47 「ふぅ……」
「まずヤカンを用意しましょう」
「ほう」
刀花の指示の元に始まった紅茶教室。本日はアッサムのセカンド・フラッシュ、ミルクティーだ。
教室となる朝のキッチンにはこちらに指示を飛ばす妹メイド長、そして椅子に座ってこちらをワクワクした様子で眺めている我がご主人様がいる。
俺にはさっぱり紅茶の淹れ方など分からんので、ここは刀花の指示に盲目的に従うスタンスを取ろうと思う。
「ヤカンで沸騰させたお湯をポットとティーカップに入れて、温めるんだそうです」
「ふむ、聞いたことがあるような手順だな」
ヤカンに水を汲み、火にかけ熱湯を用意しながら呟く。まぁなぜそんな工程を挟むのかは知らんが。
「なんでも、”ジャンピング”を起こすのに必要なんだそうです」
「……聞いても分からんな。まぁなに、今後のために今は工程さえ分かればいい」
結果は後でついてこよう。
しばらく待ち、ポットとカップに熱湯を注ぎながら、チラリとリゼットの方を見る。彼女の期待に輝くその瞳を受ければ、慣れない作業を前にしても俄然やる気が湧いてくる。これまでの人生では我が儘を言う機会も少なかっただろう。そんな彼女の願い事は、出来る限り聞いてやりたい。
「さて、次はどうする?」
「次は茶葉を用意しましょう。えーと、三人分でいいですよね」
刀花はフリフリのメイド服を翻らせながら、茶葉の入った缶の中身を確認する。
「ふむふむ、これはリーフタイプですので、一人分はティースプーン山盛り一杯ですね。ミルクの味に負けないよう『Tea for pot(ポットのための一杯)』で、もう一杯いっておきましょう」
「「おぉ~」」
刀花は専門用語を交えながらスラスラと答える。なんだかそれっぽくてかっこいいぞ。
主従揃って歓声を上げると、刀花は「ネットに書いてあるものの受け売りですよぉ」と謙遜しつつも照れ照れと頭をかいた。
「コホン、いいですか。紅茶には”ゴールデン・ルール”というものがあってですね」
へにゃっとした笑顔を浮かべながらも、刀花のレクチャーは続く。
「ひとつ、茶葉の量を的確に量る。ひとつ、汲みたての水を使用する。ひとつ、ポットを使用する。ひとつ、ポットで蒸らす……これが紅茶を美味しく淹れるためのコツなんだそうです」
「……聞く限り普通のことのように思えるが」
「そうみたいね」
某特命係のように高い位置から紅茶を淹れなくてはならないのかと思ったぞ。
そう言うと刀花は「まぁそういうのは応用編ですね。今は基本を押さえましょう」と笑いながら、まるで教師のように方向を修正する。はーい。
「ではまず、茶葉をティースプーンで掬ってみてください。リーフタイプは少しかさばるので、山盛りにしてくださいね。ポットは……温まってますね。中のお湯は捨てまーす」
そうして温まった透明なポットに、茶葉を人数分プラス一杯入れていく。
「それではヤカンに残った熱湯を、ポットに注いでみましょうか」
「水道水のものだが、それでいいのか」
「軟水ですからね。逆にミネラルウォーターとかだと硬水の場合もあって、ミネラルが多いと味が落ちるんだそうです。紅茶にはミネラルの少ない軟水、なのです!」
「ふむ、そういうものか」
よし。いよいよ、という感じになってきたな。
腕をまくる俺に、刀花は指をピンと立てる。
「ここでまた大事なポイントです。”ジャンピング”を起こすために、熱湯は勢いよく入れるのがコツです」
「──ほう、勢いよく」
俺は全力を出せるように頭から戦鬼の角を──
「誰がそこまでしろと言ってるの」
後ろからポコンとお玉で叩かれる。いつの間にかリゼットが立ち上がり、近くでこちらを見ていた。
「もう兄さん、めっ。いいですか、茶葉は私やリゼットさんと思って優しく、そして大胆に扱ってください」
「茶葉を、マスターや妹のように……?」
俺は熱湯の入ったヤカンを手に持ちながらポットの中を見る。そこには無数の茶葉が入り乱れ、熱湯が投入される瞬間を待っている。これらが全部、マスターや妹……? これに、熱湯をかけるだと?
