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俺のマスターは吸血姫~無双の戦鬼は跪く!~  作者: 黎明煌
第二章 「無双の戦鬼、少女達と夏休みを過ごす」
54/751

54 「少しだけ」



「はぁ……」

「……」


 これで八回目、か。


 俺達主従は現在、夜景を眺めながら観覧車に揺られている。

 彼女は正面の小さなシートにちょこんと座り、壁に身体を預け小窓から夜景を見下ろしていた。

 近くに見えるは、日が沈んでも絶えることのない園内のイルミネーション。そして満を持して登場した色彩豊かなパレードの煌めき。

 遠くには星の輝きと、その下に人間達の温かい家庭の光が灯っており、小窓から見た風景はもはや小さな宝石箱を覗いている気分にさせてくれる。

 しかし……、


「……」


 リズの紅い瞳はその輝きを受けてなお、寂しげな光を湛えている。

 去りゆく楽しい時間を嘆いているのか? 人間が織りなす一瞬の風情を儚んでいるのか?

 ……おそらくそうではないだろう。

 彼女のこの沈んだ表情。原因には心当たりがある。


「……羨ましかったか?」

「っ」


 そう聞くと、彼女は一瞬肩を震わせて目を伏せた。どうやら当たりらしい。


「よい母であったようだな」

「……そうね」


 ぽつりと呟く。その瞳に映り込んだ影には、昼間に見た迷子の童女とその母が見えているのだろう。


 ──あの童女を迷子センターに送り届けた際。

 その母は既に迷子センターに駆けつけており、童女の姿を見るやいなや涙を流しながら童女を抱き締めた。何度も謝りながら。

 どうもこの者らは母子家庭であり、忙しい時間を縫ってこの遊園地に遊びに来ていたらしい。ようやく取れた休みに時間いっぱい自分の子どもに楽しい思い出をプレゼントする。それが少しのミスで、危うくご破算になるところだったのだ、母親の危機感は伺い知れん。

 親子は俺達に何度もお礼を言いながら、楽しい思い出を増やすために再び賑やかな雑踏の中へと消えていった。

 互いに笑い合いながら、その手はしっかりと繋ぎ合って。

 その様子を、リズは嬉しそうにしながら手を振って見送った。


 ……最後まで童女に不安を与えないよう我慢して。その瞳の奥に隠した寂しさが溢れないように。


 それからというもの、どのアトラクションに乗ってもどこかいまいち楽しみきれない様子で、時たま溜め息をつくようになってしまった。

 そのうち気も晴れるかと思っていたのだが、最後のアトラクションである夜景を前にした観覧車に乗っても、彼女の気持ちは落ち込んだままなのだ。


「……」


 原因を言い当てた俺に、彼女は目を伏せたまま何も言わない。気まずいのか。いい年をして恥ずかしいと思っているのか。

 急かすことはせず、彼女の気持ちが落ち着くのをじっと待つ。観覧車の駆動音と、下から聞こえるパレードのくぐもった音楽のみがこの場を支配する。

 そんな中で気持ちの整理が付いたのか、彼女はぽつぽつと語り出した。


「昔、お母様とね……話してたの」

「……」


 黙って頷き、続きを促した。


「あなたも夢で見たから知っているでしょうけど、お母様って、いわゆる愛人ってやつだったのね」


 ……やはりか。

 まぁ、でなければリズが家の中であれほど疎まれることもなかろう。夢で見た小さな屋敷も、彼女達にとっては檻だったのだ。


「私は学校もあったからある程度は外に出られたけれど、お母様は身体も弱くって、全く外には出られなかったの」


 吸血鬼でも病気になるのか。とはいえ伝承のように不老不死ならば、この世には吸血鬼が溢れかえっていることになるか。

 詮無いことを考えながらも、彼女の言葉を聞き続ける。


「だから私達は外の写真とかを見て、ここに行ってみたいね、とか。いつか行きましょうね、って……お話しすることしか、できなくて」


 少し、声が震えた。


「そんな中で、ね。夢だったの」


 彼女は肩を震わせながらも、何かを吐き出すようにして声を出し続ける。


「『いつか一緒に遊園地に行ってみたいね』って」

「……」


 だから、どこに行きたいか聞いた時に、遊園地に行ってみたいと言ったのか。


「重ねてしまったか」

「……うん。いいな、って」


 昼間の親子を思い出す。普通に生まれ、少し大変だが普通の愛を注ぎ、注がれ。そして普通に生活して普通に親子のやり取りをする。この世界においてありふれた幸せなのだろう。


「私には、眩しかったわ」


 そんな普通の幸せを、享受できない者がいる。生まれからして普通ではなく、普通の親子のように出かけることもできず、普通の家庭環境で育つこともできず……ここまできた。羨むのも当然なのかもしれない。

