44 「この後二日ほど顔を見て会話してくれなかった」
「……戻ったぞ、お届け物だ」
「え? 届け物……あぁそういう……」
死んだ目をしながら荷物を持ち談話室へ入る。
そんな俺の様子と報告に一瞬で事のあらましを悟ったリゼットは叱るべきか、呆れるべきかのどっち付かずな顔で俺を出迎えた。
心に傷を負った俺は段ボールを机に置き、皮肉げに頬を歪めてみせる。……戦鬼の本懐は闘争の果てにある。数年ぶりの本職かと思えば肩透かしを食らい、俺は大いに意気消沈していた。
大きくため息をつく俺に、リゼットは表情を改め気の毒そうな目を向けた。
「目が死んでるわよ、ジン」
「は、とんだ道化だ。笑うがいい、マスター」
「落ち込んでる兄さんも、いい……」
「トーカそれはどうなの──あ、こらっ」
リゼットの制止の声も虚しく、刀花はニコニコしながらトコトコと俺に近付いて背伸びをしたかと思うと、俺の頭を抱えるようにしてその豊かな胸にポフっと抱き寄せた。
「よしよーし、いつもお疲れ様です兄さん」
甘ったるい声音で言いながら俺の髪を優しく梳く。一撫でされるごとに、心に負った傷が癒されていくようだ。
「……こんな俺に優しくしてくれるのは女神しかいないだろう、いったい誰だ? なんだ女神のような妹か」
「むふー、そうでしょうそうでしょう。兄さんは今は何も考えずに、私に甘えてくれていいんですからねぇ」
「歪んだ愛を見せつけられている……」
リゼットの引いた声を聞きながらも、妹の手にされるがままになる。あー柔らかい……。思わず刀になって挟まるくらい心地がいい。隙間を見つけた猫の如く、兄まっしぐらである。オキシトシンが大量分泌されて妹への愛情がヤバイ。
「ふふ、ほーら兄さんの大好きな妹のお胸ですよー。妹のふかふかFカップですよー」
「え、Fカップぅ!?」
『マスターが反応するのか……』
呆れてカリカリと爪で段ボールのガムテープを剥がそうとしていたリゼットが、ガタッと動揺しながら席を立つ。戦慄した表情で刀花の胸を見ながら「F……え、三つも……?」と自分の胸に手を当ててブツブツと呟いている。
『というか、また少し大きくなっていないか?』
「そうですよね!」
『うお』
胸の感触からして思ったことを告げたところ、刀花は自分の顔をズイッと谷間から伸びる俺の柄頭に近付けた。
「胸が大きくなっているんです。決してお腹のお肉が増えたから体重が増えたんじゃありませんよね!」
「急に早口になったわね……」
『そう言うな、乙女には生きるか死ぬかの問題であると聞いているぞ、我がCカップのマスター』
「”オーダー”『死になさい』」
『ぐえー』
「兄さーん!?」
切羽あたりからバキリと折れ、酒上刃から酒/上刃になりながら絨毯の上に落ちる。死にましたー。
「触れていいところと触れちゃいけないところがあるのよ、覚えておきなさい?」
にっこりとした笑顔で容赦なく俺を殺した我がマスターはひょいと柄を拾い、そのまま折れた刃を使ってガムテープを切り始めた。
『最近扱い酷くないか』
「愛よ、愛。それに便利なんだもの、素敵よジン」
『ふむ……愛ならば仕方ないな』
「兄さんチョロいです……それでいいんですか……」
使い終えた俺をリゼットは刀花に投げ、そのまま俺は刀身と合体。ポンと音を立て人型に戻った。そうして三人で段ボールを覗き込む。
「ふーん、さすがに日本産が多いわね」
段ボール内にあった四角い厚紙の箱。取り出してパカッと蓋をはずすと、そこにはズラリと輸血用パックに詰められた血液が並んでいた。リゼットはそこから一つを手に取りふんふんと頷いている。
