114 (わ、私は見守ろうと思います……)
「みんなおはよー!」
「おはよ、薄野さん」
「はよー委員長」
いつも通りの朝の風景。
まだ一限目まで余裕のある時刻。ゾロゾロと気怠げに登校し、それぞれの属するグループで集まり、賑やかに駄弁る少年少女達の姿。
そして教室の入り口から響く、明るく透き通った声に誰もが挨拶を返す。これもいつも通り。まあ最近は少し元気がなかったが、最早その心配もいらないだろう。
「くあ……」
そんな声を聞きながら、俺は持参済みのマイ枕を机に置き、主と妹に合流できる昼休みまで眠る準備をする。これもいつも通りの流れ。しかし、
「あっ」
今日は、一味違った。
「おはよっ、刃君!」
ざわ……!
隣に腰かける少女の声に、教室がどよめきに包まれる。これまでとは違う、朝の一幕に。
とはいえ、これまでも俺におはようを言うのは、毎朝無駄と分かりつつもやっていたことだ。
しかし、やはり下の名でいきなり呼ぶというのは衝撃が走るものらしい。
なるほど、昨日彼女が言っていた「いきなり下の名で呼ぶのはダメなこと」という言葉は本当のことのようだ。
「ああ、おはよう綾女」
ざわざわ……!
まあ、俺の知ったことではないが。
下の名で呼ぶことがダメな理由を理解できない俺は、昨日同様に隣の席に座る少女……我が友、薄野綾女の名を呼ぶ。
「ふ、ふふふ……」
そうすれば、少し照れ臭そうにしながらも、はにかんだような笑みが返ってくる。
嬉しそうにしているからいいことではないのか? 人間のこういったところはよく分からんな……。
「……何を見ている」
周囲の物珍しげな視線がうざったらしいので睨みを利かせ、散らす。
蜘蛛の子を散らすような者達の中にあってしかし、視線を外さない者が一人。
『驚きました』
そう書かれたスケッチブックを、こちらに示す少女。
目をパチクリとさせ、ほんの少し呆けたように口を開ける、俺の前の席に座る少女……橘だ。
「あ、橘さんもおはよ! ふふ、見て見て、友達になったんだー。ね、刃君?」
「ああ……おい、手を振るな」
橘にそう言う間に、綾女は「握手ぅ~♪」と楽しげにこちらの手を握りブンブンと振る。
「まったく、朝から騒がしい……ああ、そうだ。橘には礼を言っておこう。綾女を友にできたのは、お前の言葉のおかけだ」
「私も、橘さんありがと!」
“友情は見返りを求めない”
あの馬鹿馬鹿しい価値観がなければ、俺が動くことはなかっただろう。あの言葉が、俺に動く大義名分を与えたのだ。
今こうして綾女との関係を構築できたのは、まさに橘のおかげと言っても過言では――ん?
「♪」
俺達が礼を言っていると、橘はなにやらニコニコとして、自分の顔を指差している。
「……なんだ?」
眉根を寄せて聞き返せば、橘は笑顔のまま言葉を綴った。
『羨ましいな、と思いまして』
「……なるほど」
そういうことか。
確かに、この娘には借りがある。十年来の約束を思い出させ、戦鬼に人間の価値を示す機会を作り出した遠因。
……まあそれに、元々この娘のことは気に入っていたしな。こうなれば一人も二人も変わるまい。
「……よかろう、お前も我が友に加えてやる。よろしく頼むぞ、橘」
『 b 』
橘はスケッチブックに描かれたアルファベットと共に、満足げにグッと親指を立てる。この娘、感情表現の幅が意外に広いな……。
「……偉そうな態度は変わらないけど、鬼さんもすっかり丸くなったね」
耳元で、クスクスと笑いながらそんな声が囁かれる。
「ふん、今回だけだ。ではな」
「恥ずかしがっちゃって……あ、ダメだよ授業始まるのに寝ちゃ!」
いつもの朝かと思えば、まったくの別物だ。
俺は少し騒がしくなってしまった周りに……だが、まあ悪くはないと思いながら、枕に頭を埋めるのだった。
『喫茶店を?』
「うん。刃君が『付け焼き刃より、既に習熟している武器で勝負すべきではないか』って言ってくれてね」
「ん……」
なにやら俺の名を呼ぶ声に目を覚ませば、どうやら授業間の休みに、綾女が橘に事情を説明しているらしかった。
「あ、おはよ刃君。今ね──」
「分かっている」
欠伸混じりに手をヒラヒラ振る。
俺の秘密さえ言わなければそれでいい。失声症の橘に、これ以上ストレスを与えるのも酷な話だろう。
一つ伸びをし、俺も友との会話に加わった。
「せっかく喫茶店という珍しい得物を持っているのだ。それを活かせないか、という話でな」
「連帯保証人の自己破産までになんとか成果を残せたら、お店の売値が上がったり、お父さんやお母さんが大手からスカウトされたりしないかなって! そうすれば、早くお店も買い戻せるよね!」
おおー、と橘は感心したように手を合わせる。
とはいえ、綾女の両親もそこはとっくに考え抜いている。今は現在の経営状況で、どこまでのサービスを提供できるかを見極めている最中らしい。
