156 「それってどう発音してるの?」
俺は今、日本生まれであることに深く感謝を覚えている。
「兄さん、いつの間にそんなバズーカみたいなカメラ買ってたんですか?」
「妙に熱心に誘うと思ったら、これが狙いだったのねあなた……」
キョトンと首を傾げながら言う刀花に、呆れた様子でこちらを見るリゼット。その雰囲気は普段のそれと相違無い。
しかし……その装いが、素晴らしい。
「むふー、どうですどうです兄さん。弓道着、似合いますか?」
刀花は見せつけるようにして、こちらに「ぶい!」と元気一杯にポーズを決めてくれる。シャッターを押す手が止まらん!
そう、俺達は今、学園内にある弓道場に足を運んでいた。
事前に、弓道場で体験会をやるという文言を見た時からピンと来ていたのだ。学園祭もそろそろ佳境。どうしても来たかった。
その甲斐あって、弓道着姿の二人を前に、俺は至福の時を迎えている。
「な、なんかコスチュームプレイしてるみたいで恥ずかしいんだけど……」
写真を撮られるリゼットが恥じらうようにして、モジモジとしながらそんなことを言う。
そんな頬を染めた表情も、いい……。
「どう言語化すればいいのか分からんな」
それほどに美しい。
真白の上衣に漆黒の袴。黒と白という飾り気のなさが、逆にそれを身に付ける者の虚飾を許さず、凛とした美しさを引き立たせる。
黒髪で純日本人の出で立ちの刀花は言わずもがな、金髪のリゼットもまたその雰囲気に合致しており違和感を覚えない。
"可愛い"。うむ、確かに可愛い。だがそれだけではこの凛々しさを含む彼女達の雰囲気を表わすには不十分だ。
"綺麗"。うむうむ、確かに綺麗だ。しかしそれだけではこの愛らしさを表現できていない気がする。
可憐、清楚、清廉、秀麗……いや、どれでもあってどれでもない。当て嵌めることができない。
むむ……むむむむむ!
「くっ……!」
日本語が難しい……!
俺は、この二人にどういった装飾の言葉を贈ればいい!?
「はっ──!?」
いや、待て。
そもそも言葉にならないと言ったのは俺ではないか?
であれば、そう──、
「" "」
「え、ジンなんて?」
「" "、だ」
「兄さんが限界化し過ぎて新しい言語を生み出してしまいました……」
「可聴化できない言葉を発するのやめなさい」
ああ、とてもしっくり来る。
彼女達はとても" "なのだ。これだ──!!
「既存の言語に収まらない美しさということだ。うむ、二人は本当に" "だな」
「むふー、照れちゃいますなあ~」
「いや全然分からないから……あとその言葉、なんか耳がキーンってするからやめて」
「" "! " "!!」
「耳がー!?」
ペシリ、と頭を叩かれる。
耳が敏感なご主人様には不評のようだ。いい言葉だと思ったのだがなあ、" "。
「あの……弓は射られないので? あと皆様はいつもそんな感じなのですか?」
「口付けしないだけ人目を憚っている」
横から少々引いた様子で、こちらも弓道着に着替えた六条が口を挟んでくる。
……演劇で助力された手前、同行を断れなかった。主と妹も、六条を可愛がっているため強くも言えん。
まったく、主と妹の間に闖入しようなどと許されることではないぞ。害悪──!
「俺はもう満足した」
「あなたはそうでしょうね……でも、ちょっと面白そうかも」
リゼットは興味深そうにそう言って、体験会のため近場に設置された的の前に立つ。
「えっと……こうかしら?」
そんな彼女の白い手には弓と矢。
首を捻りながらも、見よう見まねで矢をつがえようとする様は、傍目から見ていて微笑ましい。
「んっ、結構……固い~……!」
しかし、弦が固いのかなかなか引き絞れない。
非力な彼女だ。あのままでは、矢が妙な方向に飛んでいきかねん。
弓道とはいえ武は武。戦鬼としては、彼女に気持ちよく楽しんでもらいたいものだ。
「マスター」
「ひゃうっ!?」
声をかけ、後ろから抱くようにして彼女の手に自分のものを重ねる。
スベスベとした手の感触を味わいつつ、正しい射形になるよう導くようにして身体を動かした。
「背筋を伸ばして、的から目を離すな。弦は俺も力を貸す。あとはやりたいようにやれ」
「じ、ジン……近い……」
しかし、彼女は背筋を伸ばすどころか、赤くなって縮こまろうとする。
俺はそれを邪魔するようにして、より彼女の手を強く握り身体を密着させた。
「握りを強く持て。銃口が定まっていなければ、当たるものも当たらん」
「んっ、耳に息がっ……!」
「筈にしっかり弦をつがえて」
「や、んっ……さ、囁かないでよぉ……」
「弦道はこうだ」
「だ、だめ……」
「そうして張り詰めた弦を……離す!」
「ふえぇ~……!」
ビン、と独特の音色を奏で弦が震える。
そうして放たれた矢は見事、中心とはいかないまでも的には命中したのだった。
「おお、さすがは俺のマスターだ。初めてで的に中てられる者はそういない。誇るがいいぞ。弓を執るならば、今の感覚を忘れないことだ」
「ドキドキしてなんにも分からなかった……」
なに?
