116 「ダメなことしてる気がする……!」
綾女との待ち合わせ時刻まで、残り三十五秒。
「余裕をもって来られたな」
待ち合わせ場所である中央広場の近く。
その乱立するビルの隙間にある影から、俺はのそりと姿を現わした。
「くんくん……」
明るみへと歩き出しながら、鼻をひくつかせる。
挽きたてのコーヒーのような香りを漂わせる者は……あれだな。
広場中央に位置する噴水。その脇に、キャスケット帽を被った嗅ぎ覚えのある匂いを発する小柄な後ろ姿を見つけた。
「覚えやすい香りで助かる」
対象を補足し、休日であるためか少し人通りの多い広場内に侵入する。
(少し待たせてしまったか。さっさと声をかけて人気店のリサーチを──む?)
しかし予想に反し、彼女に近づくにつれて話し声が聞こえてくる。
それは後ろ姿のみが見える彼女の前方。二人の若い男が立って、なにやら綾女と話をしているようだった。
……さては、またもや綾女を毒牙に掛けようとする者か?
「……この街、性犯罪者多くないか?」
見せしめに殺しておいた方がいいのでは?
そうだな、待ち合わせ時刻まで残り十秒。零になった瞬間、その首を切り落とすとしよう。
俺は歩みを寄せながら、二つの首を標的に霊力を込めた指先を鳴らそうとし──、
「いーい? ナンパをするのはいいけど、しつこくするのはダメなことだよ?」
「はい……さーせん……」
ん?
「ほら、その金髪も。校則違反なんじゃないかな?」
「あ、これ地毛ッス……」
「あ、そうなんだ。ごめんね疑って。……とにかく、女の子の嫌がることをするのはもってのほかです! だけど元気なのはいいことだと思います! その元気は、こういうボランティアの場で発散しようよ! これチラシね!」
「は、はい……あざっす……」
な、なにをしているのだあの子は……。
首と胴をサヨナラさせようとしていた指先を引っ込め、怪訝に思いながら眼前で起こっている現象を解析する。
「私はこれから大切な用事があるから行けないけど、いいことをして流す汗は、きっと女の子の目にもかっこよく映ると思うよ!」
「そ、そうっすか……」
どうも、若い男二人は綾女をナンパしようとしたらしいのは確かだが……逆に綾女のペースに嵌められてしまったようだ。
(まあ、さもありなんというやつだ)
彼女は人間を信じている。しかしそれは、ただのイエスマンであるというわけではない。
正しいことをし、人を正道へと導こうとする。彼女の言葉で言うならば「ダメなことはダメって言う」ことができるのだ。追従するだけではない。
まあだからこそトラブルに巻き込まれやすそうではあるのだが……以前の餓鬼のように、最初から濁りきった悪意を持つ者であるならばまだしも、この程度の遊び半分な若者にとっては、確固たる道を歩む少女が別の生き物のように見えるに違いない。
なにせ幼い頃より鬼にすら忠言する度胸のある少女だ。その肝の据わり方、傍目から見れば狂気に映ってもおかしくはない。まったく揺るぎがないのだからな。もはや一つの宗教を信じる者のように。“人間絶対信じる教”だ。あな恐ろしや。
「……」
今までよく害意に晒されなかったなと思っていたが、なるほど。こうした絡繰りがあったのだな。
……だが、危なっかしいものはやはり危なっかしい。
「この近くにホームセンターがあってね、そこで火箸とか動きやすい服を買うといいよ! 軍手くらいなら貸してくれると思うから──」
俺はそんな、また不用意に棘に触ろうとする茨姫の手を──、
「……行くぞ、綾女」
「わっ」
さっさと握って、安全な道の方へと案内するのだった。
「ちょ、ちょっと待って刃君! まだ伝えてないことが~!」
「たわけ。ああいう輩は無視しろ。それに待ち合わせ時刻ちょうどだ。お前の身柄はこれより俺の物なのだからな」
「むぎゅ」
歩き出しながら、彼女の頭にチョコンと乗ったキャスケット帽を摘まんで下へ下げる。
目が~! と慌てる綾女を連れながら後ろをチラリと見れば、「やっと行ってくれた……」と言わんばかりに安堵の色を浮かべる若者の姿があった。
あやつらも災難だったな……。
「そしてお前も懲りないな……」
「懲りることじゃなくて、信じ切ることが大事だからね!」
はいはい、俺には眩しくて直視できぬわ。
帽子を上げ、嬉しそうな笑顔を見せる綾女から目を背ける。
そうすれば、彼女のヒラヒラした服装が目に入ってきた。
「……そういえば、私服を見るのは初めてか」
「あ、うん……ど、どうかな?」
握る手が少し固くなった。
そんな彼女の今日の服装は、全体的にフワッとした雰囲気だ。
上は袖口が広い、淡い色のカットソー。下は膝を隠すフレアスカートが花のように広がって揺れている。
