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俺のマスターは吸血姫~無双の戦鬼は跪く!~  作者: 黎明煌
第一章 「無双の戦鬼、忠誠を誓う」
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39 「朝からなんという会話だ」




 ……なーんか臭うわね。


 いえ別に私が臭いという話ではなくって。イギリス人はお風呂にあまり入らないと言われているけれど、私はキチンと毎日入っている。

 これは吸血鬼の生活にも関わる話で、周囲の人間に血の痕跡を悟らせないようにするため、古来から入浴は習慣づけられている。吸血等の際、返り血を浴びてそのままにするおバカな吸血鬼などいないのである。ペストが流行ったときは大変だったらしいけれど、吸血鬼には入浴の習慣があるのだ。


 つまり吸血鬼、臭くない。私、臭くない。これ大事。


 じゃあ何が臭うのかというと、キッチンから戻ってきた二人……特にトーカの様子である。

 ジンは正直いつもと変わらない。少年のようにも、青年のようにも見える不思議な風貌。切っ先のように鋭いオニキスのような黒い瞳も、刃物で刻んだのかと思うほどの眉間のシワもいつも通り。何か難しいことを考えていそうで、その実特に何も考えていない顔でソファに座り、湯呑みからずずずと茶を啜っている。

 しかし。しかしである。その兄を正面から見つめる妹がどうも臭う。

 ここ数日の付き合いではあるが、私もトーカの生態はある程度理解しているつもりだ。

 天真爛漫。兄への好意を隠そうともせず、ワンコのようにじゃれつくのが好きで、いつも柔和な笑顔を絶やさないジンの妹。

 そういう認識で合っているはずだ。活発だが甘え上手。言うなれば動物系な愛されキャラだと。

 しかし……今目の前に座るその妹はキッチンから帰ってきてからというもの、これまでとは違う雰囲気をその身に纏っていたのだ。

 自分の茶と菓子には手もつけず、頬杖をついて小首をかしげ、自分の兄をじぃっと見つめている。

 その琥珀色の瞳は柔らかく細められており、瞳の奥に温かい光を宿している。唇には可憐な微笑みが静かにそっと添えられ、清楚に咲く花を思わせた。女である私ですら、思わずドキリとするようなその艶やかさ……何も思わない方がおかしいというもの。

 普段であればきっとジンの隣で寄り添ったりちょっかいをかけたりするはずの妹なのだが、今はしっとりとした笑みを浮かべて黙ってジンを見つめるのみだ。普段の笑顔が大輪の花ならば、今のそれは花から溢れ出た蜜のように甘い。

 恋する少女というよりは……そう、『女』。今のトーカからは『女』というフェロモンが放出されているように思えてならない。

 そんな濡れた表情をする彼女を見ていると、私の女の勘が警鐘をけたたましく鳴らすのだ。


 ──あれ、私もしかして出遅れてない?


 もしかして、先程のキッチンで大きく溝を開けられてしまう『何か』があったんじゃない? と。

 ……いえ、いいえ待って。そう考えるのは早計よリゼット=ブルームフィールド。一般的に考えなさい? 二人は曲がりなりにも兄妹を名乗っているのよ? そんな二人がこんな朝から男女の営みの話になんてなるわけ……あるわー……。

 自分の思考の甘さに、思わずこめかみを押さえる。

 なぜ一瞬でも一般論で語ろうとしたのか。相手は人類の生殺与奪を握ってしまうような化け物に、それを従える少女よ? 兄妹という枷はなんの縛りにもなりはしないだろう。そもそも自己申告だし、魂が繋がった兄妹とか本当に兄妹なのか疑問だし。

 以前、トーカがヘソを曲げた時には、ジンは妹を抱き締め愛を囁いて宥めすかしていたのは覚えている。しかしその時の機嫌を直したトーカは、普段通りのにこやかさに戻るだけだったはずだ。

 ということは、現在進行形で色香すら漂うトーカは……そ、それ以上の事をキッチンで済ませたということになるのではないかしら?

 さらに言えば、ジンは頻繁にキスをする。恐らく妹の教育の賜物だろう。ここ数日でさえ、私も髪や爪先、首筋にキスをされた。今思い出してもドキドキする……ってそうじゃなくて。

 そう。それが妹の指導によるものならば、そもそも私が出会う以前に兄妹が様々なキスをしていても不思議ではない。認めたくはないけれど、二人には十年の時間という私では踏み込めない絆がある。

 つまり何が言いたいのかというと……二人はキッチンで、きききキスよりもスゴいことをしてしまったのではないか? ということだ。


(な、なんてハレンチな……!!)


 しかしそう考えると辻褄が合う。ジンの落ち着いた雰囲気も、トーカの振り撒く色気も……すべて、その……致したから、なのでは!?

