29 「甘え下手なご主人様と、甘え上手な妹だ」
──鎌。
それは湾曲した刃を内側に秘めた、草や稲を刈り取るための農具の一種である。
古より人間と共に歩み、それが振るわれれば人間の糧の収穫となる。まさに豊穣の象徴と言える刃がそれだ。
しかし鎌はまた、それとは別の顔を持っている。
まだ人間同士が泥臭く戦をしていた折、高価な刀や槍の代わりに振るわれるものもまた鎌だった。
そして神話の時代、とある怪物を討ち果たす英雄が持っていた得物も鎌とされる。なにより神々が跋扈する時代、人間の命を狩る死神の得物としての役割が、より強く人間の記憶には残り畏怖されてきた。
鎌とは即ち、人間に豊穣と破滅をもたらす道具であり、多くの血を吸ってきた立派な殺しの武器なのである。つまり──
「見るがいい、これを。命を刈り取る形をして──」
「それじゃ兄さん、草刈りはお願いしますね」
「ねぇ大丈夫? ギラツキ過ぎて刀身が見えないんだけど」
「……鬼の血を混ぜた刃だからな」
現在、夕飯まではまだ少し時間がある夕暮れ時。手持ち無沙汰な俺は屋敷周りの草刈りをしようと思い立ち、屋敷の玄関前に立っている。
昼過ぎにゴミ共にちょっかいをかけられた後、俺達はスーパーに寄って食材を買い、屋敷に帰還したのだった。
……ちなみに鞘花の姿はあの後すぐに解除した。あの者共も運がいい。鞘花でなければ腕を伸ばした瞬間にその先を斬り飛ばしているところだ。
そうして帰還の際、改めて屋敷の外観を見ると、どうも屋敷だけが復元し周囲の草木はまだ生え散らかったままだったので、夕飯までの時間に片付けてしまおうと思ったのだ。
ここの庭はテントを張ってキャンプをしてもあまりあるほど大きい。さすがにそんな広大な敷地に雑草が生い茂っていては、格好がつかないというものだ。
「またそういう……普通の鎌でいいでしょう?」
「言っただろう、粗悪な得物を使っては俺の愛が疑われると」
「あ、愛ってあなた……」
腰に手を当て呆れたようにしていたリゼットは、「愛」という言葉を聞いた途端、もじもじと恥ずかしそうに太股を擦り合わせた。その様子を、隣の刀花は面白くなさそうに見ている。
「兄さんの作る武器の凄さは、対象への愛情に比例しますからね。むー、そういうの出すのは私のためだけだったのに……」
嫉妬で可愛らしくむくれる刀花の頭を撫でる。まぁ仕方がない。俺達兄妹はあくまで主人に世話になっている身だ。金銭を気にしなくていいようになった今、別の形でマスターであるリゼットに奉仕をせねばならないのだから。
本人は「眷属は家族みたいなものなのだから気にしなくていい」とは言っているが、出来る限りのことをしなくては割には合うまい。
──とまぁなんだかんだ言ったが、損得抜きにしても俺はこの少女に何かしてやりたいのだ。まったく、刀花以外で俺がこんな心持ちになる日が来ようとは……それに、頑張りに応じて褒美もあるからな。
「さてさて、次はどこに口づけしたものか……」
「うえぇ!? じ、ジン……!?」
それとなく呟いた言葉に、我がマスターは夕焼けにも負けないくらい真っ赤になった。
「褒美は身体のどこに触れてもいいというものだっただろう?」
「え、いや、あの時は、その──」
「髪は親愛だったからな……次は忠誠の足だろうか」
「もはやキスする前提!?」
ゆでダコのようになったリゼットは「あー、うー」と言葉にならない呻き声をあげている。その深紅の瞳は恥ずかしげに下を向きながらも、どこか期待を滲ませているようにこちらをチラチラと見ている。
「……す、好きなの、キス?」
「うむ。俺は作刀以来触れるもの皆斬り刻んできたのでな」
とは言え、ぼんやりと意識が芽生え始めたのは酒呑の野郎をみっちゃんが斬り殺した時だが。今思えば、みっちゃんも人の身でありながらよく鬼を殺せたものだ。
