178 (それはだいぶ悪い猫さんだと思います)
「やたっ、成績上がってるよ~!」
「~♪」
「ほう……?」
薫風学園、2―A教室にて。
第二学期終業式も終わり、通知表を配られた子ども達はその内容を見て一喜一憂している。
肩を落とす者、諸手を挙げる者。そんな者達の中で、我が隣と前方に座る少女の二人は、どうやら後者だったらしい。
「喫茶店の心配が無くなったから、後半は集中して勉強できたんだよね。ふふ、刃君のおかげかなっ」
「綾女の努力があったればこその成果であろう? 遠慮などせず誇るがいい」
「そうかな? そうだといいな、えっへん!」
隣の席に座る綾女が、その言葉と共に胸を張る。
十二月下旬となり寒さ深まるこの昨今、彼女は防寒のためにベージュ色のセーターをセーラー服の上に着用しているが、それでもその豊かな胸が厚着を押し上げたゆんと揺れる様は圧巻の一言だ。スケールがでかいのは良いことだからな。
俺がそんなことを思いながら頷いていることも知らず、彼女は橘の方へと関心をやっていた。
「橘さんも良い感じ?」
「 b 」
良かったらしい。グッと静かに親指を立てている。
綾女も橘も、普段は気にしていなかったが勉学面に心配は要らぬようだ。
「そういうものか」
どうやら俺の周りには、出来の悪い頭を持った女の子はいないらしい。リゼットは言うまでもなく、刀花もまた苦手教科はあれど呼び出しを食らうほどでもない。本当に手のかからない良い子に育って……!
「刃君はどう? 赤いのとか無い?」
「そのあたりは普段から織り込み済みだ」
「……?」
俺の言葉に橘が不思議そうに首を傾げ、セミロングの黒髪を揺らしながらこちらの通知表を覗き込む。
「っ!?」
そうして覗いた瞬間、その儚げで端正な顔をヒクヒクとひきつらせた。
そんな橘の様子に、隣の綾女もこちらを覗き込み「うっ」と声を上げる。
「じ、刃君これは酷いよ……全部三じゃん……」
「……」
橘がわざわざ十本の指を立てて苦笑している。この学園は十段階評価だからな。
「ふん、この無双のせ──俺に猿知恵など不要である」
事情を知らぬ橘の手前、言い方を変えながら鼻を鳴らす。
敵を殺すのに国語も数学もない。理を破壊し、押し潰すのが我が流儀であり仕事なのだ。
「えぇ~……? 刃君、何かやりたいこととかないの?」
「人類鏖殺」
「???」
冗談だと思ったのか、橘はキョトンとした後『またまた~』と言うように手をヒラヒラ振る。事情を知る綾女も『またまた~』と同じように手を振るが、その顔は青い。
「あっ、た、橘さんは!? 何か目指してることとかあるの?」
まずい、と思ったのか綾女が矛先を変える。こういったところの機微はさすが委員長である。
「……」
目指すところを聞かれた橘は、なにやらスケッチブックに記している。楽しそうに、その唇は綻んでいた。
そうしてキュッとサインペンを踊らせ、手に取るスケッチブックにはこう書かれていた。
『秘書、です』
「ほう」
「へー! なんだかカッコいい!」
「///」
綾女の素直な称賛に、橘はテレテレとしてスケッチブックで口許を隠した。
それにしても、秘書ときたか。なるほどなるほど。
「ふむふむ。それはつまり、その隣で支えたい人間がいる……というわけだな?」
「へっ? ……あっ、そういう。もう、橘さんったら健気!」
「~~~///」
余計赤くなって縮こまる橘に、綾女と共にほっこりとする。
なに、橘が支えたい人間など事情を知っておれば見当もつく。十中八九、社会人をしている恋人であろうよ。
「まったく、この教室はエアコンの設定温度が高いようだな?」
「ホントだね~、あついあつい♪」
「~~~!!」
綾女とからかうように言えば、橘が頬を膨らませながら、どこからともなく取り出したハリセンでこちらをペチペチとする。そのハリセン上に踊る文字は『愛ゆえに』だ。橘の下の名前が"愛"だけにか。
『薄野さんはどうなのですか?』
「あはは、ごめんごめん怒らないで~」
じっとりとした目をしながら、橘は綾女に聞き返す。
ハリセンから頭を守っていた綾女は、謝りつつも答えた。
「私は喫茶店を継ぐつもりだから、調理師とかパティシエの資格が取れる大学に行きたいんだよね」
「ほほう」
「っ!」
堂々と将来を語る綾女に、俺と橘は感心混じりの息を漏らす。
「でもまだお金とか不安だから、推薦で行けるように今の内に良い成績を取っとかないとって感じかな!」
「ほほ~う」
「っ」
橘と共に拍手を送れば、綾女は「どうもどうも」と照れ臭そうにして、肩口をくすぐるカフェオレ色の髪をくしくしと撫でる。いや立派な志だ。流石は我が友である。
「えへへ……」
そんな綾女は笑みを浮かべつつも、何やら上目遣いでこちらを見た。
「ね……刃君も一緒に調理の学校行かない? ほら、刃君って斬るのは上手だし、練習すればきっとお料理も上手くなるよ? リゼットちゃんも刀花ちゃんも喜ぶんじゃないかな?」
ほう?
