25 「妹の可愛さの前では滞空時間など些事」
「思えば、この部屋にも長い間世話になったな」
誰に聞かせるでもなく呟いた一言は、スッキリと片付けられた居間に吸い込まれていった。
カフェで撃沈したリゼットに気を遣い、一旦距離をとった俺は独りでアパートの引っ越し作業に移っていた。
彼女達を守護する立場からして目を離したくはなかったが、これから二人は服や下着を見繕う予定だという。そこならば男どもの視線や接触もマシかと思い、こうして別行動をとっているわけだ。その気になれば一瞬で移動も可能ではあるからな。
「さすがにからかいが過ぎたか」
どうも我がマスターはからかい甲斐があっていけない。彼女の過剰な反応が新鮮で、つい俺の中の鬼の血を騒がせるのだ。長年連れ添い、俺の生態を熟知している刀花だとこうはいかない。
「ふっ」
背中に巨大な風呂敷を背負い、荷物をまとめて入れた箪笥に手をかける。
「……」
二人暮らしにしては少ない荷物。
すぐに拠点を移せるようにと、まだ敵の襲撃があった頃の名残だ。この箪笥も刀花と出会った頃に拾った物で、あちこち傷だらけとなってしまっている。
具合を確かめるように眺めていると、ふと壁面に意図的に傷が付けられたと分かる線がいくつもあるのが見えた。
「……懐かしいな」
横に引かれた線が蛇腹のように連なり、その横には年月日が書かれている。
刀花の成長を記したものだ。
「もう十年か」
忘れることなどできはしない、彼女との出会いから十年。人間の悪意を煮詰めた儀式に捧げられた無垢なる少女の所有物となり、それだけの月日が経っていた。
目を細め、愛おしげに傷を撫でると、今でも鮮明に刀花との思い出が胸に溢れてくる。
『……助けてくださって、ありがとうございます。えっと……どちらさま、ですか?』
『名もない鬼だ。銘ならば、童子切安綱』
『ど、どーじ……?』
『……好きに呼べ』
『……えと、じゃあ、おにーさん……?』
血液すら細切れにする、地から生えた夥しい剣山の中で、俺は彼女の所有物となったのだ。
「よし……」
俺は箪笥を両手で抱えるようにして持ち、玄関に向かう。
俺達兄妹も、最初から仲睦まじかったわけではない。なにせ彼女は人間という種に裏切られたばかりの時分。今でこそ天真爛漫な刀花だが、あの一時期だけは疑心暗鬼に陥っていた。
『……おにーさんは、怖いことしませんか?』
『ああ』
『……本当に?』
『ああ──また追手が来たようだ、打ち払う』
『ま、待って……』
『なんだ』
『き、気をつ──なんでも、ありません……』
『……ああ』
今思えば、疑心暗鬼に陥ろうと他人を心配する清らかな子だった。最初から彼女は優しい子で……そして哀れな子だった。
彼女との記憶を回想しながら部屋から出て、柵に足をかけ、屋根まで一気に飛ぶ。
当時の俺達は一年ほど、使われていない山荘や空き家を転々としながら追手を返り討ちにし、その追手の懐からよく財布をくすねたものだ。儀式の存在を知る者は俺の独断で滅ぼしたが、「なにか不祥事が起きてヤバイ存在が世に放たれた」という程度しか知らない討伐隊を殺すのは、疑心暗鬼に陥っていた刀花でも気が咎めた。
『あ、血が……あの、絆創膏を』
『返り血だ』
『……そう、ですか』
『……』
『……』
『……いや、やはり痛む。頼めるか』
『あっ──はい!』
そうして追手を撃退しながらも過ごしていく内に、俺は世のことを刀花に教わり、刀花も徐々にだがその心を癒していった。そんな生活が二年も経てば、俺も少しはこの世の道理というものが分かるようにはなっていた。
『ガハッ……このワシが、鬼に遅れをとろうとはのう』
『……』
『ワシを殺すか? それとも喰らうか鬼よ』
『一つ聞かせろ』
『なんじゃ、仲間の情報であれば──』
『女の子のランドセルは、何色を買うものなのだ』
『……は?』
『それと彼女を狙う者共に伝えろ。彼女が傷付いた時、人間の身体の内側から刃が生え貫く術式を撒き散らしたとな。全人類の命が惜しくないというならば、かかってくるがいい』
刀花の安全を武力でもって奪取し、俺達はようやく人間の生活という舞台に根をおろした。追手もなくなり収入源は潰えてしまったが、なんとか刀花が人間らしく生活できる時間を取り戻したのだ。
