49 「かみをきりたい」
「暑い~……」
「今朝は一段と行儀が悪いな、マスター」
朝食時の談話室。
机にぐでーっと上半身を預けるマスターを横目に見ながら、刀花が作ってくれた朝食を箸でかきこむ。
最近日本の気候にバテてきたリゼットを気遣い、今朝のメニューは胃に優しい冷やし茶漬けだ。鮭のほぐしや塩で揉んだキュウリも美味いが、なにより昆布を浸けて一から作った出汁がきいていて美味すぎる。
刀花と共にペロリと一杯目を平らげ、既に俺達は二杯目に突入している。うぅむ、梅肉もなかなか……。
「美味い……刀花はいい嫁になるな」
「むふー、ここで問題です。私は将来誰のお嫁さんになっているでしょう?」
「ん、わからないな。しかし一つ確かなことは、刀花を娶る者は最高に幸せ者だということだ」
「ふ、ふふふ……ヒントはぁ、私の目の前にいる人です」
「難しいな。もっとヒントをくれないか?」
「五秒以内にほっぺにチューした人です」
「ははは、こやつめ。頬を出せ」
「きゃあもう兄さんったら♪」
「あなた達、朝から頭の悪い会話やめてよね……」
いじらしい妹ときゃっきゃする様子を、リゼットは頭を痛そうに手で押さえ呆れて見ている。なにを、こっちとしては死活問題だ。もしここでどこぞの馬の骨とも知れん男の名が出てきたら、俺は即刻修羅となる。
そもそも妹を嫁に出す気はないし、マスター共々俺が貰う。他の男が刀花やマスターの隣にいる場面を想像しただけで吐き気がするわ。いや吐く。
「オ゛エ゛ー」
「兄さーん!?」
「あーそういうのやめて頭に響くから……」
唐突にえずきだす俺に、リゼットはよっこいしょと身体を起こして冷めた目を向ける。そうしてようやく、お上品に蓮華を使ってお茶漬けをパクつき始めた。
「あ、これなら食べられるかも」
胡麻味噌の香ばしい香りに彼女は一瞬ほわっとした笑みを浮かべ、少し元気が出たのかパクパクと食べ進めていく。
そんなリゼットの様子を見て、我が妹はホッとした息をつき彼女に笑みを向けた。
「イギリスとはやっぱり気候とか違うんですか?」
「やっぱり湿気ねー……」
背中に流れる長い金髪を暑そうにかきあげる。
なるほど、それは確かに辛かろう。日本人ですらこの湿度には参る部分があるというのに、慣れぬ異国の彼女からしたら地獄だろう。
今日の気温はいかほどかと思い、俺はテレビのリモコンを取り電源を点けた。
『おはようございまーす、ヘルプで来た臨時お天気お兄さん新藤です! 今日は最高気温三十六の猛暑日、皆さん熱中症には気を付けてくださいねー! ……ほら姫さん、カンペカンペ』
テレビにはスーツ姿のおそらくお天気キャスターの男と、なぜか隣で顔を隠すようにマスクを付けたセミロングの黒髪を揺らす少女が映っていた。隣の少女は『水分をしっかり取ってください』と書かれたスケッチブックを持って恥ずかしそうに身体を捻っている。なんだこいつら……。
「今日も暑くなりそうですね、クーラーも少し強めにしてしまいましょうか」
「うー……お願い」
妙な組み合わせのお天気番組を流しながら、刀花はクーラーのリモコンをピッピッと操り設定温度を下げた。涼しい風が送られると、リゼットは「ふぅ」と熱の籠った息を吐き、髪を手で靡かせた。
「なんだかもうこれくらい暑いとあれね、いっそ髪切りたいわね」
──ピクリ。
「……なに?」
忙しなく動かしていた箸を止める。
にわかに信じられない言葉を聞き、俺は今一度彼女に問いかけた。
「マスター……今なんと?」
「え? ……髪を切ろうかなって」
おぉ……。
おぉついに俺を握る自覚が出てきたか。そうとも、この俺を操るというのならばスケールは常にでかくあって欲しいものだと常々思っていた。最近はガムテープを切ったり野菜を切ったりとしょっぱいものばかりだったからな。
そうかそうか……。
俺は腕を組み満足げな鼻息を漏らす。なるほどな。
──神を斬りたいか。
いやなかなかにいい提案だぞマスター、素晴らしい。むしろそうでなくてはならん。気に入らないものがあれば問答無用で斬り伏せる。その気風こそ妖刀を持つ者に相応しい。
となると狙うは天気の神。ならば地母神・主神クラスか。くく、これは大仕事になりそうだな。
「前髪もちょっと切りたいわよね」
「前神もか」
前神とは、二座以上が祭られている神社における、主だった神以外の細々とした神々だ。
初めての神殺しに二柱以上を所望するとは。まったくこのマスターめ、強欲が過ぎるぞ? いいぞいいぞ。ならば俺もそれに相応しい装備を考えねば。
「……あなたは、どっちがいいとか、ある?」
「む?」
一人ワクワクと神殺しの武器の構想を練っていると、リゼットはなんだか少し恥じらいつつそんなことを聞いてきた。
「どっちとは?」
「ほら、短い方がいいとか……長い方がいいとか」
「ふむ」
神が内包する歴史の話か?
