42 「レモンの味ではなかったけれど……悪くないわ」
「まったく、俺のマスターはむっつりだな」
「誰がよ。ぜーったいあなたの言い方が悪いわ」
グラスにワインを注ぐ俺をじっとりとした目線で見るリゼット。
まぁ確かに少し意地悪な言い方だったかもな。彼女は刀花にはない良いリアクションをするので、ついからかいたくなるのだ。
視線を受けながらくつくつと笑い、構わずワインを注ぎ続ける。彼女の瞳と同じ色をした液体が曲線を描いて流れ落ち、その水面はルビーのように輝きを放っている。
「……それにしてもお酒ね」
多少ぶすっとしながらも、マスターは話を続けてくれる。合理的なのはいいことだ。
「あぁ、英国だと年齢制限も違ってくるだろう? ……まぁ人間の話ではあるが。なんでも小学生の頃から飲めるとか」
「まぁ家庭によるわね。……というかあなたこそ。戸籍上では十七って言ってなかった?」
「刀花が『一つ上がいい』と言うからそうなっているだけだ。履歴書も適当に誤魔化している。なんなら俺が作刀されたのは平安だぞ」
「……結局あなたって何歳なのよ」
「わからん。刀時代もほぼ眠っていたようなものだしな。身体を与えられたのは十年前だが」
「……十歳?」
「そう見えるか?」
「ふふ、ランドセル背負ってみなさいよ」
「は、馬鹿者め」
軽口を言い合いながら、ワインを注ぎ終える。
「まぁ構うまい。大事なのは、俺が初めて酒を酌み交わすのがマスターであるという事実だ」
「初めて……ふふ」
嬉しそうにクスリと笑う彼女にグラスを渡し、俺も軽くグラスを掲げてみせる。
「では乾杯するか」
「えぇ。……何に乾杯するの?」
「そうだな……マスターのますますのご発展とご健勝。そしてご多幸を願いまして──」
「やだこの戦鬼、中途半端に社会に染まってる……乾杯」
ちょっぴり嫌そうな顔をしながらもグラスを掲げ合う。
彼女は軽くグラスを回してから光に透かし、お上品にふくよかな香りを楽しんでいる。
「ゴクゴク」
そんな彼女を見ながら、俺は構わず喉を鳴らして飲み干し、さっさと二杯目を注いだ。
「ふん、鬼には少々上品に過ぎる酒だな」
「あなたね……ビールじゃないのよ? もうちょっと品良く飲みなさいな」
「酒を飲む鬼に上品もない。それに俺も一人酒が常だったからな、少し舞い上がっているのだ。許せ」
「あ、そ、そう……?」
言外にお前と酒を飲めるのが嬉しいのだと告げると、リゼットは少し頬を染め、口元を隠すようにしてちびちびとワインを飲み始めた。
「ふーん、結構若めな味わいね」
「どうも熟成した時間も吹き飛ばしたようだ。こんなことなら地下を探索してから復元すべきだったな」
口惜しげに呟くと、彼女は「まぁいいじゃない。これはこれで飲みやすいし」とグラスを傾けた。
──夏の虫の声を背景に、しばらく静かにグラスを傾け続ける。
アルコール混じりの、少し熱い息をつく。
彼女がこちらに来てからというもの、こうしたゆったりとした時間も増えた。それには感謝しなくてはな。
「……どうだ、マスター? こちらでは上手くやっていけそうか」
半分ほどボトルを空けたあたりでそう問い掛ける。彼女は少し赤らんだ頬で「んー?」と言いながら、窓から見える月にやっていた視線をこちらに向けた。
「そうね……もう少し過酷なものになるかもと思ってたけど」
そう言いつつも、彼女はこちらに向ける笑みを崩さない。頬杖をつき、アルコールのおかげかほんのりと柔らかい雰囲気を纏っている。
「誰かさんのおかげで、とっても楽しい生活を送れているわ」
「……そうか。その誰かさんには感謝せねばな」
「そうね。まぁ壁は壊さないで欲しいけど」
「そんなことをするのか、はた迷惑な奴もいるものだ」
「だーれがよ、誰が」
彼女はおかしそうにクスクス笑って身を乗り出し、俺の眉間を指でツンとつついた。
「ね、あなたのこと、もっと教えて?」
「どうした唐突に」
そう問うと、リゼットは少し不満げに頬を膨らませる。
「だって私、妹じゃないもの。まだ知らないことがいっぱいあるわ。トーカだけ知ってて私が知らないことがあるなんて、ご主人様の沽券に関わるんだから」
可愛らしい理由に、少し笑ってしまう。
「なるほどな。では互いに質問し合うか。俺もマスターのことは過去を夢で見たとはいえ概要だけだ。詳しい部分を知っていこうじゃないか?」
