143 「いい武器を持っている」
「言い残す言葉は。それくらいは聞いてやる」
『死にたくないです!』
「つまらん台詞だったな。では死ね」
『死にたくないって言ってるのにー!?』
阿呆か?
殺しに来た者に『殺さないでくれ』と言って、聞き入れる者などいない。悪くも思わんが仕事なのでな。
いまだ右手に掴まれたままの幽霊少女は、こちらが左手で振り上げた刀を前にガタガタと震えながらも『話せば分かります!』と訴えかけている。昔の政治家かお前は。
そんな攻防を繰り広げるこちらを見かねたのか、リゼットが冷や汗を流しながらも口を挟んだ。
「ま、まあまあジン? 話くらいは聞いてあげたらどう?」
「……まさかマスターにそう言われるとはな」
『ま、ますたー……? も、もしかして飼い主さん!? 助けてー!!』
ちっ。
あまりに不憫に思ったのだろう。
先程まで恐怖していたリゼットがそう言えば、この場で誰が上の者かを目ざとく察した幽霊少女がそちらに助けを求め始める。面倒な真似を……。
『たたた助けてくださいぃ~! さっきは脅かしてすみませんでした! 私ほんとは人を襲うなんてできないんです、ほらほら!』
「うわすり抜けた……あと、ちょっとひんやりする……」
幽霊少女がブンブンと腕を振ってリゼットに触ろうとするも、その白い手は虚しく空を切るのみ。基本的に地縛霊は、生者に干渉できないのだ。まあ我が主は気味悪がっているが。
「おおー、ほんとに幽霊さんです。でも、じゃあ何であんなことを?」
そんな二人を見て、隣の刀花が感心したような声を上げながら、コトリと首をかしげて先の所業について尋ねる。
『こ、この場所にあんまり人の手が入って欲しくなくって……こうやって来る人を脅かせば今まで近寄られなかったので……』
「それは……やっぱりここが思い人との待ち合わせ場所だから?」
『は、はい! よくご存知で! さすがこの変な人の飼い主さんなだけはありますねぇへへへ……』
「これは褒められてるの……?」
自分の魂が風前の灯だからか、幽霊少女は卑屈そうな笑みを浮かべ、揉み手をしながらリゼットを褒めそやしている。野暮ったい前髪がその瞳を隠すせいで、その卑屈さに拍車がかかる。
これ以上失うものの無い者はプライドを捨てることに躊躇いがないな。あるいは魂という感情の源泉のままの姿をとっているため、感情表現が直接的になるのだろう。
まあ、俺の知ったことではないがな。
「俺のご主人様に触れるな」
『わー!? 揺らさないでー! って何で私に触れてるんですー!?』
「俺の特別は俺が決める」
『あ、分かりました! あなたさては悪い人間ですね!?』
「──この俺を人間と一緒にするな。あの月のように真っ二つにされたいのか」
『月が真っ二つって……わー!? ほんとに割れてるー!? って元に戻ったー!? なんでー!?』
「俺が斬った。そして戻した。この俺を誰と心得る」
『化け物ー!?』
「それでいい」
「エネルギッシュな幽霊ねえ……」
「ちょっとイメージと違いましたね」
二人から幽霊少女を遠ざけ、頭を掴んでプラプラと揺らせばキャンキャンと喚く。我が力を目の当たりにしておいて、これほどやかましい幽霊とは俺も会ったことがない。
幽霊とは極論、生者の絞りカスのような存在。生者とは肉体、魂、そして思考が合わさって初めて生者となる。どれか一つでも欠けていれば、穴の空いた風船のように中身が漏れ、空虚になるのが常だ。
『たーすーけーてー!!』
しかしこいつは肉体を失ってなお、魂と思考を強く保ち続けている。
巡る世界の波涛に晒され、磨耗していく魂のその過程は生半可なことで耐えられるものではない。そうでなければ、この世は幽霊まみれになってしまうだろう。
何も持つことが許されないはずの幽霊に、果たしてこれまで世界に刃向かい続けることを可能とした武器とはなんなのか。少々、興味をそそられる。
──試してみるか。
「死にたくないと言ったな」
『も、もちろん!』
「なぜだ?」
『な、なぜって……』
死にたくない。
それは人が持つ根源的な願いだが、この者にとっての一番ではなく、あくまで副次的なものに過ぎない。