 あぁ、いけないと思いつつも、私は思わずその情景を思い浮かべてしまう。


『刀花、悪い子になりたいのだろう? 俺がお前を悪に染め上げてやろう』

『ダメですよ兄さん……今お皿洗ってるのに……』

『そんなものより、俺のナイフを洗ってくれないか。お前のその柔らかいスポンジでな』

『やだ、兄さん……もう兄さんのナイフが洗剤でトロトロに……』

『くっ、もうダメだピカピカになる!』

『いいですよ兄さん! もっと輝いて!』

『いくぞ刀花、フラーーーーーーッシュ!!』

『きゃあー! 兄さん眩しいーーー♪』


 いやさすがにこれはないわ。

 どうしたの私……動揺が過ぎるわよ。落ち着きなさい。ゲームのせいで睡眠時間取れてない所為ねきっと。

 ……ダメね、埒が明かないわ。睡眠不足の頭ではこれ以上は出てこない。以下は出ちゃったけれど。


 これは、問い質さなくてはならない。屋敷の風紀を守るご主人様として。そしてなにより一人の女として!


 そう決意し、私の前に出された湯呑みを一気に煽る。中身は緑茶……そろそろ紅茶が恋しくなってきたけれど仕方ない。これがゴーイング郷というやつなのね。

 案外悪くない渋みのお茶を飲み干し、二人に向き直る。まだるっこしい質問は無し。私は単刀直入に聞くことにした。


「ねぇ、キッチンで何かあったの? ずいぶん雰囲気が違うけれど」


 意を決して二人に聞く。そうするとジンはチラリとこちらを見た後にトーカの様子を伺っている。この案件に関してはトーカが主体なのね……。

 そしてそんなトーカはニッコリとした笑みを崩さない。


「えー、何か違いましたかー?」


 とぼけたように言う。その表情と声色は余裕に満ちており、こちらの焦燥を掻き立てた。


「え、えぇ……なんだかこう、いいことでもあったのかしら」

「あー、わかりますぅー?」


 イラッ……。

 これ見よがしに『何か』があったことを臭わせる妹の姿にちょっぴりイラッとする。


「実はですねぇ……」

「えぇ……」


 それでも話したくて仕方ないのか、トーカは勝手に本題に入っていく。こちらとしては助かるが、その身体のクネクネとした動きはどうにかならないのだろうか。

 私は無意識にゴクリと喉を鳴らし、トーカの発言を待つ。トーカは恥ずかしげに両手を頬に当て、遂にその真相を……


「きゃあー♪ だめです、やっぱり言えませんー!」


 こ、こんの妹……!

 抑えて……抑えるのよ私……! 私は誇り高き貴族のリゼット=ブルームフィールド。目の前でいやんいやんと笑顔で首を振る妹にキレるほど落ちぶれていないわぁ……!


「ジン! 何があったのか言いなさい!」


 牙の矛先を変える。

 妹がアレならもう一人の当事者に聞けばいい。しかし……


「悪いなマスター、俺は妹に昨夜から口止めをお願いされている」


 そうすげなく返される。

 なんですって……? というか今『昨夜から』って言った? ということは昨夜から私に言えないような何かをしてたってこと!?

 へーそう。そうなの。そういうことなのね。だったら私にだって考えがあるわ。言えないのなら直接身体に聞いてあげようじゃない。

 私は紅い瞳を妖しく輝かせ、力ある声を放った。


「ジン、”オーダー”よ。『私に隠していることを話しなさい』」

「昨夜は九回、今朝は三回刀花と唇同士でキスをした。ちなみに今朝は初めて俺からしたので、刀花がこの調子なのだ」

「やん♪」

「んなっ!?」


 普段は奥にうっすらと隠れている右目の紋章を紅く輝かせ淡々と答えるジンに、頬を押さえてテレテレとするトーカ。

 な、く、唇同士でキスですってーーーーー!?

 なるほどそういうことだったのね……正直もっと過激なことかと思っていたけれど。いやでも感覚が麻痺しているだけでマウストゥマウスはとても羨ま……けしからないわ!


「ちなみにファーストキスは小学生の頃に済ませてますよ。まぁ昨夜のはそれ以来でしたけど」

「や、やっぱり既にキスを……!」

「いい結婚式でした」

「結婚!?」


 そ、そんな……結婚まで済ませているなんて……十年ってすごい。そりゃそうよね、アフリカでは一分間で六十秒の時間が経っているのだから(錯乱)


「むふー、兄さんの初めてはすべて私のものです」

「くぅっ……!」


 時間の壁が、厚い!

 たとえ数日で戦鬼の心を虜にしても、思い出まではカバーできない。これが……共に過ごした時間の差! このままでは何かあるごとにトーカと比べられる女になってしまうのでは!? 何か、何かジンの初めては残っていないの!?


「で、デートとか……」

「兄さんが休みの日には必ずしてました」

「膝枕とか……!」

「したりしてあげたりはしょっちゅうです」

「一緒にお風呂に入るとか!」

「去年まで一緒に入ってました。なんで一緒に入ってくれなくなっちゃったんですか兄さん」

「お前が捕食者の目をしたからだ。喰われるかと思ったわ」

「ぐぬぬぬぬ……! じゃあむしろ何をしてないのよ!」

「えー聞いちゃいます? そりゃあ──」

「やっぱり言わないでーーー!!」


 朝の爽やかな談話室がカオスに包まれる。なんなのこの兄妹! やっぱりただの恋人じゃない! なんで惚気話を聞かされなくちゃならないのよ聞いたの私だけど!


