673 「まーまーまーまー」
週末の、良く晴れた昼間。
本日の業務を朝の内に切り上げた俺は、目的地に向け街を征く。
今日はそう、以前に綾女が提案していた『追試お疲れ様会』を行う予定の日だ。
「……」
ラブホテルで。
「…………」
それももちろん、二人きりで。
「………………」
いや……場所に関して、彼女に他意はないはずだ。こう言っていたではないか。
『臨時白虎のお手当てでちょっと怖いくらいの金額もらってて! それも相談したくって、できるだけ二人きりになれるところでお話ししたいだけだから!』
そう、そうとも。きっとそれが全てだ。邪なことなど欠片もない。場所の指定がラブホテルだからといって、あまり男に都合のいい考えばかりしていてはきっと鼻で笑われよう。『頑張ったご褒美に、あやを……あげるね♡』といった台詞など出ようはずもない。刀花ですら言わなかった。ところで『ゴ有ホ込み』とはどういう意味だったのだろうか。
「うむ」
十八歳たりとはいえ、彼女はまだ十代の少女。それが見たこともないような大金をひょんなことから得たというのだから、それは内密に相談したいと思うのも当然のことだろうとも。
ゆえに、他者の目もなく、静かで、飲食もできて、かつリラックスできるような環境となると……ラブホテルしかあるまい。そうだろう? そうなのか?
「郊外の森で"ぴくにっく"ではダメだったのだろうか……む?」
一瞬、当然の疑問に行き着きそうになりつつも、俺は以前にも世話になったホテルの前に着く。
しかし、綾女の姿がないとなると首を捻らざるをえない。あの綾女といえど、やはりホテル前で待つというのは恥じらいが勝ったのだろうか。不埒者に声をかけられれば、我が機巧が即座に反応をするためそういったこともなさそうだが……。
「ん……」
袖の中のスマホが震える。
確めてみれば、やはり綾女からの手紙であり──、
『305号室で待ってるね♡』
そんな文言と共に、一枚の写真も添付してある。
──片手で目元を隠し、ブラウスのボタンを大胆に外して、豊かな谷間を上からの画角で見せ付ける……そんな写真が。
「ふ~~~~~~~……」
俺は静かに目を閉じ、虚空に向け大きく吐息をついた。
慌てるな。まだ分からない。彼女がどんなつもりなのか。なぜそのような写真を送ってきたのか。目元を隠しているというのになぜこれほど卑猥なのか。ほぼ先端まで見えているたっぷりとした乳房の、それを支えるブラが見当たらないがそれはどうしたことなのか。ここに来る途中で落としてしまったのか。もしやそれを探してこいという指令なのかっっっ。
「……いざ」
まだ慌てるような時間ではない。
なに、部屋に行けば全てが分かる。臆する必要などあろうものか。近頃改善されてきた性生活を再び乱されるようなことにはならないはずだ。彼女は現代に蘇った聖なる神刀の担い手にして、清く正しい学級委員長だぞ。むしろそう思う方が失礼に当たろう。
そんな思考とは裏腹にゴクリと唾をのみ、受付に一声かけてからエレベーターに乗った。
ゴウンゴウンと鳴るエレベーターがチンと到着を知らせ、薄暗い通路へと出る。細長く妖しい雰囲気に、巨大な蛇の腹の中にいる幻覚を見た。
そうして歩を進め、彼女が待つ部屋の前へ立つ。人身御供として古の妖怪に捧げられる稚児などは、恐らくこういった心境だったのだろうか。
「──っ」
スマホで到着を知らせてから、コンコンと扉を叩く。
すると小さく隙間が空き、ほっそりと白い手がシュルリとこちらへと伸びてきた。やはり妖怪か?
