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俺のマスターは吸血姫~無双の戦鬼は跪く!~  作者: 黎明煌
第一章 「無双の戦鬼、忠誠を誓う」
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20 「わんわん(低音)」




 道行く者がみな、その清廉に咲く二輪の花に目を奪われた。

 雑踏ひしめく夏の繁華街。群れなし歩くのは夏期休暇を満喫する学生に、店頭に出て客引きをするアルバイト、そして取引先に急ぐ会社員と幅が広い。

 その誰もがスマホに視線を投げたり、携帯機器を耳に当てメモ帳を忙しなく見たりしていた。仲間内ではしゃぎ、自分の仕事に従事する者が大半で、他の者にかかずらう暇も余裕も無いのが現代の街の有り様だ。

 しかしそんな環境の中にあっても、ハッとし気付けば目で追っている。雑多な木々が立ち並ぶ森の中で、蜜蜂が花の蜜に誘われるかのように。

 では、彼らの視線をいたずらに奪うものとはなんなのか?

 それは、それぞれ種の異なる美しさをその内に秘めた、淑やかに咲く二人の少女たちだった。

 先頭を歩く少女は、その相貌に見る者の心を溶かす微笑を湛え、まるで白百合のように清らかに咲いていた。世界の寵愛を一身に受けたかのような多幸感に満ちたその微笑みは、一種の神聖さを醸し出していると言っても過言ではない。

 しかし時折、後方を振り向き同行者に見せる笑顔は、天真爛漫という言葉に相応しい親しげな雰囲気に包まれ、先の微笑みとはまた違うギャップで見る者の心を魅了してやまない。知らず知らずの内に、思わずその手にとってしまいたくなるような可憐な花だ。

 一方もう一輪の花は、日傘から覗く夏の日差しを受け、その高貴な輝きを余すこと無く周囲に振り撒いていた。造花には表現することのできないその蜂蜜色の黄金は、天然の芸術品といって差し支えない。物珍しそうに、そして時折好奇心に輝くルビーの紅玉のような瞳も相まって、まさに温室で丁寧に育てられたマリーゴールドを思わせた。

 ある者は立ち止まり、あるカップルは男女ともに振り返り、ある者は口を開けたままその可憐に咲く花達に見入られている。

 もっとより近くで花達を眺めたい。可能ならばその花を自分のものとしたい。そう思うのに時間はかからなかった。美しいものに見入られた者の当然の帰結であった。

 しかし、道行く誰をも、その花達には手を伸ばさない。

 花を手折る無粋な真似は気が咎めたか?

 彼女達を取り巻くある種の神聖さに恐れをなしたか?

 いや違う。

 見るがいい、妖精のようにじゃれあう、その大輪に咲く花の後ろに──


「ガルルルルル……」


 その花達を守護する番犬……いやさ狂狼が牙を剥いているのだ。


 目を三角に細め、最早殺意といっても過言ではない冷気を発するその男を見れば、可憐に咲く花に近寄ろうとする気さえ起きない。花に手を伸ばした瞬間、その刹那に噛み殺される未来が容易く見えるのだ。

 よって少女達と、彼女らを見る者達の安全は、一匹の狂狼との距離によって保たれていた。

 しかしそうなってくると見る者にとって心配になるのはむしろ少女達の方だった。

 見るからに寄らば咬み殺すを体現する狂狼が、なにかの拍子で花達を蹂躙するのではないかと周囲は危機感を抱いた。

 ──そんな危機感を抱く中で、先頭を歩く白百合の少女が淑やかな微笑みもそのままに、無防備に狂狼に歩みを寄せ、あろうことか手を伸ばしたのだ。

 見る者は息を飲み、誰もがその美しい花が数瞬後に無惨に散らされる様を思い描いた。

 だが……、


「……」


 周囲に牙を剥く狂狼は、少女に手を取られた瞬間、ギラつく牙を仕舞い、殺意にたぎっていた瞳を優しく細めたのだ。

 雑踏がざわめく。怒りに狂う狼を、いとも容易く手懐ける少女に畏敬の念を抱く者さえ現れる始末だ。


「──」


 少女は微笑みを浮かべたまま、狼の手を引っ張りもう一人の少女に並ぶ。黄金の少女も、狼に怯むこと無く腰に手を当て何か話している。まるで小言でも言うような雰囲気であった。

 そんな誰にでもある、少女達を只人だと認識させるような日常のヒトコマを目にし、ようやく周囲を取り巻いていた緊張感を孕む空気が霧散していった。雑踏が音を取り戻し、やがて元の世界へと回帰していく。

 日常が色を取り戻したところで花達の華やかさは変わらないが、その香りに穏やかに瞳を細める狼は、まるで一時の安息に浸り眠るようであったと、道行く人々は後に回想したという。



 

 眠ってる場合ではないぞ。


「ジン、お座り」

「ガルルルルル……!」


 刀花に手を引かれ一旦理性を取り戻したものの、俺はいまだに心中穏やかにはいられなかった。

 視線が……! 俺の大事な妹と大事なマスターを見る視線が気に入らない……!