すっぽりと腕の中に収まる小柄な彼女が、少々涙目になってこちらを見上げる。重ねるようにして置いていた手も、いつの間にか彼女の方から握り込むようにして繋がれていた。
不満だったのかと思えば、そうでもない。こちらを見上げる彼女の紅い瞳の奥には、期待が滲んでいる。
そんな彼女の姿にクラクラしつつも、なんとか理性を保ち問いかけた。
「……分からなかったか?」
「……うん」
「では、もう一度するか?」
「……ま、また分かんないかもしれないから、もっと近くに──」
「はい交代でーす! 次は妹の番ー!」
「あっ、ちょっと!?」
更なる手解きをしようとすれば、横から黒い弾丸が飛んできた。
「もうダメですよ、兄さん。人目もあるんですから」
「あっ」
「ああ、すまん」
プクっと膨れる刀花の言葉に周囲を見渡してみれば、サッと目を背ける衆目が多数。
さすがにミス薫風に輝いた二人。余計に注目を浴びてしまっていたようだ。リゼットもそれに気付き、頭から煙を上げて隅へと引っ込んでいった。
「り、リゼット様の、女の顔です……!」
それを間近で見ていた六条など、俺のカメラを構えたまま真っ赤になって震えている。
いつの間に名前呼びになったのだ……あときちんと撮れたか?
「むふー、それじゃあ兄さん。今度は私にも教えてください」
「うむ。……とはいってもな」
ワクワクした様子で弓を執る妹に唸る。
教えろと言われてもなかなかに難しい。
リゼットのように構えをサポートする程度ならばできるが、刀花は余裕で弦を引くことができる。あとは的を見て射ろとしか言いようがないのだ。
「一度射ってみろ」
「んー……えい!」
「む?」
可愛らしい掛け声と共に、刀花は矢を放ってみせる。
少々構えに違和感を覚えるが、運動神経抜群の妹だ。そう悪いようには……、
「ありゃ、全然違う方に行っちゃいました」
「むぅ……?」
「あら、トーカにしては珍しいわね」
妙だな。
刀花はセンスで動く系統の人間だ。初めてのことでも"なんとなく"でこなせてしまうタイプの天才型なのである。
こういった感覚に頼るものは、むしろ得意なはずなのだが……。
「刀花、もう一度構えてみろ」
「こうですか?」
そうやって刀花は、なにやらもぞもぞしながら再び弦を引こうと……、
「ん、よいしょ」
「はっ──!?」
その構えを見て、確信した。
分かったぞ、一射目から感じていた違和感の正体が!
それを悟った瞬間、俺は諦観にも似た感情を抱いてしまっていた。
「……刀花には無理かもしれんな」
「えぇー! 私もかっこよくバシュッてしたいですよう!」
「……ならば、刀花。もう少し構える時に弓を自分の身に寄せてみろ」
「こうですか? ……あっ」
「あっ」
隣でリゼットも何かに気付いた声を上げる。分かったか。
「飛び道具というのは、矢弾を放つ道が整ってなければ思い通りには飛ばん」
弓矢ならば弦道。銃ならば銃口。
それが真っ直ぐであればあるほど、矢弾は仕手のイメージ通りに飛ぶ。
しかし──そこに障害物があれば? 無論だ。
「刀花様、お胸が……少々……」
控えめに指摘する六条の言葉に、刀花が「あはー……」と苦笑した。
「少々どころじゃないでしょ。きちんと構えたら胸に弦が当たるなんて……」
ブチブチとマスターが何か言っている……。
だが、そういうことだ。無意識に胸に弦が当たらぬようにしていたから、構えも変だったのだ。そんな姿勢からは、正しい射などできようもない。
「うーん、まさかこんなところでお邪魔になろうとは思いもしませんでした……」
胸当てをしていようとも、隠しきれぬその膨らみ。
兄としてはスケールの大きいことを喜ぶべきか、武に通じる戦鬼として悲しむべきか、微妙なところだ。
「あっ、そうです!」
しかし刀花、ここで頭に電球を浮かべる。
「兄さん兄さん、手で私の胸を押さえてください。そうすればいけるはずです!」
なるほど……!