「うぅ~……!」


 ロングスカートの裾を強く握って唸る。そうしないと悔し涙が出てきそう。

 私だって……私だって何かジンの初めてが欲しい! 何か……何か……!

 しかし――何も思い浮かばない。浮かぶのは先程キッチンでしていたであろう二人の濃厚なキスシーンだけだ。


「うぅ、きっと何回もしたんだわ……舌も足も絡めたんだわ……」

「いや別に──」

「あっ、兄さん!」

「……ん?」


 ……おや?

 焦った声に反応し沈んでいた顔を上げると、しまった、というトーカの顔。先程までしていた余裕の表情は崩れ、汗が流れている。

 てっきりこの行き過ぎた兄妹のこと、大人のキスをしていたのだと思ったが。

 ……もしかして、見つけちゃった?


「……トーカ、どんなキスをしたのか説明してちょうだい?」

「そ、そりゃあもう濃厚で溶け合うような大人のキスをですね……」

「ジン、どうなの」

「普通のキスだ」

「に、兄さん!」


 いまだ”オーダー”に呼応して、瞳の紋章を光らせるジンがあっさりと白状する。

 はーん、へーえ、そう。なるほどなるほど?

 これは……見えたわね、光明が。


「だ、ダメですよリゼットさん。それにリゼットさんは普通のキスもまだでしょう?」

「ぐっ」


 それはそうだ。

 というかこの兄妹が普通のキスをしていたというだけでも結構ショックだったのに、それすらしたことのない自分が何を……。それにトーカにさえ数年ぶりにキスをしたというのだ。私にすぐしてくれるとは限らない。

 だがしかしだ。そうやって私が手をこまねいている間に、またトーカにジンの初めてを奪われる未来が見える。この妹はやる。というか絶対に今夜にでもやる。露見したウィークポイントをそのままにしておくほど、恋する戦鬼の妹は甘くないはずだ。


(こ、こうなったら”オーダー”で……)


 いやしかし……。命令で手に入れるのは健全ではないと、最後の理性が語りかける。たとえ気持ちが通じ合っていたとしても、さすがに強制力が働くものをこういうことで使うのは──


「……兄さん、今夜私の部屋に来てくださいね。大事なお話がありますので」


 ブチッ──!


「──やってやろうじゃないのよ!」


 こそこそとジンに耳打ちする刀花の言葉にタガが外れた私は、勢いのままに気勢を上げる。


「ジン! 重ねて”オーダー”を命じるわ。『私に──」

「だだだ、ダメですよう!」

「俺の意思よ」


 もう知らないわ! どうにでもなりなさい! これ以上奪われてなるものですか! 貴族は奪うものよ!


「『私に大人のキスをしなさい』!!」

「あぁー!!」

「──」


 談話室に私の鬨の声が響き渡る。

 あぁ言っちゃった……! でもでも、ジンとトーカが悪いんだから。私悪くないもん!

 ささささぁ、来なさいジン! あなたが初めて大人のキスをするのはトーカじゃない、この私よ! 勝った! 第一章完!


「──」


 張り裂けそうなくらい心臓を高鳴らせながらジンを見る。さぁ、早く立ち上がって私に……あれ、ジン?


「じ、ジン……?」

「む……?」

「に、兄さん?」


 しかし、”オーダー”を受けたはずのジンは……ソファに座ったまま動かない。

 ジン自身も不思議そうな声を上げて首を捻っている。


「な、なんで……?」


 呆然としてジンの瞳を覗き込む。先程まであった紋章の紅い輝きは、とうに失せてしまっていた。き、効いてない……?


「ふむ、俺が思うに──」


 ジンが顎に手を当て、眉根を寄せた。


「俺は無双の戦鬼ゆえ、対霊力も無論備えている。そのせいで、主人の術式とはいえ”オーダー”は一日一回程度にしか使えないのではないか?」

「う、嘘……」


 だが確かに、あり得る話だ。

 これまでも、ジンに下した"オーダー"は一日一回。二回下したのは今が初めて……ということは……


「マスター、残念ながら大人のキスはまた今度だな」

「り、リゼットさん……」


 振り絞った勇気も萎え、恥ずかしい命令を大声で叫んだという結果だけが残った。そんな私を痛ましそうに見る兄妹の視線が突き刺さる。


「は、へぅえ……」


 自分の顔が熱を持つのが分かるほどの羞恥心が込み上げ、言葉にならない音が口から漏れる。視界もぼんやりと滲んできた。


「わ、私……私──」


 じわりと瞳に涙を溜めて、


「お部屋でゲームしてくるうぅぅぅぅーーーー!!!」


 自分でもよく分からない言い訳を残し、私は脱兎のごとく自室に逃げ込むのだった。


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