「そうだな、(神の歴史が)長いとなにかと危険だからな、俺としては(力も弱い)短い方が安心できる」
やはり歴史の長い神はそれだけで強大だ。俺単騎ならばいくらでもやりようがあるが、マスターを神殺しにさせるには少し不安が残る。いや、しかし……
「うぅむ、しかし長いのも捨てがたいな……」
「どっちなのよ」
落ち着き無さそうに自分の髪をくるくると弄ぶリゼットは、唇を尖らせる。
なにせ初めての神殺しだ、達成感というものも視野に入れなければならんだろうて。
「長いと手間もかかるだろうと思ってな」
「まぁそうね。でも綺麗じゃない?」
散り際の話か? 確かに奴らは死ぬ時に内包する霊力を大地に返すため大きな花火を上げる。そうして時間をかけ、奴らは再び不死鳥のように蘇るのだ。その様は綺麗といえば綺麗だといえよう。
「ふむ、確かに美しいな」
「……そ、そぉ? ふふっ♪」
マスターは嬉しげに微笑む。おぉ、今から神を覆滅した時のことを想像し嗤っているのか。「いい散り際じゃない」とか言っちゃうのか。なんと頼もしい! そうでなくては!
嬉しそうなリゼットに、感激を覚える俺。しかし刀花はどこか曖昧な表情で笑いながら三杯目の冷やし茶漬けに手を付けた。
「ま、まぁ? やっぱりバッサリいくのは勇気がいるから、今は前髪だけにしておきましょうか。他意は無いわよ?」
「む、そうか?」
ふーむ、少し残念だが妥当なところか。それに前神とはいえ神は神。備えは充分にしておかねばなるまい。
「よし、方針は決まったな。場所については任せておけマスター、いい場所を知っているのでな」
「あら、意外……」
目をパチクリとさせこちらを見る。
なに昔、山に身を隠していた時にそこの地母神とドンパチやらかしたことがあってな。奴らのいそうな所は大体目星がついている、任せておけ。富士の樹海なんてお勧めだぞ。
思案していると、リゼットは目尻を下げ、柔らかい笑みを浮かべて頬杖をついた。
「……ね、なんだかデートみたいじゃない?」
「ほう、デートか。悪くない」
小洒落た言い回しをするじゃないか。神殺しの道中をデートに例えるとは。我がマスターは語彙力にも長けているな。こういったお洒落な言い回しは俺には思いつかない、さすが貴族だ。優雅……いや風雅というやつか。
「それじゃプランは任せるわね、ジン。しっかりとご主人様をエスコートしなさい?」
「心得た。相応の準備の後、我が主をデートに連れて行こう。期待しているがいい」
「ふふ、素敵よジン。楽しみね♪」
「あ、あー……」
主従の絆を確かめ合うように笑う。
そんな俺達を、刀花は微妙そうな顔で見ていた。
「……ただいま」
「お、おう。お帰り、一層可愛さに磨きのかかった我がマスター」
「あはは……」
翌日。
刀花行きつけの美容院から帰ってきたマスターは、前髪を少し切り涼しげな雰囲気になった。
それに加え彼女の目つきは冷ややかだ。今朝、気合いを入れてめかし込んだ彼女の前に、俺が神殺しの槍を携えて現れてからというもの、彼女はどこか拗ねた様子で視線を合わせてくれない。
刀花はそんな主従を見て、乾いた笑いを漏らしている。
「私、ご飯の支度してきますねー……」
そう言い残し、妹は俺の背中をポンポンと叩いてキッチンの方へ向かっていった。妹からエールを貰った俺は、静かな玄関ホールで彼女に対峙する。
リゼットは自分の部屋に戻ることもせず、唇を尖らせて腕を組んでいる。相変わらず視線は合わせてはくれない。
「……髪切った?」
「切ったわよ、えぇ髪をね」
あぁだめだ。掴みのつもりが思い切り地雷であった。
