251 「エピローグ・帰還の双姫」
「っと……」
一人の少女が、薄らと雪の積もった芝生に降り立つ。
耳に心地よいサクッとした着地の音。その余韻もどこか遠く、少女は振り返りながら小さく吐息を漏らした。
──その、先程までお邪魔をしていた“別の枝葉”への名残を惜しむように。
「……」
兎のような金髪ツインテールを手で払い、リンゼ=ブルームフィールドは鮮血の瞳を細める。
視線の先には、広大なお屋敷の庭で大口を開ける奇妙な黒い穴。自分とカナタが切り裂き、別の世界から帰還すべく開けた穴だ。
その穴の、特に切り口をつぶさに観察し……リンゼは静かにため息をついた。
「……まだまだですわね」
“未熟”。
その二文字が、少女の胸に大きく刻まれる。
見れば、穴の切り口は所々不格好に切り裂かれており、仕事の雑さが隠し切れていない。空間ごと力任せに、刃を振り抜いた結果であった。
「……もっと、もっと上手く力を振るえるようにならないと」
斬られた方が、斬られたことに気付かないくらい滑らかに、一瞬で、鮮やかに。
「……」
そうでなければ、この旅でできた“もう一つの家族”に再び会うことなんて許され──、
「次女ドロップキック」
「ふぎゃあーーー!?」
睨み付ける穴の中から、唐突に現れた草履の裏。その光景を最後に、リンゼは吹っ飛ばされた。
「ふん、未熟者が」
その所業をおこなった黒髪の少女は、妹の無様な姿に満足したのか腕を組んで仁王立ち。その背後で、異なる世界へ繋がる穴が今度こそ収束し消えていった。
着物姿で見事な着地をきめるそんな姉の姿と庭の光景を見上げながら、リンゼは非難の声を上げる。
「ななな、なにするんですのカナター!!」
「それはこちらの台詞だ、我が愚かなる妹よ。泣くなと言ったのに、まんまと泣きおって」
「……泣いて、ないし。それに、それを言ったらカナタだって……!」
「私から流れたのはただの塩分だ。おとーさんに酒を贈ったのだから肴も用意せねばという、可愛い娘心なのだ」
「……」
「……」
見つめ合い、同時にため息をつく。
互いの言い分に呆れたのか、己の未熟さに嫌気が差したのか。
……おそらく、全部だ。今は、自分の至らなさを大いに感じなければならない時間だった。そうでなければ、置いてきた家族に申し訳が立たず、同時に己の成長する機会も失われてしまう気がするから。
「……さ、帰るか」
「……えぇ」
黒い和服の袖を揺らす次女の腕を取り、三女は立ち上がる。
二人の少女の視線の先には、屋敷の内部に繋がる大きな扉。
「……」
“あちら側”と同じ造りであるはずなのに、今は少しだけその扉が別の何かに映る。
「……早く開けなさいな、カナタ」
「いや……たまには年下に譲ろう。開けろ、リンゼ」
「はぁ!? い、嫌ですわ! こういうのは年長者が責任を取るものと相場が決まっていますことよ! レディファーストってご存じ!?」
「貴様、私が女でないと申すか……!?」
久しぶりに帰還した家の前で、ぎゃあぎゃあと言い合う。
軽い気持ちで家出をして、家族に心配を掛けたという負い目から、扉になかなか手が出せない姉妹であった。
──ダダダダダダダ!!
しかし、そんな言い争いを玄関口でしていれば気付く者は気付くわけで。
「ぬおおぉぉぉぉおおおぉぉ!!!!」
扉の向こう。ホールに繋がる大階段を疾走する足音と、どこか悲痛さを感じさせる野太い声。
出戻り姉妹の存在をいち早く感知したその者は、我先にと勢いよく扉を開け放つ。その者は姉妹が家出をしてからというもの、毎晩枕を涙で濡らしていた情けない戦鬼……、
──ではなかった!
「リンゼたぁあぁぁぁぁぁぁん!!!」
「うひゃあ!? あ、あなたは!?」
「……これは珍しい顔だ」
リンゼたん、というよりにもよってどこの文化を取り入れたのかと疑う愛称と共に、金髪少女に抱きつく男の姿がある。
撫でつけられたオールバックの金髪に、平時であれば臣下を震え上がらせるほどに怜悧な紅玉の瞳。壮年らしく蓄えた髭はその男の積み上げた歴史を物語り、年の割に引き締まった身体はまだまだ現役を思わせた。
しかし今は、金髪少女に頬擦りをする好々爺といった体たらく。おそらく、臣下がこのような姿を見たら一瞬で信用は地に落ちるだろう。
そんな、どこか既視感を覚えるカラーリングの老いた男性の名を、目を白黒とさせるリンゼが叫んだ。
「あ、アルカードお祖父ちゃま!?」
「心配したのだぞう、リンゼたぁぁあん!!」
「そのリンゼ“たん”はやめてくださいまし」
こういう所がなければカッコいいのに、とリンゼは“姓を同じくする祖父”を見る。
──アルカード=ブルームフィールド。
正真正銘、自分の母方の祖父であり、平時であればイギリスの領地経営に忙殺されている身分の男が、いったいなぜ今日本に……?