提案すると、ご主人様は笑みを浮かべ、ちょっぴり偉そうにして腕を組み「許可するわ」などと言っている。少し酔っているのかもしれない。
「ではご主人様? 俺の何が知りたい」
先攻を譲ると、彼女は「そうねぇ」と言いながら首を傾ける。
「あなたって、暇な時は何をして過ごすの?」
「趣味の話か?」
ふむ、と一つ唸って考える。
暇な時間など今まで取れていなかったからな。これといって……まぁ強いて言えば……
「そうだな、寝るのは好きだ。あまり眠れぬ生活をしてきたから特にな。あとはもちろん、刀花やマスターの相手をするのも好きだぞ」
「……前から思ってたけど、あなたって結構ストレートよね」
恥ずかしげに目を伏せる彼女に対し、俺は頷く。
「好意はすぐに伝えろと妹から厳命されているものでな」
駆け引きも好かん。それに別段恥ずべき感情でもあるまい。俺は、俺という存在がこの感情を獲得したことに誇りを持っている。道具も、人を愛するのだと。
「マスターには感謝しているのだぞ? お前に出会えなければ、俺は刀花と一日かけて遊ぶことも、こうしてゆっくりとした夜を過ごすことなど出来なかったのだからな」
彼女は俺に助けられたと思っているのかもしれないが、こちらも助かっているのは同じだ。
「改めて感謝する、マスター。俺はお前を主人に持てて誇りに思う」
そう言って俺は頭を下げるが、彼女は頬を染めつつも、試すようにして少し眉を上げた。
「ふぅん……感謝するのは、マスターってだけだから?」
「は。まさか、だ」
素直じゃないおねだりに、笑って返す。
「お前は美しい、リゼット。その黄昏に輝く理念も、裏に押し込めた感情も、全てが俺を惹き付けて止まない。これが恋という感情ならば、俺はお前に恋をしていると言っていいだろう。……ありがとう、リゼット。俺の前に現れてくれて」
「……ま、まぁ、及第点ってところね」
そう言いつつも真っ赤になった少女を、とても愛らしいと思う。
誤魔化すようにしてワインをコクコク飲む彼女に、追加で注ぎながら「では、次はマスターの番だ」と促す。
彼女はグラスを傾けつつ、ついでに首も傾けた。
「そうねぇ、私も向こうでは勉強とか訓練ばかりだったから。趣味って言えるほどのものは持ててないかも」
「なんだ、似たもの同士だな」
彼女の独白に突っ込みを入れると、彼女は嬉しそうに「そうね」と笑った。
「うーん……あっ、でもゲームは楽しかったわ。初めて娯楽らしい娯楽に触れたからかしら」
「そうかもな。まぁこの生活も長くなるだろう。共にゆっくりとマスターが楽しめることを見つけていけばいい。時間はいくらでもあるのだからな」
「あ……ふふ、うん!」
子どものような笑みを浮かべ頷く彼女。いつもの大人ぶった彼女からはあまり出ない声に少し驚く。
「……さては、酔っているな?」
「ふふ、少しね」
悪戯っぽく言ってまたグラスを傾ける。自覚があるだけまだマシか。本当の酔っ払いは酔っていても酔っていないと言うものだ。
マシな内に水でも入れてくるかと立ち上がろうとしたところ、彼女は「あ」と言ってまたクスクスと笑う。
「ね、ね。趣味のことじゃないけど……私の好きなもの、教えて欲しい?」
「雑な導入だな……」
座り直し、ご機嫌な様子の彼女に耳を傾ける。
「それで? 何が好きなのだ」
「それはねぇ……あなたよ、ジン」
「そうか、俺は猫が好きだ」
分かりきった答えに淡々とそう返すと、彼女は唇を尖らせる。
「ちょっとー。ご主人様が好きって言ってるのよ? 嬉しいでしょ」
「ふ。おうおう、嬉しい嬉しい」
少し酔ってテンションが上がっているようだ。いつもこれくらい素直ならばいいのだがな。
微笑ましく見る俺に、マスターはむすっと不満げな顔をしたままだ。
しかし、彼女はなんとか俺をからかいたい様子。そして彼女は何かを思いついたように頭の上に電球を浮かべ、意地悪げに笑った。
「ふふ……にゃーん」
「ぶっ、ゲホッゲホッ!?」
いきなり手を丸めて猫の鳴き真似をした彼女に、思わず咳き込んだ。
そんな俺を、してやったりといった顔で彼女はニマニマと眺めている。
「く、俺を拐かすか。小癪な」
「あーら、じゃあその震えている右手はなぁに?」
ダラダラと汗をかきながら、呪いに犯されたかのように震える右腕を押さえる。くっ、静まれ俺の右腕……!