「人間は滅びるべきだ……特に男」

「もう兄さんったら」


 苦笑する刀花に導かれ、俺達は朝食を摂るべく朝の繁華街を歩く。しかし、行く先々で道行く人間が振り返ること振り返ること。俺はそれがまったくもって気に食わない。


「見ろ! 今の男など露骨に刀花の胸を! リゼットの髪を!」

「落ち着きなさいなあなた」


 落ち着いていられるか不埒な視線を送る輩など滅べばいいのだあがががががががが。


「ねぇ、外に出るといつもこうなの?」

「いつもはもう少し落ち着いてるんですけど。たぶんリゼットさんが増えたからでしょうねぇ、なんだかんだ過保護ですから……ふふ、独占欲かも?」

「……ふ、ふぅん? まったく、仕方のない眷属ね。ご主人様の度量が疑われるからやめなさい?」

「そんなつれないこと言って本音は?」

「……悪くないわね」


 女子二人は「わかるー!」と何やら意気投合している。いつの間にそんな仲良くなったのだ? だが俺は気が気ではない。

 俺は刀花を守護する使命を帯びている。だというのに、男共のいやらしい視線から守ることができていないという事実に煩悶とする。刀花も「別に気にしないからいいです」と言うので、余計何もできないことに歯痒さを覚えるのだ。

 そしてそれは新しいご主人様にも言えることだ。どれだけ視線を集めようが「それが当然」と振る舞う様は見事だが、やはり俺には「何もしないで」と命を下す。

 俺は彼女の眷属だ。はじめ、眷属とは主人に侍るものと聞き、執事のようなものを思い浮かべたが、俺にそんなハイソなものは似合わない。番犬と言われた方が性に合う。だがその番犬に「吠えるな」と言うのは些か酷な話ではなかろうか。


「ぐぬぬ……」


 いまだ好奇の目で彼女らを見る輩は多い。吠えるのがダメならせめて視線で牽制する。

 なにせ今は夏、自然と肌の露出が多くなり薄着となった彼女らを下賤な者の前に晒したくなどない。欲にまみれた視線を送れば酒上裁判で全員死刑だぁ……。


「ジンは人間嫌いなの?」

「嫌いというか、私とリゼットさんしかそもそもヒト扱いしていないというか……」


 刀花は「怖くない、怖くない」と優しい瞳で俺を見つめて手を伸ばしている。谷に優しい風が吹きそうである。


「それでよくトーカを一人で学校に通わせられるわね」

「苦肉の策だ……金さえあれば」


 苦しげに答える俺を、しかしリゼットは意味深に「ふぅん……?」と呟き顎に手を当てるのみだった。


「夏休みが明けたらリゼットさんも通うんですから、兄さん今のうちに心の準備をしておいてくださいね?」


 あぁそうだ……この雑踏で注目を浴びているのは刀花だけでなくリゼットも同様だ。きっとリゼットが学校に通い出すと学生の男共が放ってはおくまい。


「リゼットさんとっても綺麗ですから、きっとファンクラブとかできちゃいますよ」

「そ、そう……?」


 興味無さそうにしているが、リゼットは髪をくるくる弄りながらも頬が赤い。


「ちなみに私にもあるらしいです」

「な、なんだと……」


 まぁ我が妹の可愛らしさからファンクラブなどあって当然だが。むしろできてなかったら世の男共の目は節穴だと断言できる。いやしかし刀花を異性がもて囃しているとなるとやはりけしからんな。そんなもの作るな。


「大丈夫ですよ、特に実害もありませんし。それにウチの学園って結構そういうのすぐ作っちゃう傾向がありますので」


 どんな傾向だワケわからん。

 俺がぐぐぐと唇を噛んでいる間にも刀花は「二年生にすごい方がいるらしいんです。元トップアイドルで実はリムジンで送迎されるほどお嬢様でもしかしたらヤのつく方々の跡取りで神様とお話できる女の子がいるらしいんです噂ですけど」と話を続けている。盛りすぎではなかろうか?


「一気に胡散臭くなったな……」

「そうね……」


 昇天ペガサスMix盛りくらい盛っている。

 赤くなっていたリゼットも、その話を聞いてじっとりとした目に変わる。まぁそんなこと言えばこっちは片や「総てを滅ぼす妖刀を担う女子高生」に片や「無双の戦鬼を従える吸血鬼」だ。負けておらん負けておらん。

 ふん、といつものように鼻を鳴らす。

 ファンクラブなど気に食わんが、まぁ話し半分に聞いておけばいい程度のものなのだろうと、今の話で判断した。子どものお遊びのようなものか。実害がないなら放っておけばいい……関わろうとすると逆に面倒が起こりそうだ。

 そう結論付けると同時に、先頭を歩く刀花はその歩みを止めると同時に振り返った。


「さてさて、着きましたよ。朝御飯にしましょうか」


 元気よく刀花は店舗を見上げながら言う。本日はリゼットが和食をご所望であるため、定食屋のチェーン店だ。果たして日本の誇る和食は英国のお嬢様の舌に合うのだろうか。


「もうお腹ペコペコです」


 刀花はお腹を押さえてそう言うが、屋敷を出る前に耐えきれずにドーナツを食っていたのを俺は知っているぞ。兄さん妹のお腹が少し心配。


「ふふ、ジン? 他人の視線なんてどうでもいいから、優しく私をエスコートしなさい」

「むぅ……承知した」


 好奇心に目を輝かせるマスターに少し毒気を抜かれ、肩の力を抜いた俺は、こういった場が初めてであるお姫様を食券売り場に案内するのだった。

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