「斜陽気味だけど、パパの作るスイーツは絶品だし、ママの接客は評判いいし、きっと頑張れば上手くいくよね!」
以前のように、瞳を煌めかせ展望を語る綾女。
頑張れば報われる。そう信じ、しかし一度は手痛く裏切られたにも関わらず、その瞳が曇ることはない。
……そんな彼女だからこそ、俺はこの子の友となり、力を貸そうと思ったのだ。今回は、俺も出よう。
「刃君も、出来る限りサポートしてくれるんだよね?」
「ああ。友とは助け合うもの、そう聞いているからな」
「ふふ、ありがと!」
ちょうどいい機会だ。
これを機に、俺も友人というものを知っていくとしよう。
そう二人で顔を見合わせ笑っていると、橘はどこか考えるような表情で、きゅっきゅっとサインペンをスケッチブックに走らせる。
『しかし喫茶店を盛り上げるというのは、なかなか難しいことなのではないでしょうか?』
「そうなんだよねー……」
明るい雰囲気から一転。
橘の言葉に綾女はボフッと、間延びした声を発しながら自分の机に身体を預けた。
「売り上げが伸びてないのは前から分かってたことだし、そりゃ対策もいろいろ講じてはきてたんだけど……どれも客足がつかなくってねー……」
はふう、とため息をつく綾女に、俺と橘は苦笑する。
まあそれはそうだろう。仮どころかプロの経営者が、売り上げの伸びない現状を良しとするわけがない。何かしらの対策はしているはずなのだ。だが……、
「割引券とかをポストインしたり、小さいけど回覧板で広告してもらったり。いつかの時には迷走して、私がコスプレして接客とかもしたことあるよ……」
おお、綾女が遠い目を。
しかし地道な活動もしっかりしているのだな。
加えればあそこの料理やデザートも、リゼットと刀花は美味しいと言っていたが……それでも客は遠のくものなのか。
「うう~、助けてよぉジンえもん~」
「誰がジンえもんか、誰が」
「あたっ」
泣き言のように俺の名を呼ぶ綾女にチョップを返す。
俺が出せるのは、人を殺めるための道具だけだ。
人の自由意思を斬り刻み、夢遊病患者のようにして店に並べることならば出来るが……綾女はそれを望むまい。
「まあ助けたいのは山々だ。俺は喫茶店でバイトをしたことがないため、まずはその空気感を知ることから始めるとしよう。リゼットや刀花も、なぜか協力すると言っている。アイデアくらいは出してくれるだろう」
『私も、出来る限り力になりますね』
「うぅ、持つべきものは友達だよぉ~!」
感極まったように、綾女はこちらの手を握ってブンブンと振り回す。
前回と違い、これだけの元気と、誰かを頼る勇気があるならば上々だろう。この戦鬼との再会で、なにかしら意識の変化があったのかもしれん。
そんな綾女の姿に微笑ましくなりながらも、若干今の動作で目を回す橘と共に首を捻る。
……喫茶店を盛り上げる方法、か。
セミロングの黒髪をゆらゆらと揺らしながら、橘は案を綴っていく。
『SNSは活用されているのですか?』
「あー、うちの親パソコン苦手で……」
橘がそう聞くと、たははと笑って綾女は頭をかく。
「SNSとは、アレか? ツイ○ターとかか」
俺の疑問に、橘はコクコクと頷きスマホをいじりだす。
そうして操作した後、スマホの画面には俺でもどこかで聞いたことのあるようなケーキ屋の名前と、いくつかの呟きが表示されていた。
「やっぱり大手は人気だね」
羨ましそうに、綾女はそう呟く。
俺も眺めてみれば、なるほど。キラキラしたケーキや内装の写真。その日のサービスや特別商品の呟きが目白押しだった。
なんというか、陽の気が溢れ出ている。華があると言えるな。
「これも宣伝か。まあ客商売だ、呼び込まねば客は入って来んだろうな」
「うーん、でもこう……これ! っていう看板商品とかサービスが、うちにはないんだよねえ」
難しげに綾女は唇を尖らせる。
無ければ作ればいいと、言うのは簡単だがやはり難しいのだろうな。無から有を生み出すために、割り振る作業の時間やコスト的にも。
このケーキ屋も、さも当たり前のように小綺麗な洋菓子を店頭に並べてはいる。
だがそれらは、夥しい数の失敗作を作製した上で、ようやく完成したものなのだ。それまでに費やした労力や金は計り知れん。
そしてそうやって新商品を開発出来たはいいものの、全く売れないという憂き目を見ようものなら目も当てられない。
この大手のケーキ屋のように挽回できるリスクならいいが、それこそ斜陽気味の喫茶店には難しかろう。
失敗が許されるのは子どもと、懐に余裕のある者だけなのだ。
「低コストで高リターンが望める商品、ないしはサービスか……」
「~~~??」
橘も難しげに考え込んでいる。
まあそんなものがすぐに思い付けば、世の経営者は苦労していまい。俺もサッパリ分からん。門外漢にすぎる。そもそも俺は高リスク高リターン派の道具だからな……妖刀だぞ?