ジッとポットの中身を見ていると、その無数の少女達から声が届くような気さえしてくる。
『やめてください兄さん……私に熱湯をかけないで』
『ジン、助けて……』
『やめて、助けて……』
『『『『助けて……たすけて……タスケテ……』』』』
「ぐ、あ」
機能ニ深刻ナエラーガ発生シマシタ。
「うおおぉぉぉぉぉ!! 俺にはマスターや妹に熱湯をかけることなどできんーーーー!!!」
「だから誰がそこまでしろと」
こんなものがあるから! と血の涙を流しながらヤカンの熱湯を飲み干す俺に、リゼットはまたもお玉で頭を叩く。痛い。
正気に戻り、熱湯を汲み直す俺を眺めながら、リゼットは頭に手を当てため息をついている。
「……大丈夫かしら」
「ふふ、大丈夫ですよリゼットさん。私はあんまり好きではないですが、兄さんを使うのにはコツがあってですね」
「へぇ……?」
興味深そうに刀花の話に耳を傾けるリゼット。
「と言っても、具体的な指示を近くで出す。これだけでいいんですけどね。兄さんを道具扱いしてるみたいで嫌なんですけど、まぁ見ててください」
俺の自主性を重んじてくれる刀花は、具体的な指示を出すのを嫌がる。俺としては困るのだが、それもまた一つの愛なのだと学んでいるため、俺もあまり強くは言えなかったりする。
「いいですか兄さん? 『右手に持ったヤカンを三十センチの高さから、熱湯の一滴も零さず、かつ茶葉が勢いよくポットの中で跳ねるように、ポットに熱湯を少し傾けるようにして入れてください』」
「──承知した」
所有者にコマンドを入力された俺は、まるで機械のようにその指示に応える。
熱湯はポットの外へ一滴も跳ねず、茶葉は透明なポットの中で花開き、踊るように舞っている。なるほど、これが『ジャンピング』か。
刀花の指示に寸分違わぬ動きを見せる俺に、リゼットは目をパチクリとさせた。
「へぇ、やればできるじゃない」
「俺は元々道具だからな、所有者の指示に応えないで何が無双の戦鬼か」
「もう、兄さん。私はこうすると兄さんの個性が死んじゃう気がするんで嫌なんです。今回だけですよ?」
「……困った妹だ」
この妹は優しすぎる。まぁ道具を大切にするということであれば素晴らしい子なのだが。
そんな心優しい妹は手をポムポムと叩き、次々と俺に指示を下す。
「さぁ、どんどんいきますよ。ポットに蓋をして、茶葉が底に落ちるのを待ちます。これが蒸らすという工程で、抽出の時間です。だいたい三分間でいいです。砂時計を用意してくださいね」
「よし」
「次にクリーマーに脂肪分のある牛乳を注いでください。常温には戻してありますので」
「よし」
「──次に妹を背中から抱き締めます」
「よし!」
「愛を囁いてください」
「刀花、淑やかで可憐な俺のただ一人の妹……俺にとっての夜明けの光よ。愛している、ずっと傍にいてくれ」
「ほっぺにチューをします」
「よし!!」
「次にこの婚姻届にサインをしてください」
「よし!!!」
「なーにを見て『よし』って言ってるのよこのおバカ兄妹」
「あいたー!?」
好き放題する俺達兄妹にリゼットはお玉をぶつける。そんなリゼットに刀花は目を×印にしながら「なにするんですかー」とブチブチ文句を言っている。
「三分暇なんですよ、ちょっとしたジョークじゃないですか」
「いーえ絶対マジだったわ、こんな物まで用意して」
「あー!?」
リゼットは”妻になる人”欄に刀花の情報が記載された婚姻届をビリビリと破く。悲鳴を上げた刀花だが「まぁまだストックがあるのでいいですけど」と素知らぬ顔して呟いている。強かな妹である。
「して、次の工程はなんだ?」