その手に誘われるまま部屋へと滑り込み、まるでダンスで位置を入れ換えるような動きをして俺は部屋の方へ。綾女は扉付近に立ったまま……、
──笑顔でカチャリと、後ろ手に鍵をかけた。
「ふふ、刃君♪ 待ってたよ♡」
「あ、ああ、綾女。これは──」
「まーまーまーまー」
何かを問う前に「まーまーまーまー」と言葉を遮られ、彼女は正面からぎゅっと抱き付いてくる。おかげで淡い青のブラウスを窮屈そうに押し上げる豊満な乳房がこちらの胸板で柔らかそうに潰れた。
この感触……やはり何も着けていないな。というより、彼女は上のブラウス以外何も身に付けてはいなかった。ここへ来る途中でスカートやショーツ、靴下も落としてしまったのだろう。綾女は時折うっかりをするからなぁ……。
「綾女、落ち着──」
「まーまーまーまー」
そのまま淫蕩な笑みでペロリと唇を舐める彼女に口を塞がれ、和服の帯を慣れた手付きでほどかれる。
そうして肩からはだけてしまえば、俺は途端に全裸の戦鬼に転職である。この薄着の意味は……はっ、分かったぞ。さては"ぱじゃまぱーちー"だな!? だが俺とて寝る時でも服は着ているぞ。
「まぁ待て綾女──」
「まーまーまーまー」
トントンと背中を押され、風呂場へと移動。
「綾女──」
「まーまーまーまー」
その流れのままに身体を洗われ。
彼女が羽織ったままの一枚の薄いブラウスが水に濡れ、ピッタリと肌に張り付き、その地肌と身体の陰影をより一層いやらしく引き立たせ。
「綾──」
「まーまーまーまー」
身体に付着した水滴も満足に拭わぬまま、そのままベッドへと押し倒され。
「あ──」
「まーまーまーまー」
ブラウスのボタンを全て外した綾女に上を取られ。
「綾女、今日はお疲れ様会では──」
「うんっ。頑張ったご褒美に、あやを……あげるね♡」
言った──!!
「いや、しかし相談事があると──」
「うんうん、そうだね。それじゃあ……挿れるね?」
「あや──アッーーーー!」
~学級委員長が不良生徒にご褒美をあげています。しばらくお待ちください~
「ふぅ……♡ ふぅ……♡ ふふっ♪ 刃君のエッチ♡」
「……おう」
「じゃ、そろそろ出よっか?」
「おう……いや待てい!」
「え?」
おかしいであろうがっっっ!!!!!
「お疲れ様会とはっっっ相談事とはっっっ」
「あ、そっかそっか。つい……えへっ♪」
「可愛く笑っても全てを『まーまーまーまー』で済ませて俺を犯した事実は覆らんぞ」
「ちょっと刃君、通帳見てよ……あんな金額初めて見ちゃって……」
「綾女」
「よいしょ、よいしょ」
「綾女」
神刀の担い手が神刀の言うことを無視した……。
ベッドの上に座り、互いに正面から抱き合っていた姿勢をとく。
ベッドを這う彼女は少しヨレたブラウスのみを着たまま鞄に手を伸ばし、その件の通帳とやらを取った。それ以外の衣類を着る選択肢は今はないのか、彼女はそのままこちらへとにじり寄り、俺の両足の間に収まる。
そうして彼女は、小さな背中をトンとこちらの胸に預け、こちらにも見やすいように通帳を広げてみせる。眼下に覗くその顔は、少々困り顔だ。
「どう思う? これ……」
「ん……確かに学生が持つにしては、といった具合ではあるな」
「でしょ? だから……うん……どうしようかなって……」
「まさか『返す』だの『全て募金する』だの言うのではあるまいな」
「……う~ん」
冗談のつもりだったのだが、本気で悩まれてしまった。待て待て。
「綾女」
「う、うん」
俺は彼女の柔らかなお腹に手を回し、優しく抱き寄せた。
「確かに子どもには過ぎた金ではある。だがその額というのは、綾女の働きに見合った……いや、はっきり言ってその程度では足りぬ。それだけの働きに、せめて報いようとせんがためのものなのだ」
「そ、そうかなぁ……私はなにも……」
「綾女がいなければ、京都の妖怪は死滅していたかもしれんのだぞ? 陰陽局とて無傷では済むまい。戦争へと発展しかけたそれを互いに無傷で終えられた奇跡など、本来であれば値段のつけられぬことだ。それを『なにも』とは最早嫌味だぞ。己のことであっても、そこはきちんと評価せねばならん」