「こうか?」
「ぁん。そう、です……上手ですよ兄さ、ぁん……そのまま……んっ、えい!」
「おお! 中心に当たったぞ! さすがは俺の妹だ」
「むふー、やりましたー!」
「「わーい」」
「このおバカ兄妹が」
「おうっ」
「兄さーん!?」
指から溢れるほどのたわわな感触もそのままに、妹と喝采を上げていれば横から飛んできた矢に頭を射抜かれてしまった。
「に、兄さんが落武者さんみたいになってます……!」
「痛いぞマスター。競技用とはいえカーボンは刺さる」
「二射目を刺されたくなかったら、今すぐ妹の胸から手を離すことね」
ギリギリと目一杯引き絞った弦をこちらに向けるリゼット。上手いぞ。
それにしても本気の目だ。良い子は戦場以外では真似するな。戦場ならば、いくらでも射っていい。
「んもう、ヤキモチですかリゼットさん。弦が抵抗もなく引けちゃうから~」
「ていっ」
「なぜ俺」
二本目が刺さった。
いや刀花に手を上げるのならば、俺としては容認できんのでこれでいいのだが。
「離せって言ってるでしょうが」
「えぇ~、でも兄さんにお胸触られるのって久しぶりですし~。もう少し兄さんのあったかい手の感触を味わっていたいというか~」
「ていっ」
「だからなぜ俺」
三射目が刺さった。
あと一本で皆中(四本の矢全てが的に中ること)ではないか。
「……(無言で胸を揉む)」
「あっ、兄さん嬉しい……」
「ていっ!」
皆中した。せっかくだからな。そして今のは俺が悪い。
「お前はせんのか、六条」
「まずは頭から矢を抜かれては……?」
五射目を射ようとするリゼットと、それを宥める刀花を横目に見ながら問う。
六条は俺達の様子に引き気味の笑みを浮かべていたものの、こちらの問いには「そうですねえ……」と首を捻った。
「私も由緒ある六条家の長女。武の心得は一通りございますが……」
「ほう?」
それは初耳だ。
陰陽師など昔から術ばかりにかまけて軟弱な者ばかりだった。
まあ……確かに例外もいたか。昔、みっちゃんが珍しく俺を佩いて内裏に上がった時など、安倍がなにやら「最近机仕事つらいわー」とか言って筋トレしだしたら、対抗するように蘆屋もやっていた。
あいつ最後にはムキムキになっていたな……安倍はほどほどにやめて、蘆屋の様子を指差して笑っていたものだ。
「あっ」
ぼんやりと昔の出来事を思い出していれば、あまり乗り気ではなさそうだった六条がポンと手を叩く。
「安綱様、振袖の注文に関してなのですが」
「む?」
ああ、化野の件を聞くついでに支部を壊滅させた時のあれか。
「それがどうかしたか」
「私、振袖もいいとは思うのですが、初詣などの混雑した場には少々不向きだと思うのです。ああいった場には、もう少し動きやすい小紋でもよいと思うのです」
「……ほう?」
「ですので──」
陰陽師らしく、腹の底に何かを秘めた笑みで六条は手招きする。
「追加でもう一組、小紋をご注文なさってはいかがでしょう?」
「──ほう」
なるほど、上手いな。
俺が断りにくい題目を掲げつつ、要求をねじ込んでくる。こちらに金を落とせと。
そして無論、唯々諾々と金を素直に落とす俺ではない。
だからこそ……六条は手に持った弓矢を掲げてみせるのだ。
「──ここは一つ、"これ"で私と技を競い合うのはいかがでしょうか?」
……面白い。
六条も末席とはいえ、源氏の血を引く武士の家系。
源氏の武とは、それ即ち“武芸百般”。
ならばその技の冴え、衰えておらぬかどうか……この戦鬼が直々に確かめてくれるわ。