「料理か。確かに、できて損はないかもしれん」
リゼットと刀花に美味い飯を俺の手で振る舞えるとなると、そう悪くないように思えてくるな。
そう頷くと、綾女がガタッと色めき立つ。
「で、でしょ!? それでそれで、下宿とかきっとお互いお金もないし、その、るっ、ルームシェアとかしちゃうのも……ねっ、ありかなーって……?」
「ほほう、それも面白そうだな」
「ホント!? でねでね! 特に将来とか決まってないなら、わ、私と一緒に喫茶店を切り盛りするのも、ど、どうかなーって……そういう選択肢も、看板娘との甘くて賑やかな日常もいかがでしょうかーって感じで……!」
「悪くない」
だが、なるほどな……。
「……夢、か」
なぜか興奮する綾女を、橘が冷や汗を流して片手で押さえている。もう一方の手で何やら猫のポーズを取っているが、あれはなんの猫の真似なのだろうか。
「ふぅむ」
そんな二人の様を横目に見ながら、一つ息を漏らす。当てられた、というわけではないが少々感じ入ってしまった。
長年の経営難から脱し、将来を伸び伸びと考えられるようになった少女の煌めきに。そして片や失声症となりながらも、大切な人間のために将来を見据える儚き少女の健気さに。
俺には目指すものがない。無双の戦鬼の職務は、少女の安全とその幸せを守ること。それは現時点で果たせてしまっているものだ。
だからこそ、目の前で自分のやりたいことを語り合う少女達が、余計眩しく見える。
──大切な人のために。そして自らがやりたいと思えることのために、か。
「……そういった観点もまた、ありか」
俺自身に、人間社会でやりたいことなどない。
……だが、二人の少女のためならば。リゼットや刀花の目指すところの手助けならば、してもよいのではないかと思える。彼女達の横で、彼女達の夢を応援できる立場にあれれば、と。
「なるほどな。大切な者の将来に合わせる、という道も悪くないやも知れぬ」
「おお、刃君が改心してる! えらい!」
「……そういうわけではない」
橘の手で落ち着いた綾女のそんな声に少しの居心地の悪さを覚え、顔を背ける。
まあ、帰り道でリゼットと刀花に目指すところについて聞いてみるかと思っただけだ。他意はない。
そんな俺にクスクスとおかしそうに笑って、綾女は朗らかにポムっと手を鳴らす。
「ふふ、まあでも追試とか無くて良かったよ。これで安心して冬休み過ごせるね。二人はどう?」
「特にこれといった予定はない。なにせ年末の休暇など初めてだ、手探りながらゆっくりとさせてもらう。……橘はどうだ。年末は社会人にとっても纏まった休みだ、勝負でもかけるのか?」
「!」
問うと、橘はキリッとしてシュッシュッとシャドーボクシングをしてみせる。
以前、自分になかなか手を出さない恋人への不満を吐露していた彼女だ。この様子だと、何かしら一発くれてやるつもりのようだな。感心感心。
「私は相変わらず喫茶店の手伝いかなぁ、趣味と実益を兼ねた。クリスマス前後には特別メニューも提供してるから、是非来てね!」
「看板娘は宣伝がうまいな」
「♪」
綾女は相変わらずだ。だが、その瞳の輝きには不安の影もない。夏の頃には焦燥が見て取れたが、今は穏やかな光に満ちている。見ているこちらが微笑ましくなるくらいだ。
「うー、でも寂しくなっちゃうなー、二人に会えなくなるの」
綾女はそんなことを言って。
少しブー垂れたようにして机に前屈みとなり、俺と橘に手を伸ばした。
冗談めかした綾女の仕草に、橘はクスリと笑って右手を取りフリフリと揺らす。そして俺は──、
「案ずるな、綾女」
「ひゃう!?」
両手でその小さな左手を包み込んだ。
女の子らしく柔らかく、小さなその手。この手一つで斜陽気味の喫茶店を両親と共に立て直し、そしてこの戦鬼と友誼を結んだ頑張り者の手。
その手を労るようにして撫でれば、綾女は真っ赤になってビクビクっと身体を震わせた。
「あ、あのっ、刃君……?」