「既視感があると思ったらあれです。なんだかサラダ油とかゼリーが入ってるお中元みたいです……」
「まぁそれ用のサイトから取り寄せたし、吸血鬼の」
「日本の吸血鬼はお中元に血液を贈るのか……」
知られざる所帯染みた吸血鬼事情だった。ファンタジーも形無しである。
そんな吸血鬼さんは「あったあった」と『英国産、A型』と書かれたパックを見つけ出し、ルンルン気分でストローを差している。
「ほう、国籍で味が変わるものなのか?」
気になった俺はヂューと血を飲むリゼットに問うた。
「こくこく……ん、風味程度だけど、まぁ気にする人は気にするって感じねぇ、だいたい自分の出身国を贔屓してるイメージがあるわ。とはいえ外国産でも安全基準はクリアしてるから大丈夫だとは思うけど」
「食材だなもはや……」
俺は微妙な気分になりながらも、英国産と書かれた血液パックを一つ手に取る。ちなみにO型。マスターと同じ血液型だ。
「……一つ貰うぞ」
一言断り、付属品のストローを差し込み俺も吸う。何者かを斬った時には味など気にしていなかったからな。こうして比べてみるのも一興か。
ヂューと血を吸う俺の隣で、刀花は物珍しげにパックの裏面にある表示をしげしげと眺め、リゼットは血を吸う俺を見て眉を上げた。
「あら、あなたもいける口なの?」
「俺は”血吸”とも呼ばれる刀だぞ。いけるもなにも主食レベルだ」
ウィキペディアにもそう書いてある。有名刃だからな俺は。
そう言う俺に、リゼットは嬉しそうに笑いかけた。
「へー、血吸……なんだかあなたも吸血鬼みたいね。ちょっと運命感じちゃうかも」
「ふ、確かにな」
「むっ」
繋がりを確かめるように二人で見つめ合って笑うと、刀花が口をへの時に曲げた。そんな刀花をチラリと見て、リゼットはどこか得意そうに笑みを深めている。
「ふふん、お揃いね私達」
「そんなこと言ったら私だって兄さんと同じく髪の毛が生えてます、お揃いです」
「私が禿げてるような言い方やめて? それとも私が禿げてるように見えるのかしら?」
眉をひくつかせるマスターをどうどうと抑える。
そうやって仲裁をしながらも、俺は血液セットについて気付いたことを口にした。
「それにしても混血はないのだな。マスターと同じものが飲めん」
一応、仏国産O型を試したり、英国産の物と混ぜたりしてみるが、以前契約時に飲んだ彼女の味とはやはり違った。
「……美味かったんだがな」
「こ、コホンコホン」
少し残念に思っていると、我がマスターはわざとらしく咳払いをした。その頬は少し赤く染まっている。
「目の前に現物があるじゃない?」
そう言って彼女はチラリとワンピースの襟を下げ、その眩しいほど白い肌を晒した。
「っ……主にガブリと噛み付けと? それこそ問題だろう」
思わずじっと見つめてしまうが、守護する戦鬼を担う手前、その少女の肉体を傷付けるのは気が引ける。だが、我が主はそれが不満な様子で少し食い下がった。
「私が許可するって言っても?」
「そう、だな。気は進まん」
「ふーん……」
リゼットは何か考えるようにして押し黙る。
というか吸血されたいのか? 前々から思っていたが、このマスターは多少マゾヒストが入っているのだろうか。嫌いじゃない。
「ふふ、えい」
「おい」
嫌疑をかけていると、リゼットは悪戯っぽく笑いながら、自分の首筋にちょんと爪を立てる。小さな血の玉がプックリと膨らみ、ルージュを引くようにして一筋流れた。
「さっきは罰を与えたから、ご褒美もきちんと用意しなきゃ。……ほらジン、服が汚れちゃうわ?」