その疑問が顔に出たのか、アルカードはリンゼを抱き締めながら不愉快げに鼻を鳴らした。
「まったく、使い魔から報告を聞いた時は耳を疑ったわ。次女と三女がいなくなったなどと」
「あ……」
それを聞き、リンゼと彼方は目を伏せる。自分達の行動が、異国の地にまで不安を与えていたのだ。
そんな二人の様子に気がついたのか、アルカードは「ゴ、ゴホン!」とわざとらしく咳払いをして話題を変える。
「いやはや、情けないにもほどがある。娘に家から逃げられるとはな! やはりあのバカにリンゼたんは任せておけん! どうだリンゼたん? これからはお前の母と共に、イギリスで偉大なる祖父と生活を──」
しれっと母のことを交えて誘う祖父。この祖父は日本に来るたびいつもそうだ。
……そして、その言葉が最後まで続かないのも、お約束なのである。
「──調子に乗るなよ、血を吸うしか能の無いダニ風情が」
「ぬっ!?」
優しげな顔から一転、歴戦の風格すら感じさせる顔となったアルカードが娘から一瞬で飛び退く。しかし、逃走を許すほど……娘達の父、“無双の戦鬼”は甘くない。
夜よりも深い黒衣に、天を嘲笑う闇色の二本角。猛る霊力もそのままに、どの世界においても姿の変わらぬ酒上刃は刃を振るう。
庭に金属音が鳴り響いた。血塗られた鋼と、血で固められた剣がぶつかり合う音だ。
互いに刃で鍔迫り合いを演じながら、二人の男が怨敵を見るかの如く睨み合い、罵詈雑言をぶつけ合う。
「どこに連れて行く、だと? もう一度俺の前で同じ言葉を吐いてみろダニがぁ……!」
「極東の猿がぁ……! やはり貴様にリゼットたんとリンゼたんを任せるなど間違っていたのだ! これからは吾輩が養うと決めた!」
「どの口で今更『養う』と言ったのだ、このたわけめ! 貴様になんぞ預けたら可愛い娘の根性がひん曲がるわ! このクソ義父ぃいぃぃぃぃ……!!」
「吾輩を義父と呼ぶな、身の毛がよだつわ!! こんのバカ義息子めがぁあぁぁぁぁぁぁ!」
「この俺を義息子と言ったか!? 吐き気を催す!」
「嫌なら何度でも呼んでやるわ! バァーカ! ブワァァアァアァァァカ!!」
……お、大人げない。
リンゼと彼方は、二人の大人の姿を見て同じ感想を抱く。この二人が言い合う時ばかりは、さすがに辟易とする。
しかし、そんなどの世界においても変わらぬ父の様子を見て、ホッとするのも事実だった。
「……なに、ため息ついてるのかな。このおバカ妹達は?」
「「ひっ」」
大人達の様子を見て、「ああ、帰ってきた」と実感していた矢先……開いた扉の奥、大階段をゆっくりと下りてくる少女の声にリンゼと彼方の肩が震える。
その声は洋菓子のようにコーティングされた砂糖が如く、二人の鼓膜を甘く揺らす……その奥の苦味を隠すように。
母のそれより濃く長いカフェオレ色の髪に、スッと細められたナッツ色の瞳。長女としての責任を負った、重くまっすぐな口調で次女と三女に声を掛けるのは……、
「ち、チヨメ……」
「姉さん……」
「ふーん……家出したくせに、姉の名前はちゃんと覚えてるみたいだね?」
──薄野千代女。
戦鬼と薄野綾女の間に生まれた、三姉妹の実権を握る長女(中学三年生)である。
そんな二人にとって恐怖の対象である長女様は、チクリと小言を言いつつニッコリと笑い、
「──でも、今まで散々面倒見てきたお姉ちゃんが、大事な受験シーズン真っ盛りだってことは忘れてたみたいだねぇ……?」
「「ひーーー!!??」」
片手に持った刀を抜いた。
瞬間、長女の怒りを反映するかのようにビリビリと空間が震え出す。
この長女は霊力を持たないただの人間であり、だからこそ家出の際にも声を掛けなかった。
しかし……彼女がキレた時にだけ持ち出す、その武装が問題なのであった。
「ち、チヨメお姉様が“血吸”をお抜きにぃーーー!?」
「は、話せば分かる!!」
「んー? 私は分からないなぁ。君達が家族にどれだけ心配掛けたか、君達が把握できないようにね」
ぬらり、と。母から受け継いだ、持つ者に魔を調伏するための絶大な力を与える“神刀”が煌めく。
こうなってしまった長女は、もう誰にも止められないと姉妹は身をもって知っていた。
とんでもない神威を放つ刀を提げ、千代女はゆっくりと震える姉妹に近付いていく。ブチブチと文句を言いながら。
「パパが毎日泣いて電話掛けてくるし、かと思ったら急に刀形態から元気になるし、アルカードお祖父ちゃんが来てダンデライオンを貸し切るし……その間、全然勉強に集中できないし!」
「「あばばばばばば」」
殺される……冗談抜きで。
母に似たのか、この長女も規則に厳しい。長女としての立場も相まって、折檻役もだいたいこの長女が担っているのだ。
「この、たわけ妹達ぃ……!」
「「ひーーー!?」」
そうして千代女は、短い足を忙しなく動かして二人に近付き……!