大人のようにきっちりとした感じではなく、年相応のゆったりとした服装は、全面に“少女らしさ”とでも言うべきものを前面に押し出していた。
「ああ、可愛らしいな。よく似合っているのではないか?」
「そ、そう……?」
上目遣いで彼女はこちらを見上げる。
綾女は、身長が中学生の支部長並に低い。小柄な彼女にはこういった……なんというのだ? が、がーりー? な服装がよく似合う。キャスケット帽も全体の雰囲気を上手く纏めているしな。
そんな服装に身を包んだ少女は、帽子の位置を直しながら照れくさそうに笑っている。
「あ、あはは。なんか刃君にそう言われるのも変な感じだなあ」
「妹から、女の子の服装はとりあえず誉めろと言われているのでな」
「あ、そう……」
沈んだ。忙しい奴だな。
「……やっぱり悪い鬼さんだ。誰にでもそういうこと言う遊び人君なんだね」
なんだそれは。
隣を歩く少女はじっとりと目を細めながらそんなことを言う。
確かに俺は常日頃から言われている妹の命に従い褒め言葉を口にしたが、その言い方だと少し語弊があるな。
「誰にでも言うものか。俺が褒め言葉を口にするのは、この世で四人しかおらん」
「え……?」
主人に、妹に、友人二人だ。
「俺が認めた至宝の少女達に、麗句は惜しまん。前にも言ったが、美しいものを愛でるのは当然のことなのだからな」
宝を蒐集し、愛でるのも鬼の性だ。
まあこの醜悪な世には、俺が愛でるに値する宝が少ないのが難点ではあるがな。その分、過剰に愛でるのは許せ。
「……もう。やっぱり、悪い鬼さんだよ」
顔を伏せ、ボソッと綾女はそんなことを言う。
照れているのか? 日本人は奥ゆかしくていかんな……と思ったが、マスターもそんなものか。
帽子のつばで顔が見づらいが、握った手が汗ばんでいくのが分かる。
「……そういえば手をとったままだったな」
「あっ」
つい握ってしまったが、以前リゼットが「手を握るのは浮気」と言っていた気がする。
それを思い出した俺は手を離そうとし──、
「……む?」
しかし、逆にギュッと強く握られる。
……これは、どうするべきなのだろうか。
「あ、えっとえっと、これは……!」
俺が命令系統の優先順位に迷っている間に、綾女自身もなにやら顔を赤らめて焦っている。咄嗟に出てしまった行動だったようだ。
「──ふ、普通なことだよ!」
「うん?」
俺が「これは浮気に入るのだろうか」と迷う中、彼女は唐突にそう叫ぶ。
ほう、普通とは?
「ほ、ほら見て!」
綾女は空いている手で指を差す。
そこには小さな子どもの男女が二人、仲良く手を握って歩く姿が見受けられた。
「友達同士で手を握るのは、普通なことだよ! ダメなことじゃないんだよ!」
「ほほう、そういうものなのか」
戦鬼、また一つ賢くなった。
友達が手を握り合うのは普通のこと。戦鬼覚えた。
「ならば何も問題はないな。マスター……リゼットが以前『手を握るのは浮気』と言っていたのだが、なるほど。友人同士では普通なことなのだな。なるほどなるほど……」
「えっ!? あっ……そそそそうだよっ!? 普通普通!」
一瞬焦ったような表情を浮かべたが、綾女は「普通普通!」と連呼している。
なるほどな。
俺も友人ができるなど初めてのこと。このあたりは綾女に一日の長がある。彼女がそう言うならばそうなのだろう。
リゼットと言っていることが違うかもしれないが、あの子は元ぼっちだからな……。
ふむ、と。俺は気を取り直し、遠慮することなく綾女の手を強く握った。
「よし。では我が友、綾女。本日の目的は人気の喫茶店を巡り、人気店が人気店たる由縁を知ることだ。数は多ければ多いほどいい、後れを取るなよ」
「ひゃ、ひゃい!」
ぽーっと、強く握った手を見つめていた綾女に活を入れれば、そんなへっぴり腰な声が返ってきた。
「……心許ないな」
「はうっ!?」
そう思った俺は、握るだけだった手を、指を絡めるようにして更に握り込んだ。
この調査は、いわばスパイ行為だ。
なにせ他店の技術を盗もうというのだからな。そんなへっぴり腰ではなく、むしろカチコミをかける勢いで行かねばならんぞ?
それにこの子は、道端に咲く茨の棘に無防備に触れようとするからな。俺の刃で守護らねばならん……。
「うぅ……私、絶対ダメなことしてる気がするよぉ……」
ぐるぐる目になった綾女はそんなことを言っている。
ダメなものか。技術は占有されるべきではない。広く伝わり改良を加え、人間はいい道具を作成するべきなのだからな。
「行くぞ、進軍する」
「は、はいぃ~……!」
うむ、さっきよりはいい返事だ。
切羽詰まったような綾女の声を聞きながら、意気揚々と歩みを進める。
しっとりと熱く、握り合う指はそのままにして。