騒ぎながらも、次の工程を確認する。ポット内の茶葉は落ちきり、透明だったお湯は綺麗な濃い黄昏色に染まっていた。
メイド長はそれを見て、クスリと笑みを浮かべている。
「ふふ、あとはティーストレーナー……茶こしを用意して、それを通して注ぐだけで終わりですよ」
「ほう、なんとか形にはなったか」
思わず安堵の息を吐く。今回は刀花の指示のおかげでなんとかなった。この作業は今後も続くだろう。この工程を脳内で繰り返し、染み込ませねば。
そう思いながらトレイにティーセットを乗せ、食堂へ移動。茶菓子の用意をし、お行儀良く座る少女達のティーカップに茶こしを通して紅茶を淹れる。ミルクや砂糖の量はお好みだ。
食堂に、カップをソーサーに置くカチャリという音が小気味よく響いた。
「ふむ……」
自分の分も淹れて、ようやく椅子に座る。
それにしても、茶の一杯淹れるだけでなかなかに手間だったな。貴族というのは喉を潤すのも一苦労なのだな……。
やれやれと首を振ってリゼットの方を見る。彼女はまだ口は付けず、アッサムの独特の甘みのある香りを楽しんでいる。その幸せそうな顔を見るに、なんとか合格点は出せたらしい。
「──ジン」
「む……?」
俺の視線に気付いたのか、彼女は俺に向き直り名前を呼んだ。そのツリ気味な紅い瞳は優しく細められている。
「ありがとうジン、私のために頑張ってくれて」
「まぁ慣れぬ作業であったが、こんなものだ。刀花にも礼を言っておいてくれ」
「もちろんよ、トーカもありがとう」
「いえいえー、兄さんの淹れた高いお茶なんて超レアですので!」
刀花は鼻息荒く、琥珀色の瞳を輝かせる。そんな妹は茶菓子の包みを丁寧に解いている最中だ。
「これからもよろしくね」
「……茶を一杯飲むのも大変だな、これは」
「あら?」
これからの苦労が少し偲ばれる。まぁ彼女の笑顔のためなら多少の不得手など全く苦ではないのだがな。そう思いつつ言ったが、俺の言葉を聞きリゼットは首をかしげた。
「もしかして、喉が渇くたびに淹れなくちゃいけないと思ってる?」
「違うのか?」
意外そうな言葉に、俺も目を瞬かせる。リゼットはクスリと笑って「違う違う」とおかしそうに手を振った。
「確かにそういう面もあるけれど、貴族のお茶の嗜みは別の側面があるのよ」
「ほう……?」
それはなんだと目で聞くと、リゼットは悪戯っぽく笑ってこう言った。
「貴族の紅茶はね、会話を楽しむための一工夫に過ぎないの。メインは紅茶じゃなくって、誰と飲み、誰とお喋りを楽しむかなの。紅茶は会話を彩る花であって、あくまで添えられるだけのものなのよ?」
「──なるほどな」
思わず笑みがこぼれる。てっきり喉が渇いたからという理由で今回のお茶を所望したのかと思ったが、それは違っていた。
今、俺のマスターはこう言っているのだ。
──あなた達と楽しくお喋りがしたい。
微笑ましく思いながら、俺はカップのハンドルを摘まみ、捧げるようにマスターへと掲げた。
「それでは、マスター?」
「えぇ。あなたたちのお話、聞かせてちょうだいな」
「私達だけじゃなくってリゼットさんも、ですよ?」
「──えぇ」
花が咲くように笑みを浮かべ、カップを傾ける。
リゼットは慣れた様子で、兄妹は初めて飲む香り高い紅茶に目を白黒させながらもそれを飲み、たまにお茶菓子に手を伸ばす。
夏の爽やかな午前のひととき。俺達三人は昔話や他愛もないこと、冗談を交えながら会話を楽しむ。時に笑い、時に驚き、時に怒りながらも同じ時を穏やかに過ごす。
──甘いミルクの紅茶を、少女達と花に添え。
たまにはこういった趣向も、悪くはない。