死にたくないというのは、抱き続けた目的に対する手段だ。
──死してなお……いや、死を否定してまでも叶えたい、魂にまで刻み付けた願い。
人伝には聞いたが、それを改めてこの者の口から聞いてみたい。
「助かりたいならば言ってみろ、あるいは活路が開けるかもしれんぞ」
その武器の煌めき、見極めてくれる。
『や、“約束”、したんです……』
掴んでいた頭を離せば、少女は逃げることなくそう呟いてこちらを見る。
おどおどとした声は変わらないが……しかし、その野暮ったい前髪の向こうにある瞳は全く揺れていない。
心臓は止まっていように、そこから勇気をもらうようにして胸に手を添えて、幽かなる者は己を象る縁を紡ぐ。
そうすれば、徐々にその震えすら収まっていった。
『絶対、一緒になるって……約束したんです。ここで待っていれば、来てくれるはずなんです』
「だが、実際には来ていない」
『──絶対、来ます』
「ほう……」
確信にも似た力のある呟き。
なるほど……それが、お前の武器か。
契約と約束は似て非なるもの。契約とは即ち、権利と義務を課すものであり、互いの損得を保障するもの。俺が持主に見合った犠牲を払わせ、その者に鬼の力を与えるように。
だが、約束は違う。約束に求められるものは主に二つ。
──”信頼”と、”覚悟”だ。
「どけと言ってもどかぬか」
『どきません。私は、ここであの人を待つんです』
白刃を突き付けても、その瞳は揺るがない。
髪から覗く、その夜の海のように深く黒い瞳……そこに浮かぶ絶対に来るという“信頼”と、絶対に待ち続けるという“覚悟”。
決して数値化できぬ、人のみが持つことを許される感情の発露にして結晶。
それはまさに一振りの刀が如く。
硬く、鋭く、そして煌めく──その者の刃向かう意志であり、武器であった。
『お願いします。殺さないでください』
「ならん。俺は己と主人に益の無いことはせん」
『……益があれば、助けてくれるのですね?』
「……」
……その眼、知っているぞ。
己の無力を知りながらも、立ち向かう覚悟を決めた者の眼だ。こうした手合いはしぶといと、経験で知っていた。
「俺は貴様が邪魔だ。そんな貴様が何を差し出すという」
怨嗟も、霊力も、鬼を魅せる生き様も。
何も持たぬ吹けば飛ぶ存在に、主や俺に益するものなどあろうか──いや、ある。
その魂一つしか持たぬ幽かなる者。そうであるならば、差し出せるものは一つしかない。それは……、
『──私を』
「……」
それはまさに諸刃の剣であった。
『いえ……私とあの人の魂を、差し上げます』
「……ほう」
敵を斬り、己をも斬る刃を少女は振るう。
目の前の破滅を避けるために、後の破滅を確定させる……それは一見、愚かなことなのかもしれん。
その程度も分からないほど摩耗しているのか、それとも……もう終わらせてしまいたいほど、すり減っているのか。
どちらにしても、その姿はあまりにも哀れに映る。
『その代わり、あの人を探すのを手伝ってください。あなたはすごい力を持っているのでしょう? 再会できれば、それだけでいいんです。その後のことは、あなたにお任せします。だから……殺さないでください』
武器を、突き付けられている。
この俺に。何も持たぬはずの少女が煌めく刃を突き付けている。
それは目に見えぬ刃だが、その切っ先は確かに痛みを生む。悲哀と呼ぶには生易しい、悲痛と言う名の痛みを伴う刃を。
「……いい武器を、持っているな」
『え……?』
俺がそう言うと、目の前の少女は目をパチクリとさせる。いや、なかなかどうして……。
「その刃、確かに我が胸に届いた」
その悲痛なる覚悟。
永い時間の中で磨耗し、しかしその中で研ぎ澄ました言葉の刃……少々、胸が痛んだぞ。
そう。この者は鬼と斬り結ぶ中で、人間を塵と断じる鬼に哀れみを抱かせたのだ。
全てを捨て、持ちうる性能でもって相手を貫くその在り方。生きる人間のように華美な装飾など何一つ無い、ある種愚直で真っ直ぐな魂。
以前にも言ったが……その在り方は決して、嫌いではないのだ。
