞ、いいのか?」
「わかってませんね、兄さんは」
身体を持ち上げ、刀花はちっちっちと舌を鳴らして指を振った。
「いいですか、下着は一般的には隠すためのものです。しかし好きな男性の前だとあら不思議、それは見せるためのものに変わるんです。見せなきゃ意味ないんです」
「そういうものなのか?」
「じゃないと勝負下着なんて言葉できませんよ。ほら、見てください。このワンポイントのリボンがキュートなんです! そう思いませんか?」
さすがにスカートを自分で捲りはしなかったが、ベッドの縁に座ってこちらに見やすいようにしてくれる。
彼女の言うようにクロッチの上部。そこにチョコンと存在を主張するようなリボンが一つ。レースに縁取られた下着の中で、そこだけ一層可愛さをアピールしているように見えた。
「ほう、言わんとしていることは分からんでもない」
「どうです? 妹の下着にドキドキしますか?」
「下着にドキドキはせんが、可愛らしいとは思う」
平気なふりをしつつも少し赤くなっているその表情も相まってな。
なるほど、下着単体ではそれほどでもないが、妹が今履いている下着という背景と羞恥が組み合わさり、男性の目に魅力的に映る……のだろう、多分だが。いわゆる技ありというやつなのだな。俺はまた一つ賢くなってしまった……。
「勉強になるな」
「テストに出ますからね」
「どれにだ、保健体育か?」
「妹学概論です」
大学レベルなのか……ノートに取らねば。
──と思ったら既にノートにはレビューのように妹の太股と下着について事細かに記してあった。うーんこれはイモウトシュランで星三つです。無意識でも妹の可愛さについて記録する我が右腕が誇らしい。リゼットから借りたノートだが、消すのも面倒だ。そのままにしておこう(あとで滅茶苦茶怒られた)。
「……どうですか、お勉強の方は?」
「眠い」
話し込んでしまったが、そもそも眠気覚ましのために妹に視線をやったのだった。
正直に答えると、刀花はコロコロと笑って立ち上がり、俺の隣に腰を下ろした。
「今は……数学ですか」
「見たところ他の教科は暗記でなんとかなりそうだが、これがどうにも」
「確かに、数学は数をこなすのが大事ですからね」
公式を覚えるのも大事だが、それを使いこなすのもコツがいる。使い慣れぬ武器を習熟するのと似たようなものだ。
「だが、単調な作業というのは得てして飽きが来るというものだ」
「で、おねむなんですか?」
「ああ。だがまだあと数ページあってな」
多少は慣れたとはいえ、まだまだ勉強不足だ。二人から課されたノルマはこなしておきたい。
唸る俺に、隣の刀花は「うーん」と悩ましげな声を上げた。
「でも休憩も大事ですよ? 寝てる間に知識は蓄えられていくんですから」
「……あまり俺を甘やかさないでくれ」
甘やかしたくなるだろうが。
苦悩する俺に、しかし刀花は顔を明るくしてこう言った。
「じゃあこうしましょうか。あと一時間でノルマがこなせたら、私がご褒美を上げます。それなら頑張れますよね?」
「……ほう、褒美とは?」
「……むふー」
刀花は笑って膝を崩し、その肉付きのいい太股にそっと指を這わせた。
「ふふ、おねむなんですよね? ここに兄さん専用ふかふか枕があるのですが。お値打ち品ですよ?」
「だが、お高いのだろう?」
「ふっふっふ、今ならなんと一時間勉強を頑張るだけで、無料でご提供させていただきます!」
「買った!」
「レディゴーです!」
妹の合図と共に、タイムセールに向かう主婦が如く闘志を燃やしてシャーペンを走らせる。
その勢いは雷光が如く、妹の膝枕を前にした俺を止められる者などなにもない。
舐めるな、無双の力……! ククク、ハーハハハハハ!!
──詰まった。
不味い。非常に不味い。
俺は問題文を読み解きながらもさりげなく壁に掛けた時計を見る。
ノリノリで始めたのも久しく……残り五分。この問題さえ解くことが出来ればエデンはすぐそこだというのに。ええい、この俺の邪魔をするな!!
そもそもなんなのだこの証明というのは! 計算問題に読解力を混ぜるんじゃない! 毛色の違うものが合わさってもはやワケが分からんぞ!
くっ、俺が妹を愛する証明であれば簡単にできるというのに。俺は妹が好き。妹は俺が好き。よって俺達は相思相愛である! やったー。Q.E.D.
「はい、残念ながら時間切れでーす。妹膝枕は売り切れてしまいましたー」
「はっ、しまった」
またしても真理に辿り着いてしまったことに気を取られ、目の前の証明問題をほったらかしにしてしまっていた。なんということだ……!