「う、うん……」
「それであってなお『返す』と。『全て募金する』と言うのであれば俺は止めん。その金は結局、綾女の金なのだからな」
「うん……」
「だが、綾女は確かに京都の平和を……ひいては俺が過去に大切にしていたものを守ってくれた。俺も、陰陽局も、妖怪横丁に住む妖怪達も、きっと感謝している。その額には、そういった感謝ももちろん込められているはずだ。その金の使い方は綾女次第だが……俺は、綾女が綾女のために、それらを使ってくれたのならばとても嬉しく思う」
「……そっか。そうだよね」
命は金では買えぬ。
だがその価値を示すことはできる。感謝の念もな。いくらであっても足りるものではないが。
そんな金ならばきっと、当人のために使ってくれた方が……金も喜ぶというものだろう。
腕の中でじっと考え込んでいた綾女は「うん」と一度、だがしっかりと頷いた。
「分かった。じゃあ大切に、使わせてもらうね」
「それがいい。てっきり、何に使おうか迷っている……といった相談かと思っていたぞ」
「まぁ、それもあるんだケド……」
こちらに体重を預け、綾女は悩ましげに足をパタパタする。
「お父さんとお母さんに恩返しするのは当然として……じ、刃君は?」
「ん?」
「あ、そうだ。私だけじゃなくて、刃君のおかげでもあるんだからさ。半分こしない?」
「せん。その成果において、俺はあくまで綾女の振るう装備品に過ぎないからな。俺の手柄は全て綾女のものだ」
「そ、そんな寂しいこと言わなくても……」
「ふむ。ならば、俺のためにも何か使ってくれたらそれでよいのではないか」
「あ……う、うんっ、そうだね! ちなみに刃君って、今何か欲しいものとか……?」
嬉しそうに後頭部をこちらへ擦り付ける綾女の頭を撫でながら、俺は「ふぅむ」と唸る。
「少女達のために買いたいものならば腐るほどあるが、俺自身のものとなるとな……物欲が薄いゆえ。正確には金で買えぬものに価値を感じるがゆえにな」
「あー……そうだよねぇ。うーん……」
「まぁだが、すぐに使おうとせずともよいだろう。金など近い将来、あればあるほどよいのだからな」
耳に囁けば、彼女は「しょ、将来……」と赤くなる。
「えとえと……それって、あの……け、結婚費用とかっ、養育費とかっ?」
「それもあるが、近場で言えば大学の下宿代などだな。この金があれば、それなりのところに部屋を取れるだろう」
「……あぁ。う~ん……」
なぜかテンションが下がってしまった綾女。以前にも部屋については少し話したが、恐らく家賃も安く手狭な物件に住みたいと思っているのだろう。俺とずっと近くにいるために。
とはいえ俺としては、綾女にはのびのびと大学生活を謳歌してもらいたい。親元から初めて離れた生活というのは、それはそれで趣がある。
……加えて言えば、ずっと近くにいると、今日のようなことばかりになりかねん。別の世界の俺達のように、大学生で子持ちになるというのは生き急ぎすぎているだろう。
それらの事情を鑑み……俺は綾女に再度囁いた。
「手狭な物件も情緒があり悪くないが、広めのものもそう捨てたものではないぞ?」
「そ、そうかな……?」
「ああ……まるで一軒家のようなところに住めば……」
「す、住めば……?」
「──円満な新婚ごっこが捗るだろう」
「はっ──!?」
盲点をつかれたと言わんばかりの反応に、俺は勝利を確信した。
「手狭な物件も決して悪いものではない。だが生活の"ぐれーど"を下げることなど、言ってしまえばいつでもできる」
「うん、うん……!」
「だが近い将来、我等は夫婦となり喫茶店を切り盛りしていくというのだ。今のダンデライオンのような店舗と住居が一体化したものか、それとも自宅と店舗が分かれているものかはまだ分からんが……それなりの邸宅に住み、共に家庭を築くことは絶対であるはずだ」