「俺とて綾女と会えぬのは無論苦しい。だが案ずることはないぞ。一日に一回は、綾女の淹れるコーヒーを飲みに行こうと思う」
「あ、ほ、ホント……?」
「ああ。それとも、綾女は俺に会いたくなどないか?」
「う、ううん……私も、会いたい。その、嬉しい、です。はい……」
ぷしゅう、と湯気が出るのかと思うほどに綾女の頬が染まる。よし、今日も綾女の可愛い顔が見られたな。橘の視線が少し痛いが。
「も、もぉっ! そういうからかい方はダメっ」
「おっと」
握っていた手が離れていく。その甘い微熱をもう少し味わっていたかったが、残念だ。
「こ、こほん! もう、刃君は冬休みにもっと勉強すること! いーい?」
「薮蛇だったか」
からかいの代償か、綾女がピッとこちらに人差し指を向ける。出来の悪い子を見て委員長の血が騒ぐのか、それとも恥じらいを隠すためが大半か。
「それに、勉強だけじゃないよ大事なのは」
「む?」
首を捻れば、綾女はこちらの開いたままの通知表に指を滑らせる。
「ほら、ここ。先生の所見欄があるでしょ? ……『酒上君はもっと周囲と溶け込みましょう』だって。やっぱりそういうこと書かれてるじゃん。もう、めっ!」
「むぅ……」
「……」
めっとする綾女に、橘が微笑ましげにクスリと笑う。
「いーい、刃君? まず、授業中はちゃんと起きないと。あと教科書も開いてノートを取る! あっ、あと服装! 服装の乱れは心の乱れなんだから」
「分かった分かった」
矢継ぎ早の指摘に「参った参った」と手を挙げる。しかしこういう時の綾女はなかなか止まらない。普段は友情価格で見逃してくれているのだろうな。
「挨拶もキチンとして、あと掃除も!」
「なるほど」
「予習復習もしっかりやって、宿題も毎日提出するの」
「なるほど」
「帰ったら手洗いとうがいもして、あとハンカチとティッシュは持ってる?」
「なるほ……微妙にずれていっていないか?」
「あれ?」
学業の話ではなかったのか? 言いたいことが先行しすぎてよく分からなくなってきているぞ。
『まるでお母さんですね』
「橘さん、そんな……」
橘のからかいの文字に、しかし綾女は嘆息と共に苦笑する。悪鬼を更正させるのは並大抵のことではないのだ。
「ふふ、でもそうかも。なんだか──」
ここで一つ、綾女が言葉を区切る。
「……」
……それと同時に、教室内に静寂が満ちた。たまにある、先程まで話し声がしていたのになぜか急に静かになるアレだ。なんなのだろうなこの現象は。
そしてそんな静けさの中で、綾女はこう言ってしまったのだ。
「私──ママに、なっちゃったみたい」
ざわっ……!
瞬間、教室に衝撃が走る。
「え、なに? ママ?」
「委員長がママになったって……」
「え!? 酒上君が薄野さんをママにさせたって!?」
「いや、酒上君が委員長にバブみを感じているという線も……」
知っているぞ。これが切り抜き報道というやつなのだな? それとバブみというのは何だ?
俺が現代社会の闇を垣間見ていると、ざわつく周囲の者達の視線が綾女のお腹へと移っていく。
「へっ? なっ、ち、違うから! そんなことしてないからぁ!!」
「橘。バブみとは何だ。知っているか?」
『~検索中~』
可愛らしいお腹を押さえて誤解を解こうとする綾女を横目に、俺は気になった単語を橘に問う。少し考えた後に、どうやら特定の相手に母性を強く感じることらしいと教えられた。
ほほう? 確かに綾女は、身体は小さいが度胸もあり品行方正を地で行く者だ。きっと将来は良き母となるであろう。乳房も豊満だからな。だが──、
「甘いな。ならば刀花に授乳した俺こそが、バブみの頂点に相応しいと言える」
『ちょっと何言ってるか分からないです』
「ねぇちょっと刃君ー! 皆に何か言ってよー!」
「綾女は俺にこそバブみを感じるべきだ」
「何か言ってとは言ったけど何言ってるのかな!?」
……そんなこんなで。
我がクラスは今日も少しだけ賑やかに、今年最後のホームルームを過ごすのだった。