「……身を傷付けるなと言ったろうに」
わざとらしくお題目を掲げ、彼女は俺の前にエサを垂らす。
肌を晒すのが恥ずかしいのか、彼女は顔を赤くしている。それでもこちらに首筋がよく見えるよう襟を広げ、同時に髪もかきあげた。
緊張からかしっとりと肌は汗ばみ、火照った首筋から妙な色気が漂って、文句を言う俺の思考をぐずぐずに溶かしていく。
俺は蜜に誘われる蜂のように、ふらふらと彼女に近付いていく。生き血を啜る鬼の本能が俺を支配していくのを感じる……。
「……妹から食べ物を粗末にするなと教えられているのでな」
「いい心がけよ。ぁん、んぅっ……」
「はわわわわわ……」
白磁のような首筋に指を這わせると、リゼットは思わず出た自分の声に驚き、片手で口を押さえた。そんな俺達の様子を、刀花は真っ赤になって顔を覆った両手の指の隙間からガン見している。
「はぁ……はぁ……んっ、ほら……垂れちゃう、から」
「あぁ……」
触れた肌が溶けるように熱い。
熱に浮かされたように吐息を漏らす彼女を正面から包み込む。そうしてゆっくりと華奢な少女の首筋に狙いを定めた。
「いくぞ……」
「っ」
リゼットは口を覆いながら無言でコクンと頷く。
俺の息が首筋に当たるごとに彼女の呼吸は乱れ、肩が震えるが拒否はしない。そんな健気な彼女の様子に俺ももう、色々と限界だった。
──そうして、
「……っ」
「ん、んんんぅ!」
彼女の首に唇を落とし、肌を吸った瞬間、くぐもった悲鳴が彼女の押さえた口から上がる。
俺は彼女を抱き竦め、貪るようにして舌を這わせ始めた。
「んぅ!? はぁっ、や、ん……んんんぅ!」
垂れる血の雫を掬い上げるようにして舐め取り、傷口を愛撫するようにして舌先でつつく。そうするたびに彼女はビクンビクンと肩を上げ、同時に足をガクガクと震えさせた。
彼女の快楽とも苦痛とも取れぬ声を聞きながらも、俺は彼女を味わうことをやめられない。彼女の甘い汗と独特の血の味が口内で広がり、うなじから熱気と共に漂うラベンダーの香りで頭が湯だったようにクラクラする。あぁ、美味い……天上の雫すらこれの前には霞むだろう。
「ジン……はげし……だめ、だめぇ……!」
「……鬼を挑発する方が悪い」
「ふー……ふー……! も、む、むりぃ……!」
ついには両手で口を押さえ、涙目で真っ赤になっていやいやと首を振るが俺にとっては逆効果だ。身体の芯に火がついたような熱さを感じるが、だが同時に彼女の涙が視界をかすめる。
……さすがに彼女に嫌われたくはない。
俺は最後の理性を振り絞り、これが最後と思い一気に……
「──っ!」
「あ──、~~~~~~~っっ!!??」
彼女の肌を強く、強く吸った。
一際大きい嬌声を上げ、ビクンビクンと彼女の身体が痙攣する。そのまましばらく身体を震わせたかと思うと、ガクリと力が抜け、リゼットは絨毯に崩れ落ちた。その首筋には、赤々とした唇の跡が残されてしまっていた。
「あー……」
血で濡れた唇を拭いながら、完全に気絶してしまったマスターを見やり、俺はやってしまったとさすがに罪悪感に苛まれた。て、手当を……
「と、刀花──」
「きゅぅ~……」
とりあえずリゼットの助けを妹に頼もうとしたが……我が妹は、目の前で起こったあまりに衝撃的な主従の痴態に目を回していた。
「な、なんだこれは……」
この事態に無双の戦鬼も動揺する。
地獄は鬼の職場だが、この目の前に広がった阿鼻叫喚の地獄絵図は俺にはどうすればいいのかまったく分からず、結局二人の目が覚めるまで情けなく俺はその場でオロオロするのだった。