「家庭を、築く……! う、うんっ!」
「これはその練習なのだ綾女。練習で手を抜く者が、果たして本番で実力など発揮できようか? 手狭な部屋で苦労をするより、いっそ夫婦生活を最初から想定した物件を選んだ方がよいはずだ。生まれてくる命のためにもな。この金とてそうだ。将来経営者となるのならば、大きな金の使い方や、その貯め方にも慣れておかねば。それがひいては綾女のためになり、俺のためにもなる。綾女も常、理解しているであろう?『予習をするのはよいことだ』とな?」
「うん……! その通り……その通りだよ!」
「そうだろうそうだろう」
俺が頷いていれば、綾女はぽわんぽわんとして妄想の翼をはためかせている。
「ふわ~……そっか……新婚さん……新婚さんの予習かぁ……♡」
「もちろん……綾女が、俺の妻になることが嫌でなければの話だがな?」
「もう、刃君意地悪だ……なるもん。刃君のお嫁さんに♪」
「それは嬉しいことを聞いた。ならば綾女は俺の嫁であり、可愛い幼妻だな」
「う、うんっ♡ えへへ……」
今一度抱き寄せれば、火照った身体がじんわりとこちらの胸板に熱を伝えてきてくれる。
少々強引な話の流れだったが、無事に彼女の悩みを解決できたようだ。金の受け取り方から、金の使い方まで。こうして一歩ずつ、大人の仲間入りを果たしていくというわけだ。その成長ぶりを隣で見られることは、俺にとってなによりの幸福である。
「よーし。刃君、内見とかも行こうねっ」
「ああ。二人の愛の巣を探しにな」
「えへへ♡ うん、それじゃあ……」
「ああ」
話が一区切りしたのならば、そろそろホテルから出るか。まだ日中のため、そこらの喫茶店で茶の一杯でも飲む時間はある。
そう次の計画に意識を割こうとしていれば、彼女はニッコリと幸せそうな笑みをして言った。
「じゃあ──二回戦目、しよっか♡」
なぜそうなる。
「綾女、しっかりしろ。こういった行為にのめり込んでしまうのが怖いと言っていた綾女はどこに行ったのだ。昔を思い出せ」
「刃君……私、思ったんだよね」
「……何をだ」
再びこちらに向き直り、両肩に手を置く綾女の目は……燃えている!
「『学生の本分は勉強』、そうだよね?」
「そうだな。ゆえに──」
「でもさ、私は"青春"だと思うんだよね」
「……お、おう」
それは……どう違うのか。
視線で問えば、綾女はこちらの目を真剣に見つめ続けながら言う。
「確かに勉強は大事だよ。でもそれと同じくらい、遊びも大事なはずだよね?」
「そう、だな……?」
「結局はバランスの話なんだよ。勉強ばかりじゃよくないし、遊びばかりでももちろんダメ」
「う、うむ……」
「じゃあなにが一番かって──勉強も遊びも、どっちもいっぱい楽しんじゃうのが一番いいことなんじゃないかな?」
そうなのか……? そうなのかもしれん……?
「私も刃君も、試験を頑張った! 追試も頑張った! なら今度は、遊びの方も頑張らないとっ!」
「だからといってこうした遊びは不健全では……」
「そんなことないよっ! 刃君言ったよね!? 練習で手を抜く者が、果たして本番で実力など発揮できようかって! 今聞いたよ!」
「そ、それが……?」
「──将来のお嫁さんと……赤ちゃんつくる練習、しなきゃ♡♡♡」
──俺は墓穴を掘った。
他人の言葉ならばいくらでも逃げられるが、己自身の言葉からは決して逃れられんのだ。
「それじゃ……挿れるね? 旦那様……♡」
「ま、待て……落ち着くのだ綾女……」
「む……刃君は、あやとエッチしたくないの?」
「したくてたまらないから困っているのだ」
「っ♡ えへ、私も……♡ だいじょぶだいじょぶ。エッチも勉強も、どっちも頑張ればいいだけなんだから。ね♪」
「とはいえ、ものには限度というものがあってだな……俺は現に、追試の憂き目となり──」
「えいっ♡」
「アッーーーーーーーーーーー!!」
俺は……誓った。
綾女と不用意に、二人でラブホテルには入らぬということを……。