「──どれだけ、心配したと思ってるの!」
「「あ……」」
ギュッと、二人の身体を抱き締めた。
妹達と比べて小さなその身体は、小刻みに震えていた。
「“向こうのパパ”から連絡が来た時、どれだけ安心したか……せめて、置き手紙だけでも残しといてよ……ばかぁ……」
「「……ごめん、なさい」」
同時に謝り、ずっとずっと心配で夜も満足に眠れなかったのであろう姉の身体にしがみつく。温かい。
「ぐすっ……ダンデライオンで奉仕活動、一ヶ月だから」
「はい、お姉様……」
「……やっぱムカつくから二ヶ月」
「分かった……千代女姉さん」
容赦の無い期間延長にも、姉妹は素直に頷く。それだけのことをしたのだと、姉の泣く姿で痛いほど理解したのだ。
「……そういえば彼方。なんか前と感じ違う?」
しばらく抱き合い、身体を離した千代女が彼方に問う。
「ああ。少し、己を見つめ直す機会が」
「……ふぅん? じゃあ、リンゼも?」
「はいですわ。ワタクシ、もっともっと立派な淑女を目指すと誓いましたの!」
拳を握るリンゼと、静かに己を見つめ直す彼方。
その、冬休み前とは異なる顔を見せる姉妹に、千代女は一瞬だけ目をパチクリとさせ……ふと、唇を綻ばせた。
「……へぇ、本当に手ぶらでは帰って来なかったみたいだね。ならまぁ、いっか」
「え、奉仕活動無しですの!?」
「んなわけないじゃん。この場でのお仕置きはいいかって言ったの」
言いながら、鈴に似た音色と共に刀を収める。チラリと食堂の方へ視線をやりながら。
「言っておくけど“私は”、ね。お茶とお菓子を用意してあるから、この後ママ達にちゃあんと説明すること。食堂で皆待ってるから」
「「うっ……」」
気まずげに視線を逸らす妹達の姿に、千代女は一つ父親そっくりの鼻を鳴らす。そうしてそのまま外に声を掛けた。
「パパー、お祖父ちゃーん? いつまで遊んでるのー?」
「遊んでなどいないぞ、我が娘・ちよ。俺は今、この特定外来生物の駆除をだな」
「ぬおおぉぉ……! 離せ下等生物が! 亡きシャルロット、吾輩に力を……!」
いつの間にか庭に鎮座していた断頭台に、祖父をせっせと押し込む父の姿に苦笑しながら、千代女は「お先に」と食堂へ向かう。
身動きの取れなくなったアルカードに満足してか、戦鬼もまた一つ息をつき玄関に入ってきた。当然、帰ってきたばかりのリンゼと彼方が目に入る。
「……ふむ」
「あ、お父様……」
「おとーさん……」
まじまじと娘の姿を観察する父の視線に、二人は後ろめたさと、恥じらいと、気まずさを味わう。
今、目の前にいる父に何と言えばいいのか分からない。いの一番に謝ればいいのか。それとも覇道を征く戦鬼の娘として、父にそのような情けない姿を見せず毅然とするべきなのか。
「……ふ」
謝りたい。感謝したい。笑いたい。泣きたい。抱きつきたい。甘えたい。叱って欲しい。許して欲しい。
そんなとめどない思考の奔流に晒される姉妹を見て……しかし、その父は不敵に笑う。まるで手本を見せるように。
そうして二人の横を通り過ぎ、振り返らぬままに一つだけ、娘達に問うた。
「──どうだった?」
謝罪も求めず、感謝も求めず。
父は、ただこの旅の成果のみを尋ねる。この家出に、甲斐はあったのか。お前達にとって得るものはあったのか、と。
「「──」」
その優しい父の背中に、二人の娘は一瞬だけ顔を見合わせた。
……胸に去来する想いがある。もう一つの世界で得た、様々な想いが。
父の生き様、母の優しさ。諭された言葉、激励された言葉。そして、示された愛。それら全てが、一気に胸の内にこみ上げてくる。
だから……与えられたその想いに決して、恥じぬように。
「「……ふふっ」」
その背に向かって、たった一つの答えを返した。
もう一人の父にも似合うと言われた、不敵な笑顔を携えて。
「「──楽しかった!!」」
第五章「無双の戦鬼と、襲来の双姫!」完。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。是非とも感想をお聞かせください。
<次章予告>
娘達と出逢ったことで、未来がほんの少し楽しみになった面々は穏やかな日常へと回帰していく。
バレンタインも近付く中で、戦鬼は静かに春を待つ……待つ、つもりだった。
──卒業を間近に控えた、その少女に出逢うまでは!
次章「無双の戦鬼と、笑顔の魔法」
「ね、ね、後輩君。君、私の物にならない?」
「……」
「鼻をほじるな鼻をー! 真面目に聞けやーーー!!」