「再販を要求する」
「一点物ですので」
無情な言葉にガクリ、と肩を落とす。あぁ、俺のエデンが、極楽浄土が……。
「……ふっふっふ、お客様? 合言葉を言ってくだされば、より特別な商品をご提供させていただきますよ?」
「なに?」
内緒話をするように頬に手を当て、刀花はあくどそうな顔をしてみせる。気分はすっかり悪徳商人だった。
「合言葉とは?」
「なんでしょうねー? きっとあなたの大切な人が喜ぶ言葉だと思うんですけどねー?」
なるほど、そういう趣向か。
いじらしくおねだりする妹を背中から抱き寄せれば、抵抗もなくすぽっと腕の中に収まった。
「刀花」
「んっ、ふふ……なんですか?」
耳元で囁けばピクリと肩を跳ねつつもくすぐったそうに笑う。
「好きだ、刀花」
「うーん、ちょっと違いますねー」
なに?
てっきり喜ぶ言葉と言うからこれを選んだのだが。
「確かにそれも嬉しいですけど、うーん……今は学園に関することが、妹的には熱いです」
「学園?」
どういうことだ。
「学園を褒めればいいのか?」
「違いまーす」
ぶぶーと胸の前で×印を作る。
「私、今まで一人で学園に通ってたじゃないですか。だから兄さんが学園に通えるかもって話になって、実は今すごくワクワクしてるんです」
「ほう」
バイトのため、俺が学園に通う金銭的余裕も時間もなかった。まあそもそも戦鬼が学園に通うなどおかしな話なのだが、それは置いておこう。
「『兄さんと登下校できるんだなー』とか、『行事も一緒に参加できるんだなー』とか。今だって、一緒にお部屋で勉強してるのも兄妹っぽくて、内心キュンキュンしてました」
「……なるほど」
……これは俺の落ち度だ。一緒に勉強をする、そんなことすらできていなかった。
一般的な家庭の基準など知りようもないが、おそらくありふれた話なのだろう。きっと刀花も、これまでクラスメイトの兄の話を聞いたりしたのかも知れない。
他の家庭での一般的な兄の話を聞いて、刀花はどう思っただろうか。やはり、羨んだりしたのだろうか。
家を出てバイトばかりしている兄よりも……。
「──今、私が怒るようなこと考えましたね?」
「む」
気付けば、刀花は俺の顔を見てじっとりと目を細くしている。余計な考えなどお見通しという顔だ。
「……分かるか?」
「はぁ……やっぱりそうなんですね」
……かまをかけられたようだ。
「いいですか、そういう話はしていません。私は単純に兄さんと学園に通えるのが嬉しいなって話をしているんです。他の家のお兄さんなんて関係ありません。むしろいりません。そもそも私の兄さんが劣っているなんて思ったこともありませんし、兄さんは私にとって最高の兄さんなんですから」
指をピンと立て、まさに立て板に水が如く俺への信頼を語る。その様子に少し圧倒されながらも、俺の胸には温かい熱が灯った。
「……まったく、俺にはもったいない妹だ」
「もう……違うでしょう?」
またもや睨まれる。
ふ、そうだな。どうも勉強のし過ぎで調子が悪いらしい。
俺は妹を抱き直し、宣言するように声を上げた。
「さすがは俺の妹だ、この無双の戦鬼の妹を名乗るに相応しい。然る後に学園へ共に通い、他の家の兄妹なぞ霞むほどの絆を見せつけてくれよう」
「むふー、それでこそ私の兄さんです」
芝居がかった俺の言葉に、自慢の妹は嬉しげに笑う。
そうとも、俺以外の兄などこの妹には不要である。妹の願いを全て叶える仕事は、この俺以外には務まらん。務まられてたまるものか。
「ふふ、ふふふ……妹のお胸をキュンキュンさせてくれた兄さんには特別商品でーす」
腕の中の刀花は一つ俺の頬にキスをしてから、スルリと抜け出しベッドへ向かう。
ゴロンと寝転がった我が妹は、瞳に情愛を湛えながらこちらにその両腕を伸ばした。
「なんと、等身大妹抱き枕です!」
楽しげに笑って俺をベッドへと誘う。
まんまと釣られた俺はすぐさまベッドに直行し、俺専用に誂えられた枕を正面から抱き締めた。
「いい枕だな、気に入った」
「こちら別途料金がかかります」
「無料ではないのか」
「時価です」
それは怖い。怖すぎて二度と手放せなくなりそうだ。
「いくらだ、言い値で買おう」
「お金ではないんですねー、これが」
「ほう」
クスクスと胸の中で笑う少女は、金銭以外に何を要求するのか。
「通貨は何だ?」
「当ててみてください……時間制限はありませんので、いーっぱい試していいですからね……」
「それはいいことを聞いた」
いじらしく唇を突き出す妹を抱き締めながら、俺は手始めにその桃色の花弁にキスという対価を支払ってみるのであった。