「私に触れようとしているのかしら? 眷属のくせにご主人様に触れようだなんて、贅沢が過ぎるわよ?」
「調子のいいことを……」
普段から触れていても何も言わんくせに。
彼女は珍しく上位に立てて嬉しいのか、いい笑顔で俺を言葉で絡め取る。
「ね、私に触れたい?」
「ふん、別に」
「触れたいにゃん?」
「あがががががががががが」
リ゛セ゛ッ゛ト゛に゛ゃ゛ん゛可゛愛゛い゛に゛ゃ゛ん゛!!
あまりの破壊力に思わず思考が壊れる。
俺の弱点を見つけた彼女はますます調子に乗って俺を煽った。
「『ご主人様大好き』って言ったら触れてもいいわよ」
「ご主人様すこすこのすこ」
「気持ち悪いから二度と言わないで?」
あなたそういう言葉どこで覚えてくるの? と絶対零度の視線で問い掛けられる。バイト先の人間がよくそう言っていたのだが……。
「ほら、素直になりなさいな」
甘い声に誘われ、俺はぐぐぐと唸り……ガクリと陥落する。
「……愛している、我が主」
「ふーん、妹よりも?」
「……その聞き方は卑怯だろう」
「ふふ、そうね。それに『そうだ』って言われてたら軽蔑してたかも。受け入れましょう。それを含めて、あなただものね」
「さすがは我がマスター、王の器だ」
頬を緩める彼女に右手を伸ばす。
すべすべの頬を包み込むようにして触れると、甘えるようにして彼女は頬を手に擦り付けた。
目を細めて熱い頬を任せる彼女の姿に、ますます愛しさを募らせる。
「リズ」
「あ……」
そのまま指を頤に這わせ、軽く持ち上げる。
愛称を呼ぶとビックリしたように目を丸くするが……そのまま真っ赤な顔で瞳を閉じた。
「ん……」
身を乗り出し、軽く唇を触れ合わせる。緊張からか、彼女の瞼は震え、少しだけ涙が浮かんでいた。唇を動かすと、びくびくと肩が震える。そうやってしばらく、互いの唇を啄み合った。
鉄のように熱い唇を離すと、彼女は夢心地のような瞳でとろんと見つめてくる。
「……いけない人。眷属がご主人様の唇を奪うなんて」
「マスターが魅力的なのが悪い」
「……ファーストキスは、アルコールの味がしたわ」
「まぁ、これも大人のキスというやつだ。満足いただけたか、我が姫」
「……も、もう一回」
「残念、一日限定となっているのだ。さぁ、シンデレラはもう帰る時間だぞ」
壁時計を見るとちょうど0時を越えた。あまり質問は出来なかったが、酒も尽きたし、よい頃合いだろう。それに時間はいくらでもある。これから知っていけばいい。
そう思い彼女を促すが、しかし我がマスターは何を企んでいるのか不敵に笑っている。
「ふふ、私はトーカと違って悪いお姫様よ? 欲しいものは力尽くで手に入れるわ」
そう言ってリゼットは紅の瞳を妖しく輝かせた。む、そうか日付が……
「ジン、”オーダー”よ。『キス、しなさい?』」
「……お泊まりコースのシンデレラなど聞いたこともない」
やられたな。
彼女の瞳の輝きに呼応し、俺の右目が煌々と血の色に染まる。
そうして”オーダー”に従って、俺は彼女の元に跪き、視線を合わせた。目の前の彼女は満足したように笑っている。
「ご希望は、我がマスター?」
「ふふ、そうね。まずお姫様抱っこでベッドまで連れていって?」
あぁなるほどと呟き、俺は電気を消してから彼女を抱え上げる。羽根のように軽い彼女を、すぐ傍のベッドへと壊れ物を扱うように丁寧に寝かせた。
「……今夜はとっても素敵だったわ。ありがとう、私の眷属」
「それはよかった」
少し恥ずかしさがぶり返してきたのか、彼女はシーツで口を隠しながらボソボソと言う。
月明かりを受けてなお煌めく、そんな彼女の姿に──
「いい夢を、俺の可愛いご主人様」
「うん……ふふ」
彼女の希望に従い、シーツを少し下げておやすみのキスを施した。
この夜。
恥ずかしげに反対を向く彼女が眠りにつくまで髪を撫でながら、俺は改めてこの小さなお姫様に忠誠を誓うのだった。
第一章、出会い編終了
次回からは屋敷の日常が主な予定です。よろしくお願いします。