『おにーさん。私今日、学校で”刃”って字を習ったんです。私の”刀花”って字に似てて、線が一本多くて……あの、”刃お兄ちゃん”って……呼んでもいいですか……?』
あの頃だったか。人間社会に溶け込むためにと、刀花が俺に名を与えてくれたのは。そして同時に、『自分を助けてくれるおにーさん』ではなく、『共に分かち合う兄妹』となったのは。
「刀花には教えられてばかりだったな」
屋根の上で一人苦笑し、箪笥を振りかぶる。
戦鬼の角を解放し、屋敷方面に向けて箪笥を弾丸のようにオーバースローでぶん投げた。
「ふっ!」
そして投げた瞬間、箪笥よりも早く跳躍してその投げた箪笥にあぐらで着地した。
夏の日差しと気持ちのいい風を浴びながら、刀花に思いを馳せる。小学校に再び通うようになってから、彼女はめっきり明るくなっていった。やはりずっと鬼と一緒にいるよりは、同じ人間相手にリハビリするのが功を奏したのだろう。彼女は曲がること無く、その花を大いに咲かせていったのだ。
『お兄ちゃん、カレーを一緒に作りませんか?』
『お兄ちゃん! 今日学校で一等賞をとったんです! 『そうか』って……こういう時、家族は頭を撫でて褒めるものなんですよ? あっ──むふー、やったぁ!』
『ポニーテールにしてみたんです、どうですか兄さん? えっ、『お兄ちゃんじゃないのか』って……その、子どもっぽいかなって……髪も伸ばせば、少しは兄さんに似合う女の子になれるかなって、えへへ』
彼女の声がまるで残響のように胸に響く。暖かく、日溜まりのような熱を帯びたそれは、戦鬼の心すら和らげる。
本当に、立派に育った。一般的な家族の温もりを知らず、それでも俺に”家族”を教えてくれた少女。彼女がいなくば、今の俺はないと断言できる。俺にとって自慢の、誇りに思う妹だ。
「ぐっ、刀゛花゛……!」
刀花とのこれまでを振り返ると胸が一杯になり、締め付けられ、ダバダバと涙が溢れてくる。恥ずかしくも男泣きである。本当に、立派に成長しおって……!
俺はたまらなくなり、買ったばかりのスマホを手に取る。液晶には、ケーキを頬張ってご満悦の刀花と、少しおすまし気味に紅茶を飲むリゼットが映っている。
アドレス帳を開き、刀花の番号を呼び出してタップした。今すぐ、妹の声が聞きたい。
「──」
数秒の呼び出し音の後、そしてその願いは叶えられた。
『はーい、兄さんの大好きな刀花ですよ?』
その甘い声が、俺の心を溶かす。
流れる鼻水をかみながら、俺は刀花に声を送った。彼女にとってはいきなり過ぎて意味不明だろうが、それでも俺は今この胸を占める想いを伝えずにはいられなかったのだ。
「刀花──大きくなったな」
『ぎくぅ! ふふふ太ってませんよぅ! これは、その、スカートが縮小したと申しますか! ちょっとパースが狂ったと申しますか!?』
唐突にテンパった妹の声を聞きながら、屋敷が見えてきたので着地に備える。
箪笥の下に回り込み、蹴りあげホップさせ、その反動で俺は屋敷の庭に着地。そうしていい塩梅の速度で落ちてきた箪笥を片手で受け止めた。
「刀花、愛している」
『……私もですよ。ふふ、どうしちゃったんですか。寂しがりな兄さんですね、むふー』
向こうでニコニコしているのが容易に想像できる声音で彼女は言い、
『今はまだ洋服を選んでいるところですので、早く戻ってきてくださいね、私だけの兄さん♪』
「ああ」
最後に『ちゅっ♪』と唇の音を残し、通話は切れた。
くっ、我が妹は世界一可愛いな。どれだけ言葉を尽くしても足りん。このままでは『我が所有者は小学生~無双の戦鬼は討ち滅ぼす~』が始まってしまう。
「さて、しかし……」
まだ服屋だったか。
正直、あの場は少し苦手だ。俺は人間などどうでもいいが、その店にいる人間側はそうではないようで、以前に一度通報されてしまったのだ。
どうも俺は人相が悪いらしく、他の男性客がいないとなると悪目立ちしてしまうのだ。女性ばかりの場となるとな……。
「む……?」
いや、そうか。
俺が男の身だからそういった問題が起きるのだ。ならば、解決策など赤子の手を捻るより容易に考え付く。
「我流・酒上流変身術──」
俺は刀花の衣服が入った箪笥を前に、久しぶりにそう唱えるのだった。