「まあ、客引きくらいならば俺も出来る。俺としてもあの店は居心地がよかったのでな。失くすのは惜しい」
「ほんと!? そう言ってくれると嬉しいなあ」
俺のあまり役に立たない言葉にも、綾女は目を輝かせて頬を緩める。いい子だ。
そんな彼女は、ふと淑やかな笑みを浮かべた。
「……私ね、パパとママが営業してる喫茶店が大好きなんだ」
宝物を抱えるように。
「挽きたてのコーヒーの香りも、ケーキが焼ける音も、冷たい手触りの綺麗なカップも」
綾女はそう微笑みながら、胸に手をやった。
「お客さんも好き。お茶を飲んで、それまで疲れてた表情が和らいでいくのを見るのも好き。『美味しかった』とか、『また来ます』なんて言われちゃったら、もっと好きになっちゃう」
「……」
黙って聞く。
これは、彼女の覚悟の話だ。嬉しいだとか、好きだとか、一銭の金にもならない感情の話。
「私はそんな風に“好き”を増やしていきたい。そして分けてあげたい。疲れを癒して、甘いお菓子を食べて、笑顔になって。そうしたら、もっともっと人は人を好きになれると思うから」
……金にはならん。吹けば飛ぶような理想論だ。
だが──宝にはなる。
胸にそれを抱き続ける限り。
たとえ茨の道でも、もう彼女は道に迷うことはあるまい。これはそういう話だ。そして、
「よくぞ言った」
「わぷっ」
その棘を切り払い、宝を守るのが鬼の仕事だ。
理想は高ければ高いほどいい。それが高いほど……その綿毛は遠くまで飛ぶことができ、いずれ大輪の花を咲かせるのだからな。
彼女の胸の煌めきに目を細めながら、くしゃくしゃとカフェオレ色の髪をかき回す。
「その輝きが俺を惹き付ける。この俺を友にしたのだ、きっと上手くいく。いや上手くいかせてみせよう」
「ふふ、珍しい。刃君もフワッとしたこと言ってるよ? っていうか、子ども扱いしないでよぉ」
「なに、決意表明のようなものだ。それに、美しいものは愛でたくなるのは当然のことだろう」
髪を梳きながらそう言えば、くすぐったそうにしていた綾女は、頬を染めてもじもじと指をこねくり回す。
「う、美しいって……も、もう。女の子に軽々しくそんなこと言うのは、ダメなことだよ……?」
「俺が軽々しくそんなことを言うと思うか?」
「え? その……も、もぉ……」
もーもーと、牛かお前は。
しばらく元気付けるように頭を撫でていれば、次なる授業のチャイムが鳴る。
「さて、俺は寝る。寝ながら何か策を考えておこう」
「あ。う、うん……」
「……?」
パッと小さな頭から手を離せば、なにやら綾女はぽーっとした雰囲気でこちらを見ていた。
ぼんやりとして、少し熱に浮かされたよう。まるで寝起きの刀花のようだ。
俺はそれを微笑ましく見た後、さっさと眠りの世界へと沈んでいった。
「うう~、おかしいなあ。なんだろ、この気持ち……なんだか胸がポカポカするよ……」
「っ!?」
そんな、胸を押さえながら言う綾女の呟きと、キョトンとして綾女を見ていた橘が、息を呑む空気音は置き去りにして。