「こうして人の身を得た今、俺は触れても人を傷付けずにいられる。こういった触れるだけで愛を確かめられる行為は、人間にしてはよい発明だと素直に称賛を送ろう」
「にーいさん♪」
そう言いきった俺に、刀花は自分の頬をニコニコしながらチョンチョンとつつく。
俺はその意図を汲み取り、おねだりするいじらしい妹の頬に唇を落とした。それをリゼットは「わ、わ」と目を丸くしながら見ている。
「とまぁ、こうして刀花が喜んでくれるというのが一番の理由ではあるが。マスターはこういうのは嫌いか?」
「え、えぇ!? そ、その……」
「嫌ならもちろん無理にとは言わん。別の報酬を貰うとしよう」
「それがいいですね。キスは私だけにするということで。むふー」
「ま、待ちなさい!」
刀花が俺の腕を取り、これ見よがしに抱き締めたところでリゼットが待ったをかける。
もじりもじりと指をこねくり回し、こちらの様子を伺うように問いかけてくる。
「ジンは私に、き、キス……したい?」
「うむ。俺が出来る人間らしい最大限の親愛表現ゆえな」
「そ、そう……け、眷属に報いるのもご主人様の務めよね」
「はーい、妹は別に義務感でキスすることないと思いまーす」
……刀花が意地悪だ。
刀花の言葉にリゼットは「ぐぬぬ」と唸るが、その次の言葉が出てこず涙目でこちらを見つめてくる。このマスターは恥ずかしがり屋で甘え下手なのである。
「……俺がどうしてもしたいのだ、ダメか?」
「あっ――だ、ダメじゃ……ない」
助け船を出すと、リゼットは消え入りそうな声で許可を出した。
俺はその返事に満足し、頷く。
「よし、それではマスターの足にキスが出来るよう草刈りを始めよう」
「あ、足にするの……?」
リゼットはチラリとロングスカートの裾を上げて、自分の足を見ている。ストッキングに覆われていてよく見えないが、今は夏。一日歩いたことで少し、女の子として気になる部分があるのかも知れない。俺は気にせんが。
「草刈り程度、この無双の戦鬼がすぐに終わらせてみせよう」
「しゃ、シャワー浴びてくる!」
俺の言葉に、リゼットは慌てたようにそう言って、黄金の軌跡を残し屋敷の中に姿を消した。まったく可愛いマスターだ。
「むー……可愛いですねリゼットさん」
いまだ腕にぶら下がっている妹も同じ感想を抱いたようだ。しかし、俺を見る目は不満げに細められている。
「リゼットさんばかりずるくないですかー? 妹が不満げにしている時、どうするべきだって兄さんに教えましたっけ?」
頬を膨らませ、試すように言う刀花の身を引き寄せ、無言で抱きすくめる。
はじめツーンとそっぽを向く刀花だが、追加で頭を撫でたり髪にキスを落としたりすると、段々とふにゃふにゃとしてくる。なんとも優しい妹である。
「すまん、心労をかける」
「妹への愛情が衰えてなければいいんですよ。コホン、いいですか? 『女の子には優しく。そして――』」
「『妹には一番優しく』、心得ているとも」
阿吽の呼吸で言葉を引き取りそう答えると、我が妹は「むふー」と満足したような息を漏らし、ポニーテールを嬉しそうに揺らしながら悪戯するように俺の頬にキスを落とした。
「さてさて、兄さんの愛情も確かめたことですし、私は晩ご飯の支度に移ります。ここは任せてもいいですか?」
「任された。雑草一本すら残さんと誓おう」
「そう言われるとなんだか不安になりますね」
クスリと笑って、刀花は最後にギュッと甘えるように俺の身体を抱きしめ、屋敷の中へと入っていった。
「さて」
グルリと周囲を睥睨する。
晩飯までおよそ一時間と少し。敷地は広大で敵は膨大。人間であれば数日かかる仕事だ。しかし――
「なめるな、無双の力」
俺は可愛いマスターの褒美と、可愛い妹の晩ご飯を美味しくいただくために、そう呟いて戦場へと足を踏み入れるのだった。