 自分ではどうしようもできないこと、それを前にして、彼女は儚げに問い掛けた。


「……普通って、なんなのかしらね」

「俺には門外漢に過ぎる」

「……ふふ、そうね」


 最も普通から縁遠い俺に分かるはずなどない。異常への対処のために異常を重ねて作られた俺には。


「……お母様」

「……」


 再び小窓に目をやり、無意識に母を呼ぶ少女。

 そう、俺には普通のことなど分からない。

 今、目の前で涙を堪えている小さな少女を慰めるのならば……普通なら抱き締めたり、頭を撫でたりするのかも知れない。

 だが、母を想う少女の頭を俺が撫でたところで、抱き締めたところで、それは他人の手で、他人の身体だ。母ではない……今のままならば。


 ――そう、俺は普通ではない。ならば異常なまま対処するだけだ。死んだ母と遊園地に来たかったという普通を、異常にな。


「ジン……?」


 俺は夢で見た彼女の母の姿を思い浮かべる。

 目の前の少女を少し儚げに、そして大人っぽくした淑やかな女性。娘と違い垂れ気味な瞳に、柔らかい雰囲気を宿した女性らしいたおやかさ。その掌は娘を優しく包み込み、この世界で生きるための大事なことを温かく伝える、母という存在。

 そんな女性を思い浮かべながら、俺は自分の身体を細胞単位で作り替えていく。


「あ、あ──」


 黒い髪は黄昏に、瞳の虹彩は血の色に。怒らせた肩は優しく、筋肉質な身体は脂肪を増やし、柔らかく。背も、少し小さかったか。

 間違い探しのように部分部分を確認しながら、新たに肉体を象っていく。そんな俺を、目の前の少女は目を見開いて見つめていた。

 そうして……、


「リゼット」

「──おかあ、さま……?」


 最後に声の調子を確認するために、彼女の名を呼ぶ。彼女は名前を呼ばれた瞬間、呆然とした様子で目の前の存在を呟いた。

 彼女の瞳に映る姿は日本人ではなく、彼女と似た異国の、大人の女性へと変わっていた。


 名も知らぬリズの母よ、少しその姿を借りるぞ。


「リゼット、おいで」

「──っ」


 夢で見た母のように、彼女に向かって手を差し伸べる。彼女が望むものを、与えるために。

 そんなかつての母の姿に茫洋としながら息を呑み、小さな少女はふらふらと立ち上がって、こちらへ歩みを寄せ──


「てい」

「あいたっ」


 じっとりとした目でデコピンをかました。


「……なにをする」

「それはこっちのセリフよおバカさん。それとお母様の声のまま男の口調で喋らないで」


 彼女は呆れたように手を腰に当て、こちらを眺めている。

 おかしい。ここは泣きながら母の胸に飛び込む流れかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。


「……せめて再現だけでもと思ったのよ?」

「似てるだけじゃない。それにお母様には右目の下に泣きぼくろがあるの、詰めが甘いわ」

「あ、あら……?」


 指摘され、咄嗟に泣きぼくろを生成するが時既に遅し。彼女は唇を尖らせてこちらを非難する。


「だいたい発想が安直なのよ。確かにすごいわよ? でも姿だけ似せても中が伴ってなければただの風船じゃない。それに今似せたところで遊園地の思い出は増えないし、もっと言ったらお母様はもっと儚げでとっても綺麗だったわ。髪はもっと滑らかで、もう少し鼻は高くって──」

「は、はい……」


 次々とされるダメ出しに修正を入れながらも頷くしかない俺は肩身が狭い。あ、安直……。

 しばらくガミガミと口を動かしていたリズは一つ溜め息をつき、満足したのか肩の力を抜いて言った。


「……もう、バカなんだから」

「……ごめんなさいね」


 うぅむ、やはり俺が立ち入るにはデリケートすぎる問題だったか……。贋作とはいえ真に迫ればあるいはと思っていたのだが。そもそも親というものを知らん俺には専門外にすぎ──


「本当に──バカなんだから」

「!」


 軽はずみな考えに反省していると、唐突にラベンダーの香りが鼻腔をくすぐる。

 いつの間にか、リズが正面からこちらの胸に飛び込み、顔を埋めている。


「……ダメね。外側が偽物って分かってても。その目がね、そっくりなの」

「うん……?」


 よく分からずに聞き返すと、彼女は顔を強くこちらの胸に押しつけながら、小さく呟いた。


「私を心配してくれる目。私を愛してくれてる、温かい光が灯った目がね、そっくり、なの……っ……」


 途中で肩が震え、途切れながらも彼女は言葉を紡ぐ。

 彼女は外側の偽物ではなく、内側にある本物をその目に垣間見たのだ。


「だから、だからお願い……一瞬の幻でもいいから」


 キュッとこちらの襟を握り、掠れた声で呟く。

 押しつけられたことでこちらから表情は見えないが、じんわりと、触れた部分に温かく濡れた感触が広がっていくのを感じた。


「──少しだけ、泣かせて」

「……えぇ」


 強く生きろと言われた彼女は泣き顔を見せない。

 だが一夏の幻の前では、その鎧を脱ぎ捨ててもいいのかもしれない。それくらいは、許してくれるはずだ。


「リゼット」

「う……ふ、ぅっ……」


 夢の再現のように、母の手つきで彼女の髪を撫でると、肩の震えがますます大きくなり、温かい涙の感触が胸に広がった。

 そんな、縋り付くようにこちらの服を握りしめ、母を想い泣く、迷子のような女の子を何度も何度も撫で続ける。

 普通を羨み、しかしついぞ訪れることのなかった安寧。それを甘受できず、二度と触れられない幻に手を伸ばすことしかできないこの少女に。


 少しでも、その心に安らぎが訪れるようにと。


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