22 「当たりは五百分の一っぽいです」
「お待たせいたしました、ごゆっくりどうぞ」
四人用のテーブルについた俺たちの前に、それぞれ赤く縁取られた黒塗りのお盆に乗った料理が並べられていく。
「ほれ」
去っていく店員を横目に、俺は割り箸を正面に座るリゼットと、左隣に座る刀花に渡す。はじめリゼットはこれが箸だとは分からなかったようで首を傾げていたが、刀花が「いただきます!」と言って箸を割るのを見てようやく理解したようだ。
「えい」
リゼットも刀花に続き箸を割った……縦に持って。
「あ、あら……?」
「マスター、それは横に寝かせて割った方が割りやすい」
案の定、歪に割れてしまった箸を困ったように見る彼女に、見本を見せるかのようにして目の前で割ってみせる。まぁ仕方ない。日本人ですらたまに失敗するものだからな。
「も、もう一回……」
「環境に悪い吸血鬼め」
資源を無駄にするわけにはいかないので、無言で彼女の箸を奪い、俺が割った箸と交換した。
「むむむ、ありがと……」
「次だ、次」
リゼットは唇を尖らせながら礼を言ったものの、悔しそうに唸っている。おそらく自分でも出来そうなことを出来ないままにしておくのが嫌なのだろう。向上心があるのはいいことだ。
「もぐもぐ……ごくん。それにしても、リゼットさん。生魚ですけど大丈夫なんですか?」
それは俺も気になっていた。
リゼットが頼んだのは刺身定食。外国では生魚を食す文化は少ないと聞くが……。
そんな彼女は「おぉ~」と色とりどりの刺身を眺めていた視線をこちらに向けた。
「だって、日本ってお魚が美味しいんでしょう? それに折角なら、一番新鮮そうなものをいただきたいじゃない」
確かに日本の魚は美味い。どこぞの魚市場では外国人がカートに乗ってはしゃぐくらいだからな。外国人にとって日本の魚は、彼らを惹き付ける何かがあるのかもしれない。
「それにショーユも気になってたし」
「ああ、醤油か」
ワクワクした目で赤黒い液体を見詰めている。日本食ブームで英国でも買えるとはいえ、彼女の家庭には出てこなかったらしい。
「いただきます」
彼女は目を輝かせながらも慎重な手付きで箸を操り、サーモンを摘まんだ。ワサビはさすがにまだ入れないようで、そのままの醤油にちょんと浸し……、
「っ……パクリ」
多少の躊躇いはあったものの、意を決したようにしてその小さな口に新鮮な魚を放り込んだ。
もっきゅもっきゅ。
眉を寄せ、難しそうな顔で咀嚼するリゼットの様子に、俺と刀花もなぜか緊張感に包まれる。
無言の時間がしばらく続き、こくんとリゼットの喉が刺身を燕下した。
「……どうだ?」
「――」
無言のままのリゼットはいまだ不動。やはりお嬢様の口にはチェーン店の刺身は合わなかったのだろうか……、と危惧した瞬間──
「――」
彼女は天を仰ぎ、熱い吐息を漏らした後、ゆっくりと顔を手で覆って小声で呟いた。
「はーーーー…………好き」
「うちのクラスの男子みたいなこと言い出しましたね……」
「俺も見たことがある」
バイト先の人間が漫画やスマホを眺めている時、唐突に天を仰いで呟いていた。なんだったか、「オシガトウトスギテシンドイ」だったか?
「シェフにお礼が言いたいわ」
「ここそういうお店じゃないんで……」
「アンケートならあるぞ」
溢れる気持ちを押さえきれない様子の彼女に利用者アンケートを渡す。備え付けのペンを握り、彼女は笑顔で感想欄に大きく「いいね!」と書いた。ちょっと違うかもしれんなあ。
「まぁ、お気に召したようでなによりだ」
俺と刀花もホッと一息つき、食事を再開。その間にもリゼットは次にワサビにチャレンジしている。
口に入れた瞬間、猫のように髪を逆立てながらも「んー!♪」と目をギュッと瞑り、日本食の新たな刺激を堪能しているようだ。幸せそうで大変結構。
信じられるか? こいつ島流しされてきたのだぞ……。
「あ、兄さん。お肉ちょっとください、あーん」
「ん」
隣の席で可愛らしく口を開けている刀花に、ひょいひょいとタレのかかった焼き肉を放り込む。「むふー」とあーんをしてもらいご満悦の刀花は、ニコニコしながら炊きたての白米を頬張った。
というかエビフライの姿が既に無い。恐ろしく早い完食、無双の俺ですら見逃したぞ。
「あ、ジン。ちょっといいかしら?」
「……まだ一口も食ってないのだが」
いやまぁ食事は別に必要でもないからいい。不要であるのに俺も食べているのは、刀花が「家族は食卓を囲むべし」と酒上家の家訓としているからだ。
「なんだ焼き肉か? ほれ」
「え? ちが、あの……あむっ」
箸で摘まんで差し出す俺に、わたわた慌てるリゼットへ焼き肉を押し込む。自然とあーんをする形となった彼女は頬を染め、こちらを睨んできた。
「もぐもぐ。もう、違うって言ってるでしょー……情緒もないし減点ね」
「減点されるとどうなる?」
「……ば、罰ゲーム」
またそれか、好きだな罰ゲーム。
その言葉で今朝のことを思い出したのか、リゼットは気まずげにしながら赤い頬を隠し、咳払いをした。
「コホン……この水に血を垂らしてちょうだい」
「水に?」
ドリンクバーで汲んできた水の入ったコップを指差しながら、彼女は俺に命を下す。
「……今朝のように発情しなければいいが」
「ししししないわよ失礼ね!」
どうだか、と息を漏らしながら俺はリゼットが歪に割った割り箸のささくれで指の腹を突き、数滴ほど水に俺の血をブレンドした。
その様子を、俺のご主人様は満足げに見つめている。
「ふふ、最高の料理には最高のドリンクを用意しないとね」
「……ふーむ」
最高のドリンク、か。いや妙な話だ。昨夜は不味かった俺の血が、なぜ今朝になって彼女の舌に合うようになっていたのか。我が身体のことながらよくわからん。眷属の血が主人のために変異することでもあるのだろうか?
隣でゆったりと味噌汁を啜る刀花に目で聞いても「?」と首を傾げるのみだ。
兄妹でアイコンタクトをとる間にも、リゼットはグラスを揺らし、血を攪拌させている。
「ふふ、乾杯」
そしてこちらに掲げるように持ち上げた後、彼女は今朝方に夢中となっていた俺の血が入った水を口に含み……、
「ヴっ……」
吐いた。
「「えぇー……」」
兄妹で困惑の声を上げる中、リゼットは「まっずーい!?」と咳き込んでいる。
「な、なんで……?」
愕然とした様子でコップを眺めるリゼットに、俺も眉をひそめる。どうやら血の味が変わるのは普通のことではないらしい。
「……どうも俺の血はコロコロ味が変わるらしいな」
「あー……兄さんは莫大な量の血を吸ってますからね、ランダム性があるのかもしれません」
ごった煮にした飲み物が不味いのと同じようなものか。奇跡的に美味しくなる時もあるが、今朝はたまたまその当たりを引いたというだけのことだったのだろう。
試しにもう一度、今度は俺の水に血を入れリゼットに差し出した。
「……うっ、さっきと味が違う」
「そして外れの方が多いと」
一口飲み、微妙そうな顔をするリゼット。俺としても美味い血をお届け出来なくて残念だ。
「そんなぁ……」
ここまで順風満帆だった彼女はガクリと肩を落とす。まぁ、そうそううまい話はないということか。
彼女は名残惜しそうにコップを眺めるも、疲れたようにため息を吐いた。
「……もういいわ、紅茶をちょうだい」
「血は入れるか?」
「いらないわよ!」
ガーとちっちゃい牙を見せて威嚇するリゼットを尻目に、俺は肩をすくめてドリンクバーへ向かうのだった。