「いいだろう。貴様のその約束……契約に従い果たさせてやる。貴様のその覚悟と哀れさに免じてな」
『ほ、ホントですか!?』
刀を下ろせば、少女は目を見開く。
そんな彼女に「だが」と俺は言葉を続けた。
「勘違いはするな。我こそは無双の戦鬼。貴様を先に消してしまえば、後から来るであろう者を再び消しにここへ来なくてはならん。二度手間だ。この契約は効率を取ったに過ぎず、鬼が慈悲深いということではないということを覚えておくがいい」
親切心からではない。目指すべき道が少し重なっただけだ。
「契約を果たした後……確かに貴様とその相手、この戦鬼が喰ろうてくれる。覚悟しておけ」
『……よろしく、お願いします』
ふん、捕食者に向かって何がよろしくだ。
深々と頭を下げる目の前の少女。その身を包む安堵は、この場を生き長らえたからか……それとも、ようやく終わりを迎えられる可能性を見たことによるものか。
「ちっ」
苛立ちを覚える。
目の前の少女に……ではない。ここまでの覚悟を持つ者が堪え忍び、破滅すら容認したというのに。
そんな彼女にいつまで経っても会いに来ない、その思い人とやらに、だ。どこで道草を食っているのか。
「な、なんか大変なことになっちゃったわね……」
「何も言えませんでした……」
おっと。
事の趨勢を見極めていた少女達が口々に言う。そんな彼女達に、俺は頭を下げた。
「すまない。勝手に決めてしまった」
「う、ううん。いいの。私も可哀想だなって思ってたし……」
「そうですね。それにまだ学祭まで期間もありますし、私もお手伝いしますよ。でも……」
二人がコソコソと近づき、こちらに耳打ちした。
「……本当に食べないでしょうね?」
「兄さん、拾い食いはめっですよ?」
「……さあ、どうだかな」
はぐらかしておく。
報酬は二人分の人間の命ということだが、それは契約を果たした時の話。その時のことはその時に考えればいい。
まずは目の前の問題を片付けねば。捕らぬ狸の皮算用はあまり好きではない。
……事態が進めば、事情も変わってこようからな。
「さて、では早々にその思い人とやらを探すとしよう」
「あ、もう……」
二人が頬を膨らませる気配がするが、俺は知らぬ振りをして幽霊の少女に問う。
人探しには、とにかく情報が必要だ。
この地球上の生者だけで約八十億人。霊体を含めればどれだけの数に膨れ上がるか分かったものではない。
ただでさえ有象無象の人間など見分けがつかんのだ、当てずっぽうに探してはどれだけ時間があっても足りん。
「その思い人の名は」
『──っ』
こちらが聞けば、少女は喉が支えたような音を出し黙りこくる。
その沈黙は、声に出せば“ここに彼がいない”という事実を再確認してしまうからか。幾度も呼び、その名を呼ぶだけで悲哀に胸を掻きむしるからか。
いや分かる……分かるぞ。愛しい者と会えぬのはそれだけで悲しいものだ。俺も授業中に五回は主と妹の名を呼ぶ。
俺はうんうん、としたり顔で頷きつつ幽霊少女に促した。
「今だけは悲しみを忘れるがいい。この無双の戦鬼が、願いを叶えてやるというのだからな。これは絶対である。さあ、その者の名を呼ぶがいい」
『……あー』
「あ?」
……なんだ、その『あー』というのは。
なんだその、会計の時になり財布を忘れたことに気付いたような顔は。
……まさか。
俺は嫌な予感を感じながらも、立て続けに質問を投げ掛けた。
「……人相は」
『え、えっと……』
「何年に死んだ」
『あのー、ですね……』
「……そもそも、貴様の名は」
『……』
宇宙の話を振られた猫のような顔をするんじゃない。
そんな幽霊に、我が主も「え、嘘でしょこの子……」と戦慄している。
「待ち人の相手も分からん、自分のことも分からん」
『……て、てへっ☆』
なるほどな……。
「──斬る」
『わー!? 待ってください待ってくださーい!?』
「誰が待つか、このたわけめ──!」
幽霊とは時が経つにつれその魂を磨耗させる存在。目的を最重要とし、それ以外の部分をすり減らす者。
この者に限って言えば、待つという機能に特化したのだろうが……すり減り過ぎだ馬鹿者め!