「綺麗になったな」
「当然よ」
「か、勘違いをしてすまなかった」
「それはもう許したって今朝言ったでしょう」
賞賛も駄目、謝罪も駄目。
言葉を重ねるたびに彼女の視線は鋭くなっていく。さっさと立ち去ってもいい雰囲気なのだが、彼女はここから動く気配はない。お、俺は一体どうすれば……。
「お、”オーダー”をくれ、我が主」
「私、眷属は甘やかさない主義なの」
うっ。自分で考えろと仰せだ。
で、であれば……、
「ふ、触れてもいいか、マスター」
「ダメ」
短い拒絶にガクリと肩を落とす。む、難しい……武力で解決できないことにはめっぽう弱いのだ。俺はそういう造りにはなっていないのであるからして。
「……もう」
オロオロと大いに困る俺を見かねたのか、我が主はわざとらしく大きなため息をつく。
「順序ってものがあるでしょ、順序が」
「順序……?」
訝しむ。
謝罪もし、彼女はそれを許した。賞賛も受け入れた。しかし彼女は触れることを許さない。これ以上なにが……?
彼女の姿を改めて見る。今日の彼女は切る髪に合わせたのか全体的に涼しげな印象だ。純白のワンピースに、薄いカーディガンを羽織り上品にまとめている。道行く者が見ればお嬢様だと一目で分かるような清楚なファッションだ。とても似合っている。
きっと今日という日のために頑張って選んだのだろう。なにせ彼女は今日を楽しみに……あぁ、なるほど。
「我が愛しのマスター」
「……なによ」
彼女の傍で跪き、手を取った。彼女の許し無く触れたが、彼女はそれを振り払わない。彼女は辛抱強く待ってくれているのだ。
「俺とデートしてくれ」
「っ」
無駄な言い訳は省き、ストレートに伝えると彼女は一瞬肩を揺らす。何かを我慢するように唇が歪み、笑っているのか困っているのか判断のつかない顔になっている。
「き、気を遣って言っているのなら結構よ?」
「そんなことはない。可愛くなったマスターと、俺がどうしてもデートがしたいのだ」
「ふ、ふぅん……?」
そうして、ようやくマスターは視線をこちらに合わせてくれる。興味なさげな返事だったが、その瞳は雄弁に「もっと」と語っていた。
俺はいてもたってもいられず、彼女を抱き締めて譫言のように呟いた。
「麗しのマスター、どうか俺に挽回の機会をくれ。このままでは俺の心が凍えてしまう。俺の人生には、マスターという煌めく炎がどうしても必要なのだ」
「……ふふ、もう。眷属に好かれすぎるっていうのも考え物ね」
胸の中の彼女はクスリと笑って、俺の背中に手を回してくれる。キュッと、懸命に抱き返すその小さな身体からは、どんな火山にも負けぬ熱がこもっていた。
「あぁ、リゼット……」
「こーら」
顔を近づけると頭をペシリと優しくはたかれる。
「だからダメって言っているでしょう」
「むぅ……しかし」
「順序。そういうのは……デートが終わってから、ね?」
「う、ぐ……」
めっ、と諭された。しかしそうお預けを言い渡すマスターは、俺の目にはますます魅力的に映る。鬼にお預けとは殺生なマスターだ。
「……もう、仕方のない人」
よほど俺は情けない顔をしていたのか、マスターは一つ呟き……
「……ちゅ」
「!」
頬に一瞬だけ温かい感触。
瑞々しい刺激が刹那の間に触れたかと思うと、その温もりはするりと俺の腕をすり抜けていく。
猫のように俺の手から逃れた彼女は、俺に背中を向けたまま言った。
「……デートの後なら、いっぱいしていいから」
どのような表情で言っているのか、こちらからは分からない。しかし足早に階段を上っていく彼女の耳は、真っ赤に染まっていたのだった。