『あ、こ、これ! これならどうですか!?』
「ああ?」
刀を再び振り下ろそうとする俺の眼前に差し出される左手。その左手の……薬指に一つの輝きがあった。
「……ゆ、指輪ね」
「綺麗な指輪です」
俺の腕を押さえながら、ひょいっと覗くリゼットと刀花がその名を紡ぐ。
確かに、その薬指には透ける肌にあってなお、輝かしい光を主張する銀の指輪があった。
「だが、それがなんだという」
道具に宿る感情すら分かる俺には、その指輪に込められた愛情が途方もなく深いことは分かる。むせ返るほどに。
だが、そういうことが言いたいのではあるまい。
俺が首を捻っていれば、リゼットが呆れたように息をついた。
「おバカ。婚約に指輪交換の文化が日本に伝わったのは戦後なの」
「それにこの黒いセーラー服は今の制服と違います。恐らく薫風になる前のものかと」
「……そこから類推しろと?」
およそ百年の歴史を紐解けと言うのか。情報の保存もされているか分からぬものに対して。
「……まあ、心中自殺ならば何かしらで取り上げられている可能性は高いか」
『あ、思い出しました。私、後追い自殺したんでした。ですので心中というわけではー……』
「……」
……噂は噂ということか。
なに、後世で事実がドラマチックに脚色されるのはよくあることだものなあ?
「……」
『え、あの……なんで怖い顔して頭掴んで引っ張るんですか……?』
「貴様がここで死んだのは事実なのだろう」
『あ、はい。ちょうどそこのフェンスの向こうから……え?』
凧のように幽霊を持ち、軽くフェンスを飛び越えれば眼下には僅かな足場と闇が広がる。
『え、えっと……何を……』
「ああ、思い出させてやろうと思ってな」
眼下に広がる常闇に向けて。
俺はまるで重量を感じない霊体を大きく振りかぶり、
「──死の光景を追体験すれば、自分の名くらいは思い出せるだろう」
『ちょっ──!?』
「逝って来い」
『いーやー!? どこかで見た光景いぃぃぃ~!?』
そのまま少女を三階の高さから地面に向けて放り投げれば、悲鳴が残響となり闇に飲まれていく。南無三。
「あなた鬼ね」
「兄さん鬼です」
称賛として受け取っておこう。
時には荒療治も必要ということだ。
『あー! でも思い出しましたー! 私、化野華蓮っていいますー! よろしくお願いしまーす!!』
「精神力は人一倍のようだな」
地面にぶち当たるでもなく、そのまま地中に透過していきながら言う……化野という幽霊少女。
「存外、面倒なことに首を突っ込んだやもしれん……」
「あはは……まあ兄さんが問答無用で誰かを殺しちゃうところなんて見たくありませんし」
「そうそう。穏便に、ね?」
「……苦労をかける」
二人に礼を言い、心中で俺も甘くなったものだと密かにため息をつく。
こうして俺は学園祭の準備として、幽霊の待ち人を探す手伝いをすることとなったのだった